はじめに「哲学ってなに?」
「哲学」と聞いて、あなたはどんなイメージを持つだろうか。
- むずかしい
- とっつきにく
めんどくさい
といった否定的なものもあれば、
- かっこいい
- かしこそう
といった肯定的なものもあるかもしれない。
もし両者に共通点があるとすれば、それは一体なんだろう。
それはきっと
自分とは無関係な学問
といったものになるのではないか。
むずかしいし、自分には関係ないな。
かっこいいけど、ちょっとハードルが高いな。
そんな思いから、哲学は敬遠されてしまいがちである。
が、そうした考えについて、僕はすぐさま反論を加えたい。
哲学はあなたと無縁な学問なんかではない。
というよりも、この世界に存在している限り、あなたの「存在の根本に深くかかわる」学問だと言って良いだろう。
では哲学がテーマにしている問題とは、一体なんなのか。
結論を言えば、
なぜこの世界は存在しているのか
ということになる。
この問題を、もっとかみ砕いて言えば、
なぜ自分は存在しているのか
ということになるし、
自分は死んだらどうなのか
ということにもなる。
ここで改めて言うまでもないけれど、あなたはいつか必ず死んでしまう。
そして、あなたの家族、恋人、友人たちも、いつか必ず死んでしまう。
さらにその次の世代も、その次の世代も、そのずっーーーーっと先の世代も、例外なく必ず死んでしまう。
そして最終的には、この地球も太陽に飲み込まれて、宇宙の塵と消えてしまう。
これは一体どういうことなのか。
なぜ僕たちは、それでも生きなければならないのか。
自分自身の命にはいったいどんな意味があるのか。
哲学を突き詰めて考えていくと、最後はこの究極の問題に行きつく。
僕たちは、この世界に1人で生まれ、1人で生き、そして1人で死んでいかなければならない、そういう存在だ。
であれば、哲学の問題と無縁な人間なんて、この世界に存在していないことになる。
さて、このブログでは哲学の歴史をシリーズ化して、丁寧に分かりやすく解説をしてゆく。
紹介する哲学者たちは、みな例外なく「この世界はなぜ存在しているのか」という難題に立ち向かっている。
あるものは先人の教えを受け継ぎ、あるものは先人の教えを批判し、そして「知のバトン」は脈々と現代の僕たちまで受け渡されてきた。
その「知のバトン」を、僕たちはきちんと受け取らなければならないと思う。
今回は“哲学の始まり”として「ミレトス学派」と「ピタゴラス」の哲学について解説する。
お時間の在る方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
解説①「哲学以前」の世界観
「なぜこの世界は存在しているのか」
その問いの起源は古く、また世界中に見て取ることができる。
たとえばインド、中国、エジプトなどなど。
が、一般的に「哲学」といえば、狭義に「西洋哲学」を指している。
その起源は古代ギリシアにあり、初めて哲学が生まれたのは紀元前600年ころと言われている。
では、それ以前の西洋には「なぜこの世界は存在しているのか」といった問は生まれなかったのだろうか。
そんなことはない。
繰り返すが、これは人間であれば、誰しもが抱えている問題なのだ。
ただ、哲学以前と以後では、その「説明」の仕方が全く異なっていた。
哲学以前において「この世界のはじまり」は神話で説明されていた。
つまり、「世界を作ったのは神である」などと説明されていたわけだ。
それ以外に「人間のはじまり」も「人間が生きる意味」も「自然現象」さえも、すべて「神」との関係によって説明されていた。
それで人々が納得し、満足しているうちは、なんら問題ない。
ところが、次第に人々は生活圏を広げ、異文化の人々と出会うことで状況は大きく変わることになる。
異文化人との交流を通して、自分が信じてきた「神話」の限界というものが露呈してしまったわけだ。
神話Aを信じる人、神話Bを信じる人、神話Cを信じる人。
彼らが正しいと信じる「真理」はてんでバラバラで、ある人にとっての「真理」が、ある人にとってはデタラメに映る、なんて事態が次々と起きてしまった。
これじゃまずい。
そう思った人々は、あらためて次のように問い直した。
誰にでも通用する「普遍的」な真理ってなんだ?
「哲学」はこうして生まれた。
さて、「哲学」の理念は、大きく次の3つにまとめることができる。
①「神話」を使わずに、誰にでも通用する「抽象概念」で説明すること。 ②「世界はなぜ存在しているのか」その根本原理を突き止めること。 ③先人の常識にとらわれず、「はじめの一歩」から論理的に考えること。
この3つを守りさえすれば、世界中のどんな国の、どんな人にも通用する「絶対不変の真理」に到達できるはず。
特に、③の「論理的」という特徴は、多くの人が持っている哲学のイメージの1つだろう。
哲学では、この論理のことを「ロゴス」と呼んでいる。
一方で、論理に対置される神話のことを「ミュトス」と呼んでいる。
とすれば「哲学とは何か」の答えは、およそ次のようになる。
「神話(ミュトス)」を克服し、「論理(ロゴス)」によって世界を解き明かそうとする営み。
以下では、その哲学の実践者と、その思想内容を概括したい。
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解説②「哲学の始まりの地」
さきほど、「哲学」は狭義に「西洋哲学」であると説明した。
もちろんそれは嘘じゃないのだが、実は「哲学の始まり」は小アジアから、というのが定説となっている。
その始まりの地となったのが、ギリシア本土から見て東方、エーゲ海対岸の「ミレトス」というイオニア人の都市国家だった。
このミレトスの地理的特徴として、次の2点について触れておきたい。
- 諸文化の交易の中心地であったこと。
- エーゲ海に面した地であったこと。
まず、ミレトスの周辺にはギリシア、イタリア、エジプト、ペルシアといった国が広がっていて、ミレトスは当時の地中海文化のほぼ中心に位置していた。
すると、周辺の異文化人たちがこの地で交流をすることとなる。
それぞれが信じる「神話」の限界が露呈し、「普遍的な真理を明らかにしよう!」という気運が高まるのも必然だといえるだろう。
それから、エーゲ海に面したこの地の人々にとって、「自然」とは特別な存在だった。
ひとたび高台に登れば、その眼前には広大な海が広がっている。
ギリシア神話でも「神々のふるさと」と言われた海である。
この地に生まれ「哲学の粗」と言われたのが、これから紹介する「タレス」という男だ。
彼のもっとも有名な言葉、
「万物の根源は水である」
は、この広大なエーゲ海と深い関係にあるのは間違いない。
解説③「ミレトス学派」を紹介
さて、この「万物の根源」という言葉……
おおかた「倫理」の授業で聞いてなんとなく覚えている、って人も多いのではないだろうか。
これはギリシア語で「アルケー」といって、日本語だと「起源」とか「根源」とか「原理」などと訳され、もう少し平たく言うと「世界を作る基本単位」ということになる。
ミレトスで活躍した哲学者の多くは、この「アルケー」を明らかにしようとした連中だといっていい。
一覧にまとめると、こんな感じ。
哲学者 | アルケー |
タレス | 水 |
アナクシマンドロス | 無限定なもの |
アナクシメネス | 気息 |
実はこの3人、それぞれが師弟関係にある。
まず師のタレスが「アルケー(世界の原理)は“水”だよ」と主張する。
それに対して弟子のアナクシマンドロスが「いや、アルケー(世界の原理)は“無限定なもの”です」と反論する。
さらにそれに対して、その弟子のアナクシメネスが「いやいや、アルケー(世界の原理)は気息っすよ」と反論する。
この自由な議論と批判の応酬が、まさしく哲学だと言えよう。
これまでの「神話(ミュトス)」では、「世界は神が作りました」というのが絶対不変の真理であって、そこに反論や批判は許されなかった。
だけどそうではなく、哲学は「論理(ロゴス)」によって「世界」を説明する営みなわけで、この3人のように、
「水だ」
「いや無限定なものです」
「いやいや気息っすよ」
と、忌憚のない議論が許されるというわけだ。
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解説④「ミレトス学派」の議論
以下では、それぞれの言い分を簡単に説明しておきたい。
まずタレスが「アルケー(世界の原理)は水だ」と主張したのは、水がまさしく「生命の根源」だと直感したからだ。
「水は世界中に満ち満ちている。それに水がなければ、俺たち生き物はカラカラになって死んでしまう」
こうした実感はとうぜん人々に共有されたものだったはずだし、人々の納得や理解を得ることもできただろう。
ただ、弟子のアナクシマンドロスは鋭かった。
「たしかに、水は生命にとって不可欠なものだよね」
と、いったん師匠の意見をくみ取ったうえで、次のように反論を加える。
「だけど、どうして火とか土とかじゃだめなの? それらだって、生命にとって大事なものだと思うけど」
たしかに「アルケーは水だ」いえるなら、どうして「アルケーは火だ」とか「土だ」といえないのだろう。
だからアナクシマンドロスはこういうのだ。
「アルケーは(世界の原理)は無限定なものです」と。
なるほど、こうすれば「水」とか「火」とか「土」とか、特定のものに限定される必要はなくなる。
しかし、そこにアナクシメネスが現れて、師匠にこう反論を加えた。
「無限定なものって、結局なんすか?」
まったくもって、その通り。
「ありがとうアナクシメネス」って感じで、彼は多くの人の「?」を見事に代弁してくれている。
彼の言わんとするところをまとめれば、およそ次のとおり。
「まず、“無限定なもの”なんて誰にもピンとこないものは論外。次に“水”についてだけど、水は生命の根源だし、確かにアルケーっぽい。だけど、水は蒸発したり氷になったり、さまざまに変化をする。その変化の原因は“水”自身にあるとはどうも思えない。その変化をもたらしているのは“大気の温度変化”だ。とすれば、水の変化の根本原因は大気ということになるのではないか」
つまりアナクシメネスによれば「水よりも高次元の原理があり、それが大気だ」というワケだ。
そして彼はこう結論する。
「アルケー(世界の原理)は気息である」
この「気息」というのは、ありていに言えば「空気」であり、ギリシア語では「プネウマ」と呼ばれている。
プネウマは後に、ラテン語で「スピリトゥス」となり、英語の「スピリッツ」の語源となる。
そう、人々にとって「気息」つまり、呼気や吸気というのは生命の根源であり、まさしく「魂」の別名だったのだ。
こう考えてみると、アナクシメネスの主張というのも一理ある。
が、改めて3人の説を並べてみると、現代の僕たちの眼には、なんとも稚拙に映ってしまう。
タレス 「世界の原理は水だ」 アナクシマンドロス 「世界の原理は無限定なものだ」 アナクシメネス 「世界の原理は気息だ」
この主張自体は、まぁ、まちがいなく「真理」とは言えないだろう。
ただ、彼らの仕事は正真正銘の「哲学」だと断言できる。
なぜなら、哲学の理念は、次の3つだからだ。
- 「神話」を使わずに、誰にでも通用する「抽象概念」で説明すること。
- 「世界はなぜ存在しているのか」その根本原理を突き止めること。
- 先人の常識にとらわれず、「はじめの一歩」から論理的に考えること。
彼らは常識や神話にとらわれず、論理によって「世界の原理」を明らかにしようとした、最初の哲学者だといえる。
ミレトス出身のこの3人は哲学史において「ミレトス学派」と呼ばれている。
また、後に紹介するヘラクレイトスなどの哲学者を含めて「イオニア自然学派」とも呼ばれている。
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解説⑤「ピタゴラス」の哲学
哲学史上、世界で最初に「アルケー(世界の原理)とは何」を問うたのはミレトスのタレスだった。
紀元前600年ころのことである。
実は時を同じくして、はるか西方、イタリアの地でも哲学者が生まれていた。
それがピタゴラスだ。
「ピタゴラスの定理」で有名な彼は、魂の浄化を目指して宗教団体を設立し、政治的な影響力も大きかったと言われている。
彼を取り巻く一派は「ピタゴラス学派」と呼ばれ、同時代に活躍した「ミレトス学派」と区別されている。
つまり、ピタゴラスの哲学は、ミレトス学派とは別系譜の哲学なのだ。
では両者にはどんな違いがあるのか。
簡単にまとめると、こんな感じだ。
ミレトス学派 ……世界を形作っている「基本単位」を明らかにしようとした。 ピタゴラス ……世界に秩序や調和を与えている「原理」を明らかにしようとした。
ミレトス学派の代表にタレスという人物がいたが、ざっくりと彼の主張を言えば、
世界のあらゆる「存在」は“水”によってできている。
ということになるだろう。
これが有名な「万物の根源は水である」という、例の言葉に現れている。
対するピタゴラスの有名な言葉に「万物の根源は数である」というものがある。
こう聞くと、
ああ、世界のあらゆる「存在」は数でできているのね
と、タレスの哲学の「数バージョン」と考えがちだが、それは大きな誤解である。
だって、「世界を作っているのは“数”」って、よくよく考えて意味不明じゃないか。
人間の構成原理は“水”です
これはまあ分かる。だけど、
人間の構成原理は“数”です
これは全くイメージできない。
要するに、ピタゴラスが言いたいのはそんなことではないのだ。
「万物の根源は数だ」という言葉に託した、ピタゴラスの真意、それは、
この世界に秩序と調和を与えているものは“数”である
ということなのだ。
たとえばあなたの目の前に“1つの“リンゴがあったとしよう。
それを目にしたあなたは、すでに「1」という数字を無意識のうちに認めている。
当然そのリンゴをまっぷたつに割れば「2」という数字を、それぞれまっぷたつに割れば「4」という数字を……といった感じで、どんなに細かくしていったとしても、そこにはつねに「数」の秩序が存在している。
それに、1+1の計算は、世界中の誰がやったって2になるではないか。
これは万物の根源が「水」なのか「土」なのかに比べて、はるかに自明で普遍的「真理」だといえる。
ピタゴラスはこの事実に目をつけた。
ちなみに彼が感心を寄せていたものとして「数学」のほかに「音楽」があった。
あの美しいメロディ……
よくよくそれを分析してみると、そこには「音階」と、明晰な「整数比」がある。
どうして人は、音楽に魅了され癒されるのだろう……
それは人間の魂が「数の調和」に癒されているからだ、と彼は考える。
そもそも彼は「魂の浄化」を目指した教団の教祖である。
そんな彼が「世界の原理は数だ」と結論付けるのも納得できる。
- “数”=誰にでも通用するルール
- “数”=人々の魂を浄化するもの
ここから彼が出した結論、それが、
「世界に秩序(コスモス)と調和(ハルモニア)を与えているのは“数”だ!」
というものだった。
これが「万物の根源は数である」の真意である。
ちなみにピタゴラスは、哲学史上初「オレは哲学者だ」と自称した人物だと言われている(しかし諸説あり!)。
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この記事のまとめ
以上、「哲学の始まり」と題して、
- ミレトス学派の哲学
- ピタゴラスの哲学
の2つの系譜について解説してきた。
改めて両者の違いをまとめると、
ミレトス学派の哲学 ……世界を構成する「基本単位」を明らかにしようとした ピタゴラスの哲学 ……世界に秩序と調和を与えている「原理」を明らかにしようとした
ということになる。
前者が主に「感覚できるもの」(目に見えるものや、肌で感じられるもの)にスポットを当てたのに対して、後者はその「感覚できるもの」の背後にあるものにスポットを当てたのだといえる。
言い換えれば、
ミレトス学派が
「世界は何からできているの?」
という問いを立てたのに対して、
ピタゴラスは、
「世界に秩序を与えているのは何なの?」
という問いを立てたのだといえる。
どちらも「この世界が存在することの謎」に取り組んだ点では共通している。
やはり哲学の根っこには、この「世界への問い」があるのだ。
「なぜ世界はあるの?」
「なぜ自分がいるの?」
それらの問いは、
「自分が死んだらどうなるの?」
と言い換えることもできる。
「死」は、遅かれ早かれ誰の元にも訪れる。
だとすれば、それと真正面から格闘した先人の「知」に触れることには、大きな意味があるのではないだろうか。
そんな問題提起をして、この記事を締めくくりたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
【 哲学史の一覧はこちら 】 1、【ミレトス学派とピタゴラスの哲学】 2、【ヘラクレイトスとパルメニデス】 3、【デモクリトスの原子論】 4、【プロタゴラスとゴルギアスの哲学】 5、【ソクラテスの哲学・思想】 6、【プラトンのイデア論】
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