解説「泉鏡花」の人生と人物像―ロマン主義・観念小説・幻想文学の名手―

作家
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はじめに
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「泉鏡花」は知る人ぞ知る文豪で、主に明治時代~大正時代に活躍した人物だ。

今でこそ、多くの作家たちに評価される泉鏡花だけれど、当時の評価は決して高くはなかった。

なぜなら彼の作風は、当時の文壇にあってはあまりに異端で、あまりにぶっ飛んでいたからだ。

この記事では、そんな泉鏡花という作家の人生人物像について解説していきたい。

また、彼の文学的立場である「ロマン主義」や、彼の作風と言われる「観念小説」「幻想文学」についても紹介したい。

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泉鏡花の略年表

1873年(0歳)
…石川県金沢市に生まれる

1882年(9歳)
…母・鈴が死去

1887年(14歳)
…北陸英和学校退学

1889年(16歳)
…尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読み文学を志す

1890年(17歳)
…上京

1891年(18歳)
尾崎紅葉の門下となる

1892年(19歳)
文壇デビュー

1894年(21歳)
…父・清次が死去
『義血侠血』

1895年(22歳)
…博文館入社
『夜行巡査』
『外科室』

1896年(23歳)
…『照葉狂言』連載

1899年(26歳)
伊藤すずと出会う

1900年(27歳)
『高野聖』

1903年(30歳)
尾崎紅葉が死去

1905年(32歳)
…健康を害し、伊豆に転地療養

1907年(34歳)
…『婦系図』連載

1909年(36歳)
…帰郷

1910年(37歳)
…『歌行燈』

1925年(52歳)
…『泉鏡花全集』刊行
伊藤すずと入籍

1928年(57歳)
…鏡花を囲む懇親会「九九九会」発足

1937年(63歳)
…帝国芸術院会員となる

1939年(65歳)
…がん性の肺腫瘍のため死去

人物像と逸話

「潔癖症」という業

いわゆる「文豪」と呼ばれる連中には、往々にして「面倒くさい」ヤツが多い(失礼)。

かんしゃく持ちの「夏目漱石」にはじまり、かまってちゃんの王子「太宰治」、喧嘩っぱやい「中原中也」、姪っ子に手を出した「島崎藤村」、童貞をこじらせた「梶井基次郎」……

数えればきりがないのだが、泉鏡花も「面倒くさい」文豪の一人といっていい(失礼)。

では、彼はどういった点で「面倒くさい」ヤツだったのか。

それはすでに見出しでバレていると思うが、彼は極度の「潔癖症」だったのだ。

たとえば、彼は「生」の食べ物を絶対に口にしなかったといわれている。

肉や魚は言うに及ばず、お菓子だろうが果物だろうが、必ず愛用のアルコールランプであぶってから口にしていたというのだから、もはや病的である。

さらに日本酒なんかも冷や酒は絶対に飲まない。

ぐつぐつと煮沸消毒するので、アルコールなんてほとんど飛んでしまう。

それはもはや「酒」と呼ぶことのできない液体で、周囲はこれを泉燗といって揶揄していた。

この潔癖症は彼にとっては「一事が万事」で、その影響は食べ物以外の方面においても存分に発揮された。

「潔癖症」だったからこそ、彼の作家人生も唯一無二のものになったといってもいいくらいだ。

では、その潔癖っぷりが、彼の人生においてどのように働いたのか。

それは大きく、次の3つを挙げることができる。

  • 師「尾崎紅葉」に対する信仰レベルの崇拝
  • 生涯の伴侶「伊藤すず」への一途な愛
  • 自らの美学を徹底した「ロマン主義」

以下では、この3つについて詳しく解説していきたい。

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作家「泉鏡花」の誕生

と、その前に、そもそも泉鏡花は、どのように作家の道を歩み出したのだろう。

泉鏡花、本名「泉鏡太郎」は、明治6年、石川県金沢市に生まれた。

15歳の頃に坪内逍遙の作品を読み「現代小説」への関心が生まれ、翌16歳の春に尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んで衝撃を受ける。

「おれは文学で身を立てるんだ」

そう決意した鏡花は、その翌年、憧れの尾崎紅葉先生に会うため上京

……したのはいいものの、紅葉へのリスペクトが強すぎて、なかなか会いに行けない。

グズグズと町をさまよい歩く生活を1年間も送り、彼は次第に困窮していった。

だけど「このままではいかん」と、ようやく意を決した鏡花。

紅葉宅を訪れるや、鏡花の思いとは裏腹に、あっけなく入門は許された。

その日から、鏡花は紅葉の自宅に住み込みで修行に励むことになる。

掃除、洗濯、雑用……

とにかく、紅葉の身の回りの世話のほとんど全ては鏡花が担った

そうして得られるのは、月に一度の50銭(今の5000円くらい)の小遣いだけ。

その全てを半紙や筆に費やした鏡花は、使いッ走りの合間を縫って、紅葉から文筆の教えを仰いだ。

師である紅葉もまた、そんな鏡花の思いに応え、心血をそそぎ原稿を添削してやったり、出版元を見つけてやったりした。

そして、

「おまえの雅号、“泉鏡花”ってどうだ?」

と、彼のペンネームを考えてやった。

泉鏡花」という名は、尾崎紅葉から与えられたものだったのだ。

こうして、作家「泉鏡花」は19歳という若さで文壇デビューを果たした。

「尾崎紅葉」への崇拝

鏡花は紅葉のバックアップもあり、晴れて作家としてデビューした……のだけど、その第一作は残念ながらビックリするくらい不評だった。

発表してまもなく、新聞社から師匠あてに「連載中止の請求」が20通以上も届いてしまう

デビュー早々、いきなり窮地に立たされた鏡花。

だけど、そこは師匠が弟子のために一肌ぬいでやった。

「連載中止だけはやめてくれ」

そういって、紅葉は新聞社側の請求をはねつけるのだった。

ちなみに尾崎紅葉といえば、当時の文学集団「硯友社」のリーダー的存在

いうなれば、文壇における“カリスマ”である。

新聞社側も、そのカリスマの意を損ねるわけにはいかない。

ということで、鏡花のデビュー作は連載中止をまぬかれ、作品もなんとか完結。

鏡花の作家生命の灯が消えなかったのは、まさしく師匠の温かい庇護があったからだった。

そんなこともあり、鏡花の師匠への崇拝はいよいよ強くなっていく。

「俺は一生、紅葉先生についていくんだ」

その信念は、鏡花の人生において揺らぐことはなく、その強度もまた信仰レベルに高まっていった。

鏡花は、生活におけるほとんど全てについて師匠の師事を仰ぎ、その命令に背くことはなかったという。

この辺りは、精神的に「潔癖」な鏡花らしさが見て取れる。

なお、鏡花の紅葉への崇拝っぷりを語る有名なエピソードがある。

紅葉は「超」のつくほどの食道楽で、それが原因か「胃がん」で死んでしまった。

鏡花と同じく、紅葉の弟子である「徳田秋声」が、

「師匠はおかしの食べ過ぎて死んだんだよ」

といったとき、鏡花は目の前の火鉢を飛び越えて、泣きながら殴りかかった。

なんとか引き剥がされた鏡花だったが、その後もしばらくシクシクと泣いていたという。

こんな風に、もはや宗教レベルで紅葉を崇拝していた鏡花だった。

だけど、生涯でたった一度だけ、師と弟子の間に「亀裂」が走ったことがあった

それは鏡花が「伊藤すず」と同棲したときだった。

 

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「伊藤すず」との熱愛

鏡花と伊藤すずとの出会いは「硯友社」の新年会だった。

神楽坂の芸妓だった彼女と、当時26歳だった鏡花はすぐに意気投合。

ちなみに「すず」という名は、鏡花の母と同じ名前だった。

9歳のころに死別した母の姿を、すずの中に見ていたのかもしれない。

鏡花はあっという間にすずに惚れ、紅葉に内緒で同棲を開始する。

紅葉はそれを知り激怒。

「芸妓なんかにうつつを抜かすとは何事か!」

「恋愛なんざ、もっと有名になってからやれ!」

紅葉の言い分はこんな所だったらしい。

鏡花はこの紅葉の態度に対して、反発しつつも葛藤する。

代表作『婦系図』は、このときのことを描いている。

「俺を捨てるか、おんなを捨てるか」

師匠のこの言葉は、紅葉の言葉がモデルになっている。

そして、最も有名な次のセリフ。

「切れるの別れるのって、そんな事は、芸者の時に言うものよ」

これはすずの言葉がモデルとなっているが、なんともしびれる一言である。

こうして葛藤に葛藤を重ね、鏡花が紅葉に出した結論、それは、

「すずを捨てます」

というものだった。

だけど、二人は別れることなく、紅葉に隠れて交際を続けた。

しかも、なんとその半年後に、紅葉が35歳という若さでこの世を去る。

もちろん、心から敬愛する師匠の死だ。

「わーい、目の上のタンコブもいなくなったし、これですずと結婚できるぜー」

なんて、シンプルで愉快な話ではない。

鏡花はあくまでも、紅葉の義理を立てるように、すずとは内縁の関係を続けていった。

2人が入籍するのは、実に27年後、鏡花が52歳のことだった。

鏡花は師匠への義理立てと、すずへの一途な愛を貫き通したのだった。

この辺りからも、鏡花の精神的な「潔癖」っぷりが見て取れるだろう。

「ロマン主義」的立場

最後に、鏡花の作家としての「潔癖」っぷりについて解説しよう。

実は、鏡花は明治~大正の文学シーンにおいて、個性的で異端的な作家だった。

というのも、当時の文学シーンで主流となっていたのが「写実主義」だったからだ。

「写実主義」は何かというと、

「主観をすてて、世界のありのままを書こう」

という文学理念である。

実はこれ「西欧文学みたいなことを日本でもやろうぜ」という立場でもあり、後に日本で「自然主義」と呼ばれる文学潮流へと発展していく。

「自然主義」とは大正~昭和初期における日本では、完全なる「多数勢力」である。

そんな中で、鏡花は「写実主義」にも「自然主義」にもくみしない、自らの「信念」と「美学」を徹底して貫いていく。

「ありのままなんて、ちっとも美しくない」

鏡花はあくまで、文学に「美」を求めたのだった。

それは、まさに師である紅葉の「絢爛豪華な文体」にインスパイアされたものだった。

こうして鏡花は、日本の主流派から、あるいは彼らが心酔していた「西欧文学」から、敢然と距離を取り、唯一無二の作品を量産していった。

この「自らの信念と美学を貫いた」鏡花の立場……

文学史的には「ロマン主義」と呼ばれている。

ただし、鏡花は自らの「文学観」についてこう述べる。

近年自然主義々々々々という声が大分盛んに唱えられている。が、私は自然主義でも何で関わらぬ。作をする時に何主義によって書こうと思ったことはない。

そして彼はこう続ける。

「自分が書きたいことを芸術として読者に届けられれば、それでいい」

まさに自らの「信念と美学」を徹底した作家だったといえるだろう。

もし鏡花が生きていれば、「ロマン主義」なんて呼ばれるのを嫌うだろうが、やっぱり彼の文学は明治・大正を代表する「ロマン主義文学」なのである。

なお、鏡花の作品は「観念小説」とか「幻想文学」とか呼ばれるタイプのものに分けられる。

それらについては、以下で詳しく解説する。

 

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泉鏡花の評価

泉鏡花が活躍したのは、明治時代~大正時代にかけてだった。

だけど、そのころの主流は「写実主義」からの「自然主義」文学。

自らの「美学」を追い求めた鏡花は、あきらかに時代の異端児であり、残念ながら彼の評価も高くはなかった。

ただ、やはり分かる人には分かるのだ。

後に登場する文豪たちが「泉鏡花」を再発見。

鏡花はいよいよ絶賛されることになる。

たとえば谷崎潤一郎は「ストーリーテラー」としての鏡花を高く評価し、

「鏡花の作品は、映画にするのに適している」

と絶賛している。

それから、芥川龍之介は、

「明治大正の文芸に、ロマン主義の大道を打開した」

と、これまた絶賛し、「泉鏡花全集」の編集にあたった。

なんといっても、中島敦は、

「日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ」

『泉鏡花氏の文章』より

と、最大級の賛辞を送っている。

そして、現代において鏡花を再発見したのは三島由紀夫

「貧血した日本近代文学の砂漠の只中に、(泉鏡花は)咲き続ける牡丹園をひらいた」

と、いかにも三島らしい形容で鏡花の文学を讃えつつ、

「(鏡花の文学は)時代を超越している

と、時代にとらわれない普遍性を認めた。

三島は「鏡花文学」の本質を鋭くとらえていると思う。

 

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「観念小説」について

「観念小説」とは何か

鏡花の作品は「観念小説」と「幻想文学」と呼ばれるジャンルに大別できる。

ここでは「観念小説」について説明をする。

そもそも「観念小説」とは何かというと、

作者の抱いている「観念」を作品中に明白に出した小説 (日本国語大辞典より)

ということになる。

ここでいう「観念」とは、「理想」とか「理念」と言い換えてもいいだろう。

もっと言えば、それは作者の「主観」でもある。

「主観を捨てる」のが「写実主義」であるとすれば、鏡花はその反発から自らの主観」を積極的に作品に盛り込んだわけだ。

では、鏡花の主観、すなわち「理想」とはなんであったか。それは、

義務より私情を大切にするべき

というものである。

封建的な社会では、個人の思いよりも社会的地位ばかりが優先される。

個人 ⇔ 社会

その構図の中で生まれる「悲劇」というものがある。

鏡花は、明治時代以前の封建社会に対して批判的だった。

だから、彼の「観念小説」の多くにも、「封建社会が生み出す悲劇」というものが多く描かれいている。

代表作①『義血侠血』

この作品は、鏡花の初期の主要作品だ。

はじめて原稿を読んだ紅葉は、そのストーリーの「おもしろさ」を認めた。

ただし文体がいまいち

ということで、その一字一句に至るまでガッツリと添削した。

「発想は鏡花、文章は紅葉」と言われるゆえんである。

そのストーリーはすさまじい。

あるところに「白糸」という芸者がいた。

白糸は「村越欣弥きんや」という青年に恋をする。

学問への志が高い欣弥。

白糸は欣弥の学費を稼いでやり、彼を東京に遊学させる。

あるとき白糸は、欣弥のために稼いだ金を強奪されてしまう。

錯乱した白糸は、別に強盗殺人事件を犯してしまった。

裁判にかけられた白糸。

その法定に現れたのは、なんと検事になった欣弥だった。

さて、この作品で鏡花が作り出した状況をまとめれば、

検事としての「義務」をとるか、白糸に対する「私情」をとるかのダブルバインド

ということになる。

「義務」をとれば、欣弥は白糸を裁かなければならない。

「私情」をとれば、公正公平な裁判を全うすることはできない。

欣弥は一体、どんな判断を下すのか。

それについては、ぜひ実際に作品を読んで確かめてみてほしい。

衝撃的な結末が待っているので。

代表作②『外科室』

この作品は、鏡花初期の「観念小説」の中で、現在もっとも人気がある作品だ。

その理由は、ドロドロとした人間臭い「メロドラマ」性にあるだろう。

主人公の「私」は、ひょんなことから、友人の医師の手術を見学することになる。

患者は、とある美しい伯爵夫人。

彼女はなぜか、麻酔を頑なに拒絶する。

医師はやむを得ず、麻酔なしの手術に同意する。

麻酔なしにもかかわらず、まったく取り乱さない夫人。

メスが彼女の骨に達しようとしたまさにそのとき、彼女は突然身を起こす。

そして、医師に向かってこう言った。

「あなたは、あなたは、私をしりますまい!」

その謎の言葉を残した彼女は、メスを自らの胸に突き立てて果てる。

医師と夫人との間に、一体なにがあったのだろうか。

物語は、2人の過去に迫っていく……

こんな感じの猟奇的な世界観が、鏡花独特の「雅文体」によって美しく描かれている。

まさしく尾崎紅葉の「美学」を受け継いだ作品だといえる。

ただ、このぶっ飛んだ世界観は鏡花独特のもの。

ということで、当時の読者も、さすがに若干ひき気味だった。

時代に埋もれてしまった『外科室』だったが、現代においてその評価は極めて高い。

「明治文学史上高く買われてしかるべき芸術品」

といわれるほど。

当時としてはかなり異色だった鏡花。

だけど現代において、その芸術性を認める作家は多い。

なお「現代語訳で読みたい」という方にはこちらもオススメ。

 

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「幻想文学」について

「幻想文学」とは

そもそも幻想文学は、西欧文学の「ロマン派」から生まれが文学で、そこには神秘的な世界空想的な世界が描かれている。

特に、幽霊とか悪魔とか鬼とか、そうした“異世界”の存在が描かれることが多い。

日本の文学において“異世界”は、結構古くから描かれてきた。

平安時代の説話『日本霊異記』に始まり、鎌倉時代の説話『宇治拾遺物語』を経由し、江戸時代の読本『雨月物語』(上田秋成)に至るまで。

鬼とか幽霊とか妖怪とか、日本人にとって“異世界”は身近な存在だった。

泉鏡花の「幻想文学」は、それらの流れを大きく汲んでいる。

鏡花が「幻想文学」を書いたのは主に大正時代。

当時の日本の文壇では「自然主義」という潮流が支配的だった

前述の通り、自然主義とは「写実主義」の流れを汲むものであり、「日常をありのまま描く」という文学観を持っている。

鏡花は、そんな中で超然と「異世界」とか「超自然」とかを描いていたわけだ。

鏡花の尖り具合といおうか、異端ぶりといおうか、とにかく彼が時代の異端児だったことが良く分かる。

ちなみに現代にも「幻想文学」を書く作家は結構多い。

純文学畑だと、女流作家に多い印象。

たとえば川上弘美とか多和田は葉子あたりが有名。

また、村上春樹なんかも「幻想文学」とカテゴライズされるようなものを多く書いている。

代表作『高野聖』

泉鏡花の“代名詞”といっていい本作。

ザ「幻想文学」といった趣で、ここには鏡花の“異世界”への確信があらわれている。

山中で道に迷った僧侶。

夕暮れ時に、一軒家を見つける。

そこには美しい女と、白痴の男が住んでいた。

僧侶は女に事情を説明し、一晩泊めてもらうことになった。

やがて僧侶は、美しい女に性的な魅力を感じ始める。

女もまた僧侶を誘うような挙動を見せる。

僧侶はなんとか欲情を押さえ、翌日、女の家を立つ。

が、やはり女のことが忘れられない。

女のもとへ引き返そうと思っていた矢先、女の家の馬引きに出くわす。

僧侶は彼から、あの女にまつわる驚愕の事実を聞かされる。

“異世界”を描く鏡花の筆致には、ある種の説得力がある。

  • 生き生きした登場人物
  • 緊密で精彩な風景描写
  • 読者をひきつける迫真の語り

そこには、単なる「空想の産物」と片付けられない確かな“リアリティ”が存在している。

僕は鏡花の「幻想文学」を読んでいると、ふと

「鏡花には、少なからず“異世界”が見えていたんじゃないか」

と思わせられる。

もちろん、作品に「書かれているまま」の世界ではないかもしれない。

ただ、科学的・合理的な目で世界を解釈する「現代人」とは違った目で、鏡花は世界を認識していたのだと思うのだ。

鏡花には、僕たちに見えない何が見えていた。

そういうタイプの人間は、鏡花以外にも古今東西に一定数存在している。

たとえば「詩人」と呼ばれる人たちだ。

詩人の萩原朔太郎の小説に『猫町』という作品がある。

ここでは朔太郎が実際に見た“異世界”の様相が克明に描かれている。

そして、彼は作品の最後にこう書いている。

人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。

こんなふうに、“異世界”にコンタクトできる人間というのは、事実として存在しているのだ。

そういう人たちは「詩」によって、自らの体験を語り始める。

泉鏡花も、そういう「詩人」の目を持った作家だった。

彼が「幻想文学」を書き続けたのは、彼が見た“異世界”を「散文」にしたいという思いの表れだったのだろう。

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