2010年代「芥川賞」おすすめ10選 ―バラエティ豊かな傑作たち―

芥川賞
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バラエティ豊かな傑作たち
芥川賞受賞作品まとめ
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芥川賞受賞作品を年代ごとに紹介している。

今回はいよいよ2010年代。

この辺りになると、読者の記憶にも新しいだろう。

さて、改めて受賞作について振り返ってみると、そのテーマ・文体・演出も様々だ

本格的で正統的な作品があるかと思えば、実験的で斬新な作品もある。

欝々とくらい作品があるかと思えば、爽やかな作品や、泣ける作品もある。

過激でぶっ飛んだ作品があるかと思えば、日常の風景にスポットを当てた作品もある。

以下では、そんなバラエティに富んだ2010年代の受賞作品について、そのあらすじや魅力について紹介していきたい。

やはり今回も作品のチョイスに悩んでしまったが、なんとか10作品にしぼることができた

この記事を読んで少しでも興味を持った方は、ぜひ“次の1冊”の参考にしていただければと思う。

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『苦役列車』(西村賢太)2010年

孤独な童貞が社会に吐き出す”ゲロ”

あれは忘れもしない、受賞会見。

あの日も記者たちによる、テンプレ通りの質問が飛び交っていた。

決して清潔感があるとはいえない出で立ちで登場した西村賢太は、なんとも言えないアンニュイな態度で、その質問の一つ一つに答えていた。

「受賞を聞いたとき、何をしていましたか?」

その質問に対して、西村賢太は臆面もなく、次のように言い放った。

「そろそろ、風俗に行こうかなっておもってました」

もう、なんというか、いろいろと吹っ切れている作家なのがお分かりいただけるだろう。

受賞作『苦役列車』は、昨今の受賞作の中で、ダントツといっていい、黒く怪しげな光を放っている。

  • 主人公は19歳の北町貫多。
  • 彼には暗い過去がある。
  • 幼い頃、父が性犯罪をおかし、家庭が崩壊したのだ。
  • 貧しい家庭で育った彼。
  • 最終学歴は中卒で、今は薄給の日雇い労者者だ。
  • そして、童貞の彼には友達も彼女もいない。
  • 唯一の楽しみは、少ない給料で通う激安風俗。
  • 彼は世間と社会を呪い、心のなかで悪態をつきまくっている。

と、ここまで書けば、もう十分だろう。

あとは、本書を手にして、存分に北町貫多の吐き出す「ゲロ」を味わってほしい。

ここでは、もう少し、この作家の文学史上の位置づけについて紹介したい。

じつは、西村賢太、彼自身も中卒で、日雇い労働経験者、上記の通り風俗好き、そして彼の父もまた性犯罪で逮捕されているのだ

つまり、この作品はほぼ、西村賢太の経験に基づいている。

こういうのを私小説(リアリズム小説)と呼ぶのだが、ここまで本格的な私小説は、昨今の受賞作の中で とても珍しい。

ちょっと込み入った話になるが、近代文学の一時期、この「私小説」という形式がとても流行っていた。

小説 = 私小説 = 自分自身の醜さを余すところなく暴露。

そんな風潮があった。

作家達があまりに私生活をあけすけと暴露するので、その家族や親せきに迷惑が及んでしまう、なんてことが日常茶飯事。

そんな時代があったのだ。

そして、西村賢太という作家は、まさに彼らにインスパイアされているのだ

彼は、私小説という形式を選択し、「徹底して自分自身の弱さ・醜さ」を北町貫太に投影している。

実際に彼が作家として影響を受けたのは「葛西善蔵」という破滅型私小説のドンと、「田中秀光」という繊細で弱すぎる自らの心の様を告白した作家だった。

ちなみに、田中秀光は太宰治の弟子。

太宰の死後、太宰の墓の前で自殺をした作家だ。

そんな、伝統的な破滅型私小説の流れをくむ、現代の破滅の王様

それが西村賢太なのだ。

ちなみに、文章力、表現力は抜群で、とても中卒とは思えない。

彼は、それくらい、本を読んできたのだろう。

言い換えれば、文学に救いを求めてきたということだ。

ぜひ、彼の本を手に取ってほしい。

彼に興味をもった人たちは、「西村賢太」と検索してみると思う。

すると、「クズ過ぎる作家」なんていうカンムリがくっついたページが沢山でてくる。

クズがなんぼのもんじゃい。

文学なんて「クズ」が吐き出すゲロだったのだ、もともと。

文学へのリスペクト。

間違いなく西村寛太は、他のどんな作家より、それを強く持っている。

『共喰い』(田中慎弥)2011年

逃れられない“血”という宿命

芥川賞の名物として「会見のインパクト」というものがる。

西村賢太の「風俗に行こうと思ってました」を筆頭に、作家の受け応えは独特なものが多く、まさに十人十色である。

「作品と作家は関係ない」

と、ドヤ顔で言ってみても、なんだかんだで、「この作品を書いた人って、どんな人なんだろう」と興味を抱いてしまうもの。

ギャップがあればソレはソレで面白く、ギャップがなければ、ソレはソレで、やっぱり面白い。

さて、本作『共喰い』の作者、田中慎弥の記者会見は? というと、作品のイメージのまんま。(気になる人は、動画検索してみてほしい)

猫背気味の中年男が現れるや、ふてぶてしく不機嫌そうに、終始辺りをねめつける。

そんな彼の、最初の一言はというと、

「(芥川賞は)自分がもらってあたりまえ」

といった主旨。続いて、

「(しょうがないから、芥川賞を)もらっといてやる」

と言い放つ。

挙げ句に「(こんな会見)とっとと終わりにしましょうよ」

である。

この会見は、賛否さまざまにあるのだが、なんというか、個人的に「この作品の作者らしいなあ」とぼくは感じた。

さて、作品の話をしよう。

作者のように、この作品をまとう空気も不快感に満ちている。

  • 異臭を放つ川。
  • ゴミやガラクタ。
  • 病的な犬。
  • バケモノのような売春婦。
  • 主人公は、そんな環境に閉じ込められた17歳の少年「遠馬」。
  • 彼の父は愛人とのセックスにふけり、相手の首を絞めるなどのDVをはたらく。
  • 遠馬にも「千種」という恋人がいた。
  • 2人はセックスをするのだが、遠馬もまた彼女に暴力を振るってしまう。
  • 自分の中にも暴力的な「父」がいたのだ。
  • 遠馬はそのことに気づき、不可解な自分自身に恐怖する……

と、もう、これだけでお腹いっぱいになるだろう。

とにかく、『共喰い』では暗くてジメジメして鬱々とした世界が描かれていく

では、作者は一体何を書きたかったのだろう、と考えてみる。それは、

逃れられない「血」の問題であり、親子という宿命だろう。

親子問題は、今も昔も、西も東も、とにかく人間が抱えるもっとも普遍的な問題といえる。

どんなに、嫌悪しても、呪っても、逃れようとしても、決して逃れることができない。

それが血であり、親というものだ。

『共喰い』とは、そういうことを、不快感たっぷりに突きつけてくる息苦しい作品だ。

広島弁の会話文、硬質な地の文、その二つが絡まりあい、田舎の暗鬱さや閉塞感を際立てている。

『共喰い』という動物的なタイトルも、人間のむき出しの姿を描いた、この作品にぴったりだ。

おもいっきりドロドロした文学を読んで見たい人におすすめ。

『爪と目』(藤野可織)2013年

選考会も戦慄“純文学ホラー”

この本が発売されたとき、帯には「純文学ホラー」とデカデカと書かれていた。

ホラー要素の濃い文学作品は世の中にたくさん出回っているが、純文学、しかも芥川賞となると、その数はかなり限られてくる。

ということで、今回、紹介する『爪と目』は、過去いちばん新しい「ホラー系純文学」ということになる。

では、何がホラーなのか。

まずその設定だ。

  • 語り手は3歳の女の子「わたし」
  • 語りかける相手は父親の不倫相手で、実母の死後やってきた後妻「あなた」

どうだろう。

確かに、不穏な空気がただよっている感じはする。

とはいえ、実は、「女の子による語り」も「父親の不倫」も、文学的にはとくに珍しいものではない。

じゃあ、いったい何が他の作品と違ったのか。

それは実際に読んで見ると分かるだろう。

この語り手の「わたし」何かが変なのだ

なんだろう、この語り手。

どこか信用できない。

言葉にできない不気味さがある。

そう思いながら読み進めていくと、次第にその理由が分かってくる。

この「わたし」、3歳とは思えないほど、論理的で、理路整然と、「あなた」について分析しているのだ

しかも、「あなた」について、絶対に見聞きできないことまで、すべて「わたし」は知っている

どうやら、「わたし」は、時空を越えた、超越的な目の持ち主なのだ。

いったい「わたし」は何者なのだろうか。

じつは、この『爪と目』、もっとも注目されたのが、この語り手の設定と、その文体だった

選考委員らはこの小説を「2人称小説」と呼び、その新しい文体と設定とを高く評価した。

選考委員の島田俊彦は、

「成功例の少ない二人称小説としては、例外的にうまくいっている」

としてた上で「文句なく、藤野可織の最高傑作である」と大絶賛している。

ちなみに、作者の藤野自身は「ホラー好き」を公言していて、芥川賞の選考当日も編集者らとホラー映画を見て待っていたという筋金入り。

最後に、出版社のキャッチコピーを紹介しておこう。

「あなた」のわるい目が、コンタクトレンズ越しに見ている世界。

それを「わたし」の目と、ギザギザの爪で、正しいものに、変えてもいいですか?

「わたし」には「爪」をかむ癖があり、その爪は常にイビツでギザギザしている。

そしてタイトルの「目」とは、当然、継母である「あなた」の目である。

おしりの辺りがムズムズするのは僕だけじゃないはず。

『火花』(又吉直樹)2015年

感動の“死ね死ね漫才”に注目!

もっとも有名な芥川賞作品だと断言できる。

その理由は作者がお笑い芸人であることと、芥川賞受賞作では歴代発行部数 第2位(250万部)を誇ることだ。

本に興味がない人々を、読書の世界に引き込んだ又吉の功績はとても大きいと思う。

芸人が書いた小説だから芥川賞とれたんでしょ?

一部、ネットで こういった言葉を目にするが、とんでもない。

又吉の「文学力」は間違いなく高い。

ぼくは、いろんな番組で「文学」を語る又吉を見てきたが、彼が文学と誠実に向き合ってきた人であることがわかるし、彼が愛好する作家や本も、とても信頼できるものばかりだ。

「優れた書き手は、優れた読み手でもある」

太宰治や芥川龍之介がまさしくそうだったように、これこそ文学にまつわる真理だと思う。

そういう意味でも、又吉は作家としての資質が十分備わっていると言える。

では、実際に又吉の「作品」はどうなのかと言うと、まず冒頭の数行を読んで、彼の表現力に驚かされる。

芸人の文章とは思えないほど、とても濃密な文章なのだ。

あまりに本格的なので、読書になじみのない人は、若干抵抗を感じるかもしれないが、そこは安心をしてほしい。

(良くも悪くも) 後半にかけて、文章はビックリするくらい読みやすくなっていく

内容に関しては、ドラマ化、映画化されているので、改めてここで紹介する必要はないだろう。

とにかく本書を読んで感じるのは、「文学たらん」とする作者の強い意志である。

作者は「漫才とは何か」を突き詰めていくことで、「人間とは何か」を問うている

ちなみに芥川賞で「泣ける」ってことは、そうそうないのだが、本書には泣きポイントがある。

1つ目は、井之頭公園で「真樹さん」を見かけるシーン

2つ目は、「死ね死ね」漫才のシーン

一応ネタバレになるので、詳しく説明はしないが、この2つのシーンを読むために、本書を手に取っても良いと思う(又吉は間違いなく、これらのシーンを書きたくて小説を書いたのだと思うし)

ドラマ、映画で知っている人も多いが、それらと原作とでは展開が少しだけ違うので、そのあたりも要チェック。

【 参考記事 考察・感想『火花』(又吉直樹)ーお笑いとは何か、人間とは何かー

『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介)2015年

“殺す”と“死なす”は何が違う?

この作品は、又吉の『火花』と並んでの同時受賞だった。

話題をぜんぶ又吉に持っていかれた形の羽田圭介……

だけど、彼はその後も佳作をつぎつぎと生み出し、作家としての地位をしっかり確立した。

作家デビューは17歳という、実力派としての面目であろう。

最近でも、メディアにバンバン出演していて、その独特の人間性も多くの人たちにウケている。

さて、本作についてだが、「介護」をモチーフにしている。

介護かよー

と、やや重苦しい印象を持つ人も多いかも知れない、が、そんじょそこらの「介護」ものと一緒にしないでほしい。

というのも、この物語の設定がとても独特だからだ。それは、

「死にたい」という祖父に対して、孫が「死なせるための介護」を計画・実践していく

といものだ。

その方法は、「必要以上に親身に介護をする」こと。

祖父の体に負荷をかけないことで、逆にじわじわと死に近づけるってわけだ。

だから孫の行為は、殺人ではなく、あくまでも「介護」なのである

が、やはりここで不思議なひひっかかりを感じてしまう。それは、

「殺すのはだめなのに、どうして死なすのはオッケーなの?」

というものだ。

この問いは、まさに現代の安楽死問題とも通じている。

「祖父のため」に「殺すこと」はNGで、「死なすこと」はOK。

「殺すこと」と「死なすこと」って、いったいどう違うのだろう。

また、祖父のためとはいえ、「祖父を死なす」ことって、ほんとに正しいことなのだろうか。

改めてそれらを問うてみても、なかなか答えは出ない。

孫がやっていることは、結局のところ「老い」を嫌悪する彼自身のエゴに過ぎないんじゃないかとぼくは思うのだが、そのあたりは議論が分かれるところだろう。

ぜひ、実際に本書を手に取って評価してみてほしい。

本書は人間の老い、孤独、生、死などをテーマに、ぼくたちの目を背けたくなる現実を描いた作品だ。

ただ、「ストーリーとして、すごいおもしろいか?」 と聞かれると、「うーん、そうでもないかな」と、ぼくは答える。

とはいえ、テーマはとにかく興味深いので、本を読む手を止めたり考えたりして、じっくり読書したいって人にはおすすめ。

 

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『異類婚姻譚』(本谷有希子)2015年

結婚なんて全部“異類婚”

まず、このタイトルが秀逸だ。

“異類婚姻譚”とは一般的には民話の1ジャンルのことで、人間が動物とか、鬼とか、妖怪とかと結婚をする物語のことである。

だけど、そもそも結婚って全くの他者同士で行うものなわけで、とすれば、人間の婚姻関係だって、その本質は「異類婚姻」といえるのではないだろうか

本書は、読者に「婚姻関係」の本質を問うているのかもしれない。

「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気づいた。」

物語はこのように始まる。

  • 主人公は専業主婦の「サンちゃん」
  • 旦那はこの上なくだらしない男で、家ではだらだらTVやゲーム三昧。
  • そんな旦那との生活は、もう4年になる。
  • ある日、サンちゃんは、自分の顔が旦那に似てきていることに気が付く。
  • それからというもの、サンちゃんは旦那の顔を観察するようになる。
  • すると、やはり「2人で1組」の夫婦の境界が曖昧になっているのだった。

「なんか、あんたたち、顔似てきたよねー」

こんなことを言われて喜ぶカップルを、僕は何度か見たことがあるが、そういうカップルって割といると思うのだけど、どうだろう。

そもそも恋愛ってのは「相手と混ざり合いたい」とか「一つになりたい」という欲求が根底にあると、僕は思っている。

だからこそ、彼らは「顔が似ている」と言われて、互いの“融合”を認められたような気になって喜ぶのだろう。

だけど、本当に「一体化」してしまったとしたら、それは喜ばしいことなのだろうか。

全く異なる「他人」同士が一つになることで、どんなことが起きてしまうのだろうか。

本書を読むと、そんなことを考えさせられる。

本書では、“夫婦の融合”が、ホラーチックに、毒っぽく、それでいてユーモラスに描かれていく

舞台も現代だし、ディテールも日常的なものばかりだし、風景も現実そのものなのに、物語は徐々に奇妙で不思議な展開をみせていく。

そして驚きのラストシーン。

ここをどう解釈、どう評価するかが、本書の醍醐味といえるだろう。

選考委員の山田詠美は、

「何とも言えないおかしみと薄気味悪さと静かな哀しみのようなものが小説を魅力的にまとめ上げている」

と、作品を評価している。

作者の本谷有希子はもともと「演劇畑」の人。

20歳の頃「劇団 本谷有希子」を結成して、そのウェブサイトに小説を載せたところ編集者の目に留まり、作家デビュー。

3代純文学賞と呼ばれている、芥川賞、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞を受賞し、見事三冠を達成した実力のある作家だ。(なお、後述する「村田沙耶香」も「今村夏子」も、後に3冠を達成することになる)

 

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『コンビニ人間』(村田沙耶香)2016年

“異常”の彼方へ突き抜けろ!

ミリオンセラー達成の、超人気作。

  • 主人公は古倉恵子36歳。
  • 大学時代から18年間、ずっとコンビニでバイトしている。
  • コミュ力不足で、マニュアルがなければ働けない。
  • 人の気持ちを想像することができず、幼少の頃からトラブルが絶えなかった。
  • 彼氏いない歴 = 年齢で、結婚する気なんて全くない。
  • 友人・家族をはじめ、周囲はそんな彼女を「異常」と呼ぶ。

たしかに、今の社会において、彼女を「異常」とみなす人たちは多いのかもしれない。

だけど、本書『コンビニ人間』には、

「異常がなんぼのもんじゃい!」 というメッセージが横溢している。

「異常、異常って、いったい誰が、いつ、どんな権威のもと、そう決めたの?」

と、読者らに強烈な異議申し立てをしてくるのだ。

たしかに、そう問われると、はっきり答えることができる人はほとんどいないのではないか。

もし今、あなたが誰かから「普通じゃない」とか「変わってる」とか、「異常」のレッテルを貼られているとしても、実はそこに絶対的な正当性も妥当性も存在していない

コンビニ人間は、その哲学的真理を、おもしろおかしく表現している。

選考委員の山田詠美

「候補作を読んで笑ったのは初めて」

との選評は、この作品の魅力をよく語っているだろう。

ただ「おもしろい」だけではなく、この作品には読者を強烈に揺さぶるエネルギーが溢れている。

その熱量が評価されて、選考会では文句なしの受賞だった。

村田紗耶香の作品はどれも、常識とか社会通念を木っ端微塵に破壊するパワーがあるので作品を読んだ後で、「価値観が180度変わりました」なんてことはざらじゃない。

他の作品には、

  • 殺人が容認された世界
  • 他人とのセックスが当たり前の世界
  • 死体を食うのが当たり前の世界

を書いたものなどがあり、それがあまりにぶっ飛んでいるので、作家仲間からは「クレイジー紗耶香」と呼ばれている。

ちなみに、村田自身も大学卒業以来コンビニのバイトを続けていたり、マニュアルがなければ働けなかったりといったことを公言している。

彼女もまた、彼女が描く主人公と同様に「普通」とか「当たり前」といった世間の価値観の中で「生きづらさ」を感じ続ける人なのだろう。

「普通」の中で居心地の悪さを感じている人。

「普通」を思いっきり壊してみたい人。

そういう人たちに村田文学はおすすめだ。

【 参考記事 解説・考察『コンビニ人間』村田沙耶香)ー異常だなんて誰が決めた? ー

『送り火』(高橋弘希)2018年

元バンドマンによる“超絶”正統派文学

作者は元バンドマン。

受賞会見では長い茶髪にユルいジーパン姿で登場して、ひょうひょうと(そしてヘラヘラ?)インタビューに応じていた作者。

だが、そんな出で立ちや態度とは打って変わって、彼はとんでもなく正統的な小説を書くのだ。

ちなみに彼は、毎年のようにずっと芥川賞にノミネートされてきた実力派であり、受賞年のノミネート作品の中ではぶっちきりの1番人気と目されていた。

そして、ほぼ満場一致で受賞。

表現の的確さが高く評価された。

  • 山田詠美「完成度に感嘆しながら、受賞作に推した」
  • 小川洋子「他の候補作を圧倒する存在感を放っていた」
  • 吉田修一「この作者の描写力には文句のつけようがない」

ここまで絶賛された作品は、2010年代でも珍しいだろう。

  • 舞台は秋田のとある田舎。
  • 主人公の「歩」は父の転勤で東京から引っ越してきた。
  • 新しい中学は、わずか12人しかいない小さな中学。
  • だけどそこでは“遊戯“と称した暴力が日常化していた。
  • そして「村の習わし」の日が近づいていく……

作品では、うつくしい風景描写が印象的に描かれている。

その一方、対照的に描かれるのが、そこに住む少年たちの嗜虐性や獣性。

少年たちの残酷な“いじめ”の実態がしつこく入念に描かれていく。

しかも、構成もかなり計算されているようで、ちょっとした伏線が暴力の惨たらしさを際立てる。

そしてなんといっても、クライマックスの暴力シーンが超なまなましい。

僕は高橋弘希が好きで、彼の作品は全て読んでいる。

だからこそ言えることなのだが、彼の筆がもっともノってくるのは暴力を描くときなのだ。

この時の高橋弘希は神がかっている。

興味がある人はぜひ本書を手に取り、その筆致を味わってみてほしい……のだが、ほんとうに暴力シーンは凄いので、そういうのが苦手な人はやめたほうがいい。

それでもって人は自己責任でどうぞ。

 

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『1R1分34秒』(町屋良平)2018年

自意識系ボクサーの“青春物語”

私事で恐縮だけど、ぼくは高校時代に個人競技をしていたのですごくよく分かるのだが、個人競技は孤独である。

とにかく、たった1人で相手に立ち向かわなければならないし、試合中の心理的駆け引きも行わなければならない。

作品のタイトルから察しは付くと思うが、本作は「ボクシングもの」である。

しかも、わりとさわやかな「青春小説」である。

作者、町屋良平自身もボクシングの経験者。

彼の心理描写は独特で個性的なのだが、実際のプロボクサーの共感を生んでいるらしい。

分かる人には分かるのだろう。

  • 主人公「ぼく」は21歳のプロボクサー。
  • 自身のデビュー戦を華々しくKOでかざって以来、なかなか勝つことができない。
  • 次第に志も失っていき、「なぜボクシングをやっているのだろう」と自問自答を繰り返していく。
  • 「あの時ああすれば、パンチがあったのでは……」
  • 「あんな練習をしておけば勝てたかも知れない……」
  • こんな感じで、とにかく「ぼく」は内省的だ。
  • どれくらい内省的かと言えば、対戦相手について分析するあまり、相手が夢にまで出てくる
  • そして、そのまま彼と友だちになってしまう。
  • そんな病的ともいえる自分の内省癖にも、実際のところ嫌気がさしている。

ああ、分かる。

うん、やっぱり、分かる人には分かるのだろう。

ぼくたちは時に、「脳みそが邪魔だ!」と叫びたくなるくらい、自分の思考をわずらわしく感じることがある。

必要以上に悩むことが、いかに不合理なことか分かっていても、どうしても悩むことをやめられないのだ。

必要以上に自分を責めたり、先のことを不安がったり、そんな自家撞着を抱えたすべての人におすすめだ。

また、町屋良平の文章はなんともいえない雰囲気を持っている。

それは先に紹介した「高橋弘希」のお手本みたいな文体と対照的だ。

ひらがなを多用したり、ときに文法的に「?」がつくような表現があったりするのだが、無論それはは意図的に選ばれたもの。

読み進めていくうちに、それがジャブみたいにジワジワと効いてくる。

「文章の雰囲気を味わう」

これも芥川賞作品の醍醐味の1つだ。

ということで「お手本通りの日本語」に飽き飽きしている人にもまたおすすめ。

『むらさきのスカートの女』(今村夏子)2019年

この“語り手”ほんとに信じていいの?

装丁(本の表紙)から、不穏な空気がただよってくる。

そこに加えて『むらさきのスカートの女』という、「口裂け女」風のタイトルである。

え、都市伝説か何かですか?

そう感じた人、あなたの勘は鋭い。

これは純文学的「都市伝説」といってもいい。

うちの近所に、「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートをはいているのでそう呼ばれているのだ。

どうだろう、冒頭からして、なにやら不穏な空気が立ち込めてはいないだろうか。

これは今村夏子の作品の全般にいえることなのだが、彼女の作品には大なり小なり「ことばにできない不穏な空気」が漂っている。

読み進めていくと、登場人物に対して、

この人ってまともな人なの? それともやばい人なの?

と感じること頻り。

「正常」か「異常」か……

本書は、そのバランスが絶妙だ。

ただ本書の最大の魅力は別にある。

それは、小説でなければ絶対にできない演出だ。

いわゆる「信頼できない語り手」という叙述トリックがそれである。

まず、読者は小説の序盤からなにやら違和感を覚える。

さらに読み進めていくと、その違和感がどんどん強くなっていく。

やがてそれは、確信へと変わる。

「この語り手の言うことを、簡単に信じちゃダメだぞ」

どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。

そんな風に読者は「信頼できない語り手」に翻弄されていく。

そして、衝撃のラストシーン。

その巧さに唸りつつも本を閉じる。

そして誰もがきっと、こう思うのだ。

「で、一体だれを信じればいいわけ?」

この演出が選考委員にも高く評価され、ほぼ「満場一致」で受賞。

選考委員の多くが口をそろえて言うのは、「正常と異常のバランス」だ。

特に宮本輝は、

「正常と異常の垣根の曖昧さは、そのまま人間の迷宮へとつながっていく」

としたうえで、

「(以前の候補作でも才能を感じたが)今回の作品で本領を発揮して、わたしは受賞作として推した」

と絶賛した。

ぼくは今村夏子の大ファンで、彼女の作品を全部読んでいる。

どの作品の文章も分かりやすく、読書ビギナーも安心して読むことができる。

それでいて、行間に、言葉にできない不穏な空気を隠している。

多くの読者を楽しませ、玄人たちもうならせる凄まじい作品を書いてしまう今村夏子は、まちがないく、今後の文学を牽引していく作家の1人だと思う。

蛇足だが、ぼくはこの本を読んだとき、「間違いなく、この本は芥川賞を受賞する」と直感した(ので受賞を聞いて嬉しかった)。

ということで、2010年代の中で、個人的に最もおすすめしたい1冊だ。

【 参考記事 解説・考察『むらさきのスカートの女』―「語り手」を信じてよいか―

すき間時間で”芥川賞”を聴く

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以下の記事で、さらに作品を紹介している。

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