解説【日本文学における文芸復興】をわかりやすく―昭和文学の幕開け―

作家
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はじめに「原点へ回帰」

そもそも「文芸復興」って何? という話だが、これは西欧では「ルネサンス」と呼ばれている。

ルネサンスというのは、14世紀末から16世紀はじめにかけて、イタリアから西ヨーロッパ全体に広まったムーブメントだ。

かつてのヨーロッパは、いわゆる「神様中心の世界観」で、多くの芸術や文学は「キリスト教」の影響を色濃く受けていた。

そこにきて、

「いやいや、神様中心の世界じゃなくて、人間にももっとスポットをあてよう」

と、こんな気運が高まりだした。

そこで、注目されたのが「神様以前」の文学、つまり「古典」だった。

要するに「俺たち“人間”の原点に、もう一度たちかえろう!」というわけだ。

これが「文芸復興」というやつである。

さて、実は、日本近代文学においても、この「文芸復興」と呼ばれる現象があったことは、実はあまり知られていない。

それは昭和10年代のこと。

「文学とは何か、もう一度考え直そう」

そうしたムーブメントが、日本の文壇にも起きたのである。

では、それは具体的に、どんな現象だったのか。

この記事では、日本文学における「文芸復興」について徹底解説を行いたい。

――日本の文芸復興ってなに?

――どんな作家が活躍したの?

――代表作にはどんなものがあるの?

そんな疑問に答える内容となっているので、お時間のある方はぜひ最後までお付き合いください。

 

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「文芸復興」とは何か

日本文学における「文芸復興」とは何か、さっそく結論を言うと次のとおり。

【 文芸復興とは 】

・昭和10年前後に起こった文学の“地殻変動”

・主にプロレタリア文学の反発から、既成作家や新人作家が活躍し「自律的な文学」の創造が行われた。

文芸復興を定義すると、およそ以上のようになる。

さて、昭和10年、この頃に起きたできごととして特筆すべきは、なんといっても「プロレタリア文学」の崩壊だ。

プロレタリア文学とは、「文学で社会主義革命を起こそう!」と、立ち上がった作家らによってかかれた作品群で、中でも小林多喜二の『蟹工船』あたりが最も有名である。

詳しくはこちらの記事解説「小林多喜二とプロレタリア文学」 】を参考にしていただくこととして、ここで強調しておきたいのは「プロレタリア文学 = 革命の手段」だったということだ。

つまり、プロレタリア文学において、「芸術性」や「文学性」というのは二の次、三の次だったわけだ。

文芸復興というのは、基本的にこの「手段としての文学」への反発が強く、

「文学は手段なんかじゃない! 文学は文学だろ!」

といった、“文学の自律性”を信じた作家たちを中心に巻き起こったムーブメントだ。

言い換えれば、文芸復興期の文学に共通しているのは「プロレタリア文学への反発」なのだ。

・・・・・・が、昭和10年代の日本文学を俯瞰してみるとなかなかの“カオス状態”で、「ここからここまでが文芸復興の文学だ」と、明確に線引きすることは、実際のところとても難しい。

研究者の間でもその捉え方は様々で、紹介される作家や作品も実にまちまちだ。

ということで、文芸復興期の文学を分類する難しさを重々承知の上で、僕はここであえて「文芸復興期の文学」を次の3つに大別して紹介しようと思う。

【 文芸復興の具体例 】

1、既成作家の再活躍

2、新進作家の登場

3、新しい文芸誌の創刊

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既成作家の再活躍

「文芸復興」の最も代表的なムーブメントは「既成作家の再活躍」だといっていい。

あらためて確認すると、文芸復興が起こるのは昭和10年ごろのことだ。

その直前では、プロレタリア文学とモダニズム文学がしのぎを削っていて、既成作家たちの多くは、この争いのために目立たずにいた

ちなみに「モダニズム文学って何?」って人はこちらの記事解説「モダニズム文学とは」を参考にしてほしいのだが、要するにこれも「文学は芸術でしょ!」と、プロレタリア文学に反発した文学潮流である。

とにかく既成作家の多くは、この「プロレタリア文学VSモダニズム文学」の後ろで影を潜めていたのである。

そこにきて、プロレタリア文学の崩壊である。

そして、ほぼ同時期に、モダニズム文学運動も挫折をしてしまう。

こうなってくると、“水を得た魚”よろしく、

「いよいよ俺たちの番だ!」

と、多くの既成作家たちが沈黙を破ることになる。

特に、「文学は革命の手段だ!」と大手を振っていたプロレタリア文学の崩壊は大きなターニングポイントとなり、既成作家の多くは「いやいや、やっぱり文学は文学でしょ!」と文学の自律性を信じ、次々と作品を発表していった。

その代表的な作家と作品をまとめると次の通り。

【 文芸復興における既成作家 】

谷崎潤一郎『春琴抄』(昭和8年)

島崎藤村『夜明け前』(昭和10年)

川端康成『雪国』(昭和10年)

永井荷風『墨東奇譚』(昭和12年)

横光利一『旅愁』(昭和12年)

志賀直哉『暗夜行路』(昭和12年)

徳田秋声『仮装人物』(昭和13年)

こうしてみてみると、谷崎潤一郎の『春琴抄』や、

川端康成の『雪国』や、

永井荷風の『墨東奇譚』や、

そして志賀直哉の『暗夜行路』など、

とにかく近代日本文学における傑作がずらっと並んでいることが分かるはず。

たとえ10年足らずのわずかな期間だったとしても、この期間はまさに文学が“文学的生命”を取り戻した重要な期間なのだ。

新進作家の登場

文芸復興を語るうえで、既成作家の再活躍と同じくらい「新進作家の登場」も無視できない

彼らの多くも、「文学は政治的手段じゃない!」といった信念を持っていたのはもちろんだが、それよりも大きな特徴は「既成の文学にとらわれたくない!」といった新しい感性を持っていた点だ。

文芸復興期に登場した新進作家の名前を挙げると、こんな感じだ。

【 文芸復興における新進作家 】

石川達三

丹羽文雄

舟橋聖一

石坂洋二郎

高見順

石川淳

坂口安吾

太宰治

前半に並んだ作家たちは、文学に詳しくない人にとっては「だれ? この人たち」って感じかもしれないが、これらはどれも昭和初期に活躍した有名作家ばかりである。

石川達三、丹羽文雄、舟橋聖一、石坂洋二郎……

このうち、石川達三と石坂洋二郎は「新聞小説作家」の2大巨頭とも呼ばれたし、丹羽文雄は後に「風俗小説」の重鎮となる文豪だし、舟橋誠一はそんな丹羽文雄の自他ともに認めるライバル作家である。

また、後半に並んだ作家たちについては、もはや説明不要だろう。

高見順、石川淳、坂口安吾、太宰治……

これら4名は、後に「無頼派」と呼ばれる戦後を代表する作家たちで、特に太宰治や坂口安吾の2名は日本文学を代表する文豪でもある。

さらに、文芸復興期にあたる昭和10年といえば、第1回芥川賞が開催された年でもある。

この時にノミネートされた5人の作家のうち、3名は今ほど紹介した作家たちが占めている

  • 石川達三「蒼氓」(30歳)
  • 高見 順「故旧忘れ得べき」(28歳)
  • 太宰治「逆行」(26歳)

である。

なお、この時に受賞したのは、石川達三の「蒼氓」だった。

一方で、経済的に困窮していた太宰は芥川賞が欲しくてほしくてたまらなかった

選考委員の川端康成は、

「太宰君? あー、まぁ良いっちゃ良いんだけど、生活がガタガタじゃない、彼。そういう不健全さが、作品に出ちゃってるんだよねー」

と、太宰治の作品を酷評した。

その選評を読んだ太宰は、

「刺す。この大悪党め」

と、川端康成にケンカを売ったのは有名な話だ。

……と、こんなこともありつつも、昭和10年代には、既成作家の他に、新進気鋭の作家たちも文芸復興を盛り上げた。

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新しい「文芸誌」の登場

文芸復興期に創刊された3つの文芸誌がある。

これらの文芸誌には、どれも「文学は手段じゃない!」という、これまでのプロレタリア文学への反発があることから、広く「文芸復興」の1つと見る向きもある。

ということで、ここからは次の3つの文芸誌について解説をしたい。

【 文芸復興期に創刊された文芸誌 】

『文学界』

『日本浪曼派』

『人民文庫』

『文学界』(1933年 昭和8年)

プロレタリア文学の崩壊は、昭和10年、小林多喜二の死から始まる。

その2年前にあたる、昭和年に創刊されたのが『文学界』だ。

実は、明治時代にも、島崎藤村によって同じ名前の文芸誌が創刊されているが、ここでの『文学界』はそれとは別のもので、現在、文芸春秋社から『文學界』という純文学系の文芸誌が出版されているが、その前身である。

創刊したのは、近代日本の文芸評論の重鎮「小林秀雄」と、元プロレタリア文学作家の「林房雄」だった。

その同人に加わったのは、川端康成武田麟太郎といった、当時の中堅作家たち。

コンセプトとして「芸術至上主義」をかかげた本誌には、元プロレタリア文学作家と、モダニズム文学の作家があつめられた。

要するに、これまで敵対していた2つの文学の融合である。

「日本に真の文学を!」

そんな高い志をもった作家たちによる『文学界』もまた、日本の「文芸復興」の1つと見られている。

『日本浪曼派』(1935年 昭和10年)

『文学界』が創刊された2年後の、昭和10年。

プロレタリア文学の崩壊が始まる、まさにその年に創刊されたのが『日本浪曼派』だ。

注意したいのは次の2点。

ロマンのマンは「漫」じゃなくて、「曼」である点と、明治時代に写実主義のアンチとして登場した「ロマン主義」とは、ほとんど無関係である点だ。

『日本浪曼派』は、プロレタリア文学系統の「亀井勝一郎」と、のちに古典の美への哀惜を語った「保田与重郎」とが中心となって立ち上げた文芸誌で、そこにはやはり「文学は手段じゃない!」と、純粋な文学を求める作家らが集められた。

その内訳は、『文学界』同様、元プロレタリア文学作家と、モダニズム文学作家だった。

ただ、『文学界』が中堅作家中心だったのに対して、『日本浪曼派』は新進作家が中心だった点に両者の違いがある。

『人民文庫』(1936年 昭和11年)

正直、この雑誌については「文芸復興」に含めてよいか、かなり微妙なところだ。

というのも、この文芸誌に集められたのは、元プロレタリア文学作家が多かったからだ。

小林多喜二の死の、その翌年、昭和11年に『人民文庫』は創刊された

同人は、元プロレタリア文学作家の「武田麟太郎」が中心で、本書は次のことを大きな目的としていた。

「現在干されている、元プロレタリア文学作家に、創作の場を与えたい」

そもそも、タイトルの『人民文庫』からして、左翼的、マルクス主義的な匂いがプンプンしている。

では、なぜ、この文芸誌をあえて「文芸復興」の1つとして紹介しているかというと、タイトルとは打って変わって、ここに掲載された作品には、ほとんど左翼臭がしないからだ。

どちらかというと、大衆小説が中心となっていて、しかも、芸術を志向する作家たちもドンドン集まり、次第に「プロレタリア作家+モダニズム文学作家」の様相を呈していった。

この点については、先に紹介した『文学界』と『日本浪曼派』と、なんら変わらない。

そういった点では、この『人民文庫』も(名前こそ左翼っぽいものの)、やはり「文学は手段じゃない!」という、純粋な文学を目指した文芸復興の1つと見てもいいと思う。

実際、後年になって、多くの作家・評論家たちが『人民文庫』の文学性を評価している。

たとえば、戦後文学を代表する評論家「平野兼」は、

一見対照的な性格をもつ『人民文庫』と『日本浪曼派』とは、ナルプ解散、転向文学の氾濫という文学的地盤から芽ばえた異母兄弟とも言えよう

と述べているし、戦後活躍した無頼派作家「高見順」も、『人民文庫』と『日本浪曼派』について、

転向という一本の木から出た二つの枝

と述べている。

要するに、『日本浪曼派』を文芸復興の1つと見てよいなら、『人民文庫』だって文芸復興の1つと見るべきなのだ。

ということで、文芸復興期に生まれた特筆すべき文芸誌は

  • 『文学界』
  • 『日本浪曼派』
  • 『人民文庫』

以上の3つにまとめることができるだろう。

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おわりに

以上、日本文学における「文芸復興」について解説をしてきた。

あらためてまとめると、以下の通り。

【 文芸復興とは 】

・昭和10年前後に起こった文学の“地殻変動”

・主にプロレタリア文学の反発から、既成作家や新人作家が活躍し「自律的な文学」の創造が行われた。

【 文芸復興の具体例 】

1、既成作家の再活躍

2、新進作家の登場

3、新しい文芸誌の創刊

「文芸復興」と呼ばれる時期は、たかだか10年足らずの短い期間だった。

だけど、この時期に「文学とは何か?」という問いが再び生まれ、それが日本の文学に広がっていったのは、とても意義あることだ。

「文学は手段じゃない」

この考えには賛否両論あるとは思うが、だけど、日本文学が選んだのは「文学の自律性」、つまり、「文学のための文学」だった。

そうなのだ。

文学というのは本来、何かを成し遂げるために書く物ではないのだ。

「とにかく書きたい」

「書かずにはいられない」

そうした衝動が、文学の原動力となっているのだ。

「文芸復興」というムーブメントは、

「そもそも、どうして文学をやるの?」

といった、根本的な問いを多くの文学ファンに与える意義深いムーブメントだったといえるだろう。

興味のある方はぜひ、この時期に書かれた作品を手に取って、実際に読んでいただければと思う。

この記事が、あなたの充実した読書ライフの一助になれば幸いです。

以上、「文芸復興」に関する解説を終わります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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