解説・考察『続泥流地帯』—作者が伝えたかったことは?ヨブ記との共通点を参考に—

文学
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はじめに「三浦文学の魅力」

三浦綾子は北海道旭川出身の「昭和文学」を代表する女流作家だ。

自身はキリスト教徒でもあることから、彼女の作品には「キリスト教」の影響が濃いものも多い

そんな彼女の文学の最大の魅力は、読者に大きな「問い」と「感動」を与えてくれる点だといっていい。

三浦自身、人生の中で大きな悲しみと困難に直面し、「生きる意味」を全身全霊で問い続けた人だった。

そうした経験が、彼女の創作の原動力であり、彼女の文学の原点だといっていい。

さて、今回解説したいのは、三浦文学の中でも多くのファンを獲得した感動の長編作『泥流地帯』の完結編、『続泥流地帯』である。

こちらも、前作に引き続き、読者に大きな「問い」と「感動」を与えてくれる作品となっている。

【 参考記事 解説・考察『泥流地帯』(三浦綾子)—悲しみや苦しみに意味はあるのか—

以下では、そんな『続泥流地帯』に描かれた主題や、聖書「ヨブ記」との関連について、じっくりと解説・考察をしていこうと思う。

記事の最後には、三浦綾子のオススメ作や、効果的に読書ができるサービスについても紹介しているので、興味がある方は参考にしていただきたい。

では、お時間のある方は、ぜひ最後までお付き合いください。

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拓一の生き方

前作『泥流地帯』に引き続き、本書『続泥流地帯』にも流れているテーマ。

それが「人はいかに苦難に立ち向かえるか」である。

泥流によって家族や住居だけでなく、田畑や家畜といった生活の糧を失った拓一。

多くの人々が絶望するなかで、しかし拓一は、祖父の意志を受け継ぐように、故郷を復興しようと心に誓う。

しかし、硫黄に蝕まれた土地に、ふたたび稲が生える保証はどこにもない。

それでも復興に取り組もうとする拓一の姿は、弟の耕作の目に、あまりに無謀かつ蛮勇に映った。

耕作にしてみれば、拓一ほどの人物であれば、市街でいくらでも職にありつけるし、今よりずっと裕福な暮らしができるはずなのだ。

だが、拓一はそのことを十分自覚をしている。

それでもなお、愚直なまでに「復興」に執着をする拓一。

僕たちはそこに、拓一が持つある種の求道ぐどう的」な生き方を見て取ることができる。

「実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者の一つの生き方ではないのか。自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないか。俺はね、はじめからそう思っているんだ」(文庫本P232より)

ここには、明らかに、世間とは違った物差しで生きる拓一の価値観が表れている。

世間の人たちは、いわゆる「善因善果・悪因悪果」を信じて生きている。

要するに

「善い行いをすれば、善い結果がついてくるが、悪い行いをすれば、悪い結果がついてくる」

といったことを信じて、それを自らのよりどころにして、人々は生きているのである。

ところが、この世界は、そうシンプルにできてはいない。

「善人や弱い者が苦しみ、悪人や強者が栄える」なんてことが珍しくない。

世間が信じる「道理」に反する、こうした事態を、日本語では「不条理」と呼ぶ。

『続泥流地帯』でも、前作に引き続き、努力や誠意をあざ笑うかのような不条理が拓一を容赦なく襲う。

周囲の人々は復興に理解を示さず拓一に対して心ない中傷を浴びせてくるし、そうした中傷に耐えつつ、一年をかけて植えることができた稲は、硫黄の影響で腐ってしまうし、挙句の果てには、暴漢に襲われて、下半身に大きな障害を負ってしまう。

だが、拓一は、そうした苦難に屈することはない。

それはとりもなおさず「善因善果・悪因悪果」といった世間の価値観とは、全く異なる価値観を、拓一が生きているからである。

「たとえ報われなかったとしても、苦難を生きることに価値がある」

そうやって愚直に生きることが、拓一に生き方なのだ。

 

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ヨブ記との関連

「苦難に屈せず、自らの信念に基づき真実に生きる」

こうした拓一の生き方を、あえてキリスト教の文脈で言い換えると、

「苦難に屈せず、神への信仰に基づき真実に生きる」

ということになる。

実際、本書では、拓一の生き方を「ヨブ記」の関連の中でとらえようとしている。

ヨブ記の概要については、本書で次のように説明されている。

聖書には、ヨブほど正しい者はいなかったと書いてある。その正しいヨブが、十人の子供たちを一人残らず、台風で一挙に失ってしまう。たくさんの使用人や、莫大な財産も、一瞬の間に殺されたり、略奪されたりするのである。その上、ヨブ自身も、全身が腫れ物におおわれるという悲惨な苦しみに会う。(P415より)

こうして改めて、ヨブと拓一を比較してみると、そこには多くの共通点を認めることができる。

ヨブ拓一
神への信仰を貫いている 自己犠牲の精神で人々に尽くしている
台風で全ての子供を失う 泥流で祖父母と妹を失う
使用人や財産を失う 住居や家畜を失う
全身が腫れ物に覆われる 下半身に重い障害を負う

共通点はこれだけではない。

ヨブは周囲の者たちから

「お前に罪があるから、こんな災難に会うのだ」

と厳しく責められることになるが、これは拓一が、

「お前の日ごろの行いが悪いから、災難に会うのだ」

と、いわれのない言葉で周囲から責められたのと、全く同じ構図である。

こうしたことからも、ヨブ記と『続泥流地帯』とに共通する問いは、

「正しいものがなぜ苦難に会うのか」

「苦難を前に、人はいかに生きていけるか」

であるといえる。

では、本書『続泥流地帯』は、そこにどんな解答を与えているのだろう。

 

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「災難」と「試練」の違い

改めていうまでもないが、人間が生きていくなかで「悲しみ」や「困難」に直面することは避けられない。

それは、時にとてつもない大きさで訪れ、人間を失意と絶望のどん底に陥れる。

そうした巨大な「悲しみ」や「困難」に対して、僕たちはいったい、どのような態度で臨めばよいのだろう。

「悲しみに意味なんてない」

そうした態度で臨んだとき、悲しみは「災難」となる。

それとは逆に、

「悲しみには意味はあるはずだ」

そうした態度で臨んだとき、悲しみは1つの「試練」となる。

こう考えた時、ヨブも拓一も、悲しみを「試練」と捉えることができる人間だということが見えてくる。

聖書では、ヨブの言葉で次のように語られている。

神より福祉さいわいを受くるなれば、災禍わざわいをも亦受けざるを得んや。(P415より)

つまり、

「自分は神から幸せを与えられているのだから、災いだって進んで受け入れよう」

といったことを、ヨブは語っているのである。

ここに、ヨブの神への信仰が表れている。

では、拓一は「悲しみ」の意味について、どのように考えているのだろう。

引用するのは、修平叔父の「どうして善人が報われないのか」といった問いに対する、拓一の返答である。

「それは俺たちには、わからないけどさあ。吾々人間の頭では計り知ることのできない何かが隠されているんじゃないのかなあ」(P422より)

人間の「論理」や「理屈」では、考えの及ばない「働き」が、きっとこの世界には存在している。

そんな予感を、拓一は素直に語っているが、母の佐枝はこれを、キリスト教の文脈で次のように解釈をする。

「今、拓一が言ったように、人間の思い通りにならないところに、何か神の深いお考えがあると聞いていますよ。ですからね、災難に会った時に、それを災難と思って嘆くか、試練と思って奮い立つか、その受け止め方が大事なのではないでしょうか」(P423より)

つまり、目の前の「悲しみ」を、全く意味を持たない「災難」と受け止めるか、何かしらの意味を持つ「試練」と受け止めるかは、その人の主体性に委ねられているということだ。

拓一が、様々な不条理に直面をしても、決して絶望しなかったのは、そうした強い主体性があったからだと言える。

拓一は次のようにも言う。

「わかってもわかんなくてもさ、母さんの言うように、試練だと受け止めて立ち上がった時にね、苦難の意味がわかるんじゃないだろうか。俺はそんな気がするよ」(P423より)

悲しみを受け入れて生きていくことに、きっと意味はある。

これが拓一の生き方であり、「悲しみを受け止めて生きていく」とする姿勢は、先ほどのヨブの生き方とも共通している。

――この世界には大きな悲しみや困難がある。
そこには、人間には計り知れない意味が隠されている。
そのことへの信頼を捨てずに生きていくこと、それが、人間にとっての“真実”の生き方なのではないか――

これが、人生の悲しみに対して、『続泥流地帯』が出した一つの解答だとみていいだろう。

なお、作者の三浦綾子は拓一について「自分にとって理想的な人」と語っている。

拓一という人間の姿に、作者の三浦綾子の信仰の在り方や人生観が投影されているのだと、僕は考えている。

 

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感想「それでも光を求めて」

最後に、『泥流地帯』と『続泥流地帯』を読んだ僕の感想について簡単に述べて、この記事を締めくくろうと思う。

連日のように報道される悲しい事件や事故を知ったとき、僕はいつもこう思わずにいられない。

「どうして、世界には、こんなにも大きな悲しみが存在しているのだろう」と。

涙を流しながら会見にのぞむ被害者遺族。

その一方で、罪悪感のカケラもなく自己弁護をする加害者。

そうした残酷な対照を目の当たりにしたとき、

「どうして弱い者ばかりが苦しまなければならないのだろう。どうして罪のない者ばかりが苦しまなければならないのだろう」

と、僕は強い怒りと憤りを感じてしまう。

作者の三浦綾子は、その自伝的エッセイ『道ありき』で、「人生はどこまでも不条理である」と、何度も何度も述べている。

『泥流地帯』で描かれたのもまた、とてつもない不条理である。

ここまでの不条理に、人は耐えられるのだろうか。

それは分からない。

だけど、拓一や耕作の生き方が、僕たちに示唆するものはある。

それは、「人生には意味がある」という信念のようなものだ。

繰り返す。

彼らには「信念」があるのだ。

たとえ泥流という不条理に直面しても、その灯は消えてはいない。

さて、本書『泥流地帯』シリーズは、三浦文学の中では、キリスト教との関連が薄い作品と言われている。

それでも、ところどころに、「信仰」についての言及がある。

聖書には『正しき者には苦難がある』って、ちゃんと書いてあったぞ

『泥流地帯』P277より

――正しき者には苦難がある――

本書でも何度も書かれてきたことだが、これは「悲しみや苦しみには必ず意味がある」と解釈することができるだろう。

だけど、これを心から信じることは容易ではない。

それくらい、現代の僕たちの思考は「合理性」に侵されてしまっている。

たとえ、神や仏の必要性を感じたとしても、

――でも、ほんとうにそんな存在はいるのだろうか?

――ほんとうに、この苦難に意味はあるのだろうか?

こうした疑いを捨て去ることはできないのが、僕たちではないだろうか。

だけど、「信仰」というのはそこから始まるのだ。

それを僕は三浦綾子文学から教わった。

「神はいる!」

そう確信している信者なんて、むしろ僕はとてつもなく怪しい人だと感じてしまう。

「悲しみに意味はある!」

そう断言する人なんて、むしろ僕は思考停止の自己欺瞞の人だと感じてしまう。

「本当に神はいるのか?」

「本当に悲しみに意味はあるのか?」

そういう疑いを捨てきないまま、それでもなんとか「光」を求めて、与えられた人生を生ききろうとする中に「信仰」はあるのだし、そこから「信仰」は始まるのだと感じている。

三浦綾子と同じく、クリスチャン作家の「遠藤周作」の言葉に、こんなものがある。

信仰とは99%の疑いと1%の希望だ

拓一と耕作が強く生きていけるのは、どんな苦難に直面したとしても、どんな悲しみに襲われたとしても、その1%の希望を決して絶やさないからなのだろう。

以上で『続泥流地帯』の解説・考察を終わります。

最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

「三浦綾子」のオススメ作

ここでは、三浦作品の中で特にお勧めできる2作品を紹介したい。

塩狩峠

まずは長編小説。

『泥流地帯』でも描かれた「自己犠牲の精神」が美しく感動的に描いた感動作。

明治時代、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った実在する青年をモデルに、「愛」や「信仰」、「生きることの意味」を読者に問いかけてくる

三浦綾子の最も有名な代表作。

未読の方はぜひ手にとってみてほしい。

道ありき

次に、三浦綾子の自伝的エッセイ。

――人間には生きる義務がある――

本書のこの言葉に出会い、僕は「生きること」に対する考えが大きく変わった。

人生の不条理に直面し、不安と孤独に苛まれ、自分が生きる意味を疑う者が救われていく道がある。

その道に出会えたとき、人間は優しく希望をもって生きていける。

そんなことを教えてくれる、愛と信仰と救済の書。

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近年、文学作品の【Audible】化がどんどん進んでおり、三浦綾子の作品の多くがAudible化し、話題となっている。

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