紹介するのはこちら。
哲学をだれよりも分かりやすく説明する「飲茶」氏。
彼による「哲学」の実践方法が書かれた本だ。
「哲学」=「役に立たないもの」
というイメージを持っている人は多いと思う。
というか、哲学というのは、本来役に立たない。
「〇〇のため」に哲学をするというのは、哲学の本質からそれるからだ。
哲学の本質は、「それ自体が目的である」ということだと思う。
筆者は、それを重々承知したうえで、
「でも、そんな哲学を人生に応用すると、人生が豊かになるよ」
と、とても説得力のある筆致で説明をしている。
体験のリアリティを取り戻すために
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ところで、あなたは、おとといの夕飯をぱっと思い出せるだろうか。
こう書いて、ぼく自身も考えてみたのだけど、それが「マーボー豆腐」であることを思い出すのに、3分ほど時間がかかった。
こんな感じで、ぼくらの日常というのは、そのほとんどが意識に上ることなく消え去っていく。
それらを「どうでもいい」と、ぼくたちが判断してしまっているからだと、筆者は言う。
それが理由に、幼いころのことを思い出してみてほしい。
毎日が新鮮で、初めての夏休みなんて感動の連続だったはずだ。
眠い目をこすって行ったラジオ体操、
買ってもらったばかりの虫取りアミ、
セミやカブトムシを追いかけた朝、
学校のプールの塩素のにおい、
バスタオルに包まれた時のぬくもり、
家族といったお祭り、
空をいろどる大輪の花火のきらめき、
とにかく、1つ1つが新鮮で、夏休みがとても長く感じられた。
それが、いまはどうだろう。
家と職場の往復の毎日、
休日の朝は惰眠をむさぼり、
日中はだらだらとTVを見て過ごし、
夜はいつもの発泡酒片手に映画でも見て、
1日のおしまいに、スマホを眺めて布団の中で寝落ちする。
そして、いつも通りの気だるい朝を迎え、
「ああ、なんかおもしろいことねえかなあ」
と、つぶやきながら、1週間をスタートさせる。
こうして、日々はただただ過ぎ去っていく。
人生80年。
その限りある人生の大半が、こんな風に色彩を失って、ただ過ぎ去るだけだとすれば、それはあまりにもったいない。
あの小学生のころのように、濃密で新鮮でリアリティのある時間を過ごしたい。
だれもがそう思うはずだ。
「うあああ、もう20歳、ひくわー」
「ついになっちまった、30歳、あせるわー」
「え? もう40歳、いよいよおじさん」
「……50歳? もう半分、すぎた?」
「う、う、うそだ……60歳だと?」
なんていう風に、人生は矢のように過ぎ去っていくのは、体験にリアリティがないからじゃないか。
もし、毎日の体験にリアリティを取り戻すことができれば、人生はより豊かに、より濃密になるはず。
筆者はいう。
「哲学することで、人生のリアリティをとりもどすんだ」
この本には、その具体的な方法が示されている。
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体験とは そもそもなんなのか
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この本は、ぼくたちの生活にそって、具体的に、わかりやすく、「体験のリアリティを取り戻す方法」を教えてくれている親切な本だ。
だけど、それだけではない。
さすがは、哲学解説のスペシャリスト飲茶氏。
ちゃんと、哲学の勘所をきっちりと抑えてくる。
「体験とは、そもそもなんであるのか」
「体験をしている、自分とは、そもそもなんであるのか」
「体験をしている、この世界とは、そもそもなんであるのか」
その哲学的な問いにも、きっちりと向き合っている。
筆者が引用するのは、日本近代哲学の重鎮、西田幾多郎の「純粋経験」の概念だ。
「純粋経験」とは、簡単にいうと、
「ぼく と せかい が一体化した経験」
のことだ。
たとえば、美しい風景を見たときに、ぼくたちは「言葉を奪われる」ほどに感動するし、
あるいは、あまりに素晴らしい芸術作品に出会って、「我を忘れる」ほどに集中することが、まれにある。
茫然「自失」することもあるし、「放心」状態になることもある。
そんなときって、「ぼく」や「わたし」という意識は、存在していない。
「ねえ、ちょっと! 話し聞いてるの!?」
と、声を掛けられて、ようやく冷静な思考が戻ってきたときに、
「あ、ごめん、ちょっとぼーっとしてたわ。で、なんだったっけ?」
と、「自分」と「他者(世界)」を取り戻す。
この「すべてが一体化して、ただ体験があるだけの状態」こそが、西田のいう「純粋経験」で、それこそが究極の体験なのである。
そして、筆者はその「純粋経験」こそが、人生を豊かにする瞬間だと考えている。
この本は、哲学の実践の書でもあり、現代版 禅の実践の書でもある。
なにも、お寺へ行って座禅を組んで瞑想する必要は、もはやない。
ぼくたちは、日常生活の中で、この世界の実相に触れ 悟りに近づき 人生を豊かにできるのかもしれない。
ぼくは、本書を読んで、そんなことを考えた。
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ひとこと感想 ー哲学とか 文学とか 宗教とかー
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過ぎ去った時間を振り返ると、いつもあせってしまう。
「もう、ここまできちゃったのか、あとどれだけの時間が残されているのだろう」
だけど、その時の焦りは、忙しい日常に埋もれ、気が付くと1歳、また1歳と、歳をとっていく。
中国には「一炊の夢」という話がある。
ある若い旅人が、道中、なぞの老人に出合った。
老人はいう、
「これは何でも願いか叶う枕じゃ、ちょっと試してみなされ」
旅人は、その枕でうたたねをする。
すると、どうだろう。
ほんとに願い事がかなってしまう。
美しい妻と結婚し、社会的な地位も手に入れ、金も、名誉も、ほしいままだった。
そして、彼は寿命を全うし、その波乱万丈の人生を終え、静かに息を引き取った。
「もし……もし!」
は?
「もう、米が炊き上がりましたよ。さ、召し上がってくだされ」
(……夢?)
そう、旅人が経験した一生は、老人が米を炊くだけの、ほんのわずかな間に見た夢だった。
これが、「一炊の夢」の話だ。
もちろん、ぼくたちに「人生の儚さ」を伝えている。
人生は、そういうものなのだろうか
寿命がつき、自らの一生を終えるその瞬間、
「ああ、まるで、夢のように、あっという間だったなあ」
そういって、満たされない思いのまま、死んでいかなくちゃいけないのだろうか。
できれば、そんな人生を送りたくはない。
人生の瞬間瞬間をありありと感じたいし、「生きている」っていうリアリティを感じていたい。
「一炊の夢」でも分かるように、そう思う人は、古今東西に沢山いる。
そして、そういう人たちは、いろんな方法で、生きるリアリティを取り戻そうとしてきたのだと思う。
それが、哲学であり、文学であり、宗教であり、芸術である。
ぼくは、これらの全ては、人間が「生きるリアリティ」を取り戻そうとする営みだと思っている。
そういう意味で、飲茶さんは飲茶さんのアプローチで、リアリティを取り戻そうとしているのだろう。
飲茶のオススメ本
もう、言わずもがなだと思うが、まだ読んでいない人もいるかもしれないから、一応紹介しておきたい。
史上最強の哲学入門 (西洋編)
史上最強の哲学入門 (東洋編)
この2冊は彼の代表作なのだが、本当にオススメ。
文章が上手なので、まったく飽きず、かつ、それぞれの思想の本質を見事に抽出している。
しかも、東洋と、西洋の思想を横断しつつの説明なので、それぞれの共通点とか、相違点とかが、手に取るようにわかってしまう。
ぼくは、彼の本を読んで、「ああ、やっぱり、真理ってのは1つなんだな」としみじみと感じさせられた。
ぜひ、多くの人に読んでほしい本だ。
西洋、東洋、どっちから読んでもいい。
どっちもすごいんだけど、東洋編は圧巻。
我を忘れたように読んでいたぼく。
「すげえ」
本を閉じたとき、そうつぶやいてしまった。
あれも、純粋経験だったのかもなあ。
「哲学」を学ぶならAudibleがおすすめ
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