解説「島崎藤村」人物・人生・代表作 のまとめ―自然主義の代表格ー

作家
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はじめに
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たぶん彼の名前を初めて聞くのは、中学の歴史の授業……

――島崎藤村は『破戒』で、人間と社会の現実を描きました

と、多くの人がこう習ったと思う。

そんな彼には、語るべきものが、もっともっとある。

まず、彼は日本文学における王道スタイルを確立した、文学史上とっても重要な作家である。

加えて、当時としてセンセーショナルなスキャンダルを巻き起こした、ちょっと厄介な人物でもある。

さらに、やや病的な性癖を持つ「変人」的な一面があったり、だけど私生活では沢山の悲しみを経験していたりと、彼の人生には沢山のドラマがあるのだ。

そこで、この記事では、そんな彼の波乱に満ちた人生と代表作品を紹介する。

そして、彼の文学的立場である「自然主義」とは何かについて解説しようと思う。

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島崎藤村の年表

1872年(0歳)
…岐阜県に生まれる

1881年(9歳)
…上京

1887年(15歳)
…明治学院に入学

1888年(16歳)
キリスト教の洗礼を受ける

1891年(19歳)
…明治学院を卒業

1892年(20歳)
…明治女学校の教師となる
北村透谷と出会う

1893年(21歳)
…雑誌「文學界」創刊に参加
教え子「佐藤輔子」への恋心に悩み、明治女学院を退職

1894年(22歳)
…北村透谷の自殺に衝撃を受ける

1896年(24歳)
…東北学院の教師となる

1897年(25歳)
『若菜集』

1899年(27歳)
…小諸義塾の教師になる
…秦冬子と結婚

1907年(33歳)
…再び上京
三女死亡

1906年(34歳)
『破戒』(自費出版)
次女、長女死亡

1908年(36歳)
…『春』

1910年(38歳)
『家』
妻フユ死亡

1913年(41歳)
姪の「こま子」との不義によりフランスへ渡る

1916年(44歳)
…フランスから帰国

1918年(46歳)
…こま子と再び関係
『新生』

1928年(56歳)
…秘書「加藤静子」と再婚

1929年(57歳)
『夜明け前』

1943年(71歳)
『東方の門』(未完)
…脳溢血により死去

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生い立ちと家族(0歳~)

本名は、島崎春樹。

彼の生家は、由緒正しい家柄であり、父は学者だった。

藤村は、そんな父から大きな影響を受けた。

その影響とは大きく2つ。

  • 深い文学的教養
  • 歪んだ貞操観念

である。

まず1つ目の「深い文学的教養」だが、父は幼い藤村に『論語』や『孝経』などの漢文を学ばせた。

難解な漢文を幼い藤村がどれだけ理解できたかはさておき、「文学の芽」はしっかりと藤村の内に宿った。

その芽は学生時代に花開き、藤村は西洋文学や、松尾芭蕉・井原西鶴などの江戸文学にのめり込んでいった。

作家「島崎藤村」の誕生には、学者である父の存在があったことは間違いない。

ただ、人間「島崎藤村」にも、父は大きな影響を与えてもいる。

というよりも、藤村は、彼の家族から大きな影響を与えられたと言うべきかもしれない。

2つ目の「歪んだ貞操観念」についてだが、まず、父は異母妹と近親相姦を犯している。(もっとも、当時は「由緒正しき血」を後世に残すための近親相姦はザラだった)

そして、そのことに苦しんだ母もまた、「やられたらやり返す」よろしく不倫に走る。

しかも、藤村の父と長姉は、家族関係に苦悩してか、発狂の末に死んでいる。

そんな父の姿は『夜明け前』という作品で、姉の姿は『ある女の生涯』という作品で描かれることになる。

藤村にとって家族とは、決して心安まる場ではなかった。

そんな家族から受け継いだ、自らの「業」について、藤村は「親譲りの憂鬱」と呼んでいる。

実は彼、中年になると、その家族から受け継いだ「業」によって苦悩することになる。

では、藤村の「業」とはいったい何か。

そう、藤村もまた親譲りの「歪んだ貞操観念」によって、一大スキャンダルを犯し、苦悩することになるのだ。

それについては後述する。

 

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明治学院時代(15~19歳)

9歳で上京した藤村は、15歳のころ明治学院普通部本科に入学する。

いまもそうだが、明治学院はミッション系の学校だ。

16歳のころ、藤村はキリスト教の洗礼を受ける

キリスト教が藤村に与えた影響は数多くあると思うのだが、その中でも、とりわけ大きかったのは、キリスト教の根幹ともいえる「告白」だろう。

ご存知の通り、キリスト教には「罪責告白(コンヒサン)」による救済がある。

「わたしはこんな罪を犯しました。主よ、そんな罪深い私をどうかお許しください」

っていう、例のアレだ。

ここには、

【 罪 → 苦悩 → 告白 → 神の許し → 救済 】

という構造がみられるわけだが、後年の藤村が自らの罪を「告白小説」によって、次々と暴露していった背景には、キリスト教の影響が大きくあると思われる。

なお、藤村の犯した「罪」については後ほど詳しく記そうと思う( 「歪んだ貞操観念」を思えば、うすうす察しはつくとは思うが )

その他で特記すべくは、先日したが 学生時代に西洋文学や、江戸文学に傾倒したということだろう。

次第に文学熱を高めていった藤村は、明治学院卒業後に、いよいよ創作活動に取り組んでいく。

ロマン主義時代(20~25歳)

北村透谷との出会い

文学熱を高めていった藤村は、21歳のころ雑誌「文學界」の創刊に参加する。

そして、ここで北村透谷と出会う。

北村透谷とは、日本に「ロマン主義」を広めようと苦心惨憺した文学者である。

彼は、まだまだ封建的な色濃い明治社会において、

恋愛は人世の秘鑰なり

(人世のカギを握っているのは恋愛である)

「厭世詩家と女性」より

と、当時としては刺激的な「恋愛至上主義」を打ち出した。

明治時代において、「個」と「個」の精神的な愛着としての「恋」は、まだまだ一般的ではなかった。

結婚なんかも、「家」と「家」との間で締結するものであり、「個人の思い」などは二の次三の次だった。

そこにきて、透谷は西欧から“恋愛”という概念を輸入し、その可能性について、日本人に熱く訴えかけた。

「家」だなんだって、日本は古すぎる。これからはLOVEだよ、LOVE

というわけだ。

藤村は、透谷の言葉にえらく感動して、透谷の人生観や恋愛観、そして文学観をどんどん吸収していった。

そして、藤村の血となり肉となった「ロマン主義」的精神は、詩集『若菜集』となって結実する。

「自然主義」のイメージが強い藤村だが、実は彼の文学のはじまりは、情熱的な「恋愛」を綴ったロマン的なものだったのだ。

だから文学史的にも、初期の藤村は「ロマン主義」に分類されている。

ちなみに、藤村に影響を与えた北村透谷は、25歳の若さで自殺している。

ロマン主義運動の中で「理想」を追い求めた彼だったが、その現実とのギャップに耐えられなかったのだ。

透谷の自殺が、藤村に与えた影響はもちろん大きかった。

代表作『破戒』に登場する、熱いロマンチスト「猪子蓮太郎」のモデルは透谷だと言われている。

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教え子との恋愛

明治学院卒業後、藤村は明治女学校の英語教師となる。

そして、彼の「歪んだ貞操観念」が、ここで一つの問題を巻き起こす。

それが教え子との恋愛である。

先生と教え子の恋愛というのは、今も昔も禁断の恋である。

当時21歳だった藤村は、佐藤輔子という女学生と恋をした。

が、実は輔子には、田舎に許嫁がいたのだ。

叶わぬ恋に、藤村の苦悩はいっそう募っていく。

それは、本職の授業に支障をきたすほど。

女学生たちは、ヤル気のない藤村を見かねて、

「ああ、先生はもう、燃えガラになってしまわれたのだわ」

と思っていたという。

結局、2人の恋愛は藤村の分かりやすい態度のせいでバレバレ。

こうして、禁断の恋は明るみになってしまった。

もちろん、教師という立場を考えるなら、教え子に恋をするなど言語道断。

だけど、彼の精神には、北村透谷から受け継いだロマン主義的「恋愛至上主義」がある。

「立場」よりも「理想」を取れ! と藤村の「思想」が叫ぶわけだ。

ただその一方で、藤村はクリスチャンでもある。

クリスチャンたる者「プラトニック」を守らなければならない。

年の端もいかぬ乙女に欲情するなど、神の前ではこれまた言語道断。

輔子への恋心など捨ててしまえ! と、今度は藤村の「信仰」が叫ぶわけだ。

  • 「社会規範」
  • 「ロマン主義的精神」
  • 「キリスト教への信仰」

それらにがんじがらめになった藤村は、ついにクリスチャンを辞め、輔子への恋心を断つべく教員も辞職、関西へ、東北へ、流浪の旅に出る。

この頃の体験をもとに書いた青春小説が、後に紹介する『春』である。

自然主義時代(27~38歳)

田山花袋からの影響

流浪の旅を終えた藤村は、27歳のころ小諸義塾(長野県)で再び教鞭を執る。

そして、明治女学校卒業生である「秦冬子」と結婚し、長女を授かる。

彼の生活は大きく変わった。

文学についても、次第に変化が見られるようになる。

その変化には、ある文学仲間からの影響が大きい。

その文学仲間とは、田山花袋である。

花袋の文学観は、ロマン主義「北村透谷」とは真逆だった。

その立場は「自然主義」と言われている。

「ロマン主義」が「理想」を描こうとするのに対して、「自然主義」はあくまでも「現実」を「ありのまま」に描こうとするのだ。

花袋は、「自然主義」に立つ自らの文学的方法を「平面描写」と読んでいる。

これは、作者の主観を徹底的に排除して、とにかく客観的に、いつ・だれが・どこで・何をしたかを、淡々と描いていくといった手法である。

この頃の藤村は、花袋のそんな文学観に大きく影響を受けた。

そして「詩」と決別をして、「散文」の執筆に専念するようになっていく。

その第一作が、藤村の代表作『破戒』である。

『破戒』執筆による代償

『破戒』の内容は、後ほどゆっくり紹介するとして、ここでは『破戒』執筆時のことについて紹介したい。

小諸に6年ほど滞在したのち、藤村は創作に専念すべく、再び上京する。

そして『破戒』の執筆に入る。

ただし、教職を辞した藤村に収入らしい収入はない。

いきおい、彼の家族は生活に困窮していく。

そして、ついに三女が栄養失調で死んでしまう

さらに妻冬子は強烈なストレスによって、視力が落ちてしまう。

その後も、藤村の執筆の代償として、彼の家族は苦しい生活を強いられ続けた。

しかも『破戒』は自費出版である。

もちろん、その費用は生活費から捻出される。

そんな生活の果てに、藤村35歳の頃、悲願の『破戒』が出版されるわけだが、その年に次女が、そして長女が栄養失調で死んでしまう

もちろん娘の葬儀費用などなく、藤村は自分の蔵書をつめていた箱に娘の亡骸を入れ、火葬場に送ったという。

その数年後には、冬子が出産による出血が原因で死んでしまう。

『破戒』の執筆の背景には、家族たちの苦しみと、その死があったのである。

ちなみに、小説の神様「志賀直哉」

いくら長編小説に打ち込んだからといって、子どもを殺して何になるか

と、身勝手な藤村を強烈に非難している。

うん、志賀直哉の言うとおり。

ただその一方で、こうして生まれた『破戒』を、大絶賛した文豪がいる。

それがあの夏目漱石だった。

明治の小説としては後世に伝ふべき名篇なり

漱石は、弟子への手紙で『破戒』を絶賛している。

こうして自然主義作家「藤村藤村」は、家族の死を代償に、日本文学を代表する名作を世に送り出したのだった。

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代表作『破戒』

藤村34歳の頃の作品。

被差別部落出身の青年教師「瀬川丑松」が主人公。

彼は父から

「ぜったいに、お前の出自を他人にいってはいけない」

と戒められる。

作品名は『破“壊”』と間違えられることが多いのだが、正しくは『破“戒”』

つまり「戒めを破ること」である。

しかし、瀬川丑松は作品のクライマックスで、教え子達の前でひざまずき、

「自分は新平民(被差別地域の出身者)である」

と自らの出自を告白する。

作中には、同じく被差別部落出身の「猪子蓮太郎」という思想家が登場する。

彼は「自分は新平民だ」と自ら告白して、社会の不正と真っ正面から戦っていく。

だた、その理想を遂げることのないまま、現実の前に敗北、命を落としてしまう。

この「ロマン主義的」な登場人物のモデルは、あの北村透谷だと言われている。

彼もまた、理想と現実の相克の中で、自ら命を絶った人物だった。

『破戒』は出版後、またたくまにベストセラー。

人間と社会を鋭く描いた名著として、人々から高く評価された。

自然主義文学の「記念碑」的な作品である。

代表作『春』

藤村36歳の頃の作品。

藤村は、明治女学校の教員時代「文學界」という同人誌で活動をしたのはすでに見た通りだ。

『春』は、その頃の経験をもとに書かれた青春群像物語である。

主人公は女学校の教師「岸本捨吉」

彼は教え子である「安井勝子」に対して恋をしているが、その恋は最後まで実を結ぶことはない。

また、捨吉の友人であり先輩である「青木駿一」は理想を追い求めるロマンティスト。

だが、現実の壁にぶつかり、内的煩悶のすえに自ら命を絶つ。

もちろん彼らにはモデルがいて、

  • 岸本捨吉 = 藤村自身
  • 安井勝子 = 佐藤輔子
  • 青木駿一 = 北村透谷

である。

理想と現実の狭間で葛藤しながら、自らの人生を切り開こうとする若き藤村、そんな自らの姿を写実的に描いた、彼にとって初の「自伝小説」である。

代表作『家』

藤村38歳の頃の作品。

こちらも、藤村の自伝的小説であり、自然主義の「到達点」とも言われている。

2つの由緒正しき「家」が没落していく様を描いている。

  • 小泉家 = 藤村の実家がモデル
  • 橋本家 = 藤村の姉の嫁ぎ先がモデル

といった感じで、こちらは主に藤村の身内を題材にしている。

ただ、島崎家から受け継いだ「業」が、作家「島崎藤村」に大きく影響していることを考えれば、藤村の生涯を知る上で、とても見どころの多い作品である。

藤村自身が「親譲りの憂鬱」と呼んでいた、彼の苦悩のカギが隠されているといるだろう。

 

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「新生事件」(41~46歳)

ある意味で、島崎藤村といえば『破戒』か「新生事件」だと言って良いだろう。

それくらい、この事件はインパクトがでかい。

藤村の妻「冬子」が死んだのは、彼が38歳のことだった。

その後、藤村は自宅の家事をさせるため、姪(次兄の次女)の「こま子」を迎える。

こま子は文学を愛好する少女だった。

そんなこま子が19歳のときのこと。

藤村の「歪んだ貞操観念」がここで一大スキャンダルを巻き起こす。

なんと、42歳の藤村は、自らの姪であるこま子に手を出し、あろうことか妊娠までさせてしまう

姪から妊娠の事実を告げられた藤村。

完全に身から出たサビなのだが、彼は限りなく苦悩した。

これが先述した「親譲りの憂鬱」である。

そんな彼が下した決断、それは、

パリへの逃亡 である。

実はこの頃の藤村は作家としての評価も高まり、経済的にもゆとりが生まれていた。

そんなおり、友人から「パリを見てこないか?」と誘われた藤村。

これ幸いにと、パリ行きを快諾し、こま子とお腹の中の赤ちゃんを見捨てて、単身パリへ飛んでいった。

うん、これが島崎藤村の本性なのだ。

教え子に手を出し、創作活動で家族の大半を死なせた藤村だったが、ここに来てついに彼の「ゲス」っぷりは行くところまで行き着いた感じがある。

ところが「新生事件」は、こんなところでは終わらない。

藤村がパリに逃げ隠れていたのは3年。

その3年の月日は、少なくてもこま子と、彼女の家族の傷を徐々に癒やしていた。

もちろん、それは藤村も同じで、彼もまた自らの傷( と呼ぶのはあまりに不適切だけど )を癒やしつつあった。

そこで、彼は日本に帰ってくる。

そして何を思ったか、こま子の前に現れるや、再び彼女に手を出すのだった。

こうして事件を蒸し返したこと自体けっして許されることではないが、あろうことか彼は、姪との一連の顛末を小説として新聞に発表するのだった。

その名も『新生』

この作品は、これまでの単純な自伝的な「自然主義」とは一線を画すほど、自らの行いを赤裸々に暴露するものだった。

それはもはや「告白」とも呼べる趣であるため、『新生』は「告白小説」と呼ばれている。

ところで、このタイトル『新生』の意味とはなんだろう。

これは「罪を洗いざらい白状して、新しく生まれ変わる」という意味である。つまり、

レは自らの罪と苦悩をありのまま白状して、新しいオレとして生まれ変わるんだ

という、藤村の宣言なのである。

ここには先述した「キリスト教」の「罪責告白」の影響があるといっていいだろう。

とはいえ、救われるべきは藤村ではなく、被害者のこま子ではないのか。

こま子の父(藤村の兄)は、この藤村の暴挙に対し、ついに激怒。

不徳を遂行せんとするの形跡あるは言語道断なりと言ふべし。

ただでさえ、不貞を犯したくせに、この期に及んでそれを世間様に発表するとは、ふざけんじゃねえ!

と、藤村を糾弾したのだった。

しかし恐るべきことに、藤村はそれさえも作品のネタとして世間に発表してしまう。

ことがこじれればこじれるほど、藤村の作品は凄みを増していくという、恐怖のスパイラルがここある。

兄からすれば、こま子を人質に取られたようなものである。

結局、こま子側は泣き寝入り。

彼女は台湾へと逃げざるを得ず、こうして「新生事件」はとても胸くそ悪いエンディングを迎えるのだった。

ちなみに、あの芥川龍之介は、『新生』の主人公について、

こんな偽善者、今まで見たことねえ

とその嫌悪感を漏らしている。

どうだろうか。

これが、日本を代表する「自然主義文学」なのである。

「自然主義」が行き着いた究極は、自らの汚点や暗部をあけすけに暴露する「私小説」や「告白小説」だった。

だから、当時の自然主義作家の身内は、みんな酷い目にあっていた。

頼むから、身内のことは小説に書いてくれるな

家族からそう訴えられた文豪は、じつは数え切れないほどいる。

ある意味、その極北が島崎藤村なのである。

『新生』とは、その代表的な作品なのだ。

そして、後年彼は『夜明け前』で、父をモデルにした一大「歴史小説」を描ききっている。

創作に費やした期間、実に「7年」

藤村の父はすでにこの世を去っていたが、生きていようが死んでいようが、たぶん藤村には全く関係なかっただろう。

彼はいつだって家族より創作を優先してきたのだから。

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晩年と死(~71歳)

晩年の藤村にはあまり際だった活躍はない。

ただ、若い頃の活動が評価されたのか、様々な栄誉に与ることとなる。

  • 日本ペンクラブ初代会長
  • 帝国芸術院会員
  • 日本文学報国会名誉会員

といった感じ。

自然主義作家の巨匠として、てっぺんに登り詰めたというわけだ。

また、晩年には再びヨーロッパにも訪れていて、日本の近代化への問題意識を強めていった。

そして71歳に、西洋と日本の関係を見つめた長編『東方の門』の執筆を開始するが、それが完成することはなかった。

同じ年の8月22日、藤村は脳出血のため、大磯の自宅で息を引き取ったからだ。

最後の言葉は、

「涼しい風だね」

だったという。

家族の死、新生事件・・・・・・

波乱に満ちた、というよりも波乱を巻き起こした生涯を送った藤村。

彼自身は涼しい風に吹かれながら、穏やかに逝ったということなのだろう。

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