「古典級の名著」を5つ厳選
芥川賞作品を「テーマ」毎に紹介してきたが、それもついにこの記事で完結。
前回は【 【玄人ウケする本格小説】おすすめ芥川賞作品 5選 ―上級編①― 】で、「玄人ウケする」おすすめ作品について紹介した。
今回は、芥川賞史上で「もっとも文学的価値の高い」といえる作品5つを紹介したい。
その作者たちは、これまでの「日本文学」を牽引し、いま活躍する作家たちに大きな影響を与えてきた「巨匠」ばかりだ。
彼らは1950年代から1970年代にかけて文壇に登場してきた作家たちだが、そのそうそうたるラインナップを見るにつけ、この時代がいかに日本文学史における「黄金時代」だったかを痛感する。
そんな「黄金時代」を気づきあげた彼らの「芥川賞」作品を堪能していただきたいと思う。
この記事を読んで、「次の1冊」の参考にしていただけると嬉しい。
第5位『悪い仲間』(安岡章太郎)
作者について
安岡章太郎は、旧制高校受験に三度失敗して、慶應義塾大学に入学。
在学中に従軍するも、肺結核のために除隊。
帰国後には脊椎カリエスからの療養生活を送るなど、苦しみが絶えなかった。
そんな精神的・肉体的苦痛が、安岡の創作の原動力となったと言われている。
彼は「第三の新人」と呼ばれ、戦争体験を語るのではなく、あくまでも日常生活にこだわった作家だった。
彼の書く作品は「第三の新人」らしく私小説的なものが多いが、どこか奇妙で、わびしく、むなしさが漂う雰囲気がクセになる。
代表作『海辺の光景』は「戦後最高の文学的達成」と絶賛されたとんでもない作品である。
僕はこの作品を読んで、身体と心が震えてしまい、しばらく他の本は、何も読めなかった。
作品について
1953年の受賞作。
たびたび芥川賞の候補にも上がったが、なかなか受賞に至らず、33歳『悪い仲間』と『陰気な愉しみ』で、2作同時受賞となった。
いまでこそ「1作家1作品」が常識だが、かつては「1作家2作品」でのノミネートというのも珍しくなかった。
選考委員の丹羽文雄は「戦後に現れた作家の中で、彼ほど才能豊かでユニークな作家をしらない」と絶賛している。
また、村上春樹は、インタビューの中で「文体の巧い作家」として安岡章太郎をあげている。
ここでは『悪い仲間』を紹介しよう。
本作は決して難解ではないが、どこかつかみ所のない作品である。
主人公「僕」は中学を卒業し、大学の予科に通っている。
「僕」は神田のフランス学校で、「藤井」という青年に出会い、次第に心引かれていく。
その大きな理由は、藤井が女を知っていること。
そのことは「僕」にとって、ある種の羨望であり憧れなのである。
「僕」は、そんな藤井の行動を真似、彼の価値観を内面化しようとしていく。
『悪い仲間』という作品を極めてシンプルに要約すれば、
「悪い遊びを知っている友人に影響を受け、彼らの価値観に合わせて自分を変えていく物語」ということになるのだろう。
ただ、そんな要約に収まりきらない深みと広がりが、この作品にはある。
そして、どこか捉えどころのない主人公の内面には、読み手の解釈を求めるような大きい余白がある。
作者の文体も描かれる戦後の世態風俗も、そこまで理解し難いものではないのに、なぜか不思議な曖昧さがある。
ただ、その曖昧さは悪いものではなく、不思議と味わい深い読書体験になる。
この「不思議な余白」を持つ作品を、あなたならどう読むか。
第4位『白い人』(遠藤周作)
作者について
遠藤周作も「第三の新人」と呼ばれる作家だ。
だけど、他の「第三の新人」に比べて、遠藤の扱うテーマは明確である。
彼は、幼少期を大連で過ごし、帰国後、母のすすめでキリスト教の洗礼を受けた。
遠藤周作は後に、母から与えられたキリスト信仰について、
「母から着せられた、タブタブの洋服」
と表現している。
そして、それを「自分ぴったりの和服」に仕立て上げることこそ、遠藤周作にとって創作の動機であった。
だから彼の作品のテーマは、
- 日本人とは何か
- キリスト教とは何か
といった問が底流している。
慶應義塾大学在学時は、小説ではなく、評論を書いていた遠藤だったが、そんな彼を発掘したのは『近代文学』を主催する埴谷雄高だった。(彼は同時期に阿部公房も発掘している)
遠藤は、その『近代文学』に発表したデビュー作『白い人』で、第33回芥川賞を受賞する。
選考委員の石川達三は、
「遠藤周作は未知だが、この作品は信用できる」
と述べた。
その後、遠藤が発表していった作品の多くは、日本を代表する宗教文学として世界的に評価されている。
彼の代表作にして問題作『沈黙』では「母なるキリスト像」を描くことで、
- 日本人にとって神とは何か
- 日本人にとって信仰とは何か
- 日本人にとって救済とは何か
という彼自身の問いに、一定の解答を示した。
彼の「キリスト観」が西洋世界に与えた影響は大きかったが、『沈黙』は数多くの国で翻訳されるに至る。
そして遠藤周作もまた、ノーベル文学賞の候補だったと言われている。
作品について
1955年の受賞作。
選考会では、
「神学生と異常性欲の主人公を描いた野心的な作品だ」
と評された。
舞台は、1944年、終戦直後のフランス。
フランス人の父、ドイツ人の母のもとに生まれた「私」が主人公。
厳格なプロテスタントである母は、「私」が性に目覚めることを極度に警戒していた。
しかし、ある日「私」は、女中が野良犬を縛って殴っているところを目撃し、自分が興奮していることに気がつく。
それが「私」が性に目覚めた瞬間だった。
彼の性癖というのは「サディズム」だったのである。
ナチスによるフランス占領が激化した頃のこと、「私」はドイツ側の拷問の通訳者になる。
そして、ドイツ軍がフランス人を拷問するところを、間近で見ることになる。
ある時、「私」は中尉から、
「こいつを知ってるか?」
と写真を見せられた。
それは学生時代に出会った神学生のジャックだった。
ジャックはレジスタンス運動に参加していて、目をつけられてしまったのだ。
そして「私」は、そのジャックの拷問に加担する。
拷問の末、ジャックは舌を噛み切って自殺してしまう。
『白い人』で書かれる大きなテーマは、
「キリスト教と罪悪」である。
遠藤は、『海と毒薬』で、「日本人にとっての罪悪」を描いているし、『沈黙』では「罪を犯した者が救われる世界」を描いている。
そういう意味でも『白い人』では、「遠藤文学」の根幹となるテーマがすでに描かれている。
遠藤周作は、自らを「テーマ型の作家」と読んでいる。
もったいつけた表現とか、難解な修辞とか、そういうテクニカルな文章をあえて使わない作家なのだが、『白い人』の文体は、遠藤らしからぬゴツゴツして重厚なもの。
「作家としてのスタートを切ろう」という、若き遠藤周作の気概のようなものが伝わる作品である。
第3位『杳子』(古井由吉)
作者について
文学好きの中で古井由吉の熱烈なファンは多い。
お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹も、古井由吉へのリスペクトをあちこちで語っていたりする。
- 分かりやすい作品
- ありきたりの展開
- 典型的な登場人物
そういうのに飽き飽きしている人に、古井由吉はオススメの作家だ。
東京大学文学部出身の古井は、金沢大学や立教大学の教員を経て、33歳の年に専業作家に転身。
その同年に『杳子』で第64回芥川賞を受賞する。
実はこのとき同時に、古井の他の作品『妻隠』も候補作に上がっていた。
1人の作家が、2作品でノミネートという……
これは、芥川史上かなり稀なケースである。
しかも、その2つの作風は、まるで違っていた。
選考委員の中に「あまりに作風が違うので、別人の筆かと思った」と言うものさえいたくらい。
『杳子』が渾沌として曖昧さを残す作品だとすれば、『妻隠』は明るく分かりやすい作品だ。
その毛色の違う2作品は「どちらも受賞にふさわしい」という評価を得る。
が、「そのどちらを受賞作とするか」の議論になると意見は真っ二つに割れるのだった。
『杳子』を推したのが、丹羽文雄・船橋聖一・大岡昇平・石川淳
『妻隠』を推したのが、中村光夫・永井龍男・井上靖
ちなみに川端康成は、
「そもそも、予選の段階で1つにしぼれないとか、ありえないでしょ」
と強く不満を抱き『杳子』のほうしか読まなかったという( 自由すぎ )。
こんな感じで、選考会で波乱が巻き起こった。
古井由吉、その規格外の才能をうかがい知れるエピソードである。
なお古井は、同世代の黒井千次や小川国夫らとともに「内向の世代」と呼ばれている。
「内向の世代」とは、あくまで日常を描きながら、個人の内面や人間の本質を追究する作家たちに使われた呼称である。
作品について
1970年の受賞作。
『杳子』は、読み手に「誠実で根気強い読み」を求める作品である。
それは「ありきたりな作品に飽き飽きしている人にオススメ」といった、さっきの紹介に通じる部分なのだが、表現を変えれば「捉えどころがなく分かりにくい」ということにもなる。
選考委員たちも異口同音に、こんなことを述べている。
「渾沌として、暗く、明晰でない感じが小説の持ち味になっている」
「密度の濃い、面白いややこしさがあるが、筆の妙味にうっとりした」
『杳子』は、その「捉えどころのなさ」と「絶妙な筆致」によって、選考委員たちを魅了したというわけだ。
杳子は深い谷底に一人で坐っていた
作品はこんな書き出しで始まる。
この物語をあえて一言でいうならば、
神経を病む「杳子」と「僕」との恋愛物語
ということになるのだろう。
とはいえ、当然そんな一言で全てかたづけられっこない。
「僕」の心理も「杳子」の心理も、複雑で繊細に描かれている。
彼らの内面に「わかりやすさ」はない。
それなのに、読み進めていく内に、彼らの“孤独”というものがじわじわと伝わってくる。
そして、この小説世界には、言葉で言い表すことの難しい美しさがある。
それは、古井の流麗な文体が効いているからであり、まさしく“言葉の芸術”とでもいえる趣なのだ。
とにかく「ありきたりな作品にうんざり」って人や「ことばの芸術に触れたい」って人は、ぜひ『杳子』を手に取って読んでみてほしい。
ちなみに「新潮文庫」には『妻隠』も収録されているので、2つを比較して読んでみてもおもしろいと思う。
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第2位『壁』(安部公房)
作者について
安部公房は東京大学医学部を卒業した、正真正銘の知的エリートだった。
だが、卒業後は国家試験を受けることなく、文学の道を志す。
そんな若き安部公房を発掘したのは、戦後文学を牽引した埴谷雄高だった。
彼の主催する『近代文学』で、安部は作品を発表し始める。
そして『壁』で、第25回芥川賞受賞。
ちなみに、この時の候補者には安岡章太郎、堀田前衛など、とてつもないライバルたちがいた。
受賞後も『砂の女』・『他人の顔』・『箱男』など、実験的で前衛的な作品を次々発表していく。
安部の作品は、カフカなどの実存主義作家の影響が濃いと言われていて、世界的にも高く評価された。
ノーベル文学賞に近い作家だと言われたが、受賞には至らなかった。
作品について
1951年の受賞作。
安部公房の作品には、とにかく読み手の現実感を奪っていく不思議な力があり、その作風は「シュールレアリスム(超現実主義)」と呼ばれている。
こんなたとえは無粋かも知れないが、SF作家でショートショートの名手に「星新一」という作家がいるが、彼の作風にクセとエグみを注入し、中編・長編に膨らませたのが安部公房ってのが、ぼくの個人的な印象である。
受賞作『壁』もまた、とてつもなくシュールな作品だ。
ある朝、目が覚めると「男」には名前がなくなっていた。
周囲に自分の名前を尋ねるが、教えてくれる者はない。
しかたなく、名前がないまま会社に出勤する。
すると、自分の名札には「S・カルマ」と全く身に覚えのない名が。
しかも、自分のデスクには、すでに「自分」が出社して(?)平然と仕事をしているではないか。
ソイツをよく見てみると、それはなんと「名刺」だった。
会社から出て病院に行く「男」だったが、謎の2人組に逮捕され、裁判に掛けられてしまう。
こうあらすじを書いただけで、安部公房の独特の世界観が分かる。
ここで書かれる世界は、とんでもなく「不条理」な世界である。
たとえば、カフカの『変身』とか、中島敦の『山月記』なんかもそうだけれど、突然 自分の身に訪れた「不条理」を描く作品というのは、これまでにもあった。
安部公房の『壁』もまた「不条理」を描く点では同じなのだが、これまでの既存の枠をさらに突き抜けた奇抜さがあり、まさしく現代版の「不条理文学」といえる趣なのだ。
芥川賞の選考委員も
「意図と文体が新鮮」
「新しい小説の典型だ」
と、その新しさを高く評価した。
受賞は1951年と、今から見れば古い作品だと思うかも知れない。
ただ、安部公房の「斬新さ」は、今でも全く色あせていない。
なんなら、彼の作品を模倣したような作品は、現代にあふれてさえいるくらいだ。
「元祖」にして「唯一」のシュールレアリスム文学。
一度読めば、間違いなくその中毒性にやられるはず。
第1位『飼育』(大江健三郎)
作者について
大江健三郎は、東京大学ではフランス文学を学び、サルトルに傾倒。
卒論もまた「サルトルの小説のイメージについて」であった。
在学中に発表した『奇妙な仕事』で注目され、『死者の奢り』で芥川賞候補となる。
選考委員の川端康成が大江をプッシュしたものの、この時は開高健の『裸の王様』が受賞した。
だが、これをきっかけとして、大江は一挙に注目され、流行作家へとのし上がる。
そして、翌年に『飼育』で再び芥川賞の候補になる。
しかし、選考委員たちは『飼育』を推すことにためらうのだった。
彼らが口をそろえて言うのは、
「大江健三郎は、すでに新人ではないんじゃないか」
ということだった。
改めていうまでもないが、芥川賞とは「新人賞」である。
中村光夫は、
「候補作の中では、抜群の出来だ」
と前置きをした上で、
「大江氏のようにすでに流行児といって良い作家に、この賞を改めて受賞するのは適切なのか」
という逡巡を述べている。
このことは、作家としての大江が異次元レベルの早熟であったことを意味している。
しかし結局、その圧倒的な作品によって、ほぼ満場一致での受賞となった。
23歳の受賞は当時としての最年少記録であり、石原慎太郎、開高健らに次ぐ新世代の作家として注目を集めた。
大江の作品は、やはりサルトルの「実存主義」の影響が強い。
特に、初期の作品には、閉塞した環境で生きる人間の姿を描いたものが多い。
『死者の奢り』や『飼育』は、まさしくその好例だろう。
作風に変化が訪れるのは、大江に長男「光」が誕生してからだと言われている。
長男は知的障害をもっていた。
一度は息子の死を願いながらも、大江は息子を受け入れていく。
そして、そんな光との共生について、たびたび小説に書いた。
その代表作といえるのが『新しい人よ眼ざめよ』である。
その一方では『ヒロシマ・ノート』など、戦争の悲惨さを訴える作品も残している。
さらに、代表作『万延元年のフットボール』は、戦後文学の最高傑作としての呼び声が高い。
1994年、大江59歳の時にノーベル文学賞を受賞。
日本人の受賞は川端康成に次ぐ2人目。
芥川賞の選考を思い返せば川端が大江を強く推していたわけだが、おそらくそれも偶然ではないのだろう。
なお、ノーベル賞受賞の理由はこうだった。
「詩的な力によって人生と神話が混ざり合った創造の世界を作り上げ、そおに見るものを混乱させるように苦境に立つ現代人の姿を描いている」
作品について
1958年の受賞作。
後期の大江の作品は、政治的な色が強かったり観念的だったりと、正直とっつきにくい作品が多い。
ただ、初期の『死者の奢り』と『飼育』はまったくそんなことはない。
というより、率直に言ってメチャクチャ面白い。
そして、圧倒的、すさまじい。
文体にも力があって、洗練された比喩表現なんかも多用され、若き大江の熱情と気概がよく現れていると思う。
しかも、その力強い文体が実存主義的なテーマと絶妙にマッチしているのだ。
『飼育』は一言で言えば、少年「僕」が一人の黒人兵を「飼う」話だ。
「僕」はとある村で父と弟と3人で暮らしている。
ある日、アメリカ軍の飛行機が墜落するのだが、生き延びた黒人兵を見つける。
「僕」はその黒人兵を捕虜として倉庫に置き、まるで「獣のように飼う」ことに決める。
そして、次第に「僕」と黒人兵との間に人間的な触れ合いが生まれていく。
だが、そんなある日、県の指令で黒人兵の移送が決まる。
黒人兵は「僕」を人質にして暴れ始める……
と、いった話なのだが、この作品の熱量は言葉では到底説明することはできない。
ぜひ、実際に手に取って読んでみることをオススメしたい。
芥川賞史上、間違いなくトップレベルの作品だと思う。
『飼育』を読むらな併せて『死者の驕り』も読むべきだろう。
( というよりも、ぼくは断然『死者の奢り』の方を推す )
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