なんでもかんでも「かわいい」日本
唐突だが、ここで問題。
「○○かわ」
この「○○」に入る言葉を、あなたはどれだけ答えられるだろうか。
1~2個くらい?
4~5個くらい?
10個以上、なんて人もいるだろうか。
ちなみに、マイナビのHP【いくつ知ってる?15種類の“かわいい“を使い分けるティーン 】では、15種類の「かわいい」が紹介されている。
たとえば、「とにかくかわいい!」と思った時に使われるのが、
- 「おにかわ」…すごくかわいい
- 「ばちかわ」…ばっちりきまってかわいい
- 「ぐうかわ」…ぐうの音も出ないほどかわいい
- 「めっかわ」…めっちゃかわいい
特に対象が「人」の場合に使われるのが
- 「きれかわ」…きれい + かわいい
- 「かっこかわいい」…かっこいい + かわいい
そして なんといっても、もはや言語矛盾とさえ思われる
- 「キモかわ」…キモい + かわいい
- 「ブスかわ」…ブス + かわいい
- 「グロかわ」…グロい + かわいい
ここに挙げたのはほんの一例で、「○○かわ」の種類は、まだまだ沢山ある。
なんなら、その人によるオリジナルの「○○かわ」を生み出すことだって可能なので、「○○かわ」はある意味、無限に存在するといってもいいだろう。
では、こんなに「かわいい」を連発する日本人を、欧米人たちはどう見ているのだろうか。
ぼくは以前、友人のアメリカ人にこう尋ねたことがある。
「かわいいって、英語でなんていうの?」
すると彼は、
「シチュエーション次第だね」といった後、間髪入れずにこういった。
「っつーか、かわいい、きらい。日本人って “かわいい” 使い過ぎじゃね?」
「うん、使い過ぎだね」
でもね……
ぼくは「かわいい」という言葉の「深み」と「趣」を彼に伝えたかったが、やはり彼は、間髪入れずにこう言い放った。
「Lazy. 日本人はね、言語的に怠惰なんだよ」
怠惰か……
うん。たしかに、そうかもしれない。
ただ、日本人がこうも「かわいい」を連発するその背景には、言語的、文化的、精神的な土壌が間違いなくあるのだと、ぼくは思っている。
そこで、この記事では、そんな「かわいい」についてとりあげ、「日本人にとって、かわいいとは何か」について考察していきたい。
参考にするのは、こちら。
『かわいい論』(四方田犬彦 著)
2006年に出版された本で、ちょっとだけ古いのだけど「かわいい」の本質を鋭くついた論考だ。
「かわいい」の意味の変遷
またまた唐突だが、高校時代の話をさせてほしい。
自慢ではないが、ぼくは友人から「かわいい」と褒められたことがある。
以下は、その時の会話(をかなり脚色したもの)だ。
友人「なあ」
ぼく「ん?」
友人「おまえ、かわいいよな」
ぼく「突然なんだ、気持ちわりいな」
友人「おまえでさえかわいいんだから、おまえの姉ちゃんなら もっとかわいそう……あれ? かわいいそう……? かわいいっぽい……かわい……かわいいんだろうな、きっと……」
正直のところ、この会話がどんなシチュエーションで生まれたのか忘れてしまった。
だけど、後半部分は確実にぼくが聞いたセリフで、このときぼくは「かわいい」という言葉の不思議を直感した。
念のために、友人の心理について軽く解説を加えておく。
友人は、「かわいいぼく」を見て、ぼくの姉の容貌を類推した。
そこで「かわいい」に推量・様態の語である「そうだ」をつけようとした。
その言語操作は、
- たのしい → たのしそうだ
- うれしい → うれしそうだ
- かなしい → かなしそうだ
と、まったく同じ。
彼の意をうまく表現できるはずだった。
にもかかわらず、
- かわいい → かわいそうだ
と、まったく異なる意味の語になってしまった。
「かわいい」+「そうだ」にあたる適当な言葉はないものか。
そう模索する彼はモゴモゴと歯切れが悪くなってしまった、とまぁこんな感じだ。
たぶん、読者の中にも、これと似たような経験をした人がいるかもしれない。
なぜ、こんなことになるのだろう。
その結論を言えば、
「かわいい」と「かわいそうだ」は表裏一体の関係にあるからだ。
その関係を知るうえで「かわいい」の起源を探ることが必要になってくる。
そこで四方田氏の『かわいい論』を参考にしつつ、「かわいい」の起源について説明したい。
「かわいい」という言葉は、いかなる起源をもっているのだろうか。
この単語の源流を遡ってゆくと、文語の「かはゆし」にぶつかる。(P29より)
この「かはゆし」が文献で最初に登場するのは、12世紀のこと。
平安時代に編纂された『今昔物語集』においてだという。
「この児に刀を突き立て、矢を射立てて殺さむは、なほかはゆし」
これを訳すと
「この子供に刀を突きたてて、矢を射立てて殺すとしたら、やはり気の毒だ」
ということになる。
ここでの「かはゆし」は、明らかに現代の「かわいい」と意味が異なる。
むしろ「かわいそうだ」と同じような意味で使われていることがわかるだろう。
『古語大辞典』(小学館)で「かはゆし」を引くと、
痛ましくて見るに忍びない。気の毒だ。不憫だ
という意味が記されている。
どうやら平安時代において「かはゆし」は、現代とは違ってネガティブな言葉だったようだ。
では、それが現代の用法に移行したのはいつ頃かというと、それは「中世の末期」あたりと言われている。
「かはゆい」という語から「痛ましい」とか「気の毒だ」といった否定的な意味合いが少しずつ消滅してゆき、「愛らしい」という、新しい意味が優位となってくる。(P34より)
鎌倉時代以降、つまり中世における「日本語の変化」というのは劇的である。
中世という時代は「日本」にとって、「日本史上NO1」と言ってもいいくらい とんでもない時代だった。
地震、津波、噴火、大火事、疫病、大飢饉、内戦……
これでよく日本滅びなかったな、と思ってしまうくらいに壊滅的な時代だったのだ。
参考までに、当時の日本人の平均寿命は約24歳だったと言われている。
こんな状況で、人々に「正しい言葉づかい」をしている余裕なんてない。
シンプル is Best …… ということで、複雑な日本語の文法なんかも、この時期に次々と淘汰されていった。
とにかく、中世における日本語の変化は劇的なのだ。
たぶん、「かはゆい」もまた、このゴタゴタの変化を被り、「気の毒」→「愛らしい」といった風に、その意味が逆転していったのだろう。
そして、時代とともに、「かはゆい」→「かはいい」→「かわいい」と変化し、現代にいたるというワケだ。
なるほど、「かわいい」の起源は分かった。
だけど、ここに1つ、大きな疑問が残る。
そもそも、「気の毒」と「愛らしい」って、まったく違う感情じゃない?
どうして、「気の毒」→「愛らしい」なんて変化が起きてしまうの?
そんな疑問を持ったとしても無理はない。
だけどぜひ、あなた自身の感情を、もう一度よく観察してみてほしい。
「かわいい」という感情
「かわいそう」という感情
それらを、じっくりと分析してみてほしいのだ。
すると、「かわいい」と「かわいそうだ」という感情が、そもそも「表裏一体の関係」であることが、ぼんやりと見えてくるはずなのだ。
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「かわいい」は「かわいそう」
「かわいい = かわいそう」を読者に理解してもらうべく、ちょっとだけご免こうむって、私事をとりあげて説明させてほしい。
ぼくは、いま、2児の父親だ。
子育てをする中で、彼らのことを大切に思うと同時に、彼らのことをなんとかして守ってやりたいと思うことしきりだ。
だけど、彼らと出会う以前のぼくはといえば、
「どうして、子どもを産むんだろう」
「自分は、子どもを生み出して良いのだろうか」
と、少なからず考えるような人間だった。
その辺のことは、こちらの記事で詳しく書いているので、ぜひ参考にしてほしい。
包み隠さず白状をすると、ぼくは子どもたちに対して、言いようのない「後ろめたさ」を感じている。
急いで付け足すが、ぼくは、彼らの命を否定しているのではないし、彼らをこの世界に迎えたことを後悔しているのでもない。
だけど、この世界に「苦しみ」や「悲しみ」があることもまた理解している。
そんな世界にあって、父として、人間として、ぼくが彼らにしてやれることなど、恐ろしく少ない。
究極の場面においては、まったくないと言ったっていい。
親なんて、子どもに対して、あまりに無力な存在なのだ。
その事実をかみしめると、ぼくの胸中にある感情が生まれてくる。
それを「罪悪感」と呼ぶにはあまりに抵抗があるので、先のぼくは「後ろめたさ」という言葉で表現したわけだ。
そして、この「後ろめたさ」をよくよく観察してみる。
するとそこに、「かわいい」と「かわいそう」が表裏一体になったような「独特な感情」を発見するのである。
ある夜のことだ。
ぼくは、ふとんに入って眠る娘や息子の寝顔を眺めていた。
すると、なぜだか胸が締め付けられるような不思議な感情が湧いてきて、ぼくの目に涙が浮かんでしまった。
「なにを、おまえは感傷的になってるんだ」
そのときは慌てて冷静な自分を取り戻して、センチメンタルな自分をせせら笑ったのだったが、あとになって、あの時の、あの感情をじっくりと振り返ってみた。
すると次第に、
あれこそが「かわいい」であり「かわいそう」だったのだな
と、ぼくは思うようになっていった。
いまここで、あの時の感情を説明しようとすれば、こんな感じになる。
彼らのことを「かわいく」思うからこそ、彼らが直面するだろう困難を想像して、「ああ、何もしてやれなくてごめんな」という「後ろめたさ」を感じつつ、困難に直面するだろう彼らのことを「かわいそう」に思ってしまう。
つまり、「かわいい」と思うゆえに、ぼくは彼らを「かわいそう」と思うのだ。
いや、「かわいそう」に思うゆえに、彼らを「かわいい」と思うのかもしれない。
とにかく、ぼくの感情は、「いとしい」がゆえに「涙がうかんでくる」ようなものなのだ。
こんな視点で、日常的に感じる「かわいい」という感情を分析してみる。
すると、やはりそこには「同情」とか「憐憫」といった感情が、少なからず潜んでいることが見えてくる。
いや、たぶん、事情はもっともっと複雑で、「かわいい」とは、一言で言い尽くせない深みと広がりがある言葉なのだ。
では、そんな「かわいい」について、専門家はどんな説明を与えるのだろうか。
以降の章では『かわいい論』で展開される四方田氏の論考について触れてみたい。
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「かわいい」と「美しい」の違い
若者たちは「かわいい」という言葉についてどんな印象を持っているのだろう。
まず、四方田氏のアンケートによる調査結果の一部を紹介したい。
アンケート内容は【「かわいい」と「美しい」は、どこが違うか 】というものだ。
なお( )内の記述は「美しい」に関する印象を述べたものである。
- 近寄りやすい( 近寄りがたい )
- 守ってあげたくなる( 整然として清らか )
- 緊張を解き、心を和ませる( 緊張をより強める )
- おっちょこちょいで、庶民的( 瞑想的で、聡明で、高貴 )
- 俗っぽい( 魔術的な影響力を持つ )
- 無邪気で、丸っこく、温かい( クールで、明確なラインをもち、冷たい )
- 不完全なところがある( 完璧で手のつけようがない )
と、まだまだ、沢山あるのだが、とりあえずこれくらい。
特にぼくが注目したいのは、
「不完全なところがある」
という点でである。
なぜなら、「不完全なところがある」こそ、かわいいの本質であり、その他の記述は そこから派生した印象だと思うからだ。
- 「不完全」だから、近寄りやすい。
- 「不完全」だから、守ってあげたくなる。
- 「不完全」で、おっちょこちょい。
- 「不完全」で、俗っぽい。
こんなふうに、アンケートに見られる記述について、そのほとんどすべてが「不完全」から派生したものだといえる。
では、次に、この「不完全」という言葉をもう少し精緻に分析るするとどうなるか。
そこで、以下、四方田氏による3つの考察は取り上げたい。
- 考察①「かわいい」の中に「グロテスク」が潜んでいる。
- 考察②「かわいい」は「小さいもの」への愛着である。
- 考察③「かわいい」の中に「子供らしさ」が潜んでいる。
では、具体的に見ていこう。
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考察①「かわいい」と「グロテスク」
ぼくが「キモかわいい」という言葉を初めて聞いたのは、2000年の頭ころだった。
そのころ流行っていた「ヒョロヒョロ」で「ガリガリ」のお笑いコンビに対して、「キモかわいい」は使われていた。
「え、これかわいいの? ただただキモイんですけど」
そう思うぼくとは裏腹に、少なからぬ友人たちは彼らへの親しみを「キモかわいい」という言葉で表現していた。
「『キモかわいい』なんて、そもそもが言語矛盾じゃね?」
そんな風に思っていたぼくだったが、そんなぼくにも ある時「キモかわいい」の意味を実感とともに理解する瞬間が訪れた。
それは「ウーパールーパー」の写真を見た瞬間だった。
どうだろう。
こいつは「キモい」だろうか、「かわいい」だろうか、「キモかわいい」だろうか。
ぼくには「キモい」ような感じもするし、「かわいい」ような感じもする。
とすると、たぶん、ぼくはコイツについて「キモかわいい」と感じているのだと思うのだが、そう考えると次の疑問が脳裏をよぎる
「キモい」から「かわいい」の?
「キモイ」のに「かわいい」の?
そう問われると、多くの人が困惑してしまうと思うのだが、四方田氏はここに明確な答えを提出する。いわく、
「キモイ」=「かわいい」なんだよ
ん? と、困惑する読者のために、もう少し厳密に言い直せば、
「かわいい」と「キモイ」は、表裏一体の関係なんだよ。
ということになる。
グロテスクであること、畸形であることこそが「かわいい」の隣人なのだ。両者を隔てているものは実に薄い一枚の膜でしかない。(P089より)
いまや「キモかわいい」は、あまりにも自然に、ぼくたちの生活に馴染んでいる。
なんなら、すでに「グロかわいい」なる、もっと露骨なことばが存在するくらいなのだが、それはそのまま、四方田氏の論に説得力を与えているような気もする。
世間では「キモかわいい展」なるものが催されているようだ。
そこで、代表的「キモかわいい」生物の写真を貼ってみたい。
どうだろう。
【 四方田氏の結論① 】 「かわいい」と「キモイ・グロイ」は裏表の関係にある
彼のこの主張は妥当なのだろうか。
たしかにそうだ!
と、溜飲が下がりはしないのだけれど、それでもぼくは彼の論にそれなりの説得力を感じていて、それは
「うーん、確かに、そうなのかもなあ」
くらいの感じである。
そして、若い女の子が「明らかに見ため的にアレなおじさん」をつかまえて、惜しげもなく「かわいい!」と連呼する不可解な現象について、
「ああ、やっぱり、グロテスクだから、かわいいのかもなあ」
と、理解をしている。
「かわいい」=「グロイ」じゃなくても、
「『かわいい』には少なからず『グロイ』要素が含まれている」
くらいのことは言ってもいいと思う。
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・
考察②「かわいい」と「小ささ」
次に引くのは『枕草子』の一節である。
なにもなにも、小さきものは、皆うつくし。
「うつくし」を現代語訳すれば「かわいい」ということになる。
つまり、平安時代のエッセイスト清少納はこう感じていたわけだ。
小さいものなら、なにもかもかわいい
うん、これについては、先ほどの「グロテスク」に比べて、ぼくたちの実感にピッタリだ。
赤ちゃん、子犬、ハムスター、ひよこ、たんぽぽ、クローバーなどなど……
やっぱり、どれもこれも、かわいい。
ここで、ギリシアの哲学者「アリストテレス」の『詩学』を引用しよう。
極端に小さな動物は美しくあり得ないだろう。
(中略)
他方また、極端に大きな動物もやはり美しくありえないであろう。
ちなみに、アリストテレスが生きた時代のギリシアには「かわいい」という観念はなかったという。
あるのは、ただ「美」だけ。
もちろん、清少納言とアリストテレス、両者が生きた時代に1000年ほどの隔たりがあるので、単純に比較することはできない。
とはいえ、ここに見られる対照は、やはり興味深い。
- 清少納言の関心……かわいいもの
- アリストテレスの関心……美しいもの
- 清少納言……小さいものを肯定
- アリストテレス……調和と均衡を肯定
これを「日本」と「ギリシア」の違いととらえてよければ、
日本人は「小さいもの」を「かわいいもの」として肯定する。
と、結論することができる。
実際に、日本文化を見てみれば、小さいものを肯定してきた歴史がある。
韓国の比較文化学者である「イーオリヨン」は、日本人には「縮み志向」があるとして、こう結論している。
日本文化の根底にはものごとを縮小する原理が横たわっている。
確かに、日本を代表する文学である「俳句」は「5・7・5」の超コンパクト形式だし、日本のガラパゴス仏教ともいえる「浄土真宗」の根幹は「ナムアミダブツ」の7字の「念仏」だ。
子どもたちは「シルバニアファミリー」や「トミカ・プラレール」などで遊ぶし、大人たちは「ミニマル生活」などといって、必要最低限の生活を求めている。
たしかに、日本人は「小さいもの」に対して肯定的で、できれば「小さく小さく」まとまろうとするところがある。
そう考えれば、「かわいい」にも、小さいものを肯定的に受け止める日本人の価値観があらわれているといえるのだろう。
【 四方田氏の結論② 】 「かわいい」を構成する要素の1つに「小さいこと」がある。
これについては間違いない。
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考察③「かわいい」と「子供らしさ」
四方田氏は言う。
「かわいい」を構成する要素に「子供らしさ」がある、と。
言い換えれば、
「かわいい」と言う人の心理には「子供らしいものを愛好する感情」がある、ということだ。
もっといえば、
「かわいい」とは、「子供らしさを肯定する感情」であり、「未成熟に寛容な態度」である。
え、「子供らしさ」に肯定的って、別にそれ、日本に限ったことじゃないんじゃない?
そう思った人も多いと思う。
たしかに「子供らしさ」に肯定的な考えは、今やどの国 どの文化においても見ることができる。
多くの人が「子供らしさ」に心が温まるだろうし、彼らの幼い挙動を見れば「かわいい(英語であればCute)」と思うだろう。
ただ、その一方で、18世紀以前の西洋には こんな人間観が存在していた。
「子ども」は、完全な「人間」ではない。
当時の西洋では、「子ども」というのは不完全な存在であり、「子ども時代」というのは早急に終わらせることが望ましいとされてきた。
「子ども」は早く「大人」にならなければならず、そのためにできる限り早く「大人」の価値観や考え方を覚えなければならない。
西洋において「未成熟」であることは、あきらかに否定的に考えられていたのだ。
子どもはあくまでも「大人」の過渡期。
子どもは「小さな大人」に過ぎない。
「さっさと一人前の『大人』になってくれよ」というワケだ。
- 「子どもの尊さ」
- 「子ども固有の世界」
- 「子どもであることの価値」
そういうのに気が付いたのは18世紀以降のこと。
フランスの哲学者ルソーが、主著『エミール』で「子どもの価値」を訴えてからだ。
以降、西洋の人々は「未成熟」の尊さに気が付き、それが正しく育つように「教育」してあげようと、その足並みをそろえていく。
「子どもの発見」と呼ばれる、西洋教育史における転換だ。
一方の日本はといえば、どうやらその逆だったようだ。
幕末の開港後、日本を訪れた欧米人モースは次のような報告をしている。
「私は、日本が子供の天国であることを、くりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。『日本その日その日』より
西欧と日本の事情を比べてみれば、その違いは一目瞭然だろう。
以上のことから、こうまとめることができる。
- 日本……「未成熟」に肯定的
- 欧米……「未成熟」に否定的
四方田氏もまた、『かわいい論』においてこの点に触れている。
四方田氏は本書で、「なぜ日本でセーラームーンが『かわいい』と大人気なのか」を考察している。(まぁ「セーラームーン」は若干古いので、「プリキュア」でイメージしてもらえばOK)
そのうえで、彼は「日本文化」と「欧米文化」とをこう区別している。
- 日本・・・永遠に子どもであり続けることに「公的な価値」を認める文化
- 欧米・・・未成熟であることを肯定すると「変態扱い」される文化
以上の点を踏まえて言えること。それは、
「かわいい」という言葉には「子供らしさ」を肯定する日本の文化的価値観が色濃い
と、いうことだ。
そして、
「かわいい」という時、人々の心理には「子供らしさへの愛好」がある
と、いうことだ。
【 四方田氏の結論③ 】 「かわいい」を要素する要素の1つに「子供らしさ」がある。
うん、これも、間違いない。
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・
結局「かわいい」はどんな感情なのか
さて、これまで「かわいい」について考察をしてきた。
それらを簡単にまとめると、以下の通りだ。
1「かわいい」は「かわいそう」と表裏一体の感情である。 2「かわいい」の本質は「不完全であること」である。 3「かわいい」の構成要素に「グロテスク」がある。 4「かわいい」の構成要素に「小さいこと」がある。 5「かわいい」の構成要素に「子供らしさ」がある。
では、これらのことから、どんなことが言えるだろう。
それは、
人々が「何か」を見て「かわいい」と思うとき、そこに「同情」や「憐憫」の念がある。
ということである。
上記について、もう少し補足させてほしい。
3の「グロテスク」は「嫌悪されるもの」として「同情・憐憫」の対象となる。
4の「小さいこと」は「無力なもの」として「同情・憐憫」の対象となる。
5の「子供らしさ」は「保護されるべきもの」として「同情・憐憫」の対象となる。
そして「嫌悪されるもの」「無力なもの」「保護されるべきもの」の全ては、2の「不完全であること」と見事に合致する。
だからこそ、1のように「かわいい」は「かわいそう」と表裏一体の関係にあるといえるのだ。
「かわいい」と口にする人々の気持ちを代弁すれば、きっとこうなる。
「キモーい、守ってあげたくなっちゃうー」
「小さーい、守ってあげたくなっちゃうー」
「幼ーい、守ってあげたくなっちゃうー」
そう、「かわいい」とは「守ってあげたい」という感情に根差してもいるのだ。
では、結局「かわいい」とはどんな感情なのか。
以上を踏まえて、こう結論することができる。
「かわいい = 対象への「同情」と「憐憫」の念 「かわいい」 = 対象を「保護してあげたい」という感情
こう考えれば、色んなことのつじつまがあう。
四方田氏の実施したアンケートで、若者たちは「かわいい」の印象についてこう語っていた。
- 近寄りやすい
- 守ってあげたくなる
- 緊張を解き、心を和ませる
- おっちょこちょいで、庶民的(
- 俗っぽい
- 無邪気で、丸っこく、温かい
- 不完全なところがある
これらすべては、「同情・憐憫」と「保護してあげたい」のいずれかで説明がつくだろう。
「かわいい」とは、対象を「かわいそう」と思うことであり、「守ってあげたい」と思うことなのである。
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おわりに「かわいいを連発する理由」
最後に「なぜ日本人が『かわいい』を連発するのか」について、ぼくの考えを述べておしまいにしたい。
結論を言えば、
この世界が不完全だから
である。
この記事で繰り返し述べてきたことは、
「かわいい」の本質は「不完全であること」
だった。
「おにかわ」も「ぐうかわ」も「キモかわ」も「グロかわ」も、その言葉を口にする人々は、間違いなくそこに「不完全さ」を見て取っている。
日本人はその「不完全さ」を見抜く目が、ある意味で鋭いのだ。
ただ、日本人はその「不完全さ」を決して否定的にとらえない。
むしろ、その「不完全さ」を肯定的に受け止めようとするのだ。
それはある意味で「あなたは、あなたのままでいいんだよ」という寛容の表れだといってもいい。
日本人とは、この世界の「不完全さ」を鋭く見抜きつつ、それを肯定的に受け止める、そういう人間なのだろう。
宗教家、哲学者、文化人類学者、文学者、多くの知識人が口をそろえて言うことがある。
それは、
「日本人は、現実に対して肯定的である」
ということだ。
まさにしく「かわいい」という言葉は、そんな現実に肯定的な日本人の価値観がダイレクトに表れた、日本人らしい言葉なのだと思う。
だからこそ、日本人は「かわいい」を連発するのだろう。
とはいえ、そこに「言葉への怠惰」がないとはいえない。
若者の圧倒的なボキャブラリーのなさが原因で、
「とりあえず、かわいいって言っとけば問題ないっしょ」
的に、日本人にとって万能な「かわいい」で片付けている側面は、間違いなくあるからだ。
だけど一方で、若者たちが「かわいい」を連発する背景に好ましいものもある。
それは、男女の平等が実現されつつあることだ。
残念ながら「かわいい」には政治性や権力性が潜んでいる。
「かわいい」という時、人々の心には「相手を守ってあげたい」という思いが潜んでいるワケだが、それはややもすると「支配したい」という思いへと肥大してしまう。
だからこそ、これまで「かわいい」は「男性」から「女性」に対して使われがちだったのだ。
だけど、現代は違う。
男性から女性へ。
女性から男性へ。
女性から女性へ。
男性から男性へ。
それは性別の隔てなく、みんなが忌憚なく「かわいい」を言い合っている。
それはつまり「女性は弱い」「男性は強い」「女は男に守られるもの」「男は女を守るもの」みたいな、そんなおかしな性差別観が薄らいできたことの表れなのではないだろうか。
まとめよう。
日本人が「かわいい」を連発する理由は大きく3つ。
- 日本人は世界の「不完全さ」を肯定できるから
- 日本人が言語的に怠惰だから。
- 日本人の性差別意識が薄らいできたから。
「かわいい」が蔓延する現実を不快に思う人は、たぶん、結構いる。
だけど、負の側面ばかりではない。
「かわいい」を連発する人たちを見た時、
「ああ、やっぱり日本人ってのは、ふところがでっけえんだなあ」
と、ぼくら自身の寛容さを認めてあげればいいんではないだろうか。
人間なんて、だれだって「不完全」なんだから。
オススメの本
ここでは、さらに踏み込んで「日本人とは何か」を知るうえで、とても頼もしい2つのテキストを紹介したい。
『人はなぜ美しいが分かるのか』
日本人にとって「かわいい」とは何かを見てきたが、日本人にとって「美しい」とは何かを探ることのもとても興味深い。
実際、西洋人にとっての「美しい」と、日本人にとっての「美しい」は、その本質を異にしている。
日本人には「あはれ」という美的感性があるわけだが、その根っこには「孤独」と「死」があると思われる。
「かわいい」同様に「美しい」についても、日本人は独自の世界観を持っている。
本書を読めば、その日本人の世界観を知ることができるだろう。
ちなみに、こちらの本については考察記事を書いているので、ぜひ参考にしていただきたい。
【 参考記事 解説「人はなぜ美しいと感じるのか」―美しいとは何かの哲学・心理学―】
『日本文学史序説』
タイトルに「文学」とあるが、ここで解説されているのは「文学」だけでなく「宗教「哲学」「芸術」などなど。
その射程は驚くほど広く、上下巻読み上げれば「日本人とは何か」をかなり詳しくつかむことができるだろう。
もはや「古典」と呼んでもいいほどの名著。
ぜひ、文章と格闘しつつ、じっくりと呼んでみてほしい。
『菊と刀』
言わずと知れた「日本人論」の名著。
「日本は恥の文化だ」という言葉はあまりに有名。
欧米との比較の中で「日本人とはどんな生き物か」を明らかにしていく。
執筆されたのは戦後まもなくだが、いまでも色あせない説得力がある。
「日本人論」の源流ともなった本作。
「日本人」を知るうえで一読の価値あり。
考察記事を書いているので、ぜひこちらも参考にしてほしい。
【 参考 分かりやすく解説『菊と刀』ー「恥の文化」と「罪の文化」とはー 】
ことばを学ぶなら”Audible”
今、急激にユーザーを増やしている”耳読書”Audible(オーディブル)。【 Audible(オーディブル)HP 】
Audibleを利用すれば、日本語学、言語学関連の書籍が月額1500円で“聴き放題”。
また、英語や英会話についての書籍も充実しているので、リスニング力の向上にも役立てることができる。
それ以外にも純文学、エンタメ小説、海外文学、新書、ビジネス書、などなど、あらゆるジャンルの書籍が聴き放題の対象となっていて、その数なんと12万冊以上。
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