はじめに「簡単な自己紹介」

はじめまして「KEN書店」を運営しているKENといいます。
思春期あたりから主に“家族関係”で悩み、
「いったい僕は何のために生きてるんだろう……」
そんなふうに自問自答をするような人間でした。
「陰か陽か」
そう問われれば、間違いなく僕は“陰”側の人間です。
基本的には、僕の半生はずっと無気力でした。
だけど、「読むこと」と「書くこと」と出会えたことで、大げさではなく「自分が存在する意味」を感じることができました。
以来、「読書」と「執筆」で自分の「生きづらさ」を慰めています。
そんな僕ですが、以下、少しだけ詳しく自分のことを紹介しようと思います。
僕と読書との出会い

僕と読書との出会いは18歳のこと。
「孤独だわー」
「生きづらいわー」
「救われたいわー」
そんなネガティブな思考が慢性化していた時、当時の国語の先生が、
「勉強とかどうでもいいから、とりあえず本でも読んどけ」
と、僕に1冊の本をくれました。
それが、夏目漱石の『それから』でした。
読書をしていると、まれに、
「これは自分のために書かれたんじゃないのか?」
と、思える一冊に出会うことがあります。
あるいは、その出会いは
「まるで、自分のために書かれた言葉」だったり、
「まるで、自分自身だと思える登場人物」だったりします。
とにかく、そういう出会い、そういう読書体験をしたとき、人は間違いなく本に魅了されます。
僕にとって、漱石の『それから』はそういう1冊でした。
「ここには、俺のことが書かれている」
しばし、そんなことを考える読書体験でした。
主人公代助の苦悩や葛藤に自分自身を見たし、代助が下した決断に自分の理想を投影した。
すべての責任を負ってでも自分であろうとした代助に胸が熱くなったし、そういう生き方もあるのだと背中を押された。
うん。大げさじゃない。
ぼくは漱石の『それから』に救われたのだと思います。
僕と執筆との出会い

ぼんやりとした孤独感、欠落感、そうしたものを埋めるため、僕は言葉を求めました。
当然のように、読書は僕の生活の一部となり、読書は僕の生きていく糧となりました。
読書するのが当たり前になり、大人になった、そんなある時。
フツフツと腹の底から「ある欲求」が湧き上がってきました。
「俺も書いてみてえ……」
自分も憧れの作家たちみたいな文章を書いてみたい、そんな欲求でした。
ただ、その時の僕には「書きたいもの」なんて、具体的にありませんでした。
だけど一度脳内で言葉になった「書いてみてえ」は、際限なく脳内でリピート再生されます。
「書いてみてえ書いてみてえ書いてみてえ書いてみてえええええぇぇぇ!」
じゃ、書けばいいじゃん、ああ、書いてみるか。
ということでその時の酒の手伝いもあり、PCを立ち上げ、3日ほどで一気呵成に書き上げたのは原稿用紙50枚くらいの短編小説でした。
「わー、こりゃまた、さむーいモノ書いちまったなー」
読み返してみて、率直にそう思いました。
だけど、その一方では、
「まぁ、せっかく書いたんだし、どこかに応募してみようか」
そんなことも思い、地元の小さな文学賞に応募してみました。
それがなんと、運よく受賞。
授賞式では選考委員の先生に「おもしろい!」と褒められ、自分の小説が活字となって書店に並ぶという初めての経験をして、いいようもない高揚感を得ることができました。
いまでも「あの時、受賞してホントによかったな」としみじみと思います。
たとえ小さな文学賞だったとしても、なんとなくあの時「お前は書き続けろ」と言われた気がしたし、それ以前に書くことの楽しみや喜びを知ることができたからです。
その後も細々と書き続け、様々な賞に応募してきました。
一応、執筆や出版について、僕の主な実績を紹介してみます。
小説を書き始めて、わりとトントン拍子にこんな実績がくっついてきてくれました。
こうなってくると「俺って才能あんじゃね?」と勘違いするのも無理からぬこと。
「作家デビューとか出来ちゃうんじゃね?」
そううぬぼれた僕は、いよいよ大手出版社の新人賞に応募し始めることとなりました。
その結果を以下に紹介してみます。
大手への投稿をはじめ数年間、多くの賞で「一次選考落選」という結果でしたが、上記の3つの賞で「二次選考」まで残ることができました。
自分としては、いわゆる「純文学」を書いているつもりだったのですが、この結果を見て、「どうやら自分の小説はエンタメ系なのかもしれない」と考えました。
そこで次に書き上げたのが、僕自身の半生をモチーフにした原稿用紙300枚弱の長編小説でした。
よし、もう出し切った、書き切った、やり切ったぞ俺は! 的な作品になったので、
「これでダメならもうダメだ」
という思いを抱きつつ、応募先を検討しました。
「これを五木寛之に読んでもらいたい」
そんな理由で応募を決めたのが、集英社が主催する「小説すばる新人賞」でした。
その結果は
二次選考で落選。
あちゃー、やっぱダメだったか―。
でも、完全燃焼。
「とりあえず、全国区はハードル高すぎ!」
数年間頑張って、そんな経験的真理を得て、しかも記念に小説をkindleで自費出版とかしちゃったりして、あるていど満足した僕は、大手の新人賞への応募にいったん一区切りをつけました。
その後はずっと地方文学賞に細々と応募し、たまに活字になって自分の本が近所の書店に並んでは小さな満足を得たりしていました。
だけど、
「やっぱり、高みを目指したい!」
という思いを否定できず、再び大手の新人賞への投稿を始め、作家デビューという夢を追いかけています。
そうした努力が奏功してか、最近では一次選考を通過することが増えてきました。
(執筆エピソード長すぎですね、すみません)
このブログの理念

最後に、このブログについて少しだけ書いておきます。
ブログを始めたのは、
「やっぱり、何か書きたい」
と思ったからです。
もちろん、先述の通り、今でも小説とか、エッセイとか、たまには詩とか短歌なんかも創作しては投稿したりしています。
だけど、そこではどうにも「自分の言葉が誰かに届いている!」といった実感を得られません。
「なんか、もっとこう、沢山の人に自分の言葉や思いを届けられる場はないものか」
そんなことをぼんやり考えて、表現の場を探していました。
実は、もともと「読書メーター」という読書用SNSで本の感想をまとめていて、
「せっかくだから、もっとたくさんの人に、素晴らしい本を紹介したい」
と常々思っていました。
- 表現の場がほしい!
- 素晴らしい本を紹介したい!
そんな思いが合わさってたどり着いたのが「書評ブログ」の運営という答えでした。
だから、このブログの根っこには「多くの人たちに、沢山の良書にふれてほしい」という思いがあります。
ちなみに、僕は大学で人文学を専攻し「文学・哲学・宗教・言語」について学んできました。
これらの学問は全て「人間とはなにか?」「生きるとは何か?」を追究する学問だと、僕は考えています。
ブログでは、その辺の本を紹介していきます。
世の中にはきっと、僕みたいに、いや僕以上に慢性的な「空虚感」とか「欠落感」を抱えている人がたくさんいる。
生きる意味を模索していたり、存在することが苦しかったり、自分と世界とがチグハグでもどかしかったり――そうした「生きづらさ」を感じている人が、この世の中にはたくさんいる。
もしも僕のつたない言葉が、そんな人たちの「生きづらさ」に寄り添うことができたなら、これ以上に嬉しいことはありません。
「読むこと」が、そして「書くこと」が、人間にとって大きな生きる意味になるのだ。
そんな僕の思いが、1人でも多くの人に届くといいなーと思いながら、このブログを運営していきたいと思います。
「KEN書店」管理人 KEN
コメント