【 参考 各時代の詳しい解説 】 ・解説【奈良時代まで(上代)の日本語】 ・解説【平安時代(中古)の日本語】 ・解説【鎌倉時代(中世前期)の日本語】 ・解説【室町・安土桃山時代(中世後期)の日本語】 ・解説【江戸時代(近世)の日本語】 ・解説【明治時代(近代)の日本語】 ・まとめ【日本語の歴史と変遷】(奈良時代から現代まで)
はじめに「日本語の歴史を学ぶ」
突然だけれど、あなたは日本語について、どれくらいのことを知っているだろうか。
普段なにげなく使っている日本語だけれど、そこにどんな歴史があるのか、どのように変化してきたのかについて、考えたことがあるだろうか。
おそらく、多くの人がそんなことを考えずに日常を送っていることと思う。
だけど、日本語というのは知れば知るほど興味深く、いまでも解明されない多くの謎を持つ魅力的な言語なのだ。
さて、この記事にたどりついたあなたは、少なくても「日本語の歴史」を知りたいと思っている日本語に興味のある人なのだと思う。
この記事では、そんな人の好奇心を満たすべく、「上代(奈良時代までの)日本語」について分かりやすく丁寧に解説をしている。
お時間のある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
主な流れを年表で整理
それでは、以下、詳しく解説をしていこう。
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日本語はいつから使われていたか
「金印」から分かること
――日本語がいつから使われていたか。
これについては、残念ながら明確に答えることができない。
もっとも、これは日本語に限ったことではなく、どの言語にもいえることだ。
要するに、言語使用の実態を確認しようとしたとき、あくまで「最も古い文献までの言語」しかさかのぼることができず、「最も古い文献以前の言語」について知ることは、原理的にできないのだ。
では、日本語が確認できる「最も古い文献」は、いつのどのようなものなのだろう。
これが、日本人なら誰でも知っている「金印」というやつである。
金印は1784年に福岡県で発掘されたもので、1世紀頃 後漢に赴いた日本の使者が、時の皇帝「光武帝」から与えられたものと言われている。
そこには「漢委奴国王」と記されていて、これは「漢の委の奴の国の王」と書き下すことができる。
「委」とは「日本」のことであり、「奴」とは「なだ」つまり、現在の現福岡県博多区あたりのことである。
おそらく、後漢におもむいた「なだの王」が、
「自分は、日本の“なだ”ってところからやって来た王でございます」
とかなんとかいって、それに対して光武帝は、
「ほーん、じゃあ、お前を日本の国王として認めてやるわ」
とかなんとかいって、「漢委奴国王」(漢の属国であるところの日本のなだの王様へ)と記された金印を与えたということなのだろう。
つまり、金印には「なだ」という、日本の「具体的な地名」が描かれているのだ。
これは、1世紀ごろには、すでに日本語に「地名」が存在していたことを物語っている。
当然「地名だけの言語」なんてのはあまりにも不自然なので、この頃までには、ある程度体系化された日本語が人々の間で話されていたのだろう。(とはいえ、それを根拠づける資料は存在していない)
『魏書 東夷伝』から分かること
金印の次に古い資料は、これも有名な『魏書 東夷伝』だ。
『魏書』というのは、要するに中国の歴史書で、その中に一部だけ日本に関する記述があって、その部分は「魏志倭人伝」という名前で多くの日本人に知られている。
『魏書』が描かれたのは3世紀頃のことで、1世紀の金印に次いで古い資料だといえる。
さて、この中国の歴史書である『魏書』に登場する日本語とは何かというと、これまた有名な「邪馬台国」や「卑弥呼」というものである。
要するに、ここにおいても「地名」や「人名」として、日本語が登場しているのだ。
以上のことから言えることは、
「少なくとも1~3世紀において、日本語には地名や人名があり、そのことからも、ある程度体系化された日本語が話されていたことが推測される」
ということだ。
とはいえ、ここまでは資料がわずかなので、導き出される結論もかなり曖昧なものとなってしまう。
次の章から少しずつ、根拠が明確な話になっていくので、引き続きお付き合いください。
「正倉院所蔵文書」から分かること
日本語の使用をはっきりと根拠づける文字資料は、もう少し時代が下ったものとなる。
たとえば、韻文(和歌や歌謡のことば)は7世紀後半のものが有名であり、散文(普通のことば)といえば宣命(権力者からの命令)や祝詞(聖職者の言葉)以外、ほとんど資料がない。
そんな数少ない散文資料で有名なものは「正倉院所蔵の万葉仮名文書」である。
これは文字通り、「万葉仮名」で書かれたもので、762年ごろのものとされている。(万葉仮名については後でくわしく説明する)
「正倉院所蔵の万葉仮名文書」のほんの一部を引用してみよう。
和可夜之奈比乃可波利尓波……
この万葉仮名を書き下すと、
「我が養ひの代わりには……」
となり、これを訳すと、
「私の扶養費の代用として……」
というほどの意味になる。
正直いって、これがどういう文脈なのかは分からないのだけれど、とにかく「私的な性格」が強い文章であることが分かっている。
つまり、上記の万葉仮名文書は、当時の話し言葉に基づく日本語であることが分かり、少なくとも6世紀には、それなりに体系化された日本語が人々の間で語られていたと断定できる。
ちなみに、この頃の文化や政治の中心は、いうまでもなく飛鳥・奈良を中心とした「関西地区」であり、書き言葉を使えたのは、貴族や僧侶である。
ということで、「万葉仮名文書」は、庶民の言葉ではなく、権力者のことばだということを強調しておきたい。
また、日本最古の和歌集『万葉集』には、東歌や防人歌(要するに田舎者が読んだ歌)というのがあるにはあるが、それらはあくまで「韻文」であるため、中央から遠い土地でどんな日本語が話されていたかを知ることはとても難しい。
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漢字の伝来はいつか
日本最古の漢字資料
いうまでもなく、「漢字」とは中国大陸で使用されていた文字である。
基本的には、漢字を輸入したのは「渡来人」と呼ばれる、日本にやってきた朝鮮人や中国人だと言われている。
したがって、漢字が輸入されたルートとしては「朝鮮半島を経由して」というのと、「中国大陸からダイレクトに」という2つのルートが想定されている。
では、漢字は、いつごろ日本に伝わってきたのだろうか。
こちらも、数少ない文字資料からしか確認ができない。
しかも、その資料は、当然、日本国内で発見されたものでなければならない。
では、漢字の使用が認められる、日本で最も古い資料は何かといえば、弥生時代から古墳時代にかけての「刻書土器」や「墨書土器」がソレである。
要するに、「土器に刻まれた文字」や「墨書きされた文字」が、日本最古の文字として考えられるのだ。
まず、土器に刻まれたものとしては、三重県の大白遺跡で出土した2世紀中ごろの土器に刻まれた「奉」のような文字がある。
また、墨書きされたものとしては、熊本県の柳町遺跡で出土した4世紀ごろの木製の短甲留具(よろいの一部)に記された「田」のような文字がある。
ただし、これらが単なる「記号」なのか、漢字を意識した「文字」なのかは、判然としない。
とすると、確実に最古の「文字」を認めようとするなら、きちんと意味のある「漢字のまとまり」に目を向けなければならないということになる。
では、日本国内で現存する最古の漢文は何かというと、千葉県で出土した5世紀ころの『稲荷台一合墳鉄剣銘』(要するに、鉄の件に記された漢文)と言われている。
その一部を引用すると次の通り。
王賜久■敬■……
■はつぶれてしまって判別できない漢字なのだが、これを想像で補いつつ書き下すと、
「王、久■を賜ふ。敬して(安)んぜよ……」
ということになり、これを訳すと、
「王は(この)久■をお与えになる。敬って(受け取れ)……」
というようなものになる。
この鉄剣は、畿内の王が奉仕の賞与として、遣いの者か何かに与えたものと言われている。
また、この剣が出土した古墳の建造年代が5世紀後期とされているため、上記の漢文が刻印されたのは5世紀前期と推測されている。
このことを踏まえると、
「漢文の伝来と、日本における使用というのは、少なくとも4世紀終わり~5世紀前期にかけてあった」
ということができるだろう。
ちなみに、まとまった漢文は、どういう経緯で日本に持ち込まれたのだろうか。
これには、おとなりの朝鮮半島の事情が大きく影響しているといわれている。
ことの経緯はこうだ。
399年、朝鮮半島では「高句麗・新羅連合軍」VS「百済・加羅連合軍」が争っていた。
日本は、百済・加羅連合軍に要請され援軍を送ったが、この日本軍が朝鮮半島から退却する際に、半島に住んでいた朝鮮人の中に難を逃れて日本にやってくる者もいた。
要するに「渡来人」である。
そんな渡来人が 大陸の先進的な技術とともに漢文を日本に持ち込んだと考えられている。
「神代文字」は実在しない?
ということで、繰り返すが、日本に本格的に漢字が伝来してきたのは、4世紀末~5世紀ころということが、現存資料から言えることなのだ。
ちなみに、
「漢字が伝来する以前に、日本には文字があった」
と主張する一部の過激な人たちがいる。
彼らが主張する「漢字以前の文字」というのは「神代文字」と呼ばれている。(要するに、神々の時代から使われていた文字、という意味だ)
神代文字の実在を主張する人たちというのは、その証拠資料として色んな文書をあれこれと持ち出してくるのだが、残念ながら、その信ぴょう性というのは極めて低い。
というのも、彼らが根拠とする文書には、あきらかに後世の価値観が現れた表現(語彙や文法)が散見されるからだ。
したがって、
「神代文字は後世になって捏造されたもの」
というのが、日本語学においては定説となっている。
では、なぜ、こんな「神代文字」なるものが捏造されたのかというと、一部の熱狂的な愛国者が「中国や韓国にマウントを取りたかったから」だと言っていいだろう。
要するに、
「日本の文字の起源は中国や韓国じゃない!」
といことを彼らは主張しているのであり、もっといえば、
「日本語のルーツは中国や韓国じゃない!」
こういったことを主張しているのである。
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万葉仮名とは何か
「万葉仮名とは何か」を一瞬で理解するために、卑近な例を挙げるとするなら、暴走族の特攻服にある「夜露死苦」をイメージしてもらえばよい。
これは「よろしく」という日本語を書き表わすのに、漢字の音を借りて表現したものであり、こんな感じの表記が、主に奈良時代の和歌集『万葉集』に見られる。
万葉仮名を正しく定義すると、次のようになる。
この万葉集の使用が認められる日本最古の資料は、5世紀後期の『稲荷山古墳鉄剣銘』である。
そこには「獲加多支鹵大王(わかたける大王)」という雄略天皇を表した名前の他、日本語の人名や地名が漢字の音を借りて表記されている。
ちなみに、上述した「獲(わ)」や「支(け)」などの万葉仮名は、今日用いられている音「獲(かく)」や「支(し)」と異なっている。
このことの理由は、『稲荷山古墳鉄剣銘』で採用されている万葉仮名は、4~5世紀当時に朝鮮半島から渡来人がもたらした漢字の読みに基づいているからだ。
この漢字の読み方を「古音」と呼ぶ。
この古音よりも後になって日本に伝わったのが、現代の僕たちに馴染みのある「呉音」と「漢音」だ。
呉音のほうは比較的古く、6世紀頃に百済を経由して伝わってきたもので、主に六朝時代の中国南方( 呉 )の音を反映するものだ。
一方の漢音のほうは、7世紀後半から平安時代初期までの間に遣唐使や中国からの渡来人が伝えたもので、主に唐時代の都「長安」あたりの音を反映するものだ。
具体例をあげれば、「行」という漢字をギョウと読むのが呉音で、コウと読むのが漢音だ。
なお、『日本書紀』の歌謡などには漢音系の万葉仮名が用いられたが、一般的には呉音系の万葉仮名が主流である。
「万葉仮名」と一口にいっても、もその時代によって「古音」を採用したものや、「呉音」や「漢音」を採用したものと、実に様々なのである。
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訓読みの成立
上述した通り、日本に漢字が伝来したばかりのころは、古音や呉音や漢音で読まれていた。
では、いわゆる「訓読み」は、いつ、どのように生まれたのだろう。
それは6世紀ころと言われている。
このころは、漢籍や仏典を読むことが本格的に始まった時期であり、その中で、漢文を日本語で理解する行為が定着するようになっていったといわれている。
たとえば「山」や「川」という漢字は、伝来当初は「サン」とか「セン」とか読まれていたのが、6世紀になると、日本の和語(いわゆる“やまとことば”)と結びつき、「やま」とか「かわ」とか読まれるようになる。
こうなってくると、漢字と和語が次々と結びついていき、いよいよ漢文を訓読み主体で書き記すようになっていく。
その古い資料には『法隆寺薬師如来像光背銘』という、法隆寺金堂に安置される薬師如来像の光背の裏面に刻された90文字の銘文がある。
以下はその冒頭のほんの一部を引用したものだ。
池辺大宮治天下天皇 大御身 労賜時……
これをどう読めば良いかと言えば、
「池辺の大宮に 天下 治めたまひし天皇、大御身 労き賜ひし時……」
と読むことになり、これをどう訳せばいいのかというと、
「池辺の大宮で天下を治めなさった天皇が、お体を悪くしなさった時に……」
といった感じになる。
こうしてみると、「いけのべ」という和語に「池辺」という漢字を、「おほみや」という和語に「大宮」という漢字を、「すめらみこと」という和語に「天皇」という漢字をあてていることが分かる。
これらはすべて、本来の中国語にはない用法となっている。
日本的な要素が入り混じったこうした文章を「和化漢文」(日本語化した漢文)と呼んでいる。
こうして、4~5世紀初期に中国から伝来した漢字は、当初は純粋な漢字として理解されていたが、5世紀後期ころまでに万葉仮名として日本語を表記するのに利用され、6世紀ころになると既存の和語と結びつき、日本語固有の言葉を書き表わすのに利用されることとなった。
とはいえ、「漢字のみ」で表記された奈良時代の文章は、現代の僕たちの目から見れば、まだまだ中国語のような印象を受ける。
僕たちに馴染みのある「日本語」になるためには、ここに「かな文字」の登場を待たなければならないが、これは平安時代のことになる。
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上代特殊仮名遣とは
上述した通り上代の日本語文献(たとえば『古事記』『日本書紀』『万葉集』など)において、万葉仮名が使われているわけだが、その使用には一定のルールがある。
そのルールとは「仮名の使い分け」である。
たとえば、「コ」を表す万葉仮名のうち、現代でいうところの“子”には「古」を用い、現代で言うところの“此”や“木”には「許」を用いている。
あるいは、「キ」を表す万葉仮名のうち、現代でいうところの“木”や“城”という語には「紀」を用い、現代で言うところの“酒(き)”には「岐」を用いている。
こうした使い分けについて、日本語学者の橋本進吉は「上代特殊仮名遣」と命名し、先ほどのような2種類の使い分けを「甲類」「乙類」と呼び分けた。
たとえばこんな感じだ。
さて、これはつまり、どういうことを示唆しているのだろう。
それは、
「上代日本語において、これらは別々の音で発音されていた」
ということである。
たとえば、上代の日本語の母音は、現代と異なっていたと言われている。
あらためて言うまでもないが、現代日本語の母音は「a」「i」「u」「e」「o」の5つである。
上代日本語の母音の場合、その5つに「上代特殊仮名遣」を反映させて、いくつか数が増えることになる。
では具体的に母音はいくつあったのかというと、「母音8つ説」というのと「母音6つ説」というのが、主な説となっている。
残念ながら上代日本語の発音について「これが正解だ!」という定説は存在していない。
上代日本語については、そもそもの資料が少ないこともあるので、こればっかりは仕方がない。
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その他の特徴
最後に、上記で扱いきれなかった「上代日本語の特徴」について、一問一答形式でざっと確認をして、この記事をしめくくろうと思う
もちろん、すべてを扱いきれるわけではないので、僕が個人的に興味のある点についてのみ紹介をしたい。
Q1 上代日本語にはどれくらいの語彙数があったのか? A1 主だったものは8500語といわれ、関連語を含めると2万語と言われている。
Q2 上代日本語に文法は存在していたか?
A2 日本語の文法のほとんどがこの時期に形成されたといえる。動詞、形容詞、形容動詞、助動詞、助詞、敬語表現など、ある一定のルールのもとに使用されていたことが分かっている。
Q3 上代日本語には存在しなかった音韻はあるか?
A3 撥音「ん」、促音「っ」、拗音「ゃゅよ」は存在していなかった。これらが登場するのは平安時代以降になる。
Q4 上代日本語にも方言はあったのか?
A4 方言はあった。文献が少ないので体系化はできないが、『万葉集』の東歌や防人歌を通して北海道を除く東日本に方言があったことが認められている。当時の文化の中心である西日本と、辺境の東日本とでは、使用される言語も大きく異なっていたことが分かっている。
Q5 その他、上代日本語で興味深い話はある?
Q5 上代日本語では「言霊思想」(言葉には不思議な力が宿っているので、思考を言葉にすると、それが現実化するという思想)が色濃く表れていた。当時、男に呼びかけられた女が返事をすると結婚が成立したが、これも言霊思想の1つの表れだと考えられる。
以上、上代(奈良時代までの)日本語に関する解説を終わります。
この記事が、日本語を学ぶあなたの役に立てたのなら幸いです。
ちなみに「もっと日本語を学びたい!」そう思う人には、沖森卓也著『日本語全史』をオススメします。
この1冊を読めば「日本語の歴史」について、大体のことが分かると思います
日本語を学ぶなら、ぜひ、一読しておきたい1冊なので、ぜひ参考にどうぞ。
それでは、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
【 参考 各時代の詳しい解説 】 ・解説【奈良時代まで(上代)の日本語】 ・解説【平安時代(中古)の日本語】 ・解説【鎌倉時代(中世前期)の日本語】 ・解説【室町・安土桃山時代(中世後期)の日本語】 ・解説【江戸時代(近世)の日本語】 ・解説【明治時代(近代)の日本語】 ・まとめ【日本語の歴史と変遷】(奈良時代から現代まで)
“耳読書”「Audible」で日本語を学ぶ
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