【日本仏教の歴史】―室町時代・安土桃山時代をわかりやすく解説―

宗教
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室町・安土桃山時代:仏教の世俗化が始まる時代

説明するのが難しい「日本仏教」を、時代ごとに外観しようというのが、この記事の目的。

これまでの記事では、

【仏教伝来から奈良時代まで編】

【平安時代編】

【鎌倉時代編】

と、各時代の日本仏教の展開を確認してきた。

簡単に振りかえると、

奈良時代では、知的エリートたちによる学問であり、

平安時代では、貴族を中心に根付いていき、

鎌倉字時代では、民衆たちへと爆発的に広がりだしだ。

室町時代、安土桃山時代になると、仏教の世俗化が強くなっていく。

世俗化というのは、簡単にいうと、

「神秘的な雰囲気がなくなること」である。

では、なぜ仏教が世俗化を進めていったか。

これを探るためには、改めて平安時代、鎌倉時代にさかのぼらなければならない。

なので、今回は、平安時代と鎌倉時代の出来事を振り返りつつ、室町・安土桃山時代における「仏教と人々の関係」について詳しく見ていきたい。

仏教と人々の関係①「強まる国家意識」

まず、鎌倉時代の大事件について振り返りたい。

「元寇」である。

元寇とは、「フビライ・ハン」率いる「元」が日本に攻めてきた事件で、蒙古襲来とも言われている。

突然攻めてきた外国人を前に、日本人の意識は1つになる。

「うおー! 立ち上がれ日本人! 団結して国難をしのごうぜ!」

といった感じだ。

とはいっても、当時のモンゴル帝国なんて、なんというかラスボス級の強さで、普通に考えて日本なんてのは、すぐにやられて、あっという間に元に吸収されてもおかしくはなかった。

だけど、そんな国難を、日本はきっちり乗り切っているわけだ。

その背景には、あの「奇跡」がある。

ときは1274年

中国大陸から船に乗って大挙してきた元の軍隊。

その数、実に3万人。

彼らは、あっというまに日本に上陸してしまう。

繰り広げられる激しい死闘。

彼らは見たこともない武器を駆使し、見たこともない戦い方をしてくる。

女、子どもであっても、容赦なく手をかける残忍さ。

苦戦を強いられる日本人。

が、それも何とか乗り切り、日も暮れる。

いったん今日の戦いはおしまいの段。

「じゃあ、また明日もくっからよ。ぜってー逃げんじゃねえぞ」

ってなことで、まるで小学生をカツアゲするヤンキーよろしく、いったん船に帰る元の軍勢。

「ああ、また明日あいつら来んのかよ。あんなのに勝つなんて無理ゲーだって」

戦々恐々の日本人たち。

長い長い一夜を過ごすことになる。

そして、次の朝。

元の船の様子を見にいく日本人たち。

そこで目にしたもの、それは、

ことごとく難破している元の船だったのである。

「うおーーーーー!!! なんか知らんけどラッキー―――!!!」

と、ぼくたちのご先祖様は狂喜乱舞したに違いない。

たった一晩のうちに、とてつもない暴風雨が吹き、元の船を襲ったのだった。

「持ってる。おれたちは何かを持ってるぞ」

日本人のうちに、そんな意識が芽生える。

しかし、その6年後。

日本人は再びあの恐怖を味わうことになる。

元の再来である。

「わあああああ、また来たああああああ!」

よみがえる6年前の悪夢。

いや、あの頃のほうが、まだよかった。

なぜなら、今回の軍勢は約14万人。

前回の約5倍。

「もう、あいつらマジだ。今回は完ぺきキメにきてる……」

ふたたび、繰り広げられる死闘。

ふたたび、繰り返される残虐行為。

日本人の目の前にあるのは絶望の2文字。

それでも、やっぱり、日は暮れる。

「じゃあ、また明日くっからよ。いい夢見ろよ」

船に帰っていくヤンキー、もとい元の軍勢。

その背中を見つめて、日本人はこう思った。

「今度こそダメだ。間違いなくオシマイだ」

戦々恐々の日本人たち。

長い長い一夜を過ごすことになる。

そして、次の朝。

目の前には、6年前と全く同じ光景が広がっているではないか。

そう、あの日と同じように、元の船はことごとく沈んでいたのだ

今回は大型の台風だった。

「うおーーーーー!!! また勝ったーーーーーーー!!!!」

こうして、元による2度の襲来を乗り切った日本人。

6年前に感じた「持ってる」という意識は一層強まり、それはもはや確信に変わる。

「おれたちは何者かに守られている」

この経験から日本人は、超越的な者の存在を強く感じるようになった。

そして、彼らを救った暴風や台風は、いつしかこう呼ばれていた。

「神風」

こうして、彼らは「神」の存在を強く感じ、その神に守られたものとしての「国民意識」を強めていくことになるのだった。

これが室町時代・安土桃山時代の思想に大きな影響を与えていく。

 

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仏教と人々の関係②「武士に支持される禅思想」

ここでも鎌倉時代を振り返りたい。

この時代に活躍するのは、なんといっても武士。

武士の特徴といえば、

  • 経済的に豊かである。
  • 民衆を支配する側にある。
  • いくさで戦わなければならない

あたりがあげられる。

そんな武士に求められるものってなんだろう。

それは「強い精神力」である。

元寇に象徴されるように、彼らは常に死と隣り合わせだ。

支配者として強くなければならないし、死を覚悟して戦いにのぞまなければならない。

そんな彼らに受け入れられたのが、「禅の思想」だった。

禅は「精神を鍛錬する」色合いがとても強い仏教だ。

座禅と禅問答に取り組み、心の乱れに「渇」を入れる自力仏教。

それは、支配者としての主体性と、死の覚悟とが必要な、武士の生きざまにとてもフィットしている。

特に武士に支持されたのは「臨済宗」だった。

鎌倉時代、臨済宗は幕府公認の仏教だったからだ。

というのも、臨済宗の開祖の栄西には権威主義的なところがあり、幕府に近づき自らの仏教を保護してもらったという経緯がある。

そんなことで、室町時代以降も、臨済宗は幕府に保護され、武士を中心に広がっていった。

逆に、なぜ浄土思想が武士にウケなかったのか

それは次の2つの点があげられるだろう。

  • 個人の主体性を徹底して否定する点
  • 現実の世界を徹底して否定する点

浄土思想には、

「自分はあてにならないから、阿弥陀如来にお任せする」

といった感じで、信仰者に主体性を放棄させる性格が強い。

くわえて、

「この世には希望もないし、来世にかけるしかないね」

といった感じで、現実否定の性格も強い。

だから、現実の世界に根を張って生きていかなくちゃいけない武士の目に、浄土思想はあまりにも軟弱な思想に映ったのかもしれない。

「阿弥陀如来に助けてもらおうなんざ、ぬるいんだよ」

「現実から目を背けるなんざ、負け犬のすることなんだよ」

みたいなもんだろうか。

だから、室町時代以降、仏教は次第に無神論的な性格を強めていく

「阿弥陀如来」による救済ではなく、精神の鍛練による「悟り」の傾向が強まる。

日本仏教の流れとしては、、

【 自力中心 → 他力中心 → 自力中心】

といった感じ。

1周まわって原点に回帰ってところだろう。

 

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仏教と人々の関係③「はびこる僧兵・その弾圧」

今度は、平安時代までさかのぼる。

このころから、南都北嶺の寺院に武装した僧侶軍団が現れる。

彼らは「僧兵」と呼ばれ、やりたい放題やっていた。

寺や宗派同士の勢力争いでドンパチやっているだけでなく、朝廷なんかにも口出しを始める。

やっかいなのは、彼らが「仏教」の権威をちらつかせて、人々を脅しつけることだった。

「おれたちの要求が飲めないだって? いいのかなー、いいのかなー? 仏罰が下っちゃうぞー?」

という感じ。

およそ聖職者の振る舞いとは思えない、ゲスの所業である。

ときの権力者、白河法皇の言葉に こんなのがある。

賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの

「ぼくには思い通りにならないものが3つあります。それは、自然災害と、運命と、僧兵です

という意味だ。

僧兵がどれだけ厄介だったかが、よく分かるだろう。

さて、こんな感じで、平安時代からすでに、仏教の世俗化は始まっていた。

や、世俗化なんて言葉はぬるすぎる。

これは完ぺきに腐敗化である

この腐敗の流れは、平安、鎌倉、室町と続いていくことになる。

それにしても、僧兵たちの言葉。

「いいのかなーいいのかなー、仏罰、くだっちゃいますよー?」

これは結構なパワーワードで、平安貴族も、武士も、民衆も、敬虔な仏教徒であればあるほど、僧兵に屈服しなくてはならなかった。

しかも、この僧兵が腐ってるのは、「仏罰」だけでなく「神罰」も振りかざしてくる点だった。

要するに、当時は仏教と神道はごっちゃまぜ (これを、神仏習合、という)。

人によっては

「神を信じてます」って人がいれば、

「仏を信じてます」って人もいる。

だから、僧兵たちは「仏罰下っちゃいますよー」といって脅かしていたと思ったら、今度は、

「神罰がくだっちゃいますよー」と、巧みに使い分けをしていたようなのだ。

したたかと言おうか、ゲスの極みというとか、鬼畜の所業といおうか。

しかし、繰り返して言うが、これは信仰心を持っている人々にのみ有効な手段である。

上記で確認した通り、室町時代以降は、仏教の「無神論化」が進みだす時代だ。

それは、時の支配者や権力者だって同じ。

ここで、登場してくるのが、織田信長である。

超合理的かつ、冷酷かつ、暴力的で有名な彼。

「仏罰? それっておいしいの?」

からの、「比叡山焼き討ち」事件である。

僧侶たちが寝静まったある晩のこと。

織田信長は比叡山に約3万の軍勢を送り込み、一斉砲火をしかける。

「夜に襲えば、一人残らず抹殺できるだろう」

彼は、徹底して僧兵をつぶしにかかってきたのだ。

実際に、どんなに逃げようが、命乞いをしようが、どんなに幼かろうが、僧侶であれば問答無用に首をはねらる。

それくらいの徹底ぶりだったという。

こうした事件に象徴されるように、このころから仏教は権力者からの弾圧を受けるようになっていく

しかも、この織田信長、仏教は弾圧する一方でキリスト教を擁護し、イエズス会の布教を許している。

こうして、仏教の権威は底を尽き、宗教的な吸引力もなくなっていくというわけ。

 

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仏教と人々の関係④「葬式仏教化」

鎌倉時代に民衆に広がった仏教。

浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗などなど……

それらは、誰もが救われる道を説く思想群だった。

その教えがどうであれ、室町時代以降「葬式仏教化」が急速に進んでいく

もっとも、仏教による死者供養は、すでに飛鳥時代ころに認められる。

どうやら仏教は、その性格上、葬式仏教化する宿命にあったようなのだ。

さて、室地時代以降、とくに葬式仏教化がいちじるしかったのが曹洞宗だ。

鎌倉時代に道元によって広められた

「とにかく、座れ、それが悟りだ」

の、只管打坐を説く禅仏教である。

もともと禅宗では、修行僧が亡くなると、その亡僧を弔う習慣があった。

「死んだあいつの悟りを完成させるために、おれたちで手伝ってやろうぜ」

という精神である。

しかし、それはとっても複雑なルールに基づいていた。

要するに出家者向けの葬儀であって、民衆に開かれた習慣ではなかった。

これを超簡略化して、民衆に広めたのが曹洞宗だった。

室町時代の終わりころには、すでに曹洞宗の寺院100%が葬式仏教化していたとする記録もあるらしい。

と、ここで現代の葬式事情を改めて確認してみる。

すると、やっぱり一番多いのが曹洞宗なのだ。

このころの流れが、現代にも影響を与えているのかもしれない。

もっとも、曹洞宗の占める割合は全体の2割ということで、思ったより少ないのだが……。

とまぁ、いずれにしても、こうした葬式仏教の原型は、室町時代にできあがったといえる

これが、江戸時代の「本末制度」と「寺檀制度」を受けて、完璧に制度化。

こうして、現代にいたるまで、仏教 = 葬式 というイメージを人々に与え続けている。

ちなみに、ぼくは浄土真宗の寺に生まれた長男。

人々から「葬式仏教」と揶揄される根拠をいたいほど感じている

 

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主な思想内容①「仏教の普及と弱体化」

鎌倉時代、仏教は爆発的に人々に広がっていった。

その勢いは室町時代でも衰えることなく、どんどん人々に広がっていく。

のだが、上記で確認してきたとおり、すでに仏教弱体化の兆候はいたるところで目に付く。

ここまでをまとめると、こんな感じだ。

  • 「神風」の影響で、人々の国家意識と「神」への信仰が強まった
  • 武士を中心に広がった仏教は、無神論的な性格を強めていった
  • 僧兵らによって腐敗した仏教は、権力者たちの弾圧を受けた
  • 本来の教えからそれる形で、葬式仏教化が進んでいった

こんな風に眺めれば、

室町・安土桃山時代には、すでに「仏教の弱体化」の芽があったといえるだろう。

ただ、繰り返すが、このころも仏教は人々に支持されている

その辺りをまとめるとこんな感じ。

  • 五山派という禅仏教の制度が確立する。
  • 臨済宗が武士を中心に支持される。
  • 蓮如という僧侶が浄土真宗を発展させる。

こんな風に、仏教は人々の間にちゃんと根付いていたとはいえる。

主な思想内容②「神道の勃興」

この他にも、仏教と神道に関する興味深い動きがみられる。

元寇が人々に「神」への意識を強めたのは確認してきたところだ。

それ以前から、人々には こんな考えが根付いていた。

それは、

「仏さまが本当の姿で、神様は仮の姿なんだ」

「仏さまが、おれたち日本人を救うために、神さまに姿を変えてやってきたんだ」

という考えだ。

これは本地垂迹(ほんじすいじゃく)説といって、仏教伝来時からすでに見られた考えだ。

たとえば、大日如来 → 天照大神 と姿を変えたものだし、

また、阿弥陀如来 → 須佐之男 と姿を変えたものと考えられた。

この考えによれば、本体(本地)が仏で、この世の姿(垂迹)が神ということになるので、パワーバランスとしては、 神 < 仏  ということになる。

だから、「あくまで仏に対して信仰している」というのが本来の筋なのだが、人間心理はそうシンプルにはいかない。

「遠くにいる仏様なんかより、近くにいる神様のほうが、親近感がわくよねー、実際」

そう、人々は思うようになる。

「神様は近くにいてくれるのに、仏様なんて遠くでみてるだけじゃん」

そうやって、人々は少しずつ神様への信頼を強めていく。

そこにきての「神風」である。

当然、人々の「神道」に対する関心は強くなっていく

が、いかんせん、「神道」には、どこかふんわりとしたところがあって、仏教のような「体系的な理論」が存在していない。

となれば、「神道」だって理論武装すればいい。

そんな流れから、室町時代を中心に、神道理論が次々と確立していく。

もっとも、その理論は仏教から借りたものなので、結局は付け焼刃感はいなめない。

だけど、この時代の神道の勢いは押せ押せドンドンである。

ざっと羅列すると、これだけの種類をあげることができる。

  • 山王神道
  • 両部神道
  • 伊勢神道
  • 唯一神道

中には、根葉花実(こんようかじつ)説、というものまで生まれる。

「日本の神が根本であり、外来の宗教は枝葉末節にすぎない」

という考えである。

「神道がオリジナル、仏教はコピー」

ということなので、歴史的にはまったくのデタラメなのだが、神道の押せ押せドンドンっぷりをよく伝える考えだ。

それから、反「本地垂迹説」も生まれている。

文字通りこれは、本地垂迹の逆パターン、すなわち、

「もともと神様が本来の形で、仏様は姿を変えた仮の姿なんだよ」

という説である。

かくして、次第に仏教の力は弱まり、時代は江戸時代へと進んでいく。

この時代は、「思想のテーマパーク」といえるほど、いろんな思想がバンバン登場してくる。

弱体化しつつある仏教は、その中でどのような影響を受けていくのだろうか。

果たしてその宗教としての生命を守りきることができるのだろうか?

といった感じで、次回に続く。

次の記事はこちら

【日本仏教の歴史】 ―江戸時代を わかりやすく簡単に解説 ―

それ以降はこちら

明治時代編

大正時代編

現代編

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