解説・考察『首里の馬』(高山羽根子)―「知識、情報、記憶」に光を!―

文学
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はじめに「1つ1つのモチーフ

第163回芥川賞受賞作『首里の馬』

「古びた資料館」や「遠隔クイズ」、「宮古馬」といった独特のモチーフを扱い、ややSF的世界観も伴ってか、人によっては「よみにくい!」「わかりにくい!」と感じるかもしれない。

実際、僕自身も、この作品を一読して「ちょっと、とっつきにくいなあ」と感じた読者の一人である。

ただ、改めて、1つ1つのモチーフを丹念に解釈してみると、作品に託されたメッセージが分かってくる。

そこで、この記事では「作品のテーマとはなにか」「作品のメッセージとは何か」について解説・考察をしていきたい。

大体的なネタバレを含んでいるので「ネタバレNG」って人は、作品読了後にこの記事を読むことをオススメしたい。

また、記事の最後で“次の1冊”と称して、本の紹介もしているので、参考にして頂ければと思う。

それでは最後までお付き合いください。

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登場人物

未名子
……沖縄で生まれ育った20代半ばの女性。家族はなく一人暮らし。オンライン上で「クイズを出題する」という怪しげな仕事をするかたわらで、週に数回、古びた「沖縄郷土資料館」の資料の整理を手伝っている。ある夜、自宅の庭に紛れ込んできた宮古馬に「ヒコーキ」と名づける。
ヒコーキ
……未名子の自宅の庭に紛れ込んできた宮古馬。
よりさん
……沖縄の郷土資料館を管理・運営する年老いた女性。かつては内地で民俗学を研究する学者だったが、「人生の最後の場所」として沖縄を選び移住してきた。
みちさん
……順さんの娘。順さんを追うように沖縄にやってきた。現在は住んでいるマンション近くで小さな歯科医院を営んでいる。
カンベ主任
……東京在住。「クイズを出題する」仕事における未名子の上司。
ヴァンダ
……未名子と「クイズ」でオンライン交流をする男性。宇宙から交信している。政治的な理由から祖国へ帰れずにいる。
ポーラ
……未名子と「クイズ」でオンライン交流をする美しい女性。深海から交信している。家族に対して、複雑で屈折した思いを持っている。
ギバノ
……未名子と「クイズ」でオンライン交流する男性。生まれたときからずっと戦場で暮らしている。現在も戦場のシェルターから交信している。

あらすじ

沖縄で暮らす主人公の未名子。

彼女は、遠く世界の果てにいる孤独な人に「クイズを出題する」という怪しげな仕事をしている。

また、その仕事の傍らで、順さんが管理する資料館の手伝いをしている。

沖縄に双子台風が上陸したある晩のこと、自宅の庭に一頭の「宮古馬」が迷い込み、未名子は困惑しつつも、その馬に「ヒコーキ」という名をつける。

その後、順さんの資料館の閉鎖と解体が決定する。

未名子は「クイズ出題」の仕事を辞める決意をし、ヴァンダ、ポーラ、ギバノそれぞれと最後の交流をし、そこで彼らの人生の真実に触れる。

最後は彼ら一人一人に、資料館に眠る「データ」を送信し、「にくじゃが、まよう、からし」の3つの言葉を伝える。

順さんが死んだのは、その後、2度目の台風が上陸した頃のことだった。

 

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主題について

この作品で繰り返し登場するキーワードがある。

それは、

「情報」、「知識」、そして「記憶」である。

これらの共通点を上げれば、

「物質的に実体を持たないもの」

ということになるだろう。

やや込み入った小難しい話になるが、近代以降、社会は「物質的なもの」に対する信頼を深めてきたといえる。

たとえば、

「快適に過ごせるように、エアコンを開発しよう」とか、

「速く移動したいから、新幹線を開通させよう」とか、

「長生きしたいから、医学を進歩させよう」とか。

もちろん、これらは全面的に否定されるべきものではないと、僕も思う。

だけど「物質的な進歩」を求めるその一方で、社会は「非物質的なもの」、言い換えれば「精神的なもの」をすみっこに追いやってきた

たとえば「こころ」

たとえば「死者」

たとえば「記憶」

そうした「物質に還元されないもの」を取り戻そうとする「文学」は、近年とみに増えてきている。

実際、『首里の馬』が芥川賞を受賞したその翌年に、『貝に続く場所にて』(石沢 麻依 著)という作品が芥川賞を受賞しているが、ここでのテーマも「死者と記憶」だった。

本書『首里の馬』でも「記憶」は大きく取り上げられるテーマの一つなのだけれど、そこに「知識」や「情報」といったものが加えられる。

仮に、本書に込められた「メッセージ」をざっくりと言葉にするならば、

「知識、情報、記憶が、人間の精神を豊かにする」

「物質的な豊かさを支えているのは、非物質的なものである」

となるだろう。

もっといえば「非物質的なものの復権」ということになる。

 

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作品の「わかりにくさ」について

作品のテーマは、知識や情報、記憶といった「非物質的なものの復権」にあると述べた。

が、実際に、それらをメッセージとしてキャッチすることは、結構むずかしいことだと思う。

ありていにいえば、この作品は結構「わかりにくい」と思うのだ。

その理由はおそらく大きく2つある。

それは、

  1. 「沖縄」、「資料館」、「遠隔クイズ」、「首里の馬」など、それぞれのモチーフの関連がいまいち見えてこない
  2. ややSFチックな内容があり、アレゴリカル(寓話的)な世界観を持っている

である。

要するに、『首里の馬』は、「象徴的」で「暗示的」な作品なのだ。

そこで、以下では次のモチーフが「象徴・暗示」していることについて考察をしていこうと思う。

  • 沖縄
  • 資料館
  • 遠隔クイズ
  • 首里の馬

考察①「沖縄」について

まず、作品は「沖縄」を舞台にしているが、ここにはきちんとした必然性がある。

「記憶や知識の重要性を描く」、つまり「非物質的なものの復権」こそが本書のテーマであることはすでに述べた。

その「非物質的なもの」の重要性を描くためには、その前段階で描かねばならなかったものがあった。

それが「破壊と変化」だ。

そして、その「破壊と変化」の象徴が「沖縄」という地なのだ。

と、言われても、いまいちピンとこないと思うので、作品を引用しつつもう少し説明をくわえたい。

作品の冒頭で、沖縄はこんな風に紹介されている。

この地域には、先祖代々、ずっと長いこと絶えることなく続いている家というものがない。英祖による王統で中心の都だったとされるこの地の歴史は、現在までとぎれとぎれの歯抜けになっている。(単行本P5より)

沖縄は昔から今にいたるまで、常に変わり続けてきて、その歴史はまるで「歯抜け」のようなありさまだと紹介されている。

なぜ沖縄は「変化」を強いられてきたのか。

それは、沖縄には常に「侵略」「戦争」「飢饉」「台風」といったものがつきものだったからだ。

つまり、沖縄の歴史には「人為」や「自然」によって繰り返される「破壊」があったわけだ

だから、沖縄には「オリジナル」というものがない。

すっかり損壊し尽くした建物をはじめ、「先祖代々、ずっと長いこと絶えることなく続いている」物質的な何者も存在していない。

作中で繰り返し描かれる「台風」の描写も、まさにこの「破壊と変化」の予感を演出しているといっていい。

そして、物語において、その「破壊と変化」に対置して描かれるものがある

それが「知識、情報、記憶」といった「非物質的なもの」なのだ。

 

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考察②「資料館」について

作者は、物語において「破壊と変化」を描きつつ、そこに「知識、情報、記憶」といった「非物質」的なものを対置して描いている。

「破壊と変化」の象徴は「沖縄」だった。

とすると、そこに対置されるものは何だろう。

その代表的なものは、順さんの管理する「郷土資料館」だと言える。

この資料館には、沖縄に関する膨大な資料が収められているのだが、それら資料は「沖縄の記憶」とも呼べるものだ。

資料館の中にあるものはほとんどが紙の資料で、内容は地域の新聞や雑誌の記事の切り抜き、聞き書きのメモ、子供が授業で、または大人が趣味で書いたかの水彩スケッチ、一般的にはそうと判別しがたい記号で書かれた特殊な楽譜、といったものだった。(P11より)

資料には紙以外のものもあった。たとえばこの地域に育つ植物の押し花だとか、様々な模様の昆虫の標本鳥の羽根古い写真とその原板となるガラス乾板、特徴的な柄の入った民芸品布の切れ端といったもの。(P11より)

これらは一見して、価値のない「がらくた」に見えるかもしれない。

実際、沖縄に住んでいる周囲の人々はこの「資料館」を気味悪がり近づこうともしないし、挙げ句の果てには、順さんの死によって、資料館の閉館と解体が決まってしまう。

実は、ここの手伝いをしている未名子にさえ、これらの資料が正確なのか確信を持てないでいる。

とはいえ、資料館の解体が決まったとき、未名子が最終的に下した決断は、これらの「情報」を永遠に保存することだった。

「宇宙空間」、「深海の底」、「戦場のシェルター」、そのそれぞれに、未名子は情報を送るのだが、それは 未名子が沖縄にまつわる「記憶」を永遠に「保存」しようと思ったからなのだろう。

物語のラストシーン、「情報」に関する未名子の思いはこう書かれている。

役に立つかどうかなんて今はわからない。でも、なにか突発的な、爆弾や台風、大きく悲しいできごとによって、この景色がまったく変わってしまって、みんなが元どおりにしたくても元の状態がまったくわからなくなったときに、この情報がみんなの指針になってくれるかもしれない。まったくすべてがなくなってしまったとき、この資料がだれかの困難を救うかもしれないんだと、未名子は思った。(P157より)

ここには、未名子の情報知識に対する「信頼」と、世界に向けての「祈り」に近いものが表れている。

未名子は、たとえ「物質世界」が破壊され変化したとしても、それを「知識、情報、記憶」が回復してくれるのだ、と信じている。

 

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考察③「遠隔クイズ」について

未名子はオンラインで、遠く世界の果てにいる人にむけて「クイズの出題をする」仕事をしている。

その正式名称は孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケア知性の共有

参加しているヴァンダ、ポーラ、ギバノは国籍もバラバラの3人なのだが、彼らに共通点が一つある。

それは、彼らが「孤独」である点だ。

ヴァンダは宇宙空間で、ポーラは深海で、ギバノは戦場で、それぞれたった一人で生きている。

そして、彼らの孤独を癒やし精神の「ケア」をしてくれるのが、未名子であり、「クイズ」であり、もっといえば「知識」なのだ。

「知識」の力や可能性について、作中ではこう書かれている。

未名子自信も知識が身についていくように思えるのが楽しかった。自分の知らない知識をたくさん持っている人たちとの、深すぎない疎通も心地よかった。きっとここを利用する 何人もの解答者も、こういうささやかな感情のやりとりを求めて通信をしているんだろう。(P60より)

「知識は人間の精神を豊かにする」

これもまた、『首里の馬』で描かれた一つのテーマだ。

とかく「知識」や「情報」というのは、物質的な豊かさを実現するための「手段」と考えられがちだ。

だけど、作者は、明らかにそうした考え方や風潮に「NO」を突きつけている。

それを良く表しているのが、ヴァンダの生まれ育った国に関する記述だ。

私の生まれた国はとても小さく、資産も軍事力もありませんでした。ただまあ、おしなべて人は幸せでしたし、その理由というのも、まじめな人間がおおかったためだったのだと思います。あれはおそらく、早いうちから基礎的な人格教育にも力をいれていたからだと私は考えています。

彼が生まれ育った国は、決して「物質的」に恵まれた国ではなかった

だけど、その国の人々が幸せを感じていたのは、国家が何よりも「知識」や「教育」を重んじていたからだった。

もちろん、国家としての「発展」や「進歩」は大切だ。

そして、「急速な進歩」を望むならば、資産や軍事力の増大に注力するべきなのかもしれない。

ところが、ヴァンダの祖国は、あくまでも「知識」と「教育」に重きを置いていて、少なくともヴァンダはその姿勢を評価している。

祖国は巧いこと立ち回りながら、国の形を保ちつつ、ときに小さく、ときに透明になり、金のない、ほとんど武器を持たない丸腰の国であることさえアピールポイントにすり替えて (中略) ほんとうにゆっくり、ゆっくりと豊かになっていったんです。(P99より)

そう語ったヴァンダ。

彼は最後に「意地悪そうに笑って」こう皮肉を言い残す。

ニホンとはちがって。(P100より)

ここには「物質豊かさばかりを追求する大国への皮肉」と、「精神的な豊かさへの希求」とが表れているといえるだろう。

 

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考察④「首里の馬」について

作品の中盤で、未名子の自宅に一頭の「宮古馬」が迷い込む。

急に? なぜ馬?

と、やや唐突な印象を抱くこのシーンなのだけど、馬にもまた、象徴的な意味が託されている。

たとえば、宮古馬に関してこんな記述がある。

サラブレッドに比べてずいぶん小柄なこの沖縄在来の馬は、あまり速く走るようにはできていないと聞いたことがある。(P75より)

実際、ヒコーキも温厚な性格で、未名子が近づいても暴れることも、取り乱すこともなくじっとしている。

競馬用の馬じゃないヒコーキは、そもそも「競争」に向いていないワケなのだが、この点は、先ほどの「ヴァンダの祖国」と通じる部分でもある。

さらに、「宮古馬」についてはこんな記述もある。

この茶色の大きな生き物は、そのときいる場所がどんなふうでも、一匹だけで受け止めているような、ずうっとそういう態度だった。(P128より)

ここからも、「競争」とか「進歩」といった価値観に対する「アンチ」を読むことが可能だろう。

競争や進歩とは、現状に満足することなく、もっとずっと「遠く」へいくことだからだ。

沖縄を「破壊」してきたものが、大国による「競争原理」「進歩主義」だのだとすれば、作品における「宮古馬」というのは、そこに対置された「アンチ」的な存在なのだろう。

「馬」に関する、ギバノの次の言葉も印象的だ。

彼によれば、馬とは「変化」に敏感な生き物なのだと紹介されている。

馬は長距離を移動する生き物、場所の感覚が鋭い。CPS装置が頭にある。飛行機、船、デンシャ……自分が動かないでただ立っているのに速いスピードで動いていると、脳のシェイクで、パニックになる。(P124より)

「変化」に敏感な存在。

それは「破壊と変化」の連続だった「沖縄の歴史」を憂えている存在、と解釈できると思う。

沖縄は「人災」とか「自然災害」によって「破壊」や「変化」を余儀なくされてきた。

そうだとすれば、その「破壊」や「変化」に敏感で、それらに抗おうとする存在、それを象徴するのが「宮古馬」なのだといえるだろう。

本書のタイトルは「首里の馬」だ。

このタイトルが表しているのは、「変化に抗おうとすること」なのだろう。

あるいは、急激な変化の中で失われ行く世界――その世界が確かに存在したという証を残そうとする必要性を表したものなのだろう。

そして、何度もしつこいようだが、その可能性は「知識」とか「情報」とか、人々の「記憶」とか、「精神的なもの」にある、というのが本書の大きなテーマなのだ。

 

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おわりに「にくじゃが、まよう、からし」の答え

以上、『首里の馬』のテーマについて考察してきた。

繰り返しになるが、本書の大きなテーマは「非物質的なものの復権」だ。

非物質的なもの、それは本書において「知識」、「情報」、「記憶」として描かれている。

作中における「クイズ」も、それらを象徴的に表現する道具なのだが、物語の中では「答え」が明かされていない「クイズ」(的なもの)がある。

それが、「にくじゃが、まよう、からし」という問題だ。

順さんが死に、「クイズ」の仕事をやめる決意をした未名子は、ヴァンダら3人と最後の別れをする。

そのおしまいに、3人に上記の3つの言葉をつたえ「答えはいつか、またのときに――」と言い残している。

さて、このクイズの答えは、結局なんだったのだろう

それを考える上で、次の記述が最大のヒントとなっている。

地球上の場所を数平米ずつに区切って、文字で構成された意味のある単語を、一意味意味のない羅列として割り当てるやり方は暗号にも使うことが可能だった。(P152より)

この記述は、「what3words」という「位置検索システム」を念頭においたものだと思われる。

実際に、what3wordsのHPへ飛んでみると、こんな記述がある。

what3wordsとは

世界中を3メートル四方に区切り、それぞれのマス目に固有の3つの単語の組み合わせを割り当てました。what3wordsは、正確な位置を検索しシェアする最も簡単な方法です。

さて、このサービスでくだんの3つの言葉「にくじゃが、まよう、からし」を入力してみよう。

すると、次のスポットが表示される。

「首里城」

さて、このことはいったい、何を表しているのだろう。

おそらく未名子は、破壊され変化していく故郷の記憶」を、3人に託したかったのかもしれない。

首里城とは、まちがいなく沖縄を代表する建築物であり、沖縄の歴史の象徴である。

そして、ご存知の通り、首里城は2019年10月31日に出火し、正殿は全焼してしまっている。

これもまた、現代におこってしまった「破壊と変化」の歴史のだろう。

繰り返すが、未名子は「沖縄の記憶」を、3人に託したかったのだと僕は思っている。

ちなみに、作者の高羽羽根子氏のインタビューに、こんなものがある。

――昨年(2019年)、首里城が焼失しました。この小説を書いたきっかけに(首里城の消失は)ありましたか。

「書き始めたときは、まだ(首里城は)あったんです。書いている途中で(燃えてしまって)びっくりしました。でもすごくアクチュアルなできごとだったので、これは仕上げていかないといけないと思ったのを覚えています」

このやり取りから、「首里城の焼失」は、作品に少なからぬ影響を与えたと言って良いだろう。

そして、『首里の馬』が、「変化」と「記憶」というテーマを扱ったものであるとすれば、やはりこの「にくじゃが、まよう、からし」という言葉は、未名子からヴァンダらに託された「記憶のバトン」だと言えるのではないだろうか。

次に読むなら“この1冊”

『首里の馬』の解説・考察は以上となる。

最後に『首里の馬』を読み終えた人へ”次の1冊“と称して、本を紹介しようと思う。

『破局』(遠野遙)

『首里の馬』と同時授賞となった、2020年上半期芥川賞受賞作

が、作品の世界観は『首里の馬』と全く異なっている。

「不自然な内面」と「不自然な論理」を持つ大学生が主人公なのだけれど、読み進めるうちに、言い様もない不穏な空気に胸がザワザワしてくる。

読者の感想として、

「分かりにくい」

「つまらない」

「表現がつたない」

といった声があるのだが、実は、それは作者によって「巧まれた」もの

ぜひ、その不穏な世界に触れてみて欲しい。

今なら『破局』が無料で聴ける!

『貝に続く場所にて』(石沢麻依)

2021年上半期芥川賞受賞作。

記事でも少しふれたが、この作品は「死者と記憶」というテーマを扱っている。

舞台は震災から9年後。

世界はコロナウイルスの猛威にさらされている。

そんな中、主人公のもとに表れた一人の男。

彼はなんと、9年前の震災で死んだ友人「野宮」だった。

芥川賞の選考会では「人文的教養あふれる大人の傑作」と評価されただけあり、よく言えば「教養深い」、悪く言えば「読みにくい」作品。

とはいえこの作品は、現代を生きるぼくたちに、強烈な問題提起をしている。

「記憶」というテーマでは、『首里の馬』とも共通している部分があると思う。

気になる方は、ぜひ。

『貝に続く場所にて』が無料で聴ける!

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