「受賞作なし」の連続
芥川賞受賞作品まとめ ・1950年代「芥川賞」おすすめ9選 ―戦後文学の全盛― ・1960年代「芥川賞」おすすめ7選―女性作家の台頭― ・1970年代「芥川賞」おすすめ6選―文学に吹く新しい風― ・1980年代「芥川賞」おすすすめ3選―空前絶後の❝暗黒時代❞― ・1990年代「芥川賞」おすすめ6選 ―現代女流作家の躍進― ・2000年代「芥川賞」おすすめ10選 ―個性派ぞろいの作家たち― ・2010年代「芥川賞」おすすめ10選 ―バラエティ豊かな傑作たち― ・2020年代「芥川賞」おすすめ7選 -直近全作品を読んだ上で厳選―
こんなことを言うのは大変心苦しいのだけど、1980年代は芥川賞史上における暗黒時代だと言っていい。
まず「受賞作なし」がここまで連続するのは、後にも先にも例を見ない。
- 1980年上…受賞作なし
- 1981年下…受賞作なし
- 1982年上…受賞作なし
- 1983年上…受賞作なし
- 1984年上…受賞作なし
- 1985年上…受賞作なし
- 1986年上…受賞作なし
- 1986年下…受賞作なし
- 1989年上…受賞作なし
どうだろう。
全20回の選考のうち9回が「受賞作なし」なのである。
1986年に至っては、年間を通して受賞作が出ていない。
ここまでを読んで、
え? 芥川賞って「受賞作なし」とかあったの?
と驚いた人も多いのではないだろうか。
というのも、昨今の芥川賞を見てみれば、「受賞作なし」という例はほとんどないからだ。
1番近いところでは、2011年上で「受賞作なし」という結果になっている。
こういっちゃアレだが、50年代、60年代とかの作品と、現代の作品を比べてみると、
え、これが受賞作ですか?
と感じてしまう作品がたまにある。
これは完全にぼくの憶測だけど、昨今の芥川賞は、
「とにかく受賞作を出したい」
「とにかく話題が欲しい」
という、出版社側の切実な思いが働いているのではないだろうか。
だから、選考の水準を多少落としてでも、基本的には賞を与える方向で動いている。
そんな観点で、1980年代を眺めてみると、
「レベルが低ければ、受賞作を出さない」
という、ある種の毅然とした選考姿勢が見て取れ、コマーシャリズムに迎合しない文壇の姿勢というものをぼくは感じる。
さて、そんな80年代からオススメ作品を厳選しようと思ったのだけれど、正直のところ「これぞ」という作品が少なかった。
というのも、そもそも80年代の受賞作家で今もバリバリ活躍しているっていう作家が少ないし、なにより受賞作自体が「絶版」というありさまなのだ。
いきおい、ここで紹介できる作品も限られてしまい、結果的に3作品に留まってしまった。
ただし、この3作品についてはどれもオススメできる作品であると、きちんと強調しておきたい。
前置きが長くなってしまい申し訳ないが、以下で3作の紹介をしていく。
『スティル・ライフ』(池澤夏樹)1987年
作者について
北海道は帯広に生まれる。
父は、なんとあの「マチネ・ポエティック」の福永武彦。
偉大な詩人を父に持つ池澤だが、彼もまたスタートは「詩人」だった。
埼玉大学の物理学科を25歳で中退すると、30歳の時にギリシアへ移住。
三年間を経て帰国すると、詩集『塩の道』を出版。
その後は「詩作」に限らず、「翻訳」や「評論」「エッセイ」など幅広く文筆で活躍した。
そして42歳の年に『スティル・ライフ』で芥川賞を受賞。
その後の作家としての活躍は凄まじく、ベテラン作家を対象とした純文学賞の権威「谷崎潤一郎賞」を始め十以上の文学賞を受賞している。
2007年には紫綬褒章も受章した。
ということで間違いなく池澤夏樹は80年代を代表する、また、現代の文学界における重鎮クラスの作家である。
ちなみに、彼の仕事として最も有名なのは、
「世界文学全集」(河出書房)
「日本文学全集」(河出書房)
の編纂だろう。
とくに「日本文学全集」は、とても魅力的なシリーズで、川上未映子、江國香織、町田康、森見登美彦、角田光代など、豪華すぎる面々が現代語訳に参加していて、池澤自身も『古事記』を現代語訳している。
参加している作家らは、現代の文学を牽引するビッグネームばかり。
しかも、作家と古典作品との相性もバッチリ、完璧な組み合わせだ。
「だれが何を訳したか」は、ここでは紹介しきれないので、以下のページを参考にしてもらえればと思う。
作品について
池澤夏樹がもともと「詩人」だったことは、すでに述べた。
彼の小説の特徴として、静謐で美しい詩的な文体がある。
受賞作『スティル・ライフ』も、彼の文体の美しさが光っている。
それでいて、描かれた世界も社会的に開かれている。
- 主人公「ぼく」は染色工場に務めている。
- そこに、佐々井という男が入ってきた。
- やがて2人は意気投合。
- あるとき、佐々井は「ぼく」に仕事の話を持ちかける。
- それは株の売買、すなわち「投資」の話だった。
- 「ぼく」は染色工場を休職し、佐々井とともに小さな部屋の一室で「投資」の仕事をする……
と、あらすじはこんな感じだ。
『スティル・ライフ』には、奇抜な設定も物語の起伏もない、ある意味で平板な物語だ。
だけど、「やりたいことが分からない」「自分の人生が定まらない」そんな若者の姿を、静かに誠実に肯定してくれる優しさがある。
また、1980年代を生きる彼らだが、その生き方を見ていると、まるで現代社会を予言していたかのようなところがある。
- 定職に就くことを拒絶する
- ひとまずアルバイトで過ごす
- インターネットで仕事をする
- 物を極力持たない
- 引っ越しを繰り返す
最近でこそ「ミニマルな生活」という言葉を至るところで聞くし、定職も住所も持たずに、バックパックでホテルや民泊を転々とし、インターネットでビジネスをする若者は珍しくない。
『スティル・ライフ』が描かれたのは1980年代後半。
こんな生活をしている人などほとんどいなかった中、この「ミニマルな生活」を描いた池澤夏樹の「洞察力」や「感受性」というのは、やはり特筆すべきものがある。
選考でも、その感受性の鋭さや新しさが評価された。
日野啓三は、「今回はよい選考だった」と素直な喜びを述べ、作品をこう評価している。
「これまでの文学と新しい世代の文学をつなく、貴重な作品」
「感受性の新しさと文章の質が矛盾することなく同居している」
「若い作家たちはこの作家から多くを学んで欲しい」
ここまで絶賛したのは、池澤以前に連続した「受賞作なし」といった背景があるのはいうまでもないだろう。
タイトルの「スティル・ライフ」は「静かな生活」とでも訳せるだろうか。
バブル全盛の時代のただ中にあって、池澤の作品は若者たちの目にどのように映ったのだろうか。
『尋ね人の時間』(新井満)1988年
作者について
♪私のお墓の前で泣かないでください(千の風になって)
のイメージが強すぎる作家「新井満」だが、その活躍の幅はとても広い。
作曲家、歌手、写真家、絵本画家、映像プロデューサー……
いまでこそ芥川賞には、お笑い芸人・アイドル・ミュージシャンなど「異業種」からの受賞が珍しくないが、80年代ではまだまだ珍しかった。
新潟市出身の新井満。
中学校時代は身体が大きく、相撲大会で優勝したこともあったという。
ただその感性はとても繊細で、絵画を好んだ少年はもともとは絵描きに憧れていた。
お気に入りの散歩道には、坂口安吾の「ふるさとは語ることなし」の文学碑が建っていたらしい。
彼の文学性は、そんなふるさとで培われたのかも知れない。
上智大学法学部卒業後は、電通に入社。
映像プロデューサーの傍ら、音楽活動や執筆活動を行う。
そして『尋ね人の時間』で、第99回芥川賞を受賞。
実に4度目の候補での悲願達成となった。
作品について
マルチな活度をする作家「新井満」、そんな彼の受賞作はどんな物語かというと、
勃起不全の男が、若いモデルにホテルへ誘われる物語
である。
と、こう書くといかにも卑猥な気配が漂ってくるのだが、実際に読んでみると全くそれを感じさせない洒脱な大人のラブストーリーである。
- 写真家の神島は、とある個展で圭子という女性に出会う。
- 彼女は20歳ばかりのモデルだという。
- なんでも「今朝、悲しいことがあった」とかで「しゃくり」がとまらない。
- 神島はしゃっくりの止め方を教えてあげると、圭子はお礼に「自分を抱いてもいい」と言った。
- しかし、神島は5年前からのインポテンツで、前妻とはそれが原因で別れてしまった。
- 圭子は神島の「尋ね人の時間」という写真集が気に入ったといい、2人は“実を結ばない愛”を育てていく……
この男女がつむきだす美しい交情が、選考でも評価された。
選考委員の吉行淳之介は「男女の性愛」の名手であるが、彼が作品を高く評価したことこそ、『尋ね人の時間』の本質を語るエピソードだといえる。
まさに大人の為の恋愛小説。
その詩的で美しい世界観を、ぜひ堪能していただきたい。
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『ダイヤモンドダスト』(南木佳士)1988年
作者について
受賞当時、作者 南木佳士は現役の勤務医。
彼の描く作品のほとんどは、医療現場を舞台にしている。
描かれるテーマも、一貫して変わらない。
それは「人間の生死」だ。
死にゆく人々、それに寄り添う人々、残された人々
そういう、人間の姿が、作品の最大のモチーフになっている。
芥川賞受賞後まもなく、南木佳士はパニック障害とうつ病をわずらい、勤務医を辞職している。
繊細すぎる医者にとって、日々繰り返される人間の死は、到底耐えられるものではなかったのだろう。
だからこそ、彼によって切り取られる人間の姿は、ぼくたちの胸に突き刺さってくる。
南木佳士は、エッセイもオススメだ。
特に、うつ病について述べている箇所は、人間のこころの在りようについて深い示唆を与えてくれる。
うつ病について、こう彼は語っている。
「自らの意思とは関係なく自動的に自分を処分しようとするシステムが起動する」
作品について
1982年から4度 芥川賞候補にあがるが落選。
1988年、5度目の候補作『ダイヤモンドダスト』で受賞した。( ちなみにこのときの候補者には「吉本ばなな」もいた )
- 主人公は、妻を病で失った看護士の和夫。
- 幼い息子の正史と、脳卒中で寝たきりの父と共に暮らしている。
- ある日、彼の勤務する病院に、末期癌の宣教師マイクが入院してくる。
- ほぼ同時に、和夫の父が倒れて、同じ病院に入院してくる。
- おなじ部屋になったマイクと父は、次第に交流を深めていく。
この作品には、南木佳士の誠実な死生観が描かれている。
人間の「老い」と「死」を象徴するように、秋や冬の風景が描かれるのも特徴的だ。
特に「ダイヤモンドダスト」のラストシーンは必見。
その圧倒的な完成度に、選考会ではほぼ満場一致。
黒井千次「完成度は抜きんでていた」
大庭みな子「ほとんど難点のない作品」
三浦哲郎「百回記念の芥川賞にふさわしい出来の作品」
田久保英夫「この作者の生と死を貫く垂直な視線に 一票入れた」
ここまで評価された作品というのは80年代に限っていえば、とても珍しかった。
南木佳士は決して多作な作家ではないが、その誠実な作品を今でも地道に発表し続けている。
ぼくが心から信頼できる作家の一人である。
すき間時間で”芥川賞”を聴く
今、急速にユーザーを増やしている”耳読書”Audible(オーディブル)。
【 Audible(オーディブル)HP 】
Audibleを利用すれば、人気の芥川賞作品が月額1500円で“聴き放題”となる。
たとえば以下のような作品が、”聴き放題”の対象となっている。
『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)や、『むらさきのスカートの女』(今村夏子)や、『おいしいご飯が食べられますように』(高瀬隼子) を始めとした人気芥川賞作品は、ほとんど読み放題の対象となっている。
しかも、芥川賞作品に限らず、川上未映子や平野啓一郎などの純文学作品や、伊坂幸太郎や森見登美彦などのエンタメ小説の品揃えも充実している。
その他 海外文学、哲学、思想、宗教、各種新書、ビジネス書などなど、多くのジャンルの書籍が聴き放題の対象となっている。
対象の書籍は12万冊以上と、オーディオブック業界でもトップクラスの品揃え。
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以下の記事で、さらに作品を紹介している。
「受賞作品をもっと読みたい」と思う人は、ぜひ参考にどうぞ。
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