【サピア=ウォーフ仮説】分かりやすく解説―弱い仮説と強い仮説…正しいのは?―

言葉
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はじめに「言語の奥深さ」

「あなたにとって、言葉ってなんですか?」

唐突だが、ちょっとこの問いに答えてみて欲しい。

多くの人は、きっと、こう答える。

「コミュニケーションのツールです」

いやいやとんでもない。

言葉とは、そんな軽いものではなく、もっと深くて、もっとスリリングなものだ。

きっと、言語学をかじったことのある人間なら誰もがこう思っている。

「言語とは人間存在に深く関わるものである」と。

さて、この記事では「言語の奥深さ」とか「言語のおもしろさ」を分かっていただくため、「言語学の常識」をとりあげて解説と考察を行いたいと思う。

取り上げるのは「サピア=ウォーフ仮説」である。

これは言語学の常識でありながら、いまでも議論が絶えない興味深いお話である。

また、記事の最後で、「言語学を学びたい人」にオススメの本をいくつか紹介したいと思う。

お時間のあるかたは、ぜひ最後までお付き合いください。

 

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サピア=ウォーフ仮説とは

ネーミングの由来

まずは「サピア=ウォーフ仮説」とは何かについて丁寧に確認をしておきたい。

【サピア=ウォーフ仮説とは】

言語とは世界を認識する際の“フィルター”であり、言語の違いは“世界認識の違い”である、とする説。

上記は、シンプルに分かりやすく説明したものなので、もう少し補足説明をしよう。

サピア=ウォーフ仮説は、ともにアメリカの言語学者である「エドワード・サピア」「ベンジャミン・ウォーフ」によって提唱された説である。

ネーミングだけ見ると、まるでサピアとウォーフの共同研究のようだが、実際のところはそうではない。

それぞれが、それぞれの著作において同旨の主張をしており、それらの主張がいつしか「サピア=ウォーフ仮説」とひとくくりにされたというのが実状だ。

とはいえ、ここにはきちんとした順番があって、最初に主張したのはサピアの方で、そこに後から弟子のウォーフが乗っかって、彼独自の論考を加えたのだった。

こういう事情があるため、サピア、ウォーフ両名にとっては、「サピア=ウォーフ仮説」というのはどうやら不本意なネーミングだったようで、特にウォーフの方はこのネーミングに対して、

「や、自分はサピアさんの論を援用した側の人間ですし、厳密に言えば僕が言いたいこともサピアさんと違うわけですし、ひとまとめにしないでほしいんですけど……」

と、困惑と抵抗感を示している。

ちなみに、ウォーフは人間的にも優れていたようで、こうしたウォーフの態度は彼の謙虚さの表れでもあるのだろう。

「弱い仮説」・「強い仮説」とは

では、サピアとウォーフ、両者の説には具体的にどんな共通点と違いがあるのだろうか。

サピアとウォーフの共通点 】

・言語が人間の認知や思考に影響を与えていると考えた点。

・母語が異なれば、人間の認知も思考も異なると考えた点。

以上が、両者の共通点である。

これは、

「言語とは世界を見る際のフィルターである」

と言い換えてもよいだろう。

たとえば、日本語話者には日本語話者の世界認識があり、英語話者には英語話者にあるといった具合に、言語ごとに「世界認識と思考」は異なる。

こうした、「言語は世界認識を相対化する」と主張するサピア=ウォーフ仮説は別名「言語相対論」と呼ばれている。

さて、一方の相違点であるが、これは要するに「程度問題」つまり、言語が認知や思考に与える影響の「度合いの違い」だといえる。

サピアの方はやや控えめ、ウォーフの方はかなり攻め気味、ということで、サピア主導の説は「弱い仮説」と呼ばれ、ウォーフ主導の説は「強い仮説」と呼ばれている

両者の説を端的に整理すると次のようになる。

【 弱い仮説 】= サピア主導

・言語は人間の認知や思考に多少なりの影響を与えている。(言語相対論とも呼ばれる)

【 強い仮説 】= ウォーフ主導

・言語は人間の認知や思考に根源的な影響を与えている。(言語決定論とも呼ばれる)

サピアの立場は、

「人間にはある程度 共通した認知や思考があるけれど、言語が異なれば、そこになんらかの違いが生まれるはずだ」

といった立場である。

ウォーフの立場は、

「人間には共通した認知や思考なんてありえない。異なる言語を使用する限り、双方の認知や思考は根本的に異なっている」

といった立場である。

たぶん多くの人が直感的に、「サピアはまとも」、「ウォーフはぶっとんでいる」といった印象を受けるのではないだろうか。

両者の立場は、「言語が認知や思考に影響を与える」といったことを主張した意味で共通しているが、その「程度」においては大きく異なっている。

さて、ここであえて問う。

サピアとウォーフ、どっちが正しいのだろうか。

この点については、たくさんの言語学者が様々な議論を交わしてきたワケだが、ここからは『ことばと思考』(今井むつみ著)を参考に、「サピアとウォーフ、どっちが正しいか」について考察をしていきたい。

考察「事物の切り取り方の違い」

改めてサピア=ウォーフ仮説に立てば、「言語が異なれば世界の切り取り方も異なる」ということになる。

世界はそもそも輪郭のない混沌とした“流れ”であり、それを言語が分節し秩序を与える。

それはちょうど、夜空に広がる星々に「〇〇座」という名前を与えていく行為に近い。

とすれば、当然、言語が異なれば、世界の切り取り方も変わってくるはずだ。

では、具体的に、言語の違いは、事物の切り取り方にどんな違いをもたらすのだろうか。

たとえば、極寒の地で暮らすイヌイットたちは「雪」について20以上の言葉を持つという。

日本語話者の僕なんかは「あられ」とか「みぞれ」、「ひょう」、「粉雪」、「牡丹雪」辺りがせいぜいで、とてもじゃないが「空から降ってくる冷たいH2O」を20以上も区別することなどできない。

また、もう少し馴染みのある言語を持ち出せば、英語と日本語の違いも興味深い。

たとえば、英語は「歩く」について、細かいものを上げればなんと80程度の語を持つと言われている。

一例をあげれば、

・stride …(大股で)速く歩く。
・shuffle …(すり足で)ゆっくり歩く。
・hike …(山・田舎などで)ハイキングする。
・stroll …(散歩を楽しんで)のんびり歩く。
・wander …(特定の目的・道順なく)ぶらぶら歩く。

といった具合に、英語話者はあきらかに日本語話者よりも細かく「歩く」を分節していることが分かる。

逆に日本語は英語の「rice」を「稲、米、飯」といった具合に、その農作業の過程に応じて細かく分節をしている。

ここには、日本人がもともと農耕民族だったことが大きく影響していると考えられる。

イヌイットたちが雪を細かく区別しなければならなかったのも、おそらく、天候についてそれだけ慎重にならざるを得なかったワケで、そう考えれば、言語とはその土地の気候とか、生活様式とか、つまるところ「文化」と大きく関連しているということができる。

じゃあ「文化が言葉を生み出したのか」といえば、一概にそうとも言えず、逆に「言葉が文化を生み出したのか」といえば、これも一概にそうとも言えない。

この辺りは「鶏が先か、卵が先か」の論争みたいに、決着のつかないところなのだ。

いずれにしても、言語によって「世界の切り取り方」が異なることは間違いない。

 

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考察「色の切り取り方の違い」

2色しかないダニ族

では、実際に、異なる言語話者の「認知や思考」は、どのように異なっているのだろうか。

サピアが言うように「多少の影響」にとどまるのだろうか、それともウォーフが言うように「決定的な影響」を与えているのだろうか。

それについて実験をした言語学者たちがいるので、ここからは、その事例について紹介をしたい。

まず、

「色についての言葉が違えば、見える色や見えない色があるの?」

といった問題について考えてみたい。

たとえば、パプアニューギニアのダニ族の言葉では、色の名前は2つしかないという。

一つは「明るい色」で、もう一つは「暗い色」である。

前者の典型色は、日本語における「白」で、そこからグラデーションで範囲は広がっている。

後者の典型色は、日本語における「黒」で、そこからグラデーションで範囲は広がっている。

このダニ族について「サピア=ウォーフ仮説」をあてはめるなら、彼らの目に映る世界と、日本語話者の目に映る世界は異なっていることになる。

では、ダニ族の目には、世界はどのように映っているのだろう。

ダニ族への実験

ダニ族がどのように色を認識しているか。

これについては、アメリカの心理学者や文化人類学者が「色の識別テスト」を行い、科学的に考察をしている。

たとえば、ダニ族に「さまざまな色を見せて暗記をさせる」という実験がある。

もしも、ダニ族の目に紺も紫も茶も全て「暗い色」と一緒くたに映り、ピンクもオレンジも黄色も全て「白い色」と一緒くたに映るなら、彼らは色の細かい違いを認識できないわけで、結果的に暗記テストにもうまく答えられなくなってしまうはずだ。

ところが、テストの結果、なんとダニ族は英語話者とほとんど遜色なく色を暗記することができたという。

これはつまり、ダニ族は英語話者とほとんど変わらないレベルで色を区別することができていることを証明している。

ただし、ダニ族と英語話者の色の認識が全く同じかというと、どうやらそうとも言えないようなのだ。

というのも、別の「色の認識テスト」を行ったところ、ダニ族と英語話者との間に、明らかな相違が見られたのである。

実験内容が複雑なこともあり、ここでは詳しい実験内容については省略し、結論だけを言おう。

「英語話者は多くの色の名前を持っているがゆえに、色の認識に偏りが生まれてしまった」のである。

「明るい色」と「暗い色」しか名前を持たないダニ族は、比較的ニュートラルに色の違いを識別することができたのだが、多くの色の名前を持つ英語話者は、さまざまな色の名前を持つがゆえに、ダニ族のように色の違いを識別することができなかったのだ。

ということで、ダニ族への実験結果は次のようになる。

【 ダニ族への実験結果 】

・ダニ族は英語話者と遜色のないレベルで色を区別・記憶することができた。

・多くの色を持つ英語話者は、色の識別において偏りが見られた。

 

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考察「数の切り取り方の違い」

六進法で数えるンドム語

次に、

「数についての言葉が違えば、世界の秩序にも違いが出るの?」

ということについて考えてみたい。

いうまでもなく、僕たち日本人は「十進法」というルールを採用している。

しかし、これは全世界共通のルールではない。

たとえば、ニューギニア近くにあるフレデリク・ヘンドリク島のンドム語は「六進法」に近いルールを採用している

1から6まではそれぞれの言葉があり、7は「6と1」、8は「6と2」と表現し、この調子で11まで数えるのだが、12になると「6×2」といった言い方になる。

さらに複雑なのは、これが18になると「トンドル」という1つの言葉になり、そこからは「18と1」、「18と2」といった風になり、これが25になると「18と6と1」、「18と6と2」になり、さらに30になると「18と6×2」といった言葉になるという。

十進法の僕たちから見たら、なんというか、もう“しっちゃかめっちゃか”である。

2つの数しかないピラハ族

これとは逆に、超シンプルなルールを採用している言語がある。

それがアマゾンの奥地で暮らすピラハ族の言語である。

彼らは、100とか10といった概念どころか、3、4、5といった概念さえ持っていない。

あるのは「1」にあたる「イ」という言葉と、「2」にあたる「ホといった言葉である。

それより大きい数は「バアギ」か「アイバイ」で表され、これらは「多い」という意味で使われているらしい。

つまり、ピラハ族はこの世界について、「少ない数」と「多い数」といったザックリとした秩序でもって表現しているということになる。

それでは、ピラハ族の世界の見え方と、「十進法を持つ言語話者」の世界の見え方は異なるのだろうか。

ピラハ族への実験

ピラハ族は、大きな数字を正確に認識することはできないのだろうか。

これについて調べた研究者がいる。

彼が行った実験というのは、

「ピラハ族の被験者に複数の棒を見せ、同じ数だけ電池を並べさせる」

といった実験である。

この実験の結果は、見事に「サピア=ウォーフ仮説」を裏付けるものとなった。

ピラハ族は1~3本のときまでは、ほぼ100%と正解することができたが、それ以上(つまり4以上)の数になると、正答率はどんどん落ちていき、棒の数が9本とか10本になると、まったく正解できなくなってしまったのである。

もちろん、十進法を持つ者であれば、10本の電池を正確に並べることなど朝飯前である。

つまり、「1」と「2」という数しかもたないピラハ族と、多くの数を持つ話者とでは、世界認識が異なっているということができる。

【 ピラハ族への実験結果 】

・2つの数の名前しかもたないピラハ族は、4以上の数を正しく認識することができない。

 

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考察「方向の切り取り方の違い」

東西南北のないアボリジニ

最後に、

「東西南北という言葉がないと、空間認識にも違いが出るの?」

ということについて考えてみたい。

いうまでもなく、多くの言語には「前」「後」「左」「右」を意味する言葉があり、これによって、方向を正確に表現・認識することができる。

ところが、世界にはこうした「前後左右」という概念をもたない言語が存在する。

それがオーストラリアのアボリジニの言語のひとつ「グーグ・イミディル語」である。

この言語では、モノの位置をすべて「東」「西」「南」「北」であらわすという。

たとえば「ボールは木の北にある」とか「消しゴムはノートの西にある」とかいった具合だ。

日本語話者の僕なんかは、「どっちが北で、どっちが南か」なんて、普段からまったく意識をしていないワケだが、グーグ・イミディル語話者はそれを常に意識できているというのだろうか。

そして、こんな疑問も浮かぶだろう。

「前後左右の概念を持つ人間と、グーグ・イミディル語話者とでは、その空間認識はどのように違うのだろうか」

グーグ・イミディル語話者への実験

「前後左右の概念を持つ人間と、グーグ・イミディル語話者とでは、その空間認識はどのように違うのだろうか」

これについて明らかにしようと、グーグ・イミディル語話者に実験を行った研究グループがある。

その実験は、

「グーグ・イミディル語話者は、デッド・レコニング能力に優れているのか」

といった実験だ。

「デッド・レコニング能力」というのは、多くの人が聞き慣れない言葉だと思うが、「伝書バトがきちんと巣に戻ってくる能力」というとイメージがしやすいだろう。

動物というのは、このデッド・レコニング能力に優れたものがいて、彼らはたとえ分かりやすい目印がなかったとしても、自分の居場所を定位し、正確に空間を把握することができるという。

「東西南北」という絶対的な基準でモノの位置をしめすグーグ・イミディル語話者は、このデッド・レコニング能力に優れているのではないか・・・・・・

研究者達は、そんな仮説を立てたわけだ。

では、その実験内容はというと、

「グーグ・イミディル語話者を、自宅から100キロ離れた場所へ車で連れて行き、そこから自宅の方向を指さしてもらう」

というものだ。

結果は、多くのグーグ・イミディル語話者が、かなりの確度で自宅の方向を指すことができたという。

ちなみに、比較のために、「前後左右」の概念をもつオランダ語話者に、同様の実験を行った結果、その正解率は比べものにならないくらい低かったという。

つまり、両者のデッド・レコニング能力において、はっきりとした差が認められたというわけだ。

ここから分かること、それは、

「『前後左右の概念で空間を示す言語話者』と『東西南北の概念で空間を示す言語話者』とでは世界認識が異なる」

ということだといっていい。

【 グーグ・イミディル語話者への実験結果 】

・「東西南北」で空間を示すグーグ・イミディル語話者は、「前後左右」で空間を示す言語話者よりも、空間定位能力が高かった。

 

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結論「弱い仮説」に軍配

以上の実験結果から、「サピアとウォーフ、どちらが正しいか」について、次のように結論したいと思う。

【 結論 】

・言語が人間の認知や思考に影響を与えているのは間違いない。(サピア=ウォーフ仮説は大筋で正しい

・しかし、「言語が異なれば、認知・思考も根本的に異なるのか」というと、そうではなさそう。(「強い仮説」は現実的ではない

・言語が「思考や認知」に与える影響は部分的であると考えられる。(「弱い仮説」は現実的で妥当

たしかに、2つの数しか持たないピラハ族や、前後左右の概念をもたないグーグ・イミディル語話者は、僕たち日本語話者とは異なる仕方で世界を認識しているようだ。

とはいえ、2つの色しか持たないダニ族が、英語話者と遜色なく色を区別・記憶できたことを考えると、どうやら言語の違いは「根本的な世界認識の違い」とまではいえなそうだ。

ウォーフは、

「異なる言語話者同士は、その世界認識も根本的に異なるので、双方が真にコミュニケーションを取ることは原理的に不可能だ」

と主張をしているが、上記の実験結果を踏まえると、

「ウォーフさん、さすがにそれは言い過ぎです」

ということになる。(つまり、強い仮説は現実的ではないということ)

とはいえ、上記の実験は同時に、

「言語は、それを用いる人間の世界認識に少なからぬ影響を与えている」

ということも証明しているので、「弱い仮説」については現実的で妥当な主張だと認めて良いだろう。

ただし、これはあくまで「推測」の域をでない。

なぜなら、僕たちはどうあがいたって「ダニ族」の世界や、「ピラハ族」の世界や、「グーグ・イミディル語話者」の世界を、主観的に体験することなどできないのであり、そうである以上は、本当のところ彼らがどのように世界を認識しているのかを確かめることはできないからだ。

ということで、最後はやや、ずる賢く結論を保留する格好となってしまったが、実は白状すると、僕は「強い仮説」の可能性を捨てたくないと思っている。

だって、「人それぞれ、世界認識は全然違う!」と考えた方が、なんだか刺激的でゾクゾクするからだ。

「サピア=ウォーフ仮説」に「仮説」という名前がついているのも、結局のところ

「それは最後まで誰にも分かりっこない」

という意味なのだろう。

であれば、僕はロマンのある「強い仮説」を指示したい、そんな風に考えている。

以上、「サピア=ウォーフ仮説」の解説記事を終わります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

言語学のオススメ本

ここでは、言語学を学びたい人へ「オススメの本」を紹介したい。

ことばと思考(今井むつみ)

この記事で紹介したさまざまな実験については、こちらの本を参考にしている。

「サピア=ウォーフ仮説」の妥当性を丁寧に考察した良書で、それ以外にも「成長の過程で言葉が果たす役割」などについて認知心理学的なアプローチから考察をしている。

とても分かりやすく、面白い1冊なので、この記事に興味を持った方にはぜひ一読をオススメしたい。

日本語と外国語(鈴木孝夫)

日本語学の権威ともいえる鈴木孝夫の代表作。

こちらも、外国語との比較を通して、「日本語とは何か」、「日本人とは何か」をあきらかにしていく

こちらはエッセイなので、とってもよみやすく、かつ言語学のおもしろい部分をしっかりと味わえる。

日本語学を学びたい人なら、一度は読んでおきたい名著中の名著。

言語学の教室(西村義樹 他)

「言葉は人間の認知や思考に影響を与える」

記事でも繰り返し述べてきたこの主張を前提にした言語学がある。

それが「認知言語学」だ。

本書は、その認知言語学の問題点や議論を対話形式で紹介する分かりやすい1冊である。

著者の西村氏は言語学者で、その対話相手の野矢茂樹は哲学者で、2人のスリリングな掛け合いが魅力だ。

こちらの書籍については紹介記事も書いているので、興味のある方はぜひ参考にどうぞ。

【 参考記事 「認知言語学とは」面白さを簡単に分かりやすく解説—『言語学の教室』より—

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