はじめに「プラトンと西洋哲学」
西洋哲学の歴史を解説するこのシリーズ。
今回は「プラトンの哲学」について解説をしたい。
プラトンの登場が西洋哲学史に与えた影響は計り知れない。
「西洋哲学の歴史とは、プラトン哲学への膨大な注釈である」
こんな言葉が存在するくらい、プラトンは数多くの問題提起をした人物である。
この記事では、そんな「プラトンの哲学」の根幹である「イデア論」について徹底解説をしたい。
その他にも「魂の三分説」、「四元徳」、「哲人王思想」についても分かりやすく説明をしたい。
この記事を読み終えれば哲学者「プラトン」について、大半のことを理解できると思う。
お時間のあるかたは、ぜひ最後までお付き合いください。
プラトンの人物像
プラトンは紀元前427年に、名門貴族の家に生まれた。
屈強な体に恵まれていたプラトンは、その青年時代をレスリングに打ち込んだといわれている。
実は「プラトン」という名前はそのリングネームであり、本名の「アリストクレス」より、その「あだ名」が世に定着したのだった。
(なおプラトンには「肩幅が広い」の意味がある)
当時のギリシアの若者がそうであったように、プラトンもまた、いつしか政治を志すようになっていた。
20歳でソクラテスに出会い、「真理」をあくまで探求する姿に魅了され、彼を師と仰ぐようになる。
だが、そのソクラテスは当時の権力者たちの反感を買い、「言いがかり」ともいえる理由によって裁判にかけられた果てに死刑に処されてしまう。
プラトン28歳のことだった。
「師匠を殺したのは他でもない、腐りきった政治だ」
こう考えたプラトンは、民主制に対する反発と嫌悪から、次第に政治から離れていく。
「哲学」の道を歩み始めたのは、まさにこの頃だった。
彼の哲学思想は大きく次の3つにまとめることができるだろう。
- 「イデア論」
- 「魂の3分説・四元徳」
- 「哲人王思想」
この3つについては、後ほど詳しく説明するが、特に「イデア論」は、プラトン哲学の根幹ともいえる思想であり、その後の西洋哲学に大きな影響を与えた。
「西洋哲学の歴史とは、プラトン哲学への膨大な注釈である」
ホワイトヘッドのこの言葉は、プラトンの哲学が「西洋哲学」に与えた影響の大きさを物語っている。
さて、民主制に絶望し、一度は政治の道から遠のいたプラトンだったが、しかし「政治への情熱」はプラトンの内に静かに燃えていた。
「哲人王思想」はその表れといっていい。
哲学の重要性を説き、理想的な国家のあり方を追求したプラトン。
彼はまた、若手の育成にも注力し、40歳の頃に「アカデメイア」という学園を創設する。
そこでプラトンは、若者たちに天文学、生物学、数学、政治学、哲学等を熱心に教えた。
あのアリストテレスも学園の卒業生である。
ちなみに「アカデメイア」という名前は、後の「アカデミック」の語源となり、ヨーロッパの「大学」の起源にもなった。
晩年は、若者の育成のみならず、いよいよ著作の執筆にも専念した。
師のソクラテスとは打って変わり、プラトンには膨大な著作がある。
『国家』、『饗宴』、『パイドン』、『クリトン』……
そんな数多い著作の中で、最も有名で最も読みやすいのが『ソクラテスの弁明』だろう。
こんな風に、プラトンは数多くの著作を残した。
そんなプラトンの生涯は80歳で幕をひくが、男色だった彼は生涯独身を貫いたと言われている。
プラトンは「恋愛」についてこう語っている。
「尊いのは“肉体”への恋ではなく、“魂”への恋だ」
このプラトンの恋愛観は、「純愛」という意味を持つ「プラトニックラブ」の語源となっている。
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解説①「イデア論」
三角形のイデア
さて、いよいよここからはプラトンの哲学・思想について解説をしてきたい。
この記事を読んでいるあなたは、それなりに哲学に興味がある方だと思うので、
「いや、もうええがな」
って話だと思うのだけど、まずは、例の「三角形のイデア」の話にお付き合いください。
次の写真を見て欲しい。
「このおむすびの形は何形か」と問われれば、きっとあなたは「三角形」と答えるだろう。
では次に、
「じゃあ、これは厳密な三角形ですか?」
と問われたとすれば、あなたは、
「いや、厳密な三角形ではない」
と答えるだろう。
実際に近づいて見れば、凹凸があったり、ゆがみがあったりで「完全な三角形」と言いがたい形をしているのは、誰の目にも明らかだ。
とはいえ、あなたが このおにぎりの三角を「不完全だ」といえるためには、当然「完全な三角形」を知っていなければならない。
では、そもそも「完全な三角形」なんて、この自然界のどこに存在しているのだろうか。
まず、「完全な三角形」は、当然「完全な線」で成り立っている。
「完全な線」は、「一切の幅を持たないもの」と定義されている。
そんな「幅のない」ものは、人間の肉眼で捉えることは不可能だ。
とすれば、あなたは生まれてこのかた「完全な三角形」なんて見たことがないのである。
だけど、なぜかあなたは「完全な三角形」を知っている。
それはなぜか。
プラトンはいう。
「それは、あなたが生まれる以前に、あなたの魂がとある場所で『完全な三角形』を見て知っているからなんだよ」
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二元論(イデア界/現象界)
では、あなたが生まれる前、あなたの魂はいったい「どこ」にいたのか。
あなたの魂は、どこで「完全な三角形」を見たというのか。
それは「イデア界」と呼ばれる「叡智」の世界だと、プラトンは言う。
イデア界には、この世界にある森羅万象の「ホンモノ」が存在している。
「犬のホンモノ」「木のホンモノ」「花のホンモノ」・・・・・・
たとえば柴犬も、マルチーズも、ポメラニアンも、ドーベルマンも、それぞれ全くことなる種だし、しかも個々に見れば、1匹として全く同じものは存在していない。
それらを僕たちが「犬」と認識できるのも、かつて僕たちの魂が「イデア界」でホンモノを見て知っているからだとプラトンは言う。
このホンモノは「イデア」と呼ばれ、たとえば「犬のホンモノ」は「犬のイデア」と呼ばれる。
さらにプラトンは「正義」や「美」などにもイデアがあり、その中でも、最高にして究極のイデアが存在すると考えた。
それが「善のイデア」だ。
善のイデアとは、いうなれば「イデアのイデア」であり、イデア界に秩序と調和をもたらす「究極原理」のことである。
あらゆる存在を存在させている「働き」だといっていい。
こんな風に「イデア界」には全ての「ホンモノ」が存在し、その「ホンモノ」を存在させている「究極のホンモノ」までもが存在している。
一方で、僕たちが住むこの世界というのは、全てが「ニセモノ」の世界である。
僕たちが見たり、聞いたり、感じたり・・・・・・とにかくこの世界で経験するあらゆるものは全て「ニセモノ」なのである。
「ニセモノ」だらけのこの世界を、「イデア界」に対して「現象界」と呼ぶ。
以上を整理すると、
「現象界」 =不完全、ニセモノ、仮の世界 「イデア界」 =完全、ホンモノ、真実の世界
ということになる。
このように事物や物事を2つの概念で捉えようとすることを「二元論」と呼び、プラトンは、西洋哲学において本格的な二言論を展開した最初の哲学者と言われている。
そして、以降の西洋思想は、基本的にこの「二元論」を採用し続けてきた。
「西洋哲学の歴史とは、プラトン哲学への膨大な注釈である」
先ほど紹介したホワイトヘッドのこの言葉は、その辺のことを踏まえたものだと言って良いだろう。
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ドクサとエピステーメー
僕たちの住むこの「ニセモノ」の世界を、プラトンは現象界と呼んだ、
現象界で経験されるあらゆる出来事は、すべて人間の「五官」を通したものである。
目の前のリンゴの映像も、
テレビの雑音も、
コーヒーの香りも、
ラーメンの味も、
そして転んだときの痛みも・・・・・・
これらは全て、プラトンに言わせれば「ニセモノ」であって「ホンモノ」ではない。
人間の「五官」を通して得た世界は、この世界の「実相」(本当の姿)ではないのだ。
それが理由に、ほかの生物たちは、僕たち人間とは全くことなる仕方でこの世界を認識している。
たとえば、ダニには「視覚器官」や「聴覚器官」がない。
彼らが世界を認識する際には、「嗅覚」と「温度感覚」、「触覚」、加えて「光の方向」だけに頼っている。
とすれば、ダニたちは僕たち人間とは全く違う仕方でこの世界を経験していることになる。
コウモリだってそうだ。
一部のコウモリは「視覚機能」が退化していて、目が見えていないという。
その代わりに、口から超音波を出して、反射してきたそれによって世界を認識しているという。
彼らもまた、人間とは全く異なる仕方で、この世界を経験している。
とすれば、僕たちが信じる「客観的世界」なんてのは、なんら絶対的なものではないことが分かってくる。
これらは、20世紀の生物学者ユクスキュルや、現代の哲学者ネーゲルが指摘をしているところ。
この世界の「本当の姿」、この世界の「実相」なんてものを僕たち人間がとらえることなんてできっこないし、「世界は知覚した通りに存在している」というのも僕たちの錯覚ということになる。
にもかかわらず、僕たちは「五官」を通じて認識した世界を「ホンモノ」だと思い込んでいる。
こうした「独断的な思い込み」をプラトンはドクサと呼んだ。
ドクサとは人間の感覚器官で捉えたあらゆる知識や経験をさしている。
プラトンはいう。
「ドクサにとらわれてホンモノを見失ってはならない」
ドクサに対して、「ホンモノの知識」をプラトンはエピステーメーと呼んだ。
エピステーメーは、先ほど紹介した「イデア」(叡智)とほぼ同義と捉えて差し支えない。
プラトンはいう。
「ドクサを退け、エピステーメーを獲得せよ」
では、エピステーメーとは、いかにして獲得することができるのか。
プラトンはいう。
「それは理性を働かせることによって可能だ」
さて、ここまでを整理すると、次の通り。
【 現象界 】 =五官によって認識される世界 =人間は現象界をホンモノを信じている 【 イデア界 】 =理性によって認識される世界 =永遠不変の真実の世界
「五官」を通じて入ってくるあらゆる情報を無批判に受け入れるのではなく、それらを理性によって吟味しなくてはならない。
人間がより良く生きるためにはドクサ(思い込み)を捨て、エピステーメー(イデアについての知)を得なくてはならないとプラトンは考えた。
それは、彼の師であるソクラテスが
「よりよく生きるためには、真実の知恵を獲得しなければならない」
といったことと一致している。
ソクラテスは「真実の知恵を獲得すること」を「プシュケー(魂)の世話」と呼んだ。
では、弟子のプラトンは「魂」をどのように捉えていたのだろう。
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プシュケー(魂)
完全で永遠不変の真実の世界を、プラトンは「イデア界」と呼んだ。
一方で、不完全で移ろいゆく仮の世界を「現象界」と呼んだ。
いうまでもなく、僕たちの肉体はこの現象界に存在している。
老い、衰え、弱り、そしていつか朽ち果て行く、不完全な肉体・・・・・・
だけどプラトンは、そんな不完全な肉体に宿る「永遠不滅」の存在を信じていた。
それがプシュケー(魂)である。
「魂」という概念を最初に説いたのは、プラトンの師であるソクラテスだった。
死刑判決を受けたソクラテスが、動じることなく自ら毒杯をあおり死んでいったのは有名なエピソードである。(詳しくはこちら 解説・考察「ソクラテスの哲学、思想」のまとめー無知という哲学的原動力ー )
――肉体は滅んでも、魂は決して滅びない――
ソクラテスはこうした信念を持ち、生前は「よりよく生きるためには魂の世話をせよ」と説いていた。
プラトンは、そんなソクラテスの思想を受け継ぎ、独自の哲学に深化させる。
プラトンは、全ての「魂」は「輪廻」すると考えた。
全ての人間の肉体には魂が宿っていて、その魂は生まれる以前に「イデア界」に存在していたのだ、と。
そして、「死」とともに肉体から解放された魂は、再びイデア界に回帰し、真実で永遠不変を生きることとなる。
――肉体が滅んでも、魂は決して滅びないーー
そうした信念を持つプラトンにとって、ソクラテス同様、「死」とは消滅でも終焉でもなかった。
「死」とは、不完全な現象界から、真実と永遠のイデア界への「転生」だったのである。
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・
エロース(イデアへの憧れ)
プシュケー(魂)は、かつてイデア界にいた。
その魂は現象界に転生し、肉体という不完全な入れ物に宿ることとなった。
プラトンの哲学によれば、僕たちの体にも、そうした「不滅の存在」が生きている。
肉体(脳)にはもちろん「イデア界」の記憶なんてないワケだが、魂にはそれがある。
だからこそ、僕たちは「不完全な三角形」を見て「三角形」だと認識できるワケだ。
さて、プラトンによれば、そうした僕たちの魂は常に「イデア界へ帰りたい」という憧れを抱いているという。
僕たちが美しい夕焼けを見たり、美しい音楽を聴いたりして、ウットリしてしまうのは、僕たちの魂がそこから「イデアの姿」を思い出すからだという。
「イデア界に帰りたい!」
この魂が抱く憧れを、プラトンは「エロス」と呼んだ。
魂が特に「エロス」を感じる場面は、「恋愛」であるとプラトンは言う。
日本語にも「恋にうつつを抜かす」なんていう、プラトン哲学と相性の良い言葉がある。
プラトンの説によれば、恋をしたときに何も手につかなくなったり、ぼーっとしたり、つまり世俗のあれこれをないがしろにしてしまうのは、魂がイデア界を思い出しているからなのだ。
美しい恋人の姿を見て恍惚としてしまうのも、魂が「イデア界の記憶」を想起してエロスを感じているからなのだ。
ただし、ここで急いで強調しておきたい。
エロスというのは、決していかがわしいものでも、不健全なものでもない。
繰り返すが、それは「真実の世界に帰りたい」という純粋な憧れである。
だから、その辺のアホな高校生が(失礼!)口にする、
「うわっ、見てみあの子、エッロ!」
というときのエロは、肉体を求めようとする不健全なものであって、プラトンに言わせれば「現象界」に由来する「ドクサ」であって、“いの1番”に退けなければならないものなのである。
プラトンのいうエロスは、肉体を離れた精神的なものなのだ。
肉体関係と無縁の純愛を「プラトニックラブ」(プラトン的恋愛)と呼ぶのも、そこに由来している。
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アナムネーシス(想起)
プラトンによれば、プシュケー(魂)は、かつてイデア界にいたという。
そして現象界へと輪廻し、肉体に宿ることとなった魂は、つねに「イデア界」への憧れ(エロス)を抱いている。
そんな魂が「美しいもの」に触れたとき、魂はイデア界の記憶を想起する。
これをプラトンは「想起説」(アナムネーシス)と呼んだ。
プラトンにとって「ホンモノの知識」(叡智)は「獲得」するものではなく「思い出す」ものだった。
実はこの点にこそ、プラトン哲学の妙味がある。
プラトン以前にも「真実」とか「究極原理」といったものを探求した哲学者は数多くいた。
いわゆる「万物の根源」(アルケー)を求めたミレトス学派たちが、その代表である。
(参考記事 解説・考察【ミレトス学派とピタゴラスの哲学】)
(参考記事 解説・考察【ヘラクレイトスとパルメニデス】 )
だけど、彼らとプラトンの哲学は、ある点において決定的に異なっている。
それは「真実の所在をどこに求めるか」といった点である。
プラトン以前の哲学者は「真実」を外界に求めた。
「万物の根源は水である」
「万物の根源は数である」
「万物の根源は原子である」
一方でプラトンは、最終的に「真実」を人間の内なる世界に求めた。
「真実」は、あらゆる肉体に宿る「魂」がすでに知っている。
だから、人間は「理性」に従って魂の記憶を思い出せばいいのである。
「真実とは“外”に求めるものではなく、ひたすら自らの“内“に求めるものだ」
ここがプラトン哲学の勘所である。
もちろんイデア界というのは、ここではない「彼岸」にあるとされている。
次の有名な絵を見て欲しい。
これは「アテナイの学堂」という名画だが、その中で決然と天を指さしているのがプラトンだ。
「真実は天上界にある」
プラトンは弟子のアリストテレスにそう主張しているワケだ。(それに対してアリストテレスは「真実はこの世界にある」と地を指さしている)
ただ、現象界に生きる僕たちが「真実」に到達できるのは、自らの「内的世界」においてでしかありえない。
――「真実」は生まれながらにして、誰の内にも宿っている――
だからこそ、真実とは外界から獲得するものではなく、内的に思い出すものなのである。
こうしたプラトンの想起説は、後々になって、近代哲学の創始者「デカルト」の“生得観念”という考えに受け継がれていくのだが、それはまた別のお話。
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洞窟の比喩
以上が「イデア論」の全貌である。
こんなふうに「イデア論」が説明されると、決まって取り上げられる話がある。
それが「洞窟の比喩」である。
この話はプラトンの主著『国家』に収録されている。
これもひょっとして哲学好きの人にとっては、
「いや、もうええがな」
とおもう類の話だろうが、とても秀逸なたとえなので、最後に改めて紹介しておきたい。
まず、次の絵を見てほしい。
これはそれぞれ次のような対応関係にある。
「地中」=「現象界」 「一般の人々」=「僕たち人間」 「馬の影」=「現象(ニセモノ)」 「馬の実物」=「イデア(ホンモノ)」 「外界」=「イデア界」 「太陽」=「善のイデア」
「地中」の深くに捕らえられ手足と首を縛られている「一般の人々」は、洞窟の奥に映る「馬の影」しか見えないので、それをホンモノと信じ、「馬の実物」の存在に気が付きもしない。
彼らは手、足、首は拘束されつつも、互いに会話することはできる。
A「ほら見てみ」
B「ん?」
A「お馬さん」
B「ああ」
A「今日もお馬さんは元気だな~」
B「それな~」
そんな感じで、彼らは自分たちの誤りに気が付きもしない。
この状況はまさに、「現象界」に身を置き、「目に映る全てをホンモノだ」といったドクサにとらわれている僕たちを見事に表している。
だけど、そんな中で、
「君たちが見ているのはニセモノだよ」
といったことを言い出す人間が現れる。
それが、地中から脱出しようとしている「哲人」である。
彼は「一般の人々」の輪から決然と飛び出し、真実を求め「外界」へと向かっている。
そんな彼を見た人々は口々にいうだろう。
「あいつは変わり者だ」
「協調性のないヤツだ」
「勝手にさせておけ」
しかし、そんな外野の声には耳も貸さず、彼は自らの信念に従い「外界」を目指し続ける。
そしてついに彼は「外界」に出る。
だが「地中」に慣れ切った彼の目には、「太陽」の光はあまりにまぶしすぎた。
しばらくは目がくらんでいた彼だったが、次第に辺りを見渡すことができるようになる。
そして、眼前に広がるホンモノの世界の様相に、言葉にできない感動を覚える。
彼は使命感にかられる。
「地中の人々の目を覚ましたい。真実の世界を見せてやりたい」
そして、彼はふたたび地中へと戻っていく。
「みんな目をさませ! 真実にめざめろ! 本当の世界はここじゃない!」
彼は人々を真実へ導こうと、必死になって説得する。
だけど、周囲は、そんな彼を「変人」といって相手にしようとしない。
それでも、ホンモノを見てしまった彼は、絶対にあきらめない、引こうとしない。
プラトンは、彼のような人間を「真の哲学者」と認めた。
そして、プラトンは自らを彼に投影していたのだといっていい。
真の哲学者は、大前提として「真実」を体験していなければならない。
そして、その感動を原動力として「人々を真実へと導く」という使命を果たそうとする。
「洞窟の比喩」は、そうした「哲学者」と「一般の人たち」との関係を見事に言い当てている。
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解説②「魂の三分説」
さて、ここまでプラトン哲学の主眼である「イデア論」について詳しく解説をしてきた。
ここからは、プラトンの「魂」についての考えを解説していきたい。
プラトンの魂に関する哲学は大きく2つで説明される。
それが、「魂の三文説」と「四元徳」である。
まずは魂の3分説について解説をする。
プラトンによれば、人間の魂は次の3つからなるという。
すなわち、
- 理性
- 意志
- 欲望
である。
この3つはそれぞれ、人間の肉体のある部位に宿るとされた。
- 理性=頭部
- 意志=胸部
- 欲望=腹部
このあたりは、ほとんどプラトンの直感だと言ってよいが、おそらく多くの人も似たような直感を持っていると思う。
さて、「理性・意志・欲望」の内で、もっとも大切な要素はなんだろう。
お察しの通り、それは「理性」である。
なぜなら、プラトンにとって理性とは「真実の知識」(エピステーメー)を得るために必要なものだったからだ。
プラトンはいう。
「人間は理性によって、意志と欲望を統御しなければならない」
このことは、有名な「馬車の比喩」でもって、次のように説明される。
ここに馬車が1つあり、2頭の馬がつながれている。
一頭は「意志」の馬。
一頭は「欲望」の馬。
意志の馬は「高みを目指そう」と上へ走ろうとする。
欲望の馬は「堕落しよう」と下へ走ろうとする。
2頭を放っておいては、馬車は前に進むことはない。
真逆の方向に走ろうとする2頭の馬を制御し、馬車を前に進めるために必要なのが「理性」という御者である、と。
この「馬車の比喩」は、プラトンの主著『パイドン』に収められている。
これを読んで改めて思うことは、「洞窟の比喩」しかり、「プラトンの比喩の巧みさ」である。
改めていうまでもないが、「意志」と「欲望」はどちらも人間が生きていく上で必要不可欠のものだ。(意志は行動する上で大事だし、欲望は生命活動を行う上で大事)
だけど「意志」も「欲望」もどちらも強力で、一方に偏りすぎると人間はうまく生きていくことができない。
そこでプラトンは 「意志」と「欲望」を統御する「理性」の働きこそ、魂にとって最重要であると説くわけだ。
こうしてプラトンは「魂の三文説」によって、
「人間の魂は理性、意志、欲望に分けられる」
と説いた上で、
「その中でも、もっとも重要なのが理性だ」
と結論する。
人間の魂は、理性があって初めてよりよい方向へ進むことができるのである。
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・
解説③「四元徳」
上述したプラトンの魂の三文説をざっくりまとめると、
「魂を構成する『意志』と『欲望』は、『理性』によって統御されねばならない」
ということになる。
よりより魂の状態とは、「理性」によって「意志」と「欲望」が統御された状態である、というワケだ。
ここからさらに、プラトンは「四元徳」という話を始める。
「理性・意志・欲望」が正しく働くと、それぞれ「知恵・勇気・節制」といった徳になるが、間違った働き方をすると、それぞれ「無知・臆病・放縦(わがまま)」といった悪になる。
理性 → 知恵 (⇔無知) 意志 → 勇気 (⇔臆病) 欲望 → 節制 (⇔放縦)
このように、魂がそれぞれの「徳」を生み出したとき、より高次の徳が生まれる。
それが「正義」という徳である。
このような、
知恵(理性)+勇気(意志)+節制(欲望)=正義
といった4つの徳の関係を「四元徳」という。
これはプラトン以降も、ギリシア哲学ではしきりに説かれた考え方であるが、いかにも「ギリシア哲学」が好みそうな“聞こえの良い”発想だなーと僕は思う。
ちなみに、中世になるとキリスト教の影響から、ここに「信仰」、「愛」、「希望」の3つが加わり「七元徳」という考え方が生まれる。
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解説④「哲人王思想」
プラトンは人間の徳について「四元徳」で説明をした。
すなわち、知恵、勇気、節制、そして正義を備えることこそ、人間の理想であるとした。
さて、プラトンが凄いところは、こうした「人間観」を「組織論」へ展開していくところである。
その組織論こそが、プラトンの「国家論」であり、「哲人王思想」である。
プラトンは理想的な国家を「人間の四元徳をそのまま拡大したもの」と考えた。
つまり、国家に「知恵・勇気・節制」が正しく備われば、「正義」の国家になると考えたワケだ。
プラトンによれば、それぞれの階級にはそなえるべき徳があるという。
それをまとめたのが以下である。
統治者階級=知恵(理性) 防錆者階級=勇気(意志) 生産者階級=節制(欲望)
なるほど、確かにそうかもしれない。
国家のリーダーとなる人物には、明晰で論理的な「理性」が必要だろうし、国家を敵から守る人物には、強い気概や何者も恐れぬ「勇気」が必要だろうし、国家の経済を動かすためには、ワガママや自堕落を戒める「節制」が必要だ。
その国家としての「理性・勇気・節制」がそろったとき、それは理想的な国家、つまり「正義」が実現される。
このプラトンの国家論には、現代にも通用する妥当性と説得力があるといっていい。
プラトンは哲学者として優秀であるだけでなく、メタファー(比喩)やアナロジー(類推)の名手であったとつくづく思わされる部分だ。
ここで確認しておきたいことは、プラトンは「魂の三文説」において、「理性」をもっとも重要視していた点だ。
当然これは、「国家」においても変わらない。
つまり、理想的な国家の実現のためには、「理性」を働かせ「知恵」のあるリーダーが必要ということになる。
プラトンは、そうしたリーダーには「哲学者」が適任だと考えた。
プラトンの有名なことばに、こんなものがある。
「哲学者が国家の支配者になるか、支配者が哲学者となるか。そうでなければ、理想的な国家は決して実現しない」
もしも、その時代に哲学者がいるのなら、その人に国家の統治を任せるべき。
もしも、その時代に哲学者がいないのなら、一からそれを育てあげるべき。
これがプラトンの「哲人王思想」である。
また、こうした哲学者による政治を「哲人政治」とよぶ。
どうだろう。
哲人政治とは見方を変えると、
「優秀な人物によるトップダウンの政治」
ということになる。
こうした政治をプラトンは「優秀支配制」と呼び、理想的なあり方だと考えていた。
一方で、「民主制」を想定されうる政治の中で下から2番目の「下等な政治」と考えていた。
だけど、それもそのはずなのだ。
民主政治は、プラトンが最も敬愛したソクラテスを死に追いやった、憎むべき制度だったからだ。
ソクラテスを失った悲しみや、民主政治への憤りから、プラトンは「哲人政治」という「優秀支配制」を理想としたのだろう。
その後のプラトンは「哲人王思想」を掲げ、自ら設立した「アカデメイア」で若者たちの養育に専念した。
若い頃に一度は消えかけた「政治への情熱」は、「哲学者の育成」という形でプラトンの胸の内で再び燃え上がったのだろう。
プラトンが死んだのは80歳。
「哲学・政治への情熱」を絶やさなかった彼は、死の直前まで、著作の執筆と若者の教育に専念したと言われている。
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・
おわりに「アリストテレスという弟子」
以上、プラトンの哲学について解説を行ってきた。
師であるソクラテスの思想を受け継いだプラトン……
「魂は不滅だ」
「イデアは自らの内にある」
「理想的な国家は哲学者つくる」
こうしたプラトンの哲学によって、西洋哲学はさらなる深化を遂げることとなった。
そして、そんなプラトンの哲学を批判的に乗り越えようとした天才的な弟子が現れる。
それが、あのアリストテレスである。
「理想主義者のプラトン、現実主義者のアリストテレス」
そう論じられるように、アリストテレスはプラトンとは違ったアプローチで「真実」を探求した。
現代の科学的な考えも、アリストテレスの哲学に大きく影響を受けているのだが、それはまた別のお話。
以上で、記事はおしまいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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