考察・解説『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)ー推しに見られる宗教性-

文学

はじめに 「推し」の定義は難しい

あなたには「推し」はいますか?

と、10代や20代の若者にアンケートをとれば、9割近い子たちが、目を輝かせながら、「います!」と答えると思う。

人によっては、聞いてもいないのに、「推し」の名前や素性をあげ、いかに「推し」が尊いか、いかに「推し」が自分にとって大切な存在かを語ってくるかもしれない。

それくらい、いま日本の若者たちには「推し」文化が浸透している。

そもそも、「推し」とは何か

それを言葉で厳密に説明することは、いまのぼくにはできなそうだ。

一世代、二世代上の人たちが理解できるように、むりやりに変換を試みても、ぴったり当てはまる言葉を見つけられないからだ。

たとえば、昔は、「〇〇のファン」とか「〇〇のおっかけ」とか「〇〇のオタク」とか言っていたと思うのだが、

それを利用して、若者に対して、「この〇〇に当たるのが、『推し』なんだよね?」と、尋ねてみたとしよう。おそらく、

「そんなに軽くない!」

「一緒にすんな!」

「おっかけとか草!」

と、猛烈に批難を受けると思う。

「推し」とは、何か彼らの「実存」レベルで大きく作用している存在らしい。

ちなみに、ぼくら世代は、と言えば、主にアイドル辺りを愛好していた。

特に、「●●派」と「▲▲派」の二大勢力が生まれ、

「おまえ、どっち派?」

みたいな質問が日常的に飛び交ってもいた。

ただ、現代の「推し」はそう単純ではないらしい。

なぜなら、その特徴として、以下の2点があるからだ。

  • 「推し」の対象は多岐にわたっていて、千差万別である点
  • 「推し」の対象は実在の人物だけでなく、アニメや漫画のキャラでもある点

たとえば、クラスに40人いたとすれば、その「推し」も実在・非実在含めて、30近くいると思われる。

以上のことからみて、「推し」というものが、現代に生まれた新しい概念、新しいムーブメントであることは間違いないだろう。

なお、「推しを推すこと」を彼らは「推しごと(お仕事)」と呼んでいる。

じつは、ぼくは以前から、「推しごと」をする人たちの心理について、ずっと興味を持っていた。

それをざっと挙げてみれば、こんなところだ。

  • 多くて数万人のライバルがいるにもかかわらず「推し」との一対一の関係を信じて疑わないのはなぜ?
  • 一見して恋敵のような「推しごと」仲間と、時に奇妙な信頼関係を築けるのはなぜ?
  • 「推し」を虚構だと認めながら、自身の存在をかけて信奉できるのはなぜ?

ちなみに、「推しごと」をする彼らの実態は、SNSなどでも見ることができる。

それを以下、(ぼくの偏見も含まれてるかも知れないが)紹介してみたい。

  • 「きょうは、推しの誕生日。生まれてきてくれてありがとう。尊い」
  • 「デビュー時はあんなにかわいかったのに、立派な大人になったなあとしみじみ。尊い」
  • 「推しが笑ってくれるだけで、今日も生きていける。尊い」

と、こんなところだろうか。

で、結局、推しへの愛って何なのだろう。

  • 片思い?
  • 家族愛?
  • 宗教的な愛?

その全ての総合が「推し」への愛なのだ

と、ぼくは今のところ認識している。

そして、前振りが長くなったが、今回おすすめしたいのは、

『推し、燃ゆ』(宇佐見りん 著)

2020年下半期、芥川賞を受賞した作品である。

なお、芥川賞作品についてこちらで紹介しているので、よろしければどうぞ。

作品の概要

作者宇佐見りん
発行年2020年
発行元河出書房新社
ジャンル純文学・中編小説
テーマ神なき現代の”推し”文学
\『推し、燃ゆ』は Audible が オススメ!

作者について : 文学的絶対音感

本書の設定は、

  • 主人公は女子高生の「あかり」
  • 彼女はその存在をかけて、「上野真幸」というアイドルを「推し」ている
  • ある日「上野真幸」がファンを殴って炎上する。

といったところだ。

本作の作家は「現役女子大生」なので、SNSを通じた若者たちの交流や、「推しごと」に励む若者の心理とが、作家の実感に基づいて、よりリアルに描かれているようだ。

まさに、生まれるべくして生まれた、いまどきの「推し」文学だといえる。

ぼくが初めて、「『推し』について書いた作品があるらしい」という情報を得たとき、上記の経緯もあったため、「どこぞのだれか分からんが、よくぞ、やってくれた!」と、叫ばんばかりに、Amazonで即ポチった。

そして、ページを開き、冒頭の2文を目にした瞬間、一気にその世界に引き込まれてしまった。

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。

作家の高橋源一郎氏は、とにかく、作者、宇佐見りんを評価してるのだが、特にこの出だしを高く評価している。

いわく、「ここを読んだ瞬間、芥川賞受賞を確信した」だそうだ。

そして、高橋が評価しているように、ぼくも宇佐見りんという作家に対しては「天才」という言葉を、惜しげもなく使えてしまう。

では、具体的にどの辺に宇佐見りんの「才能」が表れているのだろう。

乱暴に3つまとめると以下の通り。

  1. 文学的に完成度の高い描写やフレーズ
  2. 繊細で巧みな心理描写
  3. 飽きさせないストーリー展開

特に注目したいのは【1】と【2】だ。

これについては、もはや神がかってさえいる。

なんというか、もし仮に、ぼくがこれから何十年、何百年、死ぬ気で努力をしたとしても、絶対にこんな文章は書けない。

それを若干20歳そこそこにして書き上げた宇佐見りんは、文学的な奇跡、天才、というか、バケモノだと思うのだ。

とになく、読んでいて、存在に突き刺さると言おうか、はらわたが震えると言おうか、そんな言葉を操るのが、宇佐見りんという作家の最大の魅力だ。

そうしたインパクトの総体は、すべて読み終えたあとに、潮のように押し寄せてくるので、ちまちまと引用したところで、なかなか伝えることが難しいけれど、この作品の中には、印象的なフレーズが沢山あるので、それを紹介してみたい。

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる

こういう表現はとてもうまいと思うし、

推しを押すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

といった具合に、「推し」=「背骨」という、言葉の選び方に唸らされる。

これだけに限らず、宇佐見りんの情景描写や心情描写を読んでいると、彼女には「世界を解釈しよう」という意図などなくて、世界の方から彼女に流れ込み、彼女はただそれを「語らされている」のではないか、という気にさせられる。

「上手に書こう」といった、打算は1ミリもなく、彼女が普段見ている世界を、彼女の実感に深く深く沈んでいって、そこから丁寧に言葉を拾っている、そんな印象を持つ。

つまり、まあ、言ってしまえば、天才ということになるのだ。

高橋源一郎は、彼女のその才能について、

「文学的な絶対音感がある」

と表現している。

凡庸な作家が努力しても努力しても認識できない世界、表現できない言葉を、彼女はネイティブで認識・表現してしまうということなのだろう。

 

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主人公について :「あかり」の生きづらさ

さて、この作品、もちろん「推しごと」をする人の心理について、考えさせられるきっかけにもなるのだが、実は、もっともっと深く、人間の普遍的なところに迫っているといえる。

それは「生きづらい人間の切実さ」である。

主人公「あかり」は、文字通り彼女の生活のすべて、彼女の存在をかけて、アイドル「上野真幸」を信奉している。

その背景にあるものこそ、彼女自身が抱えている「生きづらさ」なのだ。

作品で徹頭徹尾描かれているのが、この「あかり」の生きづらさだと言っても良い。

学校も、家族も、バイトも、なぜか「あかり」とはチグハグに進んでいて、彼女はうまく立ち回ることができない。

「あかり」が心から自分らしくいられる瞬間は、彼女の現実世界にはなくて、唯一、自分らしくいられる瞬間は「推しごと」をしている時だけだ。

現実世界の隅から隅まで、生きにくさを感じている彼女は、自分の存在をまるっと、アイドル「上野真幸」に委ねていると言って良いだろう。

「上野真幸」に自らをゆだねることで、「あかり」は「あかり」でいられるし、彼女の存在の確かさが増していく。

考察① :「推し」と「宗教」の共通点

唐突だが、ここに、仮に3つの部族があるとしよう。

  1. ある部族Aは、トラを信仰している。
  2. ある部族Bは、トリを信仰している。
  3. ある部族Cは、ウサギを信仰している。

それぞれの部族は、それぞれ異なる動物を信仰している。

こういう宗教形態を、文化人類学では、「トーテミズム」と呼ぶ。

原始宗教の一形態だ。

さて、このように見てみると、このトーテミズムと「推しごと」の構図、とてもよく似ていることに気が付く。。

「推しごと」という行為には、少なからず宗教性があるとぼくは思っている。

ちなみに「宗教」という言葉を分解すると、「宗(むね)」となる「教え」となる。

よく日本人は「自分は無宗教」だというが、「宗」となる「教え」が、「宗教」なのだとすれば、この世界に「無宗教」である人間はほとんどいない。

なぜなら、誰しもが何かしらを「宗」として生きているからだ。

「宗」は、神や仏であるとは限らない。

「お金」を宗にしている人もいるだろうし、「仕事」を宗にしている人もいるだろうし、「健康」を宗にしている人もいるだろうし、「自分自身」を宗にしている人もいるだろう。

要するに、既存の宗教ではないにしても、みんな何かを信じて生きているのである。

何が生活の中心なのか、何が生活の「背骨」なのか、その違いだと言っていい。

とすると、生きるとは何かを宗とすること、つまり、

生きるとは、何かを「推す」ことなのだ

とさえ言えるだろう。

世間の中に自分自身の背骨を見つけられない人たち、つまり「生きづらい人たち」にとっては、自らの背骨を「非世間」に求めなくてはならない。

世間の価値観に絶望した時、人々は宗教を求める

そうした事実を確認したうえで、改めて「あかり」の姿に目を向けてみよう。

すると、非世間である「上野真幸」を「推す」彼女の切実な姿が浮かび上がってくる。

ぼくはそこに、宗教の本質を見るのだ。

 

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考察② :「あかり」は救われるのか

存在をかけて、何かを求める。

それは、人間としてとても尊いことだとぼくは思う。

なぜなら、そこまでの信念を持てる人というのは、本当にまれだからだ。

そして、そういう人というのは、根本的なところで救済に最も近いところにいると言ってもいい。

しかし、この『推し、燃ゆ』には「あかり」の救済は存在しない。(もちろんラストシーンにはいろんな解釈があると思う。)

なぜ、「あかり」は救われないのか。

自分を委ねる先が「人間」だからだ。

人間ほどあてにならないものはない。

存在をかけて信仰するには、あまりに頼りない存在だ。

当然、「ファンを殴る」し、「ファンと寝る」し、「ファンに内緒で恋人をつくる」し、「ファンに内緒で結婚もする」し、結果的に「ある日突然引退して、目の前から姿を消す」ことになる。

そんな可能性のある「推しごと」は、果たして「宗教」になりえるだろうか。

そんな「推しごと」は、果たして「あかり」たちの救いになりうるだろうか。

その答えは明白だ。

まとめ : 「推し」は神なき現代の日本が生んだ宗教形態

ということで、ぼくは『推し、燃ゆ』を読んで、「推し」にはある種の「宗教性」があると思った。

そして、「推しごと」とは、なんら特別なことなんかではなく、誰しもが抱える「何かを信じたい」という切実な思いに根差していることが分かった。

そして、今まであまり理解できなかった彼らの行動様式にも、ある一定の理解を得ることができた。

なんなら、彼らをいとおしく思えそうでもある。

宇佐見りんのすごさは、「推し」という特定のムーブメントを扱いつつ、「生きづらい人」の姿と、その「切実さ」と、それゆえの「いとしさ」を描き切ったことなのだと結論して、この記事を締めくくりたい。

ちなみに、ぼくは密かに、ある1つの愉快な想像をしている。

それは、1000年後、歴史の教科書で、

『かつて日本には「推し」という宗教形態が存在し、その信仰の対象は千差万別であった』

と紹介されている未来である。

次に読むならこれ

まず、芥川賞作品に興味を持った方はこちらをぜひ参考にしてみてほしい。

最後に、『推し、燃ゆ』を読んでおもしろいと思った人に、おすすめの本を紹介しようと思う。

『推し、燃ゆ』で描かれたのは「生きづらさ」を抱えた女性だった。

以下で紹介するのは、あかり同様「生きづらさ」を抱える女性が主人公の純文学だ。

『かか』(宇佐見りん)

これは、個人的に『推し、燃ゆ』よりも、はるかに凄いと思っている。

彼女のデビュー作であり、文藝賞受賞後、三島由紀夫賞受賞

デビュー作で三島賞受賞を持った作家は、過去にも数えるほど。

なお、宇佐見りんが作り出した架空の「かか語」という文体を採用し、これが完璧に成功している。

『くるまの娘』(宇佐見りん)

宇佐見りんにとって、芥川賞第1作にして、通算3作目の中編小説。

テーマは家族。

宇佐見りんの『くるまの娘』も、1つの「家族の不幸」を切り取った作品だと、僕は解釈している。

家族の「どうしようもさな」「ままならさ」が、残酷なまでに淡々と描かれ、読者の胸をえぐってくる、

本書は間違いなく「家族という不条理」に苦しんだことのある人間に突き刺さる作品だ

決して愉快な読書体験にはならないが、「家族ってなに?」と問わずにはいられない、すべての人たちにおすすめしたい。

【参考 解説・考察・あらすじ『くるまの娘』―“家族”という牢獄、“愛”という支配―

『こちらあみ子』(今村夏子)

主人公の「あみ子」は純粋な心を持つ少女。

彼女と世界との間には埋められない溝があって、彼女の優しさはなぜか周囲をいら立たせていく。

あみ子が周りを幸せにしようと思えば思うほど、彼らの生活が壊れていってしまう。

そして、あみ子は疎んじられ、厭われてしまう。

どうしてあみ子はこうも生きづらいのだろう。

純粋すぎることは罪なのだろうか。

読みながら、そう問わずにはいられないだろう。

【 参考 考察・解説『こちらあみ子』(今村夏子)― 純粋という美しさ ―

『むらさきのスカートの女』(今村夏子)

2020年の芥川賞受賞作

街で有名な「むらさきのスカートの女」

彼女は、お決まりの公園の、お決まりのベンチに座り、お決まりのクリームパンを食べている。

そんな都市伝説みたいな彼女と、「私」は友達になりたいと思っている。

この作品は「私」による一人称の語りで、「むらさきのスカートの女」について語っていくのだが、次第に読者はなに不穏なものを感じ始める。

この「私」……何かが変なのだ。

果たして「私」とは誰なのか。

「むらさきのスカートの女」なんて、本当に存在するのか。

誰が正常で、誰が以上なのか。

ぜひ本書をとって、自分なりの解釈を楽しんでみてほしい。

【 参考 解説・考察『むらさきのスカートの女』―「語り手」を信じてよいか―

『コンビニ人間』(村田紗耶香)

2016年の芥川賞受賞の、ザ・「生きづらい人」文学。

36歳未婚女性、古倉恵子は、大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。

彼氏も作らず、結婚もしない彼女を、周囲は「異常」と呼ぶ。

だけど、筆者は読者にこう問うてくる。

「異常だなんて、一体、だれが決めてるの?」

村田紗耶香の作品は、とにかく「異常って何?」という強烈なメッセージがあるが、それは本作も同様。

哲学的な主題を扱いながらも、不気味に、おかしく、おもしろく、秀逸な文学にしたてあげている。

自分たちは「まともだ」と、平穏にあぐらをかいている読者を、じわじわと揺さぶってくる1冊。

【 参考 解説・考察『コンビニ人間』村田沙耶香)ー異常だなんて誰が決めた? ー

”耳読書”「Audible」がおすすめ

『推し、燃ゆ』にはAudible版もある。

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【 参考記事  芥川賞作家らも注目! Audible(オーディブル)の可能性を徹底解説

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