解説・考察・感想『消滅世界』―“正常”という名の狂気を暴くSF文学―

文学
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はじめに「常識を解体する文学」

文学に意味があるとすれば、その1つに「常識を解体すること」が挙げられるだろう。

村田沙耶香は、そうした“常識”を解体する作品を書き続ける作家の一人である。

2016年に芥川賞を受賞した『コンビニ人間』で、彼女は「普通」や「常識」というものを見事に解体してのけた。

たとえば、

「あの人って、ちょっと異常だよね」

と、これを読んでいるあなたも、一度や二度、そんなことを思ったことがあると思う。

だけど、村田作品はいうのだ。

「異常異常ってみんな言うけどさ、その異常の基準って、いつ、だれが、どんな権限で決めたわけ?」

今回紹介する『消滅世界』は、まさに、そんな村田沙耶香の集大成ともいえる作品であり、僕たちが持っている「常識」とか「社会通念」とかいたものをこっぱみじんに解体してしまう、そんな強烈な問いをはらんだ作品だ。

一部の読者からは、

「気持ち悪い!」

そう嫌悪される作品ではあるが、読み応えは抜群。

この記事では、そんな『消滅世界』の解説と考察をしていきたいと思う。

なお、記事では大体的なネタバレを含むので、未読の方は注意してほしい。

それでは、お時間のある方は、最後までお付き合いください。

 

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あらすじ

世界大戦をきっかけに、人工授精が飛躍的に発達した、もう一つの日本(パラレルワールド)が物語の舞台。

人は皆、人工授精で子供を産むようになり、生殖と快楽が分離した世界では、夫婦間のセックスは〈近親相姦〉とタブー視され、恋や快楽の対象は、恋人やキャラになる。

そんな世界で父と母の〈交尾〉で生まれた主人公・雨音。

彼女は朔と結婚し、母親とは違う、セックスのない清潔で無菌な家族をつくったはずだった。

だがあることをきっかけに、朔とともに、千葉にある実験都市・楽園(エデン)に移住する

そこでは、「家族」によらない繁殖システムが採用されていた

男女ともに妊娠可能性が与えられ、生殖はコンピューターの指示のもと合理的に管理されている。

生まれてきた子は社会の共有財産となり、すべての大人はその「おかあさん」として、子供に愛情を注がねばない。

そんな実験都市・楽園で暮らす中で、雨音は次第に、その世界の“正常”を取り込んでいく

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タイトルの意味

本書のタイトル「消滅世界」、その意味とは何なのか。

それを暗示させるのが、物語の次の1節だ。

また一つ、世界から何かがなくなっていく。(文庫P138より)

この「世界からなくなっていくもの」とは一体なんだろう。

それを一言でいうならば、

「家族」と「恋愛」

である。

いうまでもなく、現代を生きる僕たちにとって、家族も恋愛も当たり前のモノであり、信じて疑わない価値観であり、営みである。

人間であれば成長の過程で「あの人のことが好きだ」という恋愛感情が芽生えるし、「性的関係になりたい」という欲求が生まれるし、やがては「家族になりたい」という意志を持つ、と僕たちは思っている。

だけど、本書『消滅世界』で作者村田沙耶香は、こうした僕たちが持つ常識や社会通念を、こっぱみじんに解体してくる。

「恋愛? 家族? それってたまたま現代社会で採用されているシステムに過ぎないんじゃない?」

というわけだ。

もっといえば、

「恋愛感情? 家族愛? それってシステムによって植え付けられたものであって、人間の本能ではないんじゃない?」

ということになる。

これこそ本書を貫く最大のテーマであり、タイトルの「消滅世界」というのはまさしく、現代の僕たちが信じて疑わない「家族」とか「恋愛」とかいったものが失われてしまった世界を表現している。

ユートピア? ディストピア?

さて、「家族」や「恋愛」が失われた世界、と聞いて、あなたはどんなことを考えるだろう。

「まじ? それ、サイコーの世界じゃん」と考えるだろうか。

「まじ? それ、サイアクの世界じゃん」と考えるだろうか。

実は、本書を読んだ読者たちの感想として、このどちらの意見もあったという。

つまり、

「家族と恋愛のない世界ってサイコー!」と感じた人もいれば、

「家族と恋愛のない世界ってサイアク!」と感じた人もいたというのだ。

前者の「サイコー!」という人の目には、本書は「ユートピア小説」として映り、後者の「サイアク!」という人の目には、本書は「ディストピア小説」として映った。

つまり、本書『消滅世界』は、読む人にとって、まったく捉えられ方が異なる作品ということになる

では僕の本書を読んだときの感想はなんだったかというと、一言で言えば、

「こんな世界、狂ってる」

というものだった。

僕には、この家族も恋愛も消滅した世界が、文字通り「ディストピア」に思えてならなかったのだ。

さて、ここで興味深いデータがある。

それは、本書を「ユートピア(最高じゃん!)」と感じた読者の中には女性が多く「ディストピア(最悪じゃん!)」と感じた読者の中には男性が多かったということだ。

つまり、男性である僕は、そうした傾向にバチっとはまってしまっていたワケだ。

こうした傾向の背景には、社会的要因や身体的要因、感情的要因などが複雑に絡み合っているため、一概に「これが原因です」という事はできないだろう。

ただ、少なくても現代における「家族の在り方」や「恋愛の在り方」、そして「出産・育児の在り方」というのが大きく関係をしているのは間違いない。

というのも、現代は「家族における役割」とか「恋愛における役割」、そして「出産・育児における役割」というのが、まだまだ男女によって異なってしまっているからだ。

だからこそ、男性読者と女性読者とで、本書の読んだ感想が異なる傾向にあるのだと考えられる。

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消滅世界は非現実的なのか

あらためて本書は「SF文学」である。

SFというのは、サイエンスフィクションの略で「科学的にこんなことが起きたら、僕たちの世界ってどうなっちゃんだろうね」ということを書いた物語のことを言う。

だから、モノによっては

「でも、こんなこと、まぁ現実的にはおこらないよね、あははは」

と、一笑に付されてしまうことが往々にしてある。

では、『消滅世界』も、そうした非現実的なSF作品なのだろうか。

僕は決してそうは思わない。

というのも、程度の差こそあれ、現代社会が目指しているベクトルは本書で描かれる「実験都市・楽園」が目指しているベクトル同じだと言わざるを得ないからだ。

では、現代社会が目指す方向とは何なのか。

それは、

「合理化」と「無痛化」

だといっていい。

合理化というのはシンプルに言うと「社会から無駄をなくし、生活を便利にすること」である。

無痛化というのはシンプルに言うと「社会から苦しみをなくし、生活を楽にすること」である。

あらためて現代社会を見渡してみれば、「できるだけ最短で」とか「できるだけ快適に」とかいった価値観であふれかえっている。

例を挙げ出せざキリがないのだけど、例えば、学生さんたちが必死に勉強するのは「最短で金稼ぎできることが正義だ」といった価値観にのっとっているわけだし、近年、その技術と実践が広がりつつある無痛分娩は「痛みや苦しみなく楽に出産することは正義だ」といった価値観から生まれたものである。

こんな風に、現代は「合理化」と「無痛化」が推し進められる時代だといっていいが、「実験都市・楽園」はそうした価値観を追求しまくった究極の世界だといっていいだろう。

では、「楽園」の特徴は何か。

僕は大きく次の2つに注目したい。

1、人口を合理的にコントロールしている点
2、家族という繁殖システムを排除している点

これらは、社会が「合理化」と「無痛化」を推し進めたがゆえの結果であり、まさにそうした意味において「消滅世界は、決して非現実的な笑い話ではない」と僕は考えるのだ。

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「人口管理」の合理性と無痛性

「実験都市・楽園」の大きな特徴として、

  1. 人を合理的にコントロールしている点
  2. 家族という繁殖システムを排除している点

と、大きく2点あげた。

では、これらのどのあたりが「合理的」で「無痛」なのだろうか。

「楽園」では、制度の高い「人工授精」が採用されていて、しかも、その出生のタイミングや出生数は完全に中央でコントロールされている。

年間どれくらいの死者が出て、どれくらいの出生が必要で、その場合どれくらいの人工授精を試みなければならないか。

そうした合理的な試算のもと、妊娠から出産まで完璧にコントロールされるているのである。

では、ここで、現代日本の現状を振り返ってみたい。

たとえば、現代の日本は「少子化だ、高齢化だ」ととにかくさかんに言われている。

もし仮に、人々の感情を無視して、手段を択ばず、徹底的かつ合理的に人口をコントロールしようとするならば「楽園」で採用されているシステムは「少子高齢化」を解決するためにカナリ有効なものだと僕は思う。

個々の経済状況や、出産・育児に対する価値観、感情というものを度外視し、ただただ数字だけで「出生」について考えればいいからだ。

しかも、「楽園」では、「男性による出産」の実現も目指している。

これは超シンプルに、男性も出産できれば出生数は従来の2倍なので、少子化問題の解決に大きく貢献できると思われる。

しかも、出産には痛みが伴わない。

というか、妊娠段階から出産にいたるまで、「妊婦(夫)」からはほとんどの痛みが除去されている。

女性にいたっては、生理や排卵もコントロールされていて、女性の身体的な苦痛というのも徹底的に排除されているのだ。

こんな風に、人口を人為的にコントロールする「楽園」は徹底した合理性と徹底した無痛化を追求した社会なのだ。

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「家族廃止」の合理性と無痛性

次に「家族制度」を廃止している点について考えてみよう。

「楽園」では、すべての妊娠は人工授精によって行われているため、男女が「出産のための」性行為をする必要は全くない。

本書『消滅世界』では、「人々が交尾をしていたのは、もはや遠い過去の話」とされ、「性欲というのは、その頃の名残であり本来不要なもの」とされている。

性欲というのは「出産のため」のものでもなく、「求愛のため」のものでもなく、ただただ「う〇こ」や「おし〇こ」のように、機械的に排泄されるべき邪魔なものなのだ。

こうした世界の中で、もはや「恋愛」という営みはおろか「家族」という単位も消滅していくのはある意味自然なことなのだろう。

主人公の雨音は「楽園」に引っ越してきたばかりのころは「家族のいない孤独」を感じていた。

ところが彼女は、「楽園」での生活が進む中で、

「そもそも家族なんてシステムがなければ、さみしいなんて感情もなくなるのではないか」

ってことを実感し始める。

そうなのだ。

本書を読んで、ふと思ってしまうのは、

「そもそも恋愛なんかするから苦しくなるんじゃないの?」ってことだったり、

「そもそも家族っていう単位があるから孤独を感じるんじゃないの?」ってことだったりするのだ。

これらはつまり、

「そもそも恋愛も家族もなければ、人間は痛みを感じなくて済むんじゃないの?」

と言い換えることができる。

これもまた、「楽園」が追究した合理性と無痛化の結論の1つである。

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正常と異常の境とは

本書『消滅世界』では、「恋愛も家族も消滅した世界」が描かれている。

そして、本書にはこんな強烈なクエスチョンが描かれている。

「そもそも恋愛も家族もなければ、人間は痛みを感じなくて済むんじゃないの?」

とすると、次のようなグロテスクな想像が生まれてこないだろうか。

それは、

「あの子が好きでたまらん」という、この恋愛感情も、

「この人と一生生きていきたい」という、この結婚願望も、

「この子は俺が一生守ってやる」という、この家族愛も、

こうした僕たちが「当たり前」と思っている感情の全ては、僕たちの自然な本能なんかではなくって、「恋愛」とか「家族」といった「繁殖システム」によって生み出された幻想なのではないだろうか、という想像だ。

これは恐ろしいことだ。

「じゃあ、俺の本当の感情って、一体なんなんだ?」

そんな風に、自分自身の存在の核みたいなものが、ボロボロに崩れ去っていく感覚にならないだろうか。

主人公の雨音は、まさしくそうした「存在の危機」に襲われてこう考える。

どんな真実でもいいから、私は自分の真実が知りたかった。母から植え付けられたわけでも、世界に合わせて発生させたものでもない、自分の身体の中の本物の本能を暴きかかった。(P36より)

この言葉に僕は共感した。

もしも人間のあらゆる感情や、「本能」と思われていた衝動が、「実は社会のシステムによって規定されたニセモノなのです」なんて言われてしまったら、

「じゃあ、僕って、一体何者なんだ?」

と、なんだか目の前がだんだんと暗くなっていくような感覚になってしまうからだ。

「いや、違う! きっとこの感情や衝動は、自分自身の内にある、自分自身のホンモノなんだ!」

主人公の雨音はそうした思いから、ずっと恋愛にあこがれ、家族にしがみついてきた。

ところが、「楽園」に移り住んできた彼女は、ついに「恋愛も家族も、実はまったく不要なものだった」という価値観を持つにいたる。

そして、次のように結論する。

私たちは、全員、世界に呪われている。

世界がどんな形であろうと、その呪いから逃れることはできない。(P257より)

つまり、たとえそれが、「恋愛」も「家族」もない、現代人の目から見て明らかに「異常な世界」であっても、そこに身を置き、そこで生きていくことになれば、誰もがそうした価値観を内面化していく。

雨音はそう結論しているのである。

こうなってくると、僕たちが信じる「常識」とか「社会通念」なんてのが、どこまでも不確かで脆弱なものであるように思えてくる。

「恋愛するのが当たり前」

「家族を愛して当たり前」

たぶん、今の社会でこうした価値観を疑わない人のほうが多いと思う。

そうした人たちというのは、時に自分とは異なる価値観を持つ少数派の人を指して、

「あの人って変わり者だよね」

とささやきあい、いかに自分たちが「まとも」かを再確認したりする。

だけど、この「正常」と「異常」の境なんて、果たしてあるのだろうか?

本書『消滅世界』は、こうしたクエスチョンを僕たち読者に痛烈に投げかけてくる。

いや、むしろ、

「自分たちはまともなんだ」

こう信じて疑わない人たちのほうが、よっぽど危ないんじゃないか?

そんな予感は、主人公 雨音の言葉を借りて次のように語られている。

正常ほど不気味な発狂はない。だって、狂っているのに、こんなにも正しいのだから。(P248より)

僕たちが持つ「正常/異常」の価値基準なんてものは、どこまでも怪しく、どこまでももろいものなのかもしれない。

たまたまこの時代、この社会に身を置いていることによって、知らず知らずに“世界”から植え付けられた幻想なのかもしれない。

——私たちは世界に呪われている——

この雨音の最後の声を、僕たちは無視してはいけないのかもしれない。

オススメの村田作品

コンビニ人間

2016年の芥川賞受賞

36歳未婚女性、古倉恵子は、大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。

彼氏も作らず、結婚もしない彼女を、周囲は「異常」と呼ぶ。

だけど、筆者は読者にこう問うてくる。

「異常だなんて、一体、だれが決めてるの?」

村田紗耶香の作品は、とにかく「常識って何?」という強烈なメッセージがあるが、それは本作も同様。

哲学的な主題を扱いながらも、不気味に、おかしく、おもしろく、秀逸な文学にしたてあげている。

自分たちは「まともだ」と、平穏にあぐらをかいている読者を、じわじわと揺さぶってくる1冊。

【 参考記事 解説・考察『コンビニ人間』(村田沙耶香)ー「異常なんて誰が決めた?ー

生命式

あなたの言動や感情は、あなたによって選ばれたものではない。

すべては全て「環境」によって決定されたものである。

そんなことをグイグイと突き付けてくるような「短編」がいくつも収録されている。

要するに、本書が解体しようとするものは「主体的自己」とか「自由意志」とか、そういった多くの人が疑わない「常識」である

作品の多くが、不気味で不快でいまいましく、村田文学の本領が存分に発揮された短編集だと言える。

『消滅世界』とはまた違った切り口のスリリングを味わいたい人にオススメの一冊。

信仰

本書も、まさに「常識」を解体する強烈なパワーを持つ短編集である。

収録されているどの作品も強烈なメッセージをはらんでおり、村田文学の本領が存分に発揮されているといっていい。

特に表題作の「信仰」は、わずか60ページほどの短編ながら、そのインパクトは凄まじい。

「異常ってなに? まともって何?」

こうした問いを「カルト宗教」をモチーフに描いていくのだが、いつしか読者は、

「え、僕たちの生活だって、よっぽどカルトじゃない?」

といった疑問にからめとらてしまうだろう。

「異常とは何か? まともとは何か?」

こうした村田文学の問いは、本作においても存分に描かれている。

ちなみに本作は、米シャーリイ・ジャクスン賞候補にノミネートされており、世界からも高く注目された。

【 参考記事 解説・考察・書評『信仰』(村田沙耶香)—カルトとは何か?宗教との違いは?—

すき間時間で”芥川賞”を聴く

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