解説「小林多喜二とプロレタリア文学」―『蟹工船』の内容や代表作家などを紹介—

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はじめに「労働者のための文学」

 

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1930年頃、日本文学に突如現れ、10年足らずで消えていった短命のジャンルがある。

それが「プロレタリア文学」だ。

これは一口にいって「労働者のための文学」というべきものであり、既存の文学とは明らかに性格を異にしていた。

そんなプロレタリア文学を担い、日本社会に革命を起こそうと奮闘したのが、今回紹介する「小林多喜二」である。

この記事では主に「小林多喜二の人生」について紹介をしつつ、「そもそもプロレタリア文学ってなに?」「プロレタリア文学にはどんな作品があるの?」という点についても解説をしていきたい。

お時間のあるかたは、ぜひ最後までお付き合いください。

 

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小林多喜二の年表

1903年(0歳)…秋田県で生まれる。

1907年(4歳)…伯父の計らいで小樽へ移住。

19??年(10代)…伯父の工場で働き学資を得て、小樽高等商業学校へ進学。文学に傾倒する。

1924年(21歳)…小樽高等商業学校を卒業。北海道拓殖銀行に就職、小樽支店に配属。

1927年(24歳)…マルクス主義に傾倒し、政治活動に踏み込んでいく。

1928年(25歳)…文芸雑誌『戦旗』に参加。『一九二八・三・一五』を発表。

1929年(26歳)…代表作『蟹工船』を発表。

1930年(27歳)…政治活動が原因で勤務していた銀行を解雇。東京へ移住する。天皇を侮辱した「不敬罪」で逮捕、拷問を受ける。

1931年(28歳)…共産党に入党。政治運動を激化させていく。

1933年(30歳)…治安当局の仕掛けた罠にかかり逮捕。築地署に連行され、警察の拷問により獄死

 

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どんな生涯? どんな人?

文学とマルクス主義

日本の「プロレタリア文学」の代表格、小林多喜二。

彼が生まれたのは、1903年(明治36年)、場所は秋田県だった。

多喜二が4歳のころ、伯父の計らいにより、一家は北海道小樽に移住。

生活は決して豊かではなかったため、多喜二は伯父の工場に住み込みで働き、自らの教育費を稼ぎ、「小樽高等商業学校」(現 小樽商科大学)に入学した。

ということで、多喜二はプロレタリア文学作家の中でも、高等教育を受けた“知的エリート”なのである。

多喜二が文学に興味をもったのは、小樽高等商業学校に在学中のことだった。

ドストエフスキーや志賀直哉なんかを夢中に読んでいたと言われているが、多喜二の卒業論文の一部に政治思想家「クロポトキン」の著作が引用されていることからも、彼はこの頃すでに政治思想にも興味を抱いていたことがうかがわれる。

大学を卒業し銀行員として働きだしたある日、多喜二はマルクスの『資本論』と出会う。

これまで社会主義とか、共産主義とか、そこまで興味がなかった多喜二だったが、マルクスの思想に魅了され、『資本論』を熱心に読みふけったという。

この時、多喜二は24歳。

その日記には、

「文学と同じくらい、マルクス主義のことを知りたい」

といったことが記されている。

作家デビュー

やがて、政治活動にのめり込みだした多喜二は、25歳のころ『一九二八・三・一五』という作品を雑誌『戦旗』に発表する。

これを載せた『戦旗』は、当局に目を付けられ間もなく発禁になってしまったが、『一九二八・三・一五』という作品の発表は、その界隈に多喜二の名を広く知らしめることとなった。

そして、そのさらに翌年、ついに代表作『蟹工船』を、同じく雑誌『戦旗』に発表した。

「自分こそ、これからのプロレタリア文学の開拓者だ」

友人にあてた手紙で、多喜二が豪語した通り、この作品は日本のプロレタリア文学における記念碑的な作品となった。

とはいえ、多喜二の「革命家」としての名が世に広まれば、その分、当局の彼に対する警戒も強まっていくことになる。

27歳のころ、政治的活動を理由に、多喜二は5年以上務めた銀行を解雇されてしまう。

「いっそ、東京へ行って、本格的に政治活動をしよう」

そう心に誓った多喜二は、ついに上京。

しかし、当局からバッチリ「危険分子」と認識されていた多喜二は、上京後まもなく「不敬罪」で逮捕される。

その理由は、『蟹工船』の中で、

「天皇に石ころでも食わせとけ!」

といった趣旨の内容を描いたことだった。

警察からの拷問を受けた多喜二だったが、ほどなく釈放。

その後多喜二は、当局の追放を逃れるため、住まいを何度も変えながら小説を書き続けた

危険を冒してまで、多喜二が執筆に執着したのは、

「小説によって革命を実現できる」

と、強く信じていたからに他ならない。

この頃、多喜二が書いた小説の多くは未完成ではあるが、なみなみならない多喜二の思いは伝わってくる。

拷問による死

しかし、そんな彼の思いは志半ばでくじかれることになる。

1933年2月10日。

多喜二は当局のしかけた罠によって再び逮捕されることになる。

すぐに築地警察署に連行された多喜二は、特高警察からの凄惨な拷問によって殺害された。

このとき、警察には、

「これ以上小林多喜二にペンを持たせるな」

という命令が下っていたと言われている。

警察はハナから多喜二を殺すつもりだったのだろう。

死後に撮影された写真を見れば、多喜二の身体には激しい暴行の跡が見られる。

  • 全身に広がる内出血。
  • 釘で刺されたような穴。
  • 首にのこった策条痕。
  • 骨折した手首と完全に折れ曲がった指。

誰が見ても、多喜二の死因が拷問であることは一目瞭然なのだが、警察はその死因を「心臓麻痺」と発表し、遺体の解剖も許さなかったという。

小林多喜二、享年30歳。

その若すぎる死とセンセーショナルな最期は、現役のプロレタリア作家たちに衝撃を与え、日本のプロレタリア文学は徐々に勢いを失っていった

 

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プロレタリア文学とは?

定義と理念

さて、ここまで小林多喜二の人生について解説をしてきたが、そもそも彼の文学の特徴である「プロレタリア文学」とは、どのような文学なのだろうか。

その定義を端的にまとめると、次のようになる。

【 プロレタリア文学とは 】

・マルクス主義思想を実現することによって、労働者階級の生活の向上を目指すための文学。

「マルクス主義」を超シンプルにいうと、

「資本主義には限界があるので、人類はいつか必ず社会主義へとたどり着く」

というものであり、いわば「人類の経済について予言する思想」である。

「資本主義 → 社会主義」という変容には、「科学的・物理的な必然性」があるとされているため、マルクスの思想は「唯物史観」とか「史的唯物論」などとも呼ばれる。

小林多喜二が標榜した「プロレタリア文学」というのは、まさに、そんなマルクスの思想を「文学」の力によって実現しようとするものなのだ。

もっと言えば、プロレタリア文学とは芸術である以前に、「社会主義を実現するための手段」なのである。

よって、プロレタリア文学で描かれる人物というのは、いかにも典型的で、没個性的な人物ばかりとなる。

実際に、小林多喜二の代表作『蟹工船』を読んでみると、そこに登場する人物のほとんどに固有名が与えられておらず、この時代の他の文学作品にくらべると、残念ながら人物造形の深みはないと言わざるを得ない。

この点が、プロレタリア文学最大の難点であり、時に「プロレタリア文学なんて真の文学じゃないよね」と批判される最大の理由なのである。

小林多喜二の死によってプロレタリア文学が急速に凋落していったのも、プロレタリア文学が社会主義を実現するための「イデオロギー装置」であり、文学的芸術性に乏しいものだったからだといえる。

第一次世界大戦の影響

そんな社会主義を実現するためのプロレタリア文学は、いつ、どのようにして生まれたのだろうか。

プロレタリア文学が、文学潮流の1つとして確立したのは、1930年頃(昭和初頭)と言われている。

ここで、少し歴史をさかのぼって、時は大正時代。

大正時代というのは、日本にとってとんでもなくバブリーな時代だった。

その最大の要因は「第一次世界大戦」である。

日本は戦争に直接参加したわけではなかったが、その代わりにご自慢の重工業を存分に生かし、他国に兵器や武器をバンバン売りまくった。

しかも、他国が戦争に気を取られているのを良いことに、日本は大陸に進出し、そこの資源もバンバン掘削しまくった。

結果、日本は経済的に一気に成り上がることになる。

こうして日本にある種のバブルが訪れ、戦争特需による多くの富裕層が生まれた。

いわゆる「成金」ってやつである。

学校の歴史の教科書に載っていた絵で、

「暗くてお靴が分からないわ」

という女性に対して、お札を燃やし、

「どうだ? これで明るくなったろう?」

とニッコリ笑う腹の出たオッサンがいたのを覚えているだろうか。

あのオッサンこそ、戦争特需によって成り上がった富裕層(ブルジョワジー)なのである。

だだ、繰り返しになるが、こうした日本の状況は戦争による一種のバブルである。

戦争が終わり昭和に突入すると、このバブルがはじけてしまう。

そこに、あの世界恐慌が不景気に拍車をかける。

工場は次々と閉鎖。

多くの労働者はクビ。

路頭に迷った人々が巷にあふれかえる。

仕事にありつけても、低賃金の重労働。

こうして経済格差はどんどん広がっていき、1日を生き延びるのに命がけの労働者が増えていった。

金持ちの文学を批判

昭和になると、戦争によるバブルははじけ、労働者たちは生きるのに精いっぱいだった。

働いても働いても楽にはならない。

起きている時間は、すべて「労働」に捧げる彼らに、いつしかこんな思いが芽生える。

――資本主義は悪だ。

こうして、労働者の中で「社会主義」を求める機運は高まり、彼らの目には「マルクス主義」は救済の思想として映った。

ここまでくれば、プロレタリア文学が登場する土壌はととのったといっていい。

さて、当時の「文学」について一言いっておくと、いわゆる「反自然主義」が流行っていたころである。

その作家の多くは、お金もちのインテリばかり。

彼らは互いに文学の理念について、丁々発止の議論を交わしていた。

「文学は理知が大切だ」

「いやいや、美が大切だ」

「いーや、人道的な道徳が大切だ」

だけど、労働者たちから言わせてみれば、彼らの文学なんて時間と金に余裕のあるブルジョワジーの「道楽」でしかないのである。

「なにが理知だ、なにが美だ、なにか道徳だ! そんなものがあったって、生活は1ミリも楽になりはしないじゃないか! 俺たちが欲しいのは衣食住だ、生活だ、革命だ!

こうして労働者たちは「芸術」としての文学を批判し、「革命の手段」としての文学を求めるようになっていく。

この労働者(プロレタリアート)のための文学、これこそが「プロレタリア文学」なのである。

繰り返しになるが、この文学が登場した背景に大きな経済的格差があるのであり、プロレタリア文学が目指すのは「革命」であり、「資本主義の転覆」であり、「社会主義の実現」なのである。

プロレタリア文学が追究するのは「文章の美しさ」でもなく、「巧みな心理描写」でもなく、「物語のおもしろさ」でもない。

大切なのは文学にみなぎる「政治性」なのであり、そうした意味でもプロレタリア文学は、日本文学史上もっともイデオロギッシュなジャンルなのである。

 

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『蟹工船』その評価は?

では、プロレタリア文学の代表作、小林多喜二の『蟹工船』とはどのような話なのか。

まず、プロレタリア文学の多くは、「作者の労働体験」をベースにしているのだが、実は『蟹工船』は小林多喜二の経験をベースにしたものではない

というのも、先述した通り、多喜二は高等教育を受けたエリートであり、その職も銀行員という完全なる「ホワイトカラー」なのである。

多喜二はある日、新聞でこんな記事を読んだという。

「蟹工船上で行員らが凄惨なリンチに遭っている」

そこで多喜二は、実際に蟹工船に乗り組んだ人々から取材をし、彼らの声を小説に仕上げた、それが『蟹工船』である。

この作品では、個人を中心に据えることなく、「工員」という労働者全体を中心に据え、彼らがどれだけ過酷な労働を強いられているか、どれだけ非人道的な仕打ちを受けているかが描かれている。

登場人物のうち名前が与えられているのは、暴虐の限りを尽くす「監督 浅川」ただ一人。

彼が行う虐待の数々は、強烈な印象で描かれているわけだが、それは『蟹工船』という作品が、「資本主義こそ労働者を苦しめる根本悪である」ということを人々に伝えるための作品だからに他ならない。

そんな作品だから、当然、労働者たちは『蟹工船』を好意的に迎え、小林多喜二という作家を自分たちの「代弁者」として賞賛することとなった。

しかし、一方で、当時の文壇は決して多喜二を評価したわけではなかった。

特に、「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉は、多喜二に次のような手紙を送っている。

プロレタリア芸術の理想は何も知りませんが、イデオロギーを意識的に持つ事は如何なる意味でも弱くなり、悪いと思います。( 中略 )何かある考えへを作品の中で主張する事は芸術としては困難な事で、よくない事だと思います。

つまり、志賀直哉は、

「そもそも文学は政治の手段じゃない」

ということをやんわりと批判をしているのだ。

志賀直哉は多喜二にとって、小樽高等商業学校時代に傾倒した憧れの作家である。

きっと、多喜二にとっては、とても耳に痛い指摘であったはずだし、聡明な多喜二のことだから、きっと志賀の批判は自覚している内容だったと思う。

それでも、多喜二はその後も「政治手段としての文学」を書き続けた。

それだけ、彼の革命に対する思いは、並々ではなかったのだろう。

それはまさに、どんな拷問でも止めることができなかった、強い思いだったのだ。

その他の代表作家・作品

最後に、その他のプロレタリア作家と、その作品について紹介をしたい。

まず、プロレタリア文学運動というのは、主に3つの文学雑誌において行われた。

雑誌は創刊順に記すと、次の通りである。

【 プロレタリア文学の雑誌 】

1、『種蒔く人』(1921年創刊)

2、『文芸戦線』(1924年創刊)

3、『戦旗』(1928年創刊)

それぞれの雑誌の特徴を簡単に触れておくと、『種蒔く人』は文学運動というより、啓蒙運動がメインの雑誌なので「小説誌」というよりも「思想書」としての色合いが強かった。

そんな『種蒔く人』の同人の一部が分派して立ち上げたのが『文芸戦線』だった。

こちらは、正真正銘の社会主義文学運動と呼べるものであり、有名どころでは『セメント樽の手紙』の作者「葉山嘉樹」がいる。

葉山嘉樹に代表されるように、『文芸戦線』に集まった作家たちというのは、労働者出身の者ばかりである。

一方、『文芸戦線』の対抗軸のようにして誕生したのが『戦旗』で、小林多喜二はここで『蟹工船』を発表している。

労働者出身の作家が中心だった『文芸戦線』とは異なり、『戦旗』に集まった作家たちの多くは東大出身者を含む、高等教育を受けたインテリたちだった。

彼らはナップ(全日本無産者芸術連盟)という結社を作り、『文芸戦線』の同人たちと激しく対立をするようになっていく。

『戦旗』で活躍した作家(ナップ系の作家)の中には、徳永直中野重治佐多稲子といったそうそうたる面々がおり、今となっては「プロレタリア文学 = ナップ系作家による文学」と一般的に認識される節がある。

ちなみに、プロレタリア文学作家の中で、僕がもっとも注目するのは「黒島伝治」という『文芸戦線』で活躍した作家である。

というのも、この作家は日本文学者のドナルドキーンが、メチャクチャ評価している作家なのだ。

ドナルドキーン自身、プロレタリア文学に対して「人間を描けていない」と批判的なのだが、唯一、黒島伝治の作品だけは高く評価している。

その代表作は『武装せる市街』である。

ドナルドキーンいわく、

この作品こそ、日本プロレタリア文学運動の中から生まれたもっとも見事な小説として、高く評価されるべきものと信じる。

こちらの作品は、コアな文学ファンにはおなじみ「講談社文芸文庫」に収録されている。

プロレタリア文学が生んだ奇跡の物語。

興味のある方はぜひ一読いただければと思う。

また、2022年には『ブラックボックス』(砂川文次)が芥川賞を受賞し、「現代版プロレタリア文学」と評された。

昭和の労働者たちにとっては、「社会主義」という目指すべき明確なゴールがあったわけだが、現代の労働者たちにとっては、自分たちが目指すべきゴールがいったい何なのか分からないまま。

『ブラックボックス』は伝統的なリアリズムを継承し、現代社会の閉塞感を見事に描いた佳作だと思う。

本作については、こちらで詳しく紹介をしているので、ぜひ参考にどうぞ。

【 参考記事 解説・考察『ブラックボックス』(砂川文次)―誰もが“サクマ”である現代―

以上で、「小林多喜二」と「プロレタリア文学」の解説記事はおしまいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

日本文学を学びたい人へ

この記事にたどり着いた方の多くは、おそらく「日本文学」に興味がある方だと思う。

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