はじめに
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西洋哲学の歴史を解説するこのシリーズ。
今回は「プロタゴラスとゴルギアスの哲学」を中心に、「ソフィスト」について解説をしたい。
ソフィストの登場が「哲学史」に与えた影響は大きい。
「真理なんて人それぞれ」といった「相対主義」が世に広まる一方で、哲学の関心は「自然」から「人間」へと大きくシフトすることとなる。
この記事では、そんな「ソフィストの功罪」と「ソフィストの思想」ついて分かりやすく解説をしていきたい。
お時間のあるかたは、ぜひ最後までお付き合いください。
ソフィスト以前の哲学
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哲学の始まりは紀元前600年ころと言われている。
「始まりの人々」は、例えばこんな主張をした。
- 万物の根源は水である(タレス)
- 万物の根源は火である(ヘラクレイトス)
- 万物の根源は原子である(デモクリトス)
この「始まりの人々」――いわゆる「ミレトス学派」から「デモクリトス」までの哲学は「自然哲学」と呼ばれている。
彼らの関心が、「自然の原理」(アルケー)を明らかにすることにあったからだ。
ただし、これらの哲学には感覚的、あるいは直感的なところがあり、「本格的な哲学」とは言い難いのが正直なところ。
そんなことからも、彼らの哲学には別名があって、
「フォアゾクラチカ」(ソクラテス以前の哲学)
と呼ばれたりもする。
実際に、高校の「倫理」の授業なんかでも、さらーっと流されてしまう運命にあるのは、その辺りが大きいのだろう。
加えて、「自然哲学」の主張は、各人てんでバラバラなので、
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で、結局、誰が正しかったの?
といった、おさまりの悪さも否めない。
とはいえ、近代になってから「自然哲学」は多くの哲学者に再発見され、評価の見直しが行われているのも事実。
あの近代哲学の巨人ハイデガーなんかは、
近代が抱える問題の責任は、プラトン哲学にある!
といって、ソクラテス以前の「自然哲学」の復権をうったえている。
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ソフィストの登場
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ここで改めて「自然哲学」の難点として、
「それぞれの主張がてんでバラバラ」
という点を強調しておきたい。
で、結局、誰が正しかったの?
というのが、現代人の率直な感想だと思うのだが、それは古代ギリシアにあっても同様だった。
その辺の説明をする前に、ここで少しだけ、当時の時代背景について押さえておきたい。
ソフィストが登場するのは、アテネという都市国家。
度重なる戦争の果てに、「ペロポネソス戦争」という戦争に大敗を喫したアテネ。
国家は徐々に衰退しつつあったのだが、そんな中でも志の高い若者ってのは一定数いるもの。
彼らは、「アテネのためになんとかしよう!」と、一生懸命に学問にはげんでいた。
だけど、当時の哲学の主流は「自然哲学」
たとえば、
この世界は水でできてるんだよ、とか
いや、火でできてるんだよ、とか
いやいや、原子でできてるんだよ、とか
そんな哲学を学んだところで、正直「国家の安寧」にとっては一ミリの役にも立たない。
しかも、自然哲学のの主張はバラバラで、誰が正しいのか見当もつかない。
「自然哲学なんて学んで、いったい何の意味があるの?」
「そもそも真理なんて、本当に存在するの?」
そんな疑問を持ち始めた若者たちの前に現れたのが、「ソフィスト」と呼ばれる連中だった。
彼らは弁論や説得術に長けていて(要するに口が達者で)、法律なんかにも詳しい。
「いかにして人々の上に立つか」
「いかにして人々の心をつかむか」
「いかにして人々の人気を得るか」
そうしたノウハウをとうとうと説く彼らに、若者たちの心はあっという間に鷲づかみ。
若者たちは大金をはたいて、ソフィストたちの教えを乞うようになった。
その中でも特に人気を獲得したのが、プロタゴラスという男と、ゴルギアスという男だった。
ちなみにこの2人は、そんじょそこらの「ソフィスト」とは一線を画している。
彼らの立てた命題は見所があるものばかりなので、その点について以下で確認をしていこう。
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プロタゴラスの命題
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自らを「知者」と名乗り、報酬を手にして、若者らに弁論術を教えた「初」のソフィスト、それがプロタゴラスだった。
しかも、その人気は圧倒的で、彼の「授業料」は爆発的に跳ね上がり、一度の授業料で軍艦が買えるほどだったらしい。
そんなプロタゴラスの立てた命題でもっとも有名なものがコレ。
「人間は万物の尺度である」
つまり、プロタゴラスの命題をざっくり言い換えると、
結局、真理なんてものは、人それぞれ違うよね
ということになる。
それが理由に「自然哲学」を見てみれば、各人好き放題に「真理」について語っていたではないか。
僕たちの日常生活の中にも、「人間は万物の尺度である」と言える例はたくさんある。
たとえば、「水の冷暖」なんかはその典型だ。
同じ水温の水であっても、それを「冷たい」と感じるのか「温かい」と感じるのかは、その人の体質、その人の置かれた環境、その人の気分なんかでコロコロ変わる。
「コップの水の量」に対する解釈だって、人それぞれ。。
コップの水について「半分も入っている」とするのか、「半分しか入っていない」とするのか、つまり、水の量が「多い」か「少ない」かは、人の主観によっててんでバラバラである。
つまり、「冷たい/温かい」とか「多い/少ない」とかの絶対的な基準なんて存在しない。
いつだってそれを決めるのは、人間の思考であり、認識であるわけだ。
とすると、真理なんてものは存在せず、それはいつだって「人間のさじ加減」によってコロコロ変わってしまうということになる。
これが、プロタゴラスの「相対主義」である。
こうなってくると大変だ。
なぜなら、相対主義の前では、「絶対的な善」も「絶対的な悪」も存在しないことになるからだ。
「母国アテネのために“善い”ことをしたい」
若者たちがそんな志と気概をもっていたとしても、そこには正解なんて存在しない。
すると次第に、「大切なのは、いかに“正解っぽく”見せるかだ」という風潮が生まれてくる。
自分の考えの「もっともらしさ」を強調し、議論に勝ちさえすれば、それが「真理」として認められるわけだ。
こうして若者の関心は、どんどん「弁論術」に向かっていき、自分の主張を正しく見せるためのテクニック——「修辞学」(レトリック)こそが、大切な学問となっていく。
「真理なんて、存在しない」
「真理なんて、人それぞれ」
「大切なのは、真理っぽく見せること」
こうして「思想」の堕落は始まった。
「過激な話」や「耳優しい話」で人々を不安にさせたり安心させたりする「扇動政治家」(デマゴーゴス)なる連中がはびこり、彼らの言葉に人々が心酔し、「衆愚政治」といった腐敗した政治がアテネに横行する。
こうして、「真理」に対する人々の情熱は、日一日と失われていった。
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ゴルギアスの命題
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プロタゴラスのほかに、もう一人紹介しておきたいソフィスト、それがゴルギアスだ。
個人的に、彼の「先見の明」は注目するべきだと思っている。
彼はプロタゴラスの「相対主義」をさらに徹底した。
彼の立てた命題は次の3つ。
- そもそも、何もない。
- あったとしても、人間にはとらえられない。
- とらえられたとしても、それを語ることはできない。
そて、これを読んでなんとなく既視感を抱かないだろうか。
そう、彼はパルメニデスをはじめとした「エレア派」の議論を応用しているのだ。
( 詳しくはこちらを参照 解説・考察【ヘラクレイトスとパルメニデス】の哲学と人物像を分かりやすく! )
まず、1「そもそも何もない」について。
さすがにこれだけではちんぷんかんぷんなのでもう少し説明をすると、ゴルギアスは、
「そもそも、この世界(存在)なんてものは、人間なしにはありえないよね」
ということを言っているのだ。
たとえば、「誰もいない森で倒れる木は音を立てない」という有名な議論がある。
認識する人間がいなければ、そもそも“音”は存在しないんじゃないか?
もっと言えば、森や木だって、それを認識する人間がいなければ存在しないんじゃないか?
だとすれば、この世界は「認識する人間がいて初めて成り立つ」といえるんじゃないか?
という議論である。
これは18世紀の哲学者バークリによる議論で、今では量子力学の文脈で語られることもある。
ゴルギアスは、この有名な議論を、すでに先取りしていたということができる。
次に、2「あったとしても、人間にはとらえられない」について。
これもなかなか鋭くて、ゴルギアスは、
「人間にはこの“世界の実相”に到達なんてできっこない」
ということを言っている。
とかく僕たちは「客観的世界の実在」を信じて疑わない。
「この世界は見た通り、感じた通りに存在している」
そんな確信を、多くの人々が持っている。
「目の前に見えるリンゴは見えたままに存在している」と考えるわけだ。
だけど、それは本当か?
たとえば、ダニには「視覚器官」や「聴覚器官」がない。
彼らが世界を認識する際には、「嗅覚」と「温度感覚」、「触覚」、加えて光の方向だけに頼っている。
とすれば、ダニたちは僕たち人間とは全く違う仕方でこの世界を経験していることになる。
コウモリだってそうだ。
一部のコウモリは「視覚機能」が退化していて、目が見えていないという。
その代わりに、口から超音波を出して、反射してきたそれによって世界を認識しているという。
彼らもまた人間とは全く異なる仕方で、この世界を経験している。
とすれば、僕たちが信じる「客観的世界」なんてのは、なんら絶対的なものではないことが分かってくる。
これらは、20世紀の生物学者ユクスキュルや、現代の哲学者ネーゲルが指摘をしているところ。
この世界の「本当の姿」、この世界の「実相」なんてものを僕たち人間がとらえることなんてできっこないし、「世界は知覚した通りに存在している」というのも僕たちの錯覚ということになる。
最後に、3「とらえられたとしても、それを語ることはできない」について。
これも、現代哲学において常識中の常識となっている命題だ。
もし、彼にあなたが、この「世界の本当の姿」に到達できたとしよう。
だけど、あなたのその「主観的体験」を、いったいどのように言語化できるだろうか。
あなたが見た景色、聞いた音、感じた味や痛み……
そうした生々しい「具体的な質感」を、どうやって客観化したり、記号化したりすることができるだろうか。
「語りえぬものについては、われわれは沈黙しなければならない」
これは20世紀の天才哲学者ウィトゲンシュタインの言葉だ。
この言葉によって、僕たちの世界は「言語化できるもの」と「言語化できないもの」とに劃然と分けられることとなった。
「真理なんてものは、人間に言語化できっこない」
そういったウィトゲンシュタインは、ある意味で、人間の“限界”を示した哲学者なわけだが、すでにそれは2000年以上も前にゴルギアスに指摘されたことだった。
以上、
- そもそも、何もない。
- あったとしても、人間にはとらえられない。
- とらえられたとしても、それを語ることはできない。
この3点を、古代ギリシアにおいて指摘してたゴルギアスの「先見の明」は瞠目すべきものだと僕は考えている。
なお、ゴルギアスのこの命題は、「懐疑論」とか「不可知論」とか呼ばれるもので、近代哲学でも頻繁に議論されたトピックである。
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ソフィストの罪
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さて、最後に「ソフィストの功罪」について簡単にまとめておきたい。
まず、彼らの「罪」とは何だろう。
それは、なんといっても、「思想の堕落」を招いたことだ。
プロタゴラスの「相対主義」が当時のアテネの人々の意識に与えたもの、それは、
「真理なんて人それぞれ違う」
といったものだった。
こうなってくると、ある人の考えは「議論に勝てば真理」となるし、「議論に負ければ間違い」ということになってしまう。
当然、人々の関心は「いかに議論に勝てるか」に移っていく。
すると、そのために必要なテクニック、つまり「弁論術」や「修辞学」の需要が高まる。
その需要に応えるように、自らを「知者」と呼んではばからない「ソフィスト」たちが世にはびこる。
彼らは高額な報酬をもらい、若者たちに弁論術を教えていく。
弁論術を学んだ若者たちは「真理」を説くことを止め、世間の「人気取り」に奮闘する。
すると、デマがはやる、政治が腐る、思想は堕落する。
「自然哲学」で芽生えた、「思想への情熱」はもはや風前の灯。
この危機を救うためには、「ある男」の登場を待たねばならないのだが、それはまた別のお話。
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ソフィストの功績
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そうはいっても、ソフィストが残した功績はとっても大きい。
ソフィストの中には、鋭い思索を展開した、もはや「哲学者」と呼べるものもいたからだ。
それが、すでに紹介したプロタゴラスであり、ゴルギアスだった。
プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と唱え「相対主義」を展開したし、ゴルギアスは「真理なんてあったとしても人間には捉えられないし、言語化することもできない」と唱え「懐疑論」や「不可知論」を展開した。
彼らには現代哲学を予見するような「先見の明」があったのだ。
それになんといっても、哲学の関心を「自然」から「人間」へ移したことこそ、ソフィストらの最大の功績だろう。
これまでの哲学は、タレスに始まる「自然哲学」が中心だった。
彼らの関心は「自然(ピュシス)の原理・根源(アルケー)を明らかにする」ことであり、つまり、彼らには「人間とは何か」を探求する姿勢がほとんど見られなかったワケだ。
そんな中で、ソフィストがあらわれる。
自らを「知者」と名乗るソフィストたちは、若者たちに多くの教養を教えた。
近代哲学の大成者ヘーゲルは、ソフィストについて、
「ソフィストたちは、ギリシアに教養というものを広く行きわたらせた教師だった」
と高く評価をしている。
ソフィストが扱ったのは「法律」「歴史」「幾何学」「天文学」と、その分野は多岐に渡っている。
その中に「弁論術」や「修辞学」があったわけだが、これは「言葉をいかに用いるか」の学問である。
「言葉」とは、人間存在とは切っても切り離せないものであり、「言葉を論じる」ことは、人間にとってもっとも大事な能力を論じることだ。
つまり、言葉を大切にしたソフィストは「人間中心」の世界観に立脚していたのである。
こうしてソフィスト以降、哲学の中心は「自然」から「人間」へと移っていくこととなる。
なお、彼らが関心を寄せていた「人為」や「慣習」というのは、ギリシア語で「ノモス」と呼ばれている。
ソフィストが残した最大の功績は、哲学の舞台を「ピュシス(自然)」から「ノモス(人為)へ」移したことだと言っていい。
以上を踏まえて、「自然哲学者」と「ソフィスト」の思想を以下の通りまとめておきたい。
思想家 | 自然哲学者 | ソフィスト |
対象 | 自然(ピュシス) | 人為(ノモス) |
立場 | 真理を探究する | 真理は人それぞれ (相対主義) |
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おわりに「哲学を動かした男」
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ここまで「ソフィスト」について解説をしてきた。
彼らの登場によって、「相対主義」が世に広まり「真理なんて、所詮人それぞれ」といった「思想の堕落」を招いた。
ただし、ソフィストの登場は「功罪相半ば」であり、哲学の関心を「自然」から「人間」へと移したという利点もある。
「思想の堕落」と「人間中心の哲学」……さぁ、これで舞台はそろった。
このあと「思想の堕落」が広がるアテネに一人の男が現れ、人類の「哲学史」は大きく動くこととなる。
その男こそ、古代ギリシア哲学を代表する「ソクラテス」その人である。
【 参考記事 解説「ソクラテスの哲学・思想」をわかりやすくー無知という哲学的原動力ー 】
彼によって再び「真理への情熱」を取り戻した哲学は、その後「プラトン」「アリストテレス」といった弟子へと受け継がれていき、哲学は大きな発展を見せることとなる。
以上で、記事はおしまいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
【 哲学史の一覧はこちら 】 1、【ミレトス学派とピタゴラスの哲学】 2、【ヘラクレイトスとパルメニデス】 3、【デモクリトスの原子論】 4、【プロタゴラスとゴルギアスの哲学】 5、【ソクラテスの哲学・思想】 6、【プラトンのイデア論】
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