解説【川端康成 おすすめ小説】―代表作のあらすじや魅力を徹底考察!―

文学
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はじめに「文豪 川端康成」

川端康成と聞けば、たぶん文学好きな人なら、

「日本で初めてノーベル文学賞を受賞した文豪」

くらいの認識は持っているだろう。

とはいえ、同じく文豪の夏目漱石や芥川龍之介、太宰治などに比べると、意外にもその知名度は低く、

「川端康成の作品はあまり読んだことがない」

なんて人も、実は多いかもしれない。

そこで、この記事では「川端文学オススメ10選!」ということで、川端康成の作品のうち、文学史的にも評価が高く、読み応えのある10作品を紹介しようと思う。

「川端康成の作品を読んだことがない」って人も、

「伊豆の踊子の次に何を読めばいいか分からない」って人も、

「代表作の創作事情を知りたい」なんて人も、

川端康成に興味がある人なら、きっと満足できる内容となっているので、ぜひ読んでいただければと思う。

紹介する順番は「作品の発表順」なので、この記事を読み進めていくと、川端の人生観・文学観の変化なんかも垣間見えてくると思う。

なお、「川端康成の人生・人物像」については、以下の記事で詳しく解説をしているので、こちらも合わせて読んでいただけると、より作品に対する理解も深まるはず。

【 参考記事 解説「川端康成ってどんな人?」―ノーベル賞作家の人生をわかりやすくまとめる―

それでは、お時間のある方は、最後までお付き合いください。

 

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年表・川端康成の生涯

ますは、参考までに川端の人生を年表にしておこう。

どの時期に、どんな作品が発表されたのかの参考にしていただければと思う。

1899年(0歳)…大阪府に誕生。

1901年(2歳)…父が死去。

1902年(3歳)…母が死去。祖父母に引き取られる。

1906年(7歳)…祖母が死去。

1909年(10歳)…姉が死去。

1914年(15歳)…祖父が死去。天涯孤独になる。

1917年(18歳)…第一高等学校入学。

1918年(19歳)…伊豆に一人旅し、旅芸人一行と交流する。

1920年(21歳)…東京帝国大学英文科入学。

1921年(22歳)…菊池寛を通じて、横光利一と出会う。

1924年(25歳)…大学卒業。横光利一らと『文芸時代』を創刊。新感覚派の旗手とみなされる。

1926年(27歳)…『伊豆の踊子』発表。後の妻・秀子と同居する。

1929年(30歳)…『浅草紅団』発表

1931年(32歳)…『水晶幻想』発表。秀子と正式に入籍。

1933年(34歳)…『禽獣』発表

1935年(36歳)…第1回「芥川賞」の選考委員になる。

1937年(38歳)…『雪国』発表

1938年(39歳)…日本文学振興会の理事となる。

1943年(44歳)…『故園』、『夕日』発表。

1945年(46歳)…久米正雄らと貸本屋「鎌倉文庫」を開く。

1948年(49歳)…川端康成全集刊行。

1949年(50歳)…『千羽鶴』『山の音』発表

1960年(61歳)…『眠れる美女』発表。

1961年(62歳)…『古都』発表

1968年(69歳)…ノーベル文学賞受賞。

1971年(72歳)…ガス自殺。

『伊豆の踊子』

川端文学の代名詞とも言える『伊豆の踊子』は、川端27歳のころの作品で、川端自身の体験をもとにした「青春小説」だ。

10代で天涯孤独となった川端は、19歳の頃に、そこに追い打ちをかけるような大きな失恋を経験している。

そして、その失恋の痛手から鬱病が発症する。

そんなあるとき1人で旅をした伊豆で、川端は旅芸人一行と交流をする。

へだてなく自分を受け入れてくれる彼らの親切に、川端のすさんだ心は慰められていったという。

そうした体験が『伊豆の踊子』には色濃く表れている。

主人公の「私」もまた、川端のような孤児であり、ぬぐい切れない孤独を抱えている。

ある時、憂鬱に耐え切れず、伊豆の温泉地へ赴き、そこで若い「踊り子」に出会う。

純粋無垢な踊子との交流により、「私」の心は次第に癒されていく

以上がざっくりとした「あらすじ」である。

一応、川端の初期の作品ということで、「モダニズム期」にあたる作品ではあるが、文体の新しさや発想の奇抜さは全くと言って良いほどない。

むしろ、その文体は伝統的で、極めて「リアリズム」的なので、近代文学好きの読者には“どストライク”な作品だといっていいだろう。

川端文学の中で、もっとも人気がある『伊豆の踊子』だが、その人気は発表当時からも変わらず、1933年には映画化され、川端康成の名前を世間に広める大きなきっかけともなった。

『浅草紅団』

川端が30歳のころの作品

これは文字どり「浅草」を舞台にした中編小説で、川端はこの作品を書くために、3年間、雨の日も晴れの日も浅草に通い詰めたと言われている。

とはいえ、この頃の川端は、極度の「人間嫌い」を催している。

ということで、現地の人との「温かい交流」みたいなのは基本的になく、むしろ川端は人々の交渉を拒絶し、人々との接触を無視し、まるで傍観者のように浅草を観察していたという。

ということで、この『浅草紅団』の語り手の態度は、観察者というか、傍観者というか、とにかく語り手と「浅草」との間には決定的な距離がある

語り手によって語れるのは、「浅草の路地に生きる人々の姿」だ。

  • カジノの出し物と踊子達。
  • 浮浪者と娼婦。
  • 関東大震災以降の変貌する都会風俗。
  • 昭和恐慌の影さす終末的な不安と喧騒。

そうしたものが、まるでルポルタージュのように淡々とした筆致で描かれていく。

あえて言えば、この作品には、一貫した「物語」はない。

だけど、浅草を生きる人々の姿には、そこはかとない叙情がたたえられている

また、昭和初期の浅草の情景描写も秀逸なので、史料としての魅力もある

ちなみに、川端が『浅草紅団』を発表したことで、当時、浅草の街は“見物の名所”となったという。

『水晶幻想』

『水晶幻想』が発表されたのは川端が32歳のころ

つまり、本作も川端の初期の作品と位置づけられる。

そして、川端文学の中では、かなり実験的な作品だといえる。

というのも、川端文学の初期は、いわゆる「モダニズム期」と言われていて、既存の日本文学を乗り越えようとする“実験小説”が多く書かれた時期であり、『水晶幻想』はそんな「モダニズム期」の代表作と言われている。

ここで川端は、アイルランドの巨人「ジェームズ・ジョイス」から学んだ「意識の流れ」の手法を採用していて、主人公の意識の流れを(     )内にあえて描いているのだ。(ちなみに、ここから、川端康成は「新心理主義」とみなされることもある。)

主に描かれているのは、「不妊の夫人」の性をめぐる幻想のイメージ。

そのイメージは、一見無関係なイメージへと連想を繰り返していく。

これだけでも、「何が何だかさっぱり!」と感じる人も多いだろうが、川端はそれに飽き足らず、空間概念や時間概念を無視したような、縦横無尽な小説世界を現出させていく。

「新感覚派」の一人として作家デビューして以来、いろんな方法で「モダニズム文学」を模索してきた川端の最も挑戦的でアバンギャルドな小説、それが『水晶幻想』だと言っていいだろう。

ありきたりな日本文学に物足りない人にオススメの1冊。

「日本の近代文学に、こんなにもぶっ飛んだ実験作が?」

きっと多くの読者がそんな風に感じるに違いない。

『禽獣』

川端康成といえば、短編の名手として有名だが、そんな川端の短編の中で、もっとも美しいものの1つとされるのが、川端34歳の頃の作品『禽獣』である。

主人公の「彼」は、人間との付き合いに飽きた結果、小鳥や犬を飼って暮らしている。

客が来ても、しゃべる相手に見向きもせず、ただ小鳥や犬の世話をするばかり。

こんな感じで、ある種の「人間嫌い」の男を書いた作品なのだが、実は、この頃に撮影された川端の写真を見ると、主人公の「彼」同様、小鳥や犬など、ペットに囲まれている。

つまり、『禽獣』で描かれる「人間嫌い」というのは、川端自身の実感だったといえるのだ。

本作には次のような記述がある。

だから人間はいやなんだと、孤独な彼は勝手な考へをする。夫婦となり、親子兄弟となれば、つまらん相手でも、さうたやすく絆は断ち難く、あきらめて共に暮らさねばならない。おまけに人それぞれの我といふやつを持っている

川端がここまでストレートに「人間嫌い」を語った作品は珍しい。

それもそのはずで、川端自身『禽獣』の創作意図について次のように語っている。

出来るだけ、いやらしものを書いてやれと、いささか意地悪まぎれの作品であって、それを尚美しいと批評されると、情けなくなる。

川端自身、この『禽獣』という作品で「嫌らしい人間批判」を行っていた。

それにもかかわらず、読者や批評家からは、

「川端文学屈指の美しい作品だ!」

といった賛辞を得たため、川端はそのギャップに困惑し「情けなく」思ったというワケだ。

ということで『禽獣』という短編は、「人間の嫌らしさを描いた、川端文学の中でも最も美しい作品」ということができる。

『雪国』

川端を日本屈指の文豪として確立させたのが『雪国』であり、これは川端38歳の作品だ。

日本文学者のドナルド・キーンは、「日本的な美」の特徴に“曖昧さ”や“余韻”といったものをあげているが、まさに、『雪国』とはそうした日本的美意識に貫かれた傑作だと言っていいだろ。

文章は茫漠としていて、明確なストーリーがあるわけではない。

心理描写も曖昧で、会話文の大半は省略されている。

主人公の島村と駒子との関係は一部しか書かれていないし、駒子と葉子と病人の関係も、最後まで完全に説明されることもない。

とにかく、大切なところは、ほとんど全て省略されているのである。

にもかかわらず、そこはかとない叙情と官能がにじむ本作は、多くの評者から「近代日本文学における傑作」と謳われた。

多くを語らず、物語を読者のイメージに委ねる筆致は、日本の古典文学にも通じると言われている。

読者には入念な読解が求められるし、きっと読み終えるためには、それなりの時間を費やす必要があるだろう。

だけど、川端文学を読むなら、日本文学を語るなら、絶対に外すことのできない1冊であることは間違いない。

『千羽鶴』

川端文学の中では珍しい長編小説で、戦後の代表作。

川端が50歳の頃に発表され、芸術院賞を受賞している。

こちらの作品も、川端文学らしく、わかりやすい起承転結やストーリーラインがあるわけではない。

というのも、川端の多くの長編小説がそうであるように、本作『千羽鶴』も各雑誌に発表され断章を1つにまとめあげた作品だからだ。

川端自身も長編小説を書くつもりはなく、もともとは一回の短編で終わるつもりが、あれよあれよと続きを書き連ね、全4章になったといわれている。

ということで、一つ一つの章は独立していて、完成度の高い短編集の趣がある

主人公の「太田夫人」は、とある茶会の席で、亡くなった不倫相手の成長した息子「菊治」と会う。

かつて愛した人の面影を宿す菊治に惹かれる太田夫人は、やがて、菊治と夜を共にする……

川端文学の中ではドロドロした作品で、物語の結末にも意外性があり、それなりにエンタメ性があるので一般読者にも読みやすい。

それでいて、扱うテーマは人間の「愛欲」「背徳」ということで、破滅的な官能的な美の世界を味わうこともできる。

なお、本作には続編『波千鳥』という作品もあり、新潮文庫ならこちらも合わせて読むことができる。

『山の音』

『千羽鶴』と同時期の作品で、こちらも川端50歳の頃に発表された作品である。

『伊豆の踊子』が川端の“青年”の象徴で、『雪国』が“中年”の象徴であるとすれば、本作『山の音』は“老年”の象徴といわれている。

川端文学の中でも、特に重いテーマを扱った作品だ。

62歳の男「尾形信吾」が主人公で、彼の内面と四季の移ろいを繊細に描く中で、「老いと死への恐怖」や「生への渇望」といったものを表現している。

タイトルの「山の音」とは、尾形にとっての“「死の予鐘」であり、作中ではほぼ毎晩のように尾形が見る夢の中には、死者が繰り返し現れ出てくる。

川端と言えば15歳で肉親全てを失い天涯孤独で生きてきた作家だが、『山の音』が描かれたこの頃にも、彼は多くの友人を立て続けに亡くしている。

そういう意味では、尾形が感じる「死の予感」や「死への恐怖」というのは、まさに川端の生々しい実感だったのだといえる。

個人的には、川端文学の中でもっとも好きな作品。

実際に、批評家の中にも『山の音』を川端文学の頂点に置く人もいる。

特に山本健吉は本作を「戦後日本文学の最高峰」とまで言っている。

『伊豆の踊子』と『雪国』を読んだ人なら、ぜひ次に読んでみたい作品だ。

『眠れる美女』

川端文学を代表する「エロ小説」がこちら『眠れる美女』である。

本作は、川端が61歳の作品で、「川端文学中でももっとも完成された作品の1つ」と高い評価を受け、毎日出版文化賞を受賞している。

川端にノーベル文学書をとらせたといっても過言ではないサイデンステッカー教授も絶賛しているし、また、川端の愛弟子である三島由紀夫にいたっては、

「熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品」

と、いかにも川端らしい修辞をちりばめた賛辞を送っている。

本作の魅力は何かといえば、繰り返しになるが、川端の「エロス」である。(ということもあって、三島由紀夫は大絶賛したのだろう。)

主人公の「江口老人」には、お気に入りの宿があった。

それは、薬でぐっすり眠らされた全裸の娘と一緒に寝ることができる宿である。

本作『眠れる美女』は、江口老人がそこで過ごす5夜を描いている。

印象的なのは、全裸の少女たちをまるで「物体」のように描く川端の筆致である。

「一言も発しない美女の裸体を、じっくりと直視する老人」という図・・・・・・

“デカダンス”といえば聞こえがいいのだが、芸術がわからない人から見たら、やはり「変態的な小説」と見えてしまいかねない。

そんなギリギリのラインを攻めた小説なのだが、とにかく絶賛する声は非常に多い。(ということで文学史的には傑作として認識されている)

なお、新潮文庫版には『片腕』という短編集が収録されていて、こちらは川端が睡眠薬の幻覚と戦いながら執筆した作品と言われていて、そのシュールでぶっとんだ世界観が魅力な短編なので、こちらも併せてオススメしたい。

『古都』

『眠れる美女』の翌年、川端62歳のころに発表された作品

こちらの作品は、古都「京都」を舞台にした作品であり、川端のノーベル文学賞受賞の理由になったともいわれている。

生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命が描かれており、四季折々の美しい風景、京都の町並みや名所、伝統行事などが優しい筆致で描かれていて、多用される京都弁も心地よい。

まるで、かつての京都を旅行しているような気分になるのも、本書の魅力の1つだといえる。

筋らしい筋があるわけでもなく、際だったテーマがあるわけでもなく、鋭い心理描写があるわけでもない。

だけど、川端の美しい日本語に触れると、心が洗われるようなカタルシスを得られるはず。

晩年の川端といえば、「モダニズム的作風」から離れ、「日本的な美」の追求を徹底していた。『古都』という作品は、川端にとって「日本的美の追求」、その集大成だったのだろう。

『掌の小説』

最後に、川端が生涯を通じて書き続けた「掌編小説」(短編よりも短い小説)について紹介したい。

「川端は、掌編小説こそが芸術の真骨頂と考えたときがあった」

と、日本文学者のドナルド・キーンは言う。

川端が掌編小説(原稿用紙10枚程度の小説)を書いたのは、主に20代から40代にかけてのことであるが、老年になってもなお、彼は掌編小説を細々と書き続けていた。

川端が掌編小説を書いた時期は、大きく3つの時期に分かれている。

【 掌編小説を書いた時期 】

第一期(1923年~1930年)・・・約80編発表

第二期(1944年~1950年)・・数編発表

第三期(1962年~1964年)・・・数編発表

川端が残した掌編小説は、発表された作品だけでも100以上にのぼるが、そのほとんどが「第一期(20代の頃)」に書かれたものである。

内容は私的断片的なもの、寓話的なもの、新感覚派的なもの、シュールレアリズム的なものなど、バラエティに富んでいて、中には長編小説のプロトタイプとなった作品もある。

そもそも、川端にはある種の「ミニチュア志向」があり、彼の作品のほとんどが「寡黙」であり、それゆえの曖昧さや不可解さというものが残る。(執筆では“会話文の9割”を意識的に削っていたという)

そういう意味でも、川端の掌編小説には「川端文学のエッセンス」が色濃く表れている

ちなみに、代表作品集『掌の小説』には122編の掌編小説が収められているので、「川端文学とは何か」について考えたい方にはオススメだ。

1作品10ページそこそこという分量なので、文学初心者にとってもハードルは低いと思う。

以上、「川端康成の代表作10選」の紹介を終わります。

ぜひ、あなたの「次の1冊」の参考にしていただけると嬉しいです。

それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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