はじめに「日本文学=退屈?」
この記事に来てくれたあなたは、間違いなく「文学好き」なので、文学に対する抵抗感や嫌悪感というのは少ないと思う。
だけど、世の中には
「日本文学 = 退屈なもの」
という印象を持つ人が少なくない。
なぜ、(一般的に)日本文学は退屈なのだろう。
その大きな理由として、明治時代に「自然主義文学」が登場し、日本文学の主流に躍り出たことがあげられる。
では、その「自然主義文学」とは一体なんなのだろう。
どんな文学的な特徴があり、どんな代表作家がいて、どんな影響を現代文学に与えているのか。
この記事では、それらについて分かりやすく丁寧に解説をしようと思う。
文学好きの方や、文学史を学びたい方にとって、とても満足できる内容になっていると思うので、お時間のある方はぜひ最後までお付き合いください。
自然主義の定義
さっそく、日本文学における「自然主義」の定義について簡潔に示しておく。
以上が、日本における「自然主義」の定義である。
改めて述べると、自然主義の最大の特徴は、「現実を重視すること」であり、「作者の生活や内面を赤裸々に語ること」である。
あたりまえだが、人間の「生活」や「現実」というのは、別にドラマティックなものではない。
ほとんどの場合は、代わり映えのない退屈な日常がただただ続いていくだけだ。
また、人間の「内面」なんていうのも、美しいものばかりではない。
「恨み」、「憎しみ」、「妬み」といった多くの負の感情があるし、ひょっとしたら誰にも言えない変態的な「性癖」だってあるかもしれない。
日本の自然主義文学というのは、主に、そうした作者の「退屈な日常」とか、「醜い内面」を赤裸々に描いた文学である。
そうした特徴を持っているので、自然主義は「私小説」や「告白小説」といった体裁をとることが、必然的に多くなる。
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西欧から自然主義を輸入
では、そもそも、日本の自然主義はどのように始まったのだろう。
自然主義のルーツは、実は1870年代の西欧文学にある。
最初に提唱したのは、フランスの文豪エミール・ゾラである。
代表作には『居酒屋』や『ナナ』といった作品があるが、ゾラはそうした作品の中で、自らの文学理念を実践していた。
では、ゾラの文学理念とはなんだったのか。
それは、「科学的で実証的な方法を、文学に取り入れること」だった。
もう少しかみ砕いていうと、ゾラは小説に「遺伝」とか「環境」といった要素を取り込み、物語にある種の制限を与えたのである。
どんな家に生まれたのか、どんな家族構成なのか、どんな職業についているのか……
登場人物の内面や行動というのは、そうした「遺伝」や「環境」によって決定づけられる。
そこには人間の自由意志はほとんどなく、あるのは「自然法則による支配」だけ。
こんなふうに、ゾラが求めたのは、実証的方法に基づく小説の構築だった。
これがオリジナルの「自然主義」(通称ゾライズム)である。
要するに、ゾラにとって「自然」とは、人間の外部にある「環境としての自然」であり、人間がコントロールすることのできないものだったのだ。
以上、西欧の自然主義をまとめると次のようになる。
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自然主義以前の日本の文壇
そもそも「近代日本文学」は、明治時代に西欧文学を輸入したことから始まる。
明治時代以降、西欧の様々な文学に影響を受けた日本の作家たちは、自らの「文学理念」を追求していった。
なお、日本文学は明治時代以降、次のように自然主義へと繋がっていく。
さて、ここで確認しておきたいのは「自然主義前夜」の日本の文壇の様子である。
それは1903年(明治33年)のこと。
この頃、文壇を牽引していたのは、尾崎紅葉とその弟子たちからなる「硯友社」とよばれる文学結社だった。
彼らの文学理念はざっくりいって「文学はおもしろくてなんぼ」といったもので、こうした硯友社の文学理念は「擬古典主義」と呼ばれる。
擬古典主義については、シンプルに次のように考えてもらって良い。
要するに、今っぽくいえば「エンタメ小説」をバシバシ書きまくっていたのが硯友社の作家たちであり、擬古典主知を掲げる連中だったわけだ。
そして、そんな彼らのカリスマ的存在、それが尾崎紅葉だった。
さて、改めて1903年(明治33年)に何があったのか。
それは、尾崎紅葉の死である。
空前のベストセラー小説『金色夜叉』は未完のまま、ガンに冒された紅葉は35歳という若さでこの世を去る。
紅葉を精神的な支柱としていた硯友社は、ここから凋落の一途をたどっていく。
一つの時代が終焉したワケだ。
そして、フランスから「自然主義(ゾライズム)」が輸入されるのは、まさにここからということになる。
なお、自然主義以前の「写実主義」や「擬古典主義」については、以下の記事を参考にしていただきたい。
【 参考記事 坪内逍遥『小説神髄』の文学論を解説―写実主義・日本文学とは何か― 】
【 参考記事 解説「尾崎紅葉」の人生・人物像のまとめ―擬古典主義・硯友社とは何か― 】
日本独自の自然主義へと発展
尾崎紅葉の死が文壇にもたらしたもの、それは「新たな文学の予感」である。
これまで、硯友社のために日の目を見れなかった若い作家たちが、いっせいに活躍をし始める。
その代表格が、日本の自然文学を牽引した「島崎藤村」であり、「田山花袋」であり、「正宗白鳥」であり、「岩野泡鳴」であった。
それ以外にも、すでに文壇で活躍していた「泉鏡花」や、「徳田秋声」、「永井荷風」、「小杉天外」なんかも新たな文学を求めて意欲的に創作に打ち込んだ。
そんななか、最初に西欧の自然主義(以下、ゾライズム)を作品に取り入れたのが、小杉天外と永井荷風だった。
小杉天外は『はやり唄』という作品で、永井荷風は『地獄の花』という作品で、ゾライズムを実践し、日本にゾライズムを紹介した。
ここで急いで強調しておきたいことは、ゾライズムをきちんと実践できた作家は、後にも先にもこの二人だけ、ということだ。
それは一体どうしてなのか。
結論を言うと、科学的・実証的世界観というのは、日本人の肌に合わなかったのだ。
というのも、そもそも、科学というのは、西欧社会で時間をかけて発展してきたものであり、日本人がそれに触れたのなんて明治時代になってからである。
つまり、日本人は、ほとんど、いや全くと言って良いほど科学に馴染みがなかったのだ。
当然、ゾライズムは日本に根付くはずもない。
とはいえ、「新しい文学をやったるぞ!」といった気概は、当時の文壇にみなぎっていたので、ゾライズムはウケなかったものの、「自然主義」という言葉だけは文壇のトレンドになっていった。
こうして、日本の「自然主義」というのは、ゾライズムとは異なる独自の発展をしてくことになる。
そして、後述するが、日本の自然主義はゾライズムとは全く異なる
「現実をありのままに描く」
という性格を強めていくことになる。
つまり、日本人は「自然」という言葉を、西欧人とは違った意味で解釈したのだ。
それをまとめると次の通りになる。
このように、「日本の自然主義」と「西欧の自然主義」(ゾライズム)とは全く異なっているのである。
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島崎藤村と田山花袋の活躍
日本の自然主義といえば、島崎藤村と田山花袋の2人の作家が挙げられる。
とりわけ田山花袋の方は、「自然主義」の理論を提唱し、それを実践しただけではなく、後世の文学に大きな影響を与えた点で注目すべき作家である。
ここでは、日本の自然主義が、どのように「独自の文学」へと発展していったのか、そのプロセスについて解説をしたい。
まず、本場のゾライズムが日本人の肌に合わなかった点については先述の通り。
それを実践した数少ない作家に小杉天外や永井荷風がいるわけだが、その後、日本の自然主義は「ありのままを描くこと」に傾注していくこととなる。
その走りは、実は田山花袋ではなく、島崎藤村の方だった。
まず、藤村は1906年(明治39年)に『破戒』を発表する。
この作品は、被差別部落に育った瀬川丑松という男が、父の「決して自らの出自を明かすな」という戒めを破る(つまり“破戒”の)物語だ。
日本の社会の暗部、人間の醜い内面、そして人間の苦悩や葛藤……
そうした現実を「ありのまま」に描いた点で、『破戒』はこれまでにない新文学として評判を得た。
ただ、その後すぐに、『破戒』を批判的に乗り越えようとした作家が現れる。
それが田山花袋である。
花袋は、『破戒』が発表された翌年1907年(明治40年)に、『蒲団』を発表し、自らの自然主義の立場を明らかにした。
この作品は、小説家の竹中時雄という中年男が、10代の女弟子への恋にやぶれたため、彼女の部屋に侵入し、彼女の蒲団に顔をうずめ匂いをかぐ、という、まぁ、ありていに言って「変態的」な内容である。
でも、この作品の一体どこが画期的だったのだろう。
それは主人公「竹中時雄」が、作者である「田山花袋」とイコールであることが明確だった点である。
『蒲団』で描かれた世界というのは、誰の目から見ても「田山花袋が見た、聞いた、感じた、経験した世界」だったのである。
つまり、花袋は小説という手段で、自らの生活や内面、そして性癖までも赤裸々に告白をしたというワケだ。
これは、世間に強烈なインパクトを与えた。
あの島崎藤村の『破壊』が描いたのは、あくまでも「社会の厳しい現実」がメインだったのであり、藤村自身の内面というのは、それほど露骨には描かれていなかった。
そこにきて田山花袋の『蒲団』が描いたのは、「社会」とか「世間」とかいったものではなく、「自らの醜い内面」だった。(それも、人には言えない変態的な性癖まで・・・・・・)
藤村の『破壊』のベクトルは、自らの外に向けられていたのに対して、花袋の『蒲団』のベクトルは、徹底して自らの内に向けられていたのだ。
そして、田山花袋の『蒲団』によって、日本の自然主義の方向性は決定づけられることとなる。
つまり、日本の自然主義は、「作家みずからの内面を暴露する文学」となり、次第に「私小説」とか「告白小説」といった体裁をとるようになっていくのだ。
以上を踏まえて、あらためて日本の自然主義の定義を確認しておこう。
ほら、日本の自然主義が「実証主義」とか「科学的世界観」とは全くの無縁な独自の文学であることが良く分かるだろう。
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平面描写と一元描写
さて、島崎藤村と田山花袋以降、多くの「自然主義文学」が生まれたが、やがて、自然主義の方法論が、ある2人の作家によって提唱されることになる。
それをまとめると次の通りになる。
どちらも「ありのまま」を描こうとする点で、「自然主義的」といっていいのだが、その手法については真っ向から対立している。
田山花袋は「作者の主観を入れるべきではない」とか「あくまでも外面的な事実のみを書くべき」とか、とにかく客観性を重んじた。
岩野泡鳴は「小説は作者の主観に立脚すべきだ」とか「あくまで作者の認識を率直に書くべきだ」とか、とにかく主観性を重んじた。
たとえば、「青く澄んだ空」を描こうとしたとき、平面描写によれば、そのディテールについて事実のみを正確に書こうとする。
ところが、一元描写によれば、作者の心の状態によって描かれる内容は違ってくる。
(たとえば、作者の心が満ち足りていれば空は“美しく”描写されるだろうし、作者の心が損なわれていれば空は“無機質”に描かれるだろう)
こうしてみると、いわゆる「私小説」や「告白小説」は、主に岩野泡鳴の「一元描写」から大きな影響を受けていることが分かる。
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・
その他の自然主義作家
自然主義を牽引した代表作家といえば、やはり島崎藤村や田山花袋であるが、ここではそれ以外の自然主義作家について何人か紹介をしようと思う。
国木田独歩
国木田独歩は早世の作家で、1908年(明治41年)に37歳という若さでこの世を去っている。
彼が死んだ年は、ちょうど田山花袋の『蒲団』が発表され、「自然主義とはこういうものだ!」というのが文壇に共有され始めた頃である。
つまり、国木田独歩の作品というのは、独歩の死後に「再評価」されたものなのだ。
自然主義が流行りだす以前に、国木田独歩はすでに「自然主義的な小説」を残していたわけだ。
彼の文学の特徴は、散文詩的に自然を描写している点だ。
『武蔵野』はそうした代表作だといえる。
また、『武蔵野』発表後は、社会に適合できない弱い人間に目を向け、現実の“悲しさ”や“ままならさ”を冷徹な観察眼で「ありのまま」に描いていった。
※オススメ作品『武蔵野』『忘れえぬ人々』
徳田秋声
もともと硯友社の同人だったが、なかなかパッとしなかった徳田秋声。
なぜなら、彼の文章は極めて写実的であったため、当時の流行であった「美文」を書くのに全く向いていなかったのだ。
そこにきて「自然主義」のムーブメントである。
ここで一気に時代の浪にのった徳田秋声は、自らの才能を開花させる。
徳田秋声の特徴は、人間と社会に対する徹底した観察と、比類ないリアリズム的文体である。
その「作家としての特徴」と「自然主義の要求」がバチっと合致したことで、徳田秋声は自然主義の代表作家としての地位を確立することができたのだ。
※オススメ作品『あらくれ』『黴』
正宗白鳥
正宗白鳥といえば、なんといっても「虚無主義」(ニヒリズム)だ。
彼の作品はとにかく社会や人間に対して冷徹で、皮肉が効いていて、生活に対する空虚感が前面に出ているので、そういうのが好きな人にはとてもハマる作品だ。(ちなみに僕にはバシッとハマる)
正宗白鳥の作品の根っこには、「キリスト教的理想主義」と「卑小な人間への認識」とがある。
要するに「理想にちっとも近づけない矮小な人間」という諦観である。
こうした人間理解が「人間のありのままを暴露する」という自然主義の理念とマッチし、正宗白鳥もまた自然主義の代表作家として位置づけられている。
社会や人間を突き放して、諦観と冷徹さでもって描く、それが正宗白鳥の文学の特徴だ。
※オススメ作品『何処へ』『入り江のほとり』
岩野泡鳴
自然主義文学の中では、明らかな異分子、それが岩野泡鳴である。
この記事でも「一元描写」の提唱者として登場したが、彼は徹底して「主観的真実」にこだわった作家だった。
ということで、彼の作品には「私小説」が多い。
では、そこで描かれる「主観的真実」とは何かというと、「人間は一瞬一瞬を無駄にしてはいけない」という、彼独自の哲学である。
要するに、岩野泡鳴は「刹那的」な人間なのだ。
彼の作品を読むと分かりやすく、まず、多くの女性と性交渉を持つ。
まるで、一瞬一瞬の肉体的快楽に身を任せる彼には、「永遠の愛」とか「プラトニックな愛」とか、そういう純潔さは一ミリもない。
岩野泡鳴にとって「愛」とはつまり「肉欲」なのである。
そして、この刹那的哲学は「神秘的半獣主義」と、すごい名前がつけられている。
他の自然主義作家とは明らかに毛色の異なる作家だが、その徹底した「主観の告白」こそ、岩野泡鳴を自然主義作家とする理由である。
※オススメ作品「耽溺」「神秘的半獣主義」
自然主義への反発
この記事でも確認した通り、自然主義というのは、そもそも研友社を中心とした「擬古典主義」への反発から発展してきた。
とすれば、当然、自然主義への反発が生まれたっておかしくはない。
それが主に次の2つの文学ムーブメントである。
1の反自然主義は、主に大正時代から昭和初期にかけて拡大した文学潮流である。
上述の通り、とにかく「ありのまま」を描こうとする自然主義に反発した潮流なのだが、一口に「反自然主義」といっても、その中に様々な文学理念を持った派閥が存在する。
それをまとめると以下の通りになる。
耽美派や新理知派は、自然主義の「私小説」という形式に大きく反発し、
白樺派は、自然主義の「自己否定」や「自虐」という性格に大きく反発し、
余裕派は、そもそも文壇から大きく距離をとり「文学潮流」にそもそも無関心だった。
こんな感じで、「反自然主義」の作家たちは、様々立場から自然主義から距離を取ったのだった。
なお、それぞれの作家や文学の特徴について、もっと詳しく知りたい方は、以下の記事を参考にどうぞ。
【 参考記事➁ 小説の神様「志賀直哉」人物・人生の解説―反自然主義・白樺派とはー 】
【 参考記事➀ 解説「谷崎潤一郎の人生と人物像」のまとめー反自然主義・耽美派とは? ー 】
【 参考記事➂ 天才「芥川龍之介」のまとめー人物と人生の解説・代表作の考察ー 】
【 参考記事➃ 天才「夏目漱石」のまとめー人物と人生の解説・代表作の考察ー 】
また、反自然主義の全貌を知りたい方は、こちらの記事を参考にぞうど。
【 参考記事 「反自然主義とは?」わかりやすく解説―新理知派、耽美派、白樺派、余裕派の違い― 】
次に2のモダニズム文学は、反自然主義と同じく、大正時代から昭和初期にかけて拡大した文学潮流である。
こちらも「ありのまま」を描くことに反発をしたのはもちろんだが、それよりも「これまでの文学を乗り越えよう!」という大きな野心があった。
ここでいう「これまでの文学」というのが、要するに「自然主義文学」のことである。
モダニズム文学は、自然主義を乗り越えるべく、西欧の文学を大いに参考にして、全く新しいテーマや奇抜な文体を積極的に採用した。
こちらも、一口に「モダニズム文学」といっても、その中に、いくつかグループが存在している。
これら3つのグループには共通項が多々あって、各グループ間の相違点も、結構曖昧だったりする。
なので、細かい違いはとりあえずおいておいて、とにかく3者に共通していたのは、西洋の文学手法を参考にしつつ、自然主義文学(やプロレタリア文学)を乗り越えようとした点であることを強調しておきたい。
なお、モダニズム文学について、もっと知りたい方は以下の記事を参考にどうぞ。
【 参考記事 解説【モダニズム文学とは】—新感覚派、新興芸術派、新心理主義の違いを分かりやすく— 】
自然主義と現代文学
ここまでで、自然主義というのがどういう文学なのか理解していただけたと思う。
率直にいって、こんな文学が万人受けするわけがない。
だけど、明治時代から大正時代にかけて日本文学の主流はまさに、この「自然主義」だったのである。
さて、ここで、現代のいわゆる「純文学」と呼ばれるジャンルに目を向けてみる。
すると、この「自然主義」の流れをくむ作品というのが本当に多いことが分かる。
ためしに、日本でもっとも有名な純文学の新人賞「芥川賞」の受賞作を読んでみると言い。
多くの場合、「登場人物≒作者」という構図を取っていることが分かるだろう。
そして、「ドラマティックな展開があるわけでもなく、ただひたすら主人公の内面が描かれていく」なんて作品も珍しくない。
そうなのだ。
現代の純文学というのは、まさしく「自然主義」の影響をいまだに引きずっているのである。
そして、多くの日本人は「文学=純文学」という理解をしている。
ということで、
「文学=退屈なもの」
といった多くの日本人が持つ直感は、ある意味ではとても自然なことなのだ。
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おわりに「自然主義=日本的文学」
では、そもそも、なぜ日本人はこうも「自然主義」を好んできたのか。
それを明らかにしていくことで、「日本文学とは何か」を知ることができるし、突き詰めていくと「日本人とは何か」を知ることができるだろう。
詳しい考察は、別の機会にゆずることとして、ここでは結論だけ述べておく。
日本人が「自然主義」を好んだ理由は、日本人の次の特徴に基づいていると考えられる。
これは、日本を代表する思想家「加藤周一」の考え方だ。
彼の主著『日本文学史序説』は古典級の名著ともいえる作品で、加藤はここで「日本文学とは何か」を問いつつ「日本人とは何か」を明らかにしている。
そこで明らかにされている「日本人の特徴」をまとめると
- 現実的
- 日常的
- 此岸的
- 具体的
- 部分的
- 感情的
ということになる。
こうして並べてみると、これらがいかに「自然主義」的であるか一目瞭然だろう。
――自然主義作家が描こうとするのは、自らが生きる「今」であり「現実」であり「日常」で、それらは、人生における些細な「部分」かもしれないが、それをとことんまで「具体的」に描き、時には自らの「内面」や「感情」なんかも忠実に赤裸々に描いてく――
まさに、日本の「自然主義文学」というのは、「日本人らしい文学」なのだといっていい。
こう考えると、ゾライズムが独自の発展をとげたのだって、自然なことなのである。
「抽象的」で「体系的」な世界観が肌に合わなかった日本人は、自分たちの好みにあった「具体的」で「非体系的」な世界観として、自然主義を解釈し直したというわけだ。
日本人というのは、なかなかどうして、したたかな生き物である。
以上、自然主義についての解説を終わります。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
日本文学を学びたい人へ
この記事にたどり着いた方の多くは、おそらく「日本文学」に興味がある方だと思う。
日本文学の歴史というのは結構複雑で、「〇〇主義」とか「〇〇派」とか、それらの関係をきちんと整理することが難しい。
そこでオススメしたいのが、日本文学者「ドナルド・キーン」の代表作『日本文学の歴史』シリーズだ。
日本文学史の流れはもちろん、各作家の生涯や文学観、代表作などを丁寧に解説してくれる。
解説の端々にドナルド・キーンの日本文学への深い愛情と鋭い洞察が光っていて、「日本文学とは何か」を深く理解することができる。
古代・中世編(全6巻)は奈良時代から安土桃山時代の文学を解説したもので、近世編(全2巻)は江戸時代の文学を解説したもので、近現代編(全9巻)は明治時代から戦後までの文学を解説したものだ。
本書を読めば、間違いなくその辺の文学部の学生よりも日本文学を語ることができるようになるし、文学を学びたい人であれば、ぜひ全巻手元に置いておきたい。
ちなみに、文学部出身の僕も「日本文学をもっと学びたい」と思い、このシリーズを大人買いしたクチだ。
この記事の多くも本書を参考にしていて、今でもドナルド・キーンの書籍からは多くのことを学ばせてもらっている。
「Audible」で近代文学が聴き放題
今、急激にユーザーを増やしている”耳読書”Audible(オーディブル)。【 Audible(オーディブル)HP 】
Audibleを利用すれば、夏目漱石や、谷崎潤一郎、志賀直哉、芥川龍之介、太宰治など 日本近代文学 の代表作品・人気作品が 月額1500円で“聴き放題”。
対象のタイトルは非常に多く、日本近代文学の勘所は 問題なく押さえることができる。
その他にも 現代の純文学、エンタメ小説、海外文学、哲学書、宗教書、新書、ビジネス書などなど、あらゆるジャンルの書籍が聴き放題の対象となっていて、その数なんと12万冊以上。
これはオーディオブック業界でもトップクラスの品揃えで、対象の書籍はどんどん増え続けている。
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今なら30日間の無料体験ができるので「実際Audibleって便利なのかな?」と興味を持っている方は、気軽に試すことができる。(しかも、退会も超簡単)
興味のある方は以下のHPよりチェックできるので ぜひどうぞ。
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