解説「梶井基次郎」の人生・人物像のまとめ―早世した天才のやさぐれエピソード―

作家
はじめに

梶井基次郎は日本文学史の中を、まるで“流れ星”みたいに過ぎ去った早世の「天才作家」だ。

19歳で結核を患い、31歳という若さでこの世を去った梶井。

生前はほとんど評価されなかった彼は、死後、高名な作家たちに再発見され、いまや日本の“文豪”としてその名をとどろかせている。

この記事では、そんな梶井基次郎について、

  • その生涯
  • 有名エピソード
  • 作品の特徴
  • 後世における評価
  • 代表作

など、あらゆる方面から徹底解説をしたい。

梶井基次郎に詳しい人も、またそうでない人も、記事を読めば梶井基次郎について大抵のことが理解できると思う。

では、お時間のある方はぜひ最後までお付き合いください。

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梶井の生涯

略年表

1901年(0歳)
…大阪市に生まれる。

1908年(7歳)
…急性腎臓炎にかかるが一命を取りとめる。

1918年(17歳)
…兄の影響で文学作品を読み始める。

1919年(18歳)
…第三高等学校(現・京都大学)理学部に入学。

1920年(19歳)
肺結核のため休学。

1921年(20歳)
…遊郭で童貞を喪失。退廃的な生活を送るようになる。

1924年(23歳)
…東京帝国大学文学部に入学。

1925年(24歳)
神経衰弱をわずらう。『檸檬』発表。

1926年(25歳)
…病状悪化。喀血

1927年(26歳)
…湯河島で治療。川端康成と出会う

1928年(27歳)
…大学除籍。

1930年(29歳)
…病状悪化、肺炎になる。

1932年(31歳)
…3月24日、肺結核のため死去。

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幼少~学生時代

1910年、梶井基次郎は大阪府に生まれた。

父は貿易会社の社員で、母は商家の娘で、2人は梶井の人格形成に大きく関わっている

父は外では熱心な勤め人だったものの、家では酒乱の女たらしで、妾に子を産ませるような不貞男だった。

梶井は多感な年頃に、その腹違いの兄弟たちの存在を知り、苦悩したと言われている。

だけど、救いがあるとすれば、母が教育熱心な女性だったことだろう。

彼女は、幼い梶井に熱心に和歌や古典物語を読んで聞かせてくれた。

梶井の「文学的素養」「文学的感性」は、彼女によるところが大きい。

不貞な父と文学好きの母。

そんな両親が梶井に与えたものは「繊細な心」や「鋭敏な感性」だったといっていい。

また、彼を語る上で「病気」を外すことはできない

7歳のころに急性腎臓炎にかかり、16歳に結核性の病で寝込むようになる。

その療養中、兄のススメで文学作品を読みはじめた。

その後、18歳になった梶井は第三高等学校(現京都大学)の理学部に入学する。

意外にも、彼は“理系”の人間だったのである。

しかも彼の関心はずっと広く、「理科」だけでなく「西欧美術」「西欧音楽」にも傾倒していたという。

そんな彼が、「文学」に本格的にのめり込むようになったのも18歳。

寄宿舎で同室となった中谷孝雄(小説家)らの影響を受けてのことだった。

梶井が好んで読んだのは、志賀直哉谷崎潤一郎などの近代文学で、中でももっとも敬愛したのが夏目漱石だった。

全集を買いそろえ、片っ端から漱石を読みあさった梶井は、自らを「梶井漱石」と呼ぶほどだったらしい。

彼は漱石に自分を投影していた

なぜなら、漱石もまた、苦悩の多い生涯を送った作家だったからだ。

後に梶井は、友人の中田にこう語っていたという。

深く苦悩しないと、本当の「美」をつかむことはできないんだ。漱石がすごい作品を残すことができたのは、彼が神経衰弱に苦しんだからだ」

そう語る梶井は、

「漱石は好きだけど、鷗外は嫌い!」

と、鷗外を「バカ」呼ばわりしていたらしい(鷗外の苦悩だって深いんだけどな)。

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結核発症から死まで

そんな梶井の人生に、決定的な影が差したのが19歳のこと。

彼にとって宿痾となる、肺結核の発症である。

若くして、人生の絶望を深く味わった梶井。

その絶望を埋めるように、彼はキリスト教他力仏教に接近するが、そこにのめり込むこともできない。

結核と闘う日々の中、彼の自棄はいよいよ強くなっていく

具体的なエピソードについては後述するが、とにかく彼の生活は「退廃」と「放蕩」にまみれていった。

休学や落第の末に、なんとか高校を卒業し、23歳で東京帝国大学英文科に入学。

すでに梶井は文学を志すようになっていて、あの代表作『檸檬』は、この翌年、梶井が24歳の頃に発表されたものだ。

さらにこの頃、結核療養のために訪れた伊豆の湯河島温泉で川端康成に出会う

当時、川端は「モダニズム文学」の旗手として、若い作家たちのカリスマ的存在。

梶井にとっても川端康成は憧れの存在で、やがて彼は川端の『伊豆の踊子』の校正を手伝うことになる。

その仕事っぷりは見事で、川端は

「彼は、作品ではなく、俺の心の隙間を校正したのだ」

と、絶賛したほど。

さらに、川端は梶井の人間性も評価していて、梶井の「底知れないほどの親切さ」と「懐かしく深い人柄」を讃えている。

そんな川端を通して、梶井は多くの作家たちに出会い、交流を重ねていった。

そして、作家の宇野千代に出会い「生涯で唯一の厳粛な恋」と言われるほどの恋をした( これれについても後述する )。

多くの作家たちと交流をする傍ら

『冬の日』

『冬の蠅』

『ある崖上の感情』など、

自らの病と生死を見つめる作品を次々と発表していく。

その後も、東京へ上京し創作に励むが結核はいよいよ悪化。

発熱と呼吸困難に苦しみ、29歳でほぼ寝たきり状態となってしまう。

それでも彼は創作の火を絶やそうとしなかった。

30歳の頃、梶井にとって初の小説集『檸檬』が刊行される。

そこには、三好達治ら、友人たちの助力があった。

病床で血を吐き、日に日に衰弱していく梶井を見た彼らは、

「こいつが生きているうちに、なんとか本を出版してやろう」

と、各所で奔走した。

梶井はそんな友人たちの思いに触れ、涙がでる程に喜んだという。

生きる希望が生まれたのか、小康を取り戻す梶井だったが、やはり再び体調を崩してしまう。

寝たり起きたりを繰り返す日々……

そして、ついに完成した作品集を受け取ると、彼は一日中、それを眺めて過ごしていた。

しかし、ある日、病状が急変する。

朝から苦しみだした梶井のもとに、家族たちが集まった。

そして、梶井は、

「私も男です。死ぬなら立派に死にます」

そういって目を閉じると、そのまま意識を失った。

その時、彼の目からは一筋の涙が頬をつたったと言われている。

深夜2時、家族に見守られる中、梶井基次郎は31歳でこの世を去った

作家としての初の印税(75円)を受け取った、そのわずか半年後のことだった。

彼が生前に遺した作品は、たった20の短編だけ。

生前は全く評価されなかった作品ばかりだが、死後それらは多くの作家や評論家に見いだされ、今や多くのファンの心を捉えてはなさい。

彼の命日は3月24日。

代表作にちなんで「檸檬忌」と呼ばれるその日、大阪にある彼の墓には、毎年多くのファンがレモンを供えていくという。

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梶井にまつわるエピソード

「絶望→堕落→自暴自棄」

大正時代、結核は不治の病。

そんな大病を、若干19歳にしてわずらった梶井の苦悩は察するに余りある。

彼の自暴自棄が募っていったことは、すでにみたとおりだが、そんな彼の自棄っぷりを教えてくれる過激なエピソードがいくつか伝えられている。

最も有名なのがコレ。

結核発症から約1年後、梶井20歳の頃の話だ。

孤独と絶望にさいなまれる彼は、友人の中谷たちと酒を飲んでいた。

すっかり泥酔した梶井は、

「俺に童貞を捨てさせろ!」

と怒鳴り散らし、中谷たちに「祇園へ連れていけ」とすごんだらしい。

結果、この日彼は(晴れて?)童貞を卒業。

とはいえ、忘れちゃならないのは彼の心が「繊細」であるという点だ。

すぐに激しい自己権に襲われる梶井は、

「オレは堕落しちまった」とか、

「ソドムの徒になっちまった」とか、

なんやかんやと恨み言を言うようになったらしいが、中谷たちからすれば「いや知らんがな!」って話である。

それから、ある時、これも友人の三好達治に、

「ワインを見せてやるよ」

そういって、彼に赤い液体が注がれたコップを近づけた。

しかし、その中身はワインなんかではなく、梶井が喀血した血

三好はあまりのことに言葉を失ってしまった、なんてエピソードもある。

文学史において、“自虐人間”というのはそれなりにいるが、ここまでの自虐行為はかなり珍しい。

梶井の自虐的破滅行為は、それ以外にも、

泥酔してラーメン屋の屋台を破壊したり、

料理屋の床の間の掛け軸に唾を吐きつけたり、

お店の池に飛び込んだり、

その中の鯉を追っかけまわし“出禁“を食らったり……

こんな感じで、彼の「やさぐれエピソード」は枚挙にいとまがない。

とはいえ、もともと「病弱」で「繊細な心」を持った梶井のことを考えると、これらの暴挙は彼の苦悩の裏返しだったといえるだろう。

さらに、放蕩生活はどんどんひどくなり、金が底をつくと家賃を踏み倒し下宿から逃亡し、まるで“根無し草”のように友人たちの宿を転々としていたらしい。

代表作『檸檬』の主人公「私」が抱えている「得体の知れない不吉な塊」とは、間違いなくこの辺りのエピソードと深く関係していると言って良い。

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「宇野千代への失恋」

梶井は26歳の頃、伊豆の湯河島で療養中、あこがれの川端康成と出会い、多くの作家たちと交流を重ねた。

その中にいたのが、宇野千代だった。

千代は、小説家の尾崎士郎の妻であり、彼女もまた小説家である。

また、デザイナーやモデルとしての一面を持つ彼女は、才色兼備を絵にかいたような女性だった。

その妖艶な空気に一発でやられた梶井は、「生涯で唯一の厳粛な恋」と言われるほどの恋をしてしまう。

夫の尾崎の眼を盗み、千代のもとを何度も尋ねる梶井。

だけど、残念ながら、その恋が実ることはなかった。

なぜなら、千代は超がつくほどの“面食い”だったからだ。

後に千代は、瀬戸内寂聴のインタビューに対して、

「梶井との肉体関係はなかった」

と、2人の関係をきっぱりと否定している。

その理由は、

「彼の顔が全然タイプじゃなかったから」

というものだったらしい。

そもそも千代は「文壇一の美女」ともいわれるほどの容貌を持ち、その男性遍歴はカナリ派手。

「女性は一生、結婚適齢期」

という名言さえ残しつつ、生涯をかけ各界のイケメンたちと浮名を流した。

それに千代には尾崎という夫がいたのだし、言い方があれだけど、ウブな素人童〇の梶井にとっては所詮かなわぬ恋だったのだ。

しかも、梶井と尾崎は とあるパーティーで再開することになる

その時、尾崎は吸いかけのタバコを梶井の額におしつけ、2人は乱闘一歩手前までヒートアップしたらしい。

この梶井との事件が原因となり、尾崎と千代は後に離婚。

梶井は実らぬ恋に苦悩して喀血し、数年後にこの世を去る。

宇野千代……なかなかどうして罪深い女である。

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「檸檬への愛着」

代表作『檸檬』では、主人公の「私」が、檸檬によって幸福を実感する場面が描かれている。

「俺が欲しかったのはこれだったんだ!」

そうした確信を抱く体験、いわゆる「檸檬体験」の場面である。

だけど、そもそも、なぜ「檸檬」というモチーフが採用されたのだろうか

ミカンでもリンゴでもバナナでもなくて、檸檬だったのはなぜなのだろうか。

その疑問については、こちらの記事【 参考記事 解説・考察『檸檬』―なぜ檸檬なのか、なぜ漢字なのか、檸檬が象徴するものとは―で詳しく答えているので参考にしてほしいのだが、その答えの一つとして、

「実際に、梶井がレモンに強い愛着を持っていたから」

といったものが考えられる。

要するに、象徴でも比喩でもなく「梶井はレモンによって救われた」とする説だ。

と、こう聞くと、

檸檬に救われる? どういうこと?

と、感じる人も多いと思うのだが、こればっかりは論理的に説明することが難しい。

だけど、歴史を見てみれば、少なくない宗教家や哲学者や詩人たちが、いわゆる「神秘体験」というものをしている。

いいかえれば、「真実」とか「実在」に触れる体験だ。

おそらく梶井も、檸檬によって何らかの「神秘体験」をしたのだろう。

そして、それは友人「中谷」が語る次のエピソードによって、うかがい知ることができる。

前に私は梶井からかなり手垢に汚れた檸檬をもらったことがあった。私はそのときの梶井の態度にいささか不快を感じた。こんな薄汚れのした果物を人にくれるもないものだった。

どうやら梶井は、日ごろから檸檬を肌身離さず持ち歩いていたらしいのだ。

それはとりもなおさず、梶井にとって檸檬が特別なモノだったことを物語っている。

そこに加えて、代表作『檸檬』におけるあの記述。

主人公「私」が、美や善の象徴としての「檸檬」に触れて幸福を実感したという、あの記述である。

もちろん「私 = 梶井」として作品を読むことは早計であるし、作品の豊饒さをスポイルする無粋な態度であることは百も承知である。

ただその一方で、先のエピソードを踏まえると、「梶井は檸檬によって文字通り救われたんじゃないか」という思いも否定することはできない。

ちなみに、友人の中谷は、檸檬をもらったときにこう思ったという。

「ひょっとしてコイツ、俺を爆破しようとしてるんじゃないのか?」

『檸檬』を読んでいた中谷は、梶井が自分を「檸檬爆弾」によって木っ端みじんにしようとしていると思い、ゾッとしたと告白している。

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梶井文学の特徴

梶井が生前書き残した作品は、わずか20ほどの短編だけだ。

その多くは、自らの病や内面を題材にしたものが多く、「私」を語り手に添えた作品も多い。

つまり、いわゆる「私小説」とか「心境小説」と呼ばれそうな作品が多いのだ。

これは、「心境小説」の名手、志賀直哉に梶井が傾倒していたことと無関係ではない。

志賀にインスパイされた彼は、自分自身の経験を描くことで、自らの文学を確立させようとしたのだと思われる。

確かに梶井は、自分の経験や内的世界にこだわった。

だけど、梶井の文学は、単なる「私小説」とか「心境小説」と同一視することはできない

なぜなら、梶井の作品には美しい“詩情”が溢れているからだ。

もっといえば、梶井の作品は、“小説”というよりも“散文詩”に近いのだ。

梶井文学の特徴をいくつかあげれば、こんな感じだろうか。

  • 表現の美しさ
  • 幻想的な空気
  • 感覚の鋭さ
  • 鋭敏な洞察力

これらには、時代にとらわれない梶井独自の文学性が表れている。

ちなみに、梶井が活躍した「大正時代」といえば、プロレタリア文学が勃興した時代だ。

プロレタリア文学というのは、平たく言って「革命の手段としての文学」である。

それは、ややもすれば芸術性というのが2の次、3の次にされかねない世界である。

梶井の文学は、そうしたプロレタリア文学の対極に位置していた。

「文学とは美を追求する営みである」

これが梶井の文学観だからだ。

そして梶井の文学は、当時、徐々に台頭してきた「モダニズム文学」に接近していた。

とはいえ梶井は“文壇”と一定の距離をとっていた作家だった。

ということで文学史的に見れば、梶井には明確な立場が与えられてはいない。

ただ強いて言えば、その芸術性の高さから、

「芸術派」(反プロレタリア派)とみなされ、特に「新興芸術派」(川端康成らの次世代)と捉えられることが一般的である。

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梶井文学に対する評価

生前は全くといっていいほど評価されなかった梶井。

彼が得た初めての印税は、死の半年前ほどに受け取った75円ばかり。

そんな梶井が再発見されたのは、その死後、高名な作家や評論家たちが梶井を高く評価してのことだった。

たとえば、梶井の友人で詩人の萩原朔太郎は、次のように述べている。

梶井基次郎は、日本の現文壇においては、まれに見る真の本質的文学者であった。

朔太郎は言う。

「文学者は詩人と哲学者の素質をかねそなえていなければならない」と。

つまり朔太郎は、

「梶井は文学者である以上に、詩人であり哲学者だった」

と言っているわけだ。

また彼は、梶井の早すぎる死を踏まえてこんなことも言っている。

近頃になって、梶井君の夭折がまたつくづくと惜しまれる。梶井君がもし大成したら、晩年にはドストエフスキイのような作家になったかもしれない。またポオのような詩人的作家になったかもしれない

個人的には、

ドストエフスキイは言いすぎじゃない?

と思うものの「ポオのような詩人的作家」は十分にあり得た世界線だと思う。

それから、小林秀雄も梶井を高く評価したことで有名だ。

特に代表作『檸檬』について、小林はこんなことを言っている。

この小説の味はいには、何等頽廃たいはい衰弱を思はせるものがない。切迫した心情が童話の様な生々とした風味をたたへてゐる。頽廃たいはいに通用する誇示もない。衰弱の陥り易い虚飾もない。飽くまでも自然であり平常である

なんというか、これ自体がもう「文学的」な文章なのだけれど、要するに小林はここで、

「梶井の文章は飾らず、それでいて純真な詩情に富んでいる」

といったことを言っているのだ。

それから、「戦後文学の巨人」三島由紀夫もまた梶井を高く評価している。

いわく、

「夜空に尾を引いて没した星のやうに、純粋な、コンパクトな、硬い、個性的独創的な、それ自体十分一ヶの小宇宙を成し得る作品群を残した」

ということで、さらに

「梶井基次郎くらゐの詩的結晶を成就すれば、立派に現代小説の活路になりうる」

とし、最後に

「感覚的なものと知的なものとを綜合する稀れな詩人的文体を創始した」

ということだ。

……正直いって、もはや何が何やらさっぱりなのだが、とにかく三島が梶井をメチャメチャ評価していることは分かる。

三島もまた、堅牢な文体を操りつつも、みずみずしい詩情をたたえた作家だったが、彼の文学性と梶井の文学性は明らかな共鳴を示している

その他、昭和を中心に活躍した作家たち――安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三などにも、梶井文学は大きな影響を与えた。

彼らは「私小説」的な作品によって人間の日常を丹念に描いた作家たちで、文学史的には「第三の新人」と呼ばれている。

そんな日常を志向した彼らだからこそ、梶井文学の「私小説 + 芸術性」という部分に強く惹かれたわけだ。

そしてなんといっても、いまや梶井の『檸檬』は高校の国語の教科書に掲載され、多くの若者の知るところとなっている。

実際に僕の周囲にも「梶井基次郎が好き」という人というのは一定数いて、彼らは共通して“なんとなく内向的”だったり、“少し変わり者”だったり、“微妙に芸術肌”だったり、要するにどこか人と違う「個性的な一面」を持っている。

梶井文学というのは、主にそんな人たちに刺さるらしい。

決して一般ウケするとはいえない「梶井基次郎」

だけど、彼が生前に残した20ほどの短編たちは確実に一部のコアなファンを魅了してきたし、きっとそれはこれからも変わらないのだろう。

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梶井の代表作

ここでは、梶井文学の作品の一部を紹介する。

これらはすべて、新潮文庫の『檸檬』に掲載された作品だ。

『檸檬』

言わずと知れた梶井基次郎の「代名詞」的な作品。

語り手である「私」の絶望、焦慮、孤独、そして救いと幸福……

そうした不思議な内的世界と繊細な感性が、詩的で感覚的な文体で美しく描かれる。

【 参考記事 解説・考察『檸檬』―なぜ檸檬なのか、なぜ漢字なのか、檸檬が象徴するものとは―

『Kの昇天』

梶井文学の中でもやや異質な幻想文学。

夜の海岸、満月の光、ドッペルゲンガー、そして昇天してゆく青年K。

とにかく根強いファンが多い、散文詩みたいな作品。

『交尾』

河鹿の泣き声と川のせせらぎに身を任せ、我を忘れて自然と一体となる「私」

その安らぎと静謐を描いた随想的小説。

多くの作家たちに絶賛されたこの作品は、井伏鱒二に「神業」と言わせた。

その他

それ以外にも、梶井の特異な感受性が色濃い『桜の樹の下には』

侘びしい病床の孤独を蝿に投影した『冬の蝿』

生と死のコントラストを見事に描いた『ある崖上の感情』などなど。

梶井文学には読みごたえのある短編が本当に多い。

文壇の多くの作家達から早世を惜しまれたというのも大いに納得できる。

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