哲学を解説・考察【決定論とは何か】を分かりやすく—人間に自由意志はあるかー

哲学
はじめに「哲学」って何?

哲学と聞いて、あなたはどんな印象を持つだろう。

たぶん多くの人は、高校時代に勉強した「倫理」を連想したり、ソクラテスだのプラトンだのアリストテレスだのといった有名な哲学者を思い浮かべたりするかもしれない。

あるいは「無知の知」とか、「三角形のイデア」とか、例の哲学用語を思いだ出したり、『純粋理性批判』とか『精神現象学』とかいった有名な書物を思い出したりするかもしれない。

すると、人々の感情として、

「哲学=なんだか小難しいもの」とか

「哲学=自分とは無縁なもの」とか

とにかく、哲学に対する「あまりよくない印象」を持つにいたってしまう。

だから、急いで強調しておきたいことがある。

それらを全部「哲学」ではない。

あえて言えば、それらは全部「哲学史」なのである。

「ソクラテス」とか「イデア論」とか「純粋理性批判」とかを覚えることは、言うまでもなく哲学の本質なんかじゃない。

「哲学」というのは、本来もっとおもしろくて、スリリングで、ちょっと恐ろしいもので、つまるところ、ずっとずっと魅力的なものなのだ

哲学のまとめ記事はこちら

この記事では、そんな哲学の主要テーマについて紹介したい。

今回扱うテーマをざっくりと言えば、

「人間の“意志”って何?」

「人間に“自由”ってあるの?」

といった問いである。

「意志」や「自由」は哲学における主要なテーマであり、これまで頻繁に議論されてきた。

「人間には意志や自由がある!」

こう主張する人は、一般的に多いと思われるが、哲学者の中には、

「人間に意志や自由なんてない!」

と主張する人たちが少なくない。

その根拠とは一体なんなのだろう。

この記事ではそうした「意志」や「自由」に関する議論の内容と、問題の所在について分かりやすく解説をしていきたい。

ぜひ、最後までお付き合いください。

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「行為」か「非行為」かを決めるもの

唐突だが、質問がある。

「人間と枯葉の違いってなんだろう?」

はあ? って感じだろうか。

人間と枯葉の違い? そんなモン全く違うだろ!

と、きっと多くの人がそう考えるのだろうが、哲学者というのは、得てしてこうした切り口で議論をおっぱじめる。

たとえば哲学者はこんなことを言い始める。

「人間が歩く……それは人間の“行為”だと言われる。なるほど。じゃあ、枯葉が舞う……それも枯葉の“行為”だってことにはならない?」

再び、はあ? って話である。

だって、人間は動物だけど、葉っぱは自然物に過ぎない。

両者を同列に扱うなんてナンセンスではないか。

だけど、哲学者はそれに対して、次のように反論する。

「動物の営みは“行為”なのに、自然物の営みは“行為じゃない”っていうわけね? じゃあ、君はミジンコの移動も“行為”だっていうんだね? それに、葉っぱは“自然物”だっていうけど、人間だって立派な“自然物”だよ」

確かに、彼の言うとおりだ。

行為か行為じゃないかの決め手を「動物か動物じゃないか」に置いた場合、ミジンコの移動も“行為”と認めることになる。

また、人間も広い意味では“自然物”だと言えるわけで、そうなると、人間と枯葉との間に決定的な違いを探すことも難しいのではないか。

「人間とミジンコの違い」とは、一体なんなのだろう。

「人間と枯葉の違い」とは、一体なんなのだろう。

ムムムムムム……である。

だけど、僕たちは、やっぱり「人間とミジンコ」を、あるいは「人間と葉っぱ」を一緒にすることはできない。

両者の間には、何か決定的な違いがあるはず! ということで、あれこれ考えていき、ついにその決定的な違いらしいものを探り当てた。

それが「意志」である。

人間は歩くとき「歩こう!」と思って歩いているけれど、ミジンコや葉っぱは「歩こう!」とか「落ちよう」だなんて思っていない。

この「意志」の有無によって、行為なのか、行為じゃないのかが決まるんじゃないか?

よし、哲学者に反論だ。

「人間には意志があるが、ミジンコや葉っぱには意志がない! だから、人間が歩くのは行為だが、ミジンコや葉っぱのそれは行為なんかじゃない! 人間とミジンコや葉っぱとの違いは、意志の有無だ!」

うん、なんかいい感じに反論できた気がする。

だけど、哲学者は依然として不服そうに表情をゆがめ、こう尋ねてくるだろう。

「意志? 意志ってそもそも何なの?」

 

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「意志」という不可解なもの

さて、ここからは、

「意志とは何か?」

この問いについて議論をしていきたい。

まず早速だが、試しに右手を挙げてみてほしい

……

………

確かにあなたは、僕の指示に従って、難なく右手をあげることが出来ただろう。

だけど、ここで考えてみてほしい。

そこにあなたの「意志」なんてものが、本当にあっただろうか

「よし! 右手をあげよう」という意志が、あなたの中にあっただろうか。

もちろんそれは「右手を上げよう」と思うこととは別物だ。

だって、普段あなたが歩くとき

「よし、右足を出そう、次に左足を出そう」

なんて、いちいち思っていないはずだからだ。

まるでガンダムのパイロットのように、いちいちあなたは体を「操縦」しているわけじゃあるまい

っていうか、そもそも「右手をあげようと意志する」って、一体どういう心の動きなのだろうか。

「右手をあげようと意志して、右手をあげる」ってことは、逆に「右手をあげようと意志するけど、右手をあげない」ってことも出来るのだろうか。

意志とは、そうした体を動かす「念力」みたいなものなのだろうか。

こう考えていくと、いよいよ「意志」というものがなんなのか、分からなくなってくる

人間は歩く 
=それは行為である
=なぜならそこには意志があるから
葉っぱが舞い落ちる
=それは行為ではない
=なぜならそこには意志がないから

このような理屈が成り立つためには、前提として「意志」なるものが必要になるわけだが、考えれば考えるほど、

「そもそも意志って何?」

という問いに絡め取られてしまう。

 

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人間に「意志」なんてものはない

それでも「人間に意志がある」というのは、多くの人の生活実感の1つだろう。

なので、まずは敢えてそれを否定することなく、

「じゃあ、その意志は、いったいどのように生まれたの?」

ということについて議論をしてみたい。

――あなたが「右手を挙げる」際、なんらかの「意志」する心の状態があって、それが動力となって右手があがる――

では、その「意志」という心の状態は、いったいどこから来たのだろうか。

たとえば、暴漢か何かに「手をあげろ!」と言われて、手をあげた状況をイメージしてみよう。

そのときあなたの内に「手をあげよう」という意志が生まれたのだとすれば、それは明らかに「外的な要因」によって生まれたのであって、そこに「受動性」が認められる。

だけど、こう反論したくもなる。

「確かに手を上げたのは暴漢に脅されたからだ。だけど、脅された後に『手をあげよう』と意志したのは他でもない僕自身だ。だから、僕の意志は能動的なものなんだ」

一見まっとうな反論に聞こえるが、だけど、ここには依然として問題が潜んでいる。

なぜなら、「手をあげよう」という意志が能動的であるためには、「意志することを意志する」必要があるからだ。

そしてやっかいなのは、そこで終わりにならないという点だ。

つまり、そこからさらに「2番目の意志を意志する」必要が生じるし、続いて「3番目の意志を意志する必要」も生まれ、4番目、5番目……と無限退行に陥ってしまうのだ。

【 右手を上げるという行為 】 ← 右手を上げようとする意志 ← それを生み出す意志 ← それを生み出す意志 ← それを生み出す意志 ← それを生み出す………

といった具合に、右手を上げるための「究極原理」にたどりつくことは永遠にできない

さて、「右手をあげよう」というあなたの意志は、いったいどこから来たというのだろうか。

あなたのその行為は、本当に「能動的」なのだろうか。

ここでもう一度、右手を上げてみて欲しい。

その動力は一体、なんなのだろうか。

以上の議論を踏まえると、

「ひょっとして、人間に意志なんてないんじゃないか」

そんな仮説を立てた方が、なんだかまともにさえ思えてくる。

 

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「決定論」=人間に“自由”はない

そもそも「人間に意志はあるのか?」を問い出したのは、「人間と枯葉の違い」を明らかにするためだった。

だけど、ここにきて「人間には意志がある」ということが、どうも怪しくなってきた。

となると、

「人間の行為」も「枯葉が舞い落ちる」のも本質的には変わらない

ということになりそうである。

実は、この考えは別に突飛なものではない。

ここで思い出して欲しいのは、

そもそも人間も枯葉も、どちらも「自然物」という点で変わらない

ということだ。

人間も葉っぱも、どちらも原子や分子でできている。

それは人間の「脳」だって変わらない。

これまで議論をしてきた「意志」なるもの、もしそうしたものが実在するとして、それを生み出すものは何かと言えば、やはり「脳」ということになるのだろう。

そして、その「脳」は、原子や分子からなる自然物なのだ。

ここを突き詰めて考えていくと、驚きの結論に行き着いてしまう。

それは、

「人間に自由はない」

といったものである。

人間の脳も自然物であるとすれば、当然、自然の物理的なルールに支配されることになる。

そのルールとは、要するに因果律のことである。

「ビリャードの玉」を想像すると分かりやすい。

転がった球は別の球に当たり、その球も転がり別の玉に当たり、さらにその球も転がっていく……

原因は結果を生み、その結果もあらたな結果を産むのがこの世界であり、人間もその一部であるとすれば……

仮に、あなたが「よし、右手を上げよう」と意志したとしても、それは物理的なルールによって生み出された「自然現象」でしかない。

「よし、今日の昼食はラーメンにしよう」とか、

「よし、今日こそあの子に告白をしよう」とか、

「よし、第一志望はあの学校にしよう」とか、

そうした人生のおける選択の全ても、あなたが決定してきたことではなく、すべては宇宙が生まれた瞬間に物理的に決定されていた、ということになる。

 

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「決定論」の様々なパターン

――この世界は自然法則(因果律)に支配されている――

こうした考えを、哲学では「決定論」と呼ぶ。

ただ、決定論と一口によっても、そのテンションは人それぞれ

たとえば、現代哲学界の「決定論者」の代表格に、デネットという哲学者がいる。

デネットも「世界は因果律に従っている」といったことを前提に哲学を展開するわけだが、彼の哲学が一味違うのは、

「それでも、この世界には人間の自由意志が入り込む余地がある」

と主張する点だ。

デネットの主張の根拠には、

「この世界を粒子レベルで見たときに、予測が不可能なパターンが生み出されている」

という量子力学的な見地があるのだが、実際そこに「人間の自由」の可能性や「心の正体」を暴く糸口を認める哲学者は少なくない。

「“決定論”と“人間の自由意志”は両立する」という考えは「両立論」と呼ばれ、逆に「“決定論”と“人間の自由意志”は両立しない」という考えは「非両立論」と呼ばれる。(まんま!)

それらを整理したのがこちら。

【 両立論 】(  )内は哲学者の名前

基本姿勢
……決定論と自由意志は両立できる

「意識は因果律に従う意識と、自由意志の2階建てになっている」(フランクファーク)

「ミクロのレベルでみれば世界は予測不可能で、そこに自由意志が入り込む余地がある」(デネット)
【 非両立論 】(  )内は哲学者の名前

基本姿勢
決定論と自由意志は両立できない

「決定論は間違っているので、自由意志は存在する」(ロバート・ケイン)

「決定論は正しいので、自由意志は存在しない」(アインシュタイン)

「両立論者」の多くが「この世界は因果律に従っているけど、自由意志が入り込む余地がある」と考えていて、彼らの論は「柔らかい決定論」と呼ばれている。

また「非両立論者」には2パターンいて、「決定論は間違っている」とする人たちと、「決定論は正しい」とする人たちがいる。

前者は「自由意志論」と呼ばれ、ロバート・ケインなんかが有名だ。

後者は「固い決定論」と呼ばれ、あのアインシュタインなんかが有名だ。

なお、この記事で主に紹介してきた考えというのは、この「固い決定論者」の哲学である。

 

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「固い決定論」の妥当性

いまほど紹介した「決定論」の中で、もっとも刺激的で、もっともグロテスクなのが「固い決定論」だといっていい。

「宇宙が出来たときから、この世界は決定されている。人間の自由意志が入り込む余地はない」

これは僕たちの実感から遠く隔たった考えであり、にわかに信じがたい主張だ。

だけど、この主張は固く論理武装されていて、反論することがとっても難しいのだ。

まず、“意志”を生み出している僕たちの「脳」が自然物だとすれば、当然、自然の因果律に縛られていて、そこには人間の「自由意志」は存在していないことになる。

では仮に、こう考えてみるとどうなるだろう。

「そんな決定論は間違いで、人間の行為にはいかなる原因も関係していない」、と。

「いかなる原因も関係していない」というのは、言い換えれば「全くの偶然」ということになる。

そして、「全くの偶然」というのは、「人間の意志が存在していない」と言っているも等しく、つまり結局のところ、人間の自由意志は存在しないという結論になる。

要するに、チェックメイトなのである。

  • 因果律に支配されている → 自由意志はない
  • 因果律に支配されていない → 自由意志はない

こんなふうにどっちに転んでも、つまり決定論が真であろうがなかろうが、「人間に自由意志はない」という結論に至ってしまうわけだ。

どうだろう。

これが「固い決定論者」のロジックである。

そして、最後にちょっとした怖い話を。

近年の脳神経科学者らの研究に寄れば、

「人間の思考が生まれる一瞬前に、脳はすでに発火を始めている」

という。

つまり、「手を上げよう」と、人間が考えるよりも一瞬(0、2秒)早く、脳はすでに「手を上げる」ための反応を始めているというわけだ。

果たしてそれは自ら「手を上げた」ことになるのだろうか、脳に「手を上げさせられた」ことになるのだろうか。

やはり、人間の自由意志なんてものは錯覚なのではないか。

そんなことを考えさせられる科学的な根拠の1つである。

――人間に自由意志はある? それともない?――

あなたの立場は、さあ、どっち?

 

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おわりに「哲学」は“薬”にならない

以上、哲学のテーマ「自由意志」をとりあげ、その主な議論や問題の所在について解説をしてきた。

「人間に自由意志なんて存在しない」

突然そんなことを言われても、正直、僕たちの生活実感から大きくかけ離れているし、にわかには信じられない主張である。

もちろん「自由意志は存在しない」なんて信じられなくてもいいし、信じる必要だってない。

ただ「自由」とか「意志」というのは、僕たちが思っている以上に不可解で、考えれば考えるほどグロテスクなものなのだ。

どうだろう。

今まで当たり前だと思ってきたこの世界が、途端によそよそしく感じられてこないだろうか

こんな風に、「哲学」というのは本来、スリリングで、不気味で、怖ろしいものなのである。

さて、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

記事を読み終えたあたなは、ひょっとしてこんな風に感じたかもしれない。

いや、こんな問題、そもそも答えなんてでないし考えるだけ時間の無駄でしょ

はい、まったくもってその通り。

哲学なんてやったって、時間の無駄なのだ。

病気が治るわけでもないし、出世するわけでもない。

名声が手に入るわけでもないし、お金持ちになれるわけでもない。

いや、なんならこんなメンドクサイことを考えていたら 友だちが減るかもしれないし、彼女にフラれるかもしれないし、社会的な信用を失ってしまうかもしれないのだ。

哲学は「毒」にこそなれ、「薬」になることはない。

だけど、哲学することは、上記の通りとってもスリリングであるし、おもしろいと僕は思う。

というより僕自身、やっぱり不思議でならないのだ。この「世界」ってやつが。

「世界って本当は存在していないんじゃないの?」とか

「時間が“流れる”っていうけど、一体何が流れてるの?」とか

「僕が死んだら、僕は、この世界はどうなるの?」とか

少しでもそうした問いにとらわれてしまったことがある人にとって、哲学はとっても親和性のある世界だ。

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