解説【江戸時代(近世)の日本語・言葉】―文法や表記、発音、語彙を分かりやすく―

言葉
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【 参考  各時代の詳しい解説 】

解説【奈良時代まで(上代)の日本語】

解説【平安時代(中古)の日本語】

解説【鎌倉時代(中世前期)の日本語】

解説【室町・安土桃山時代(中世後期)の日本語】

解説【江戸時代(近世)の日本語】

解説【明治時代(近代)の日本語】

まとめ【日本語の歴史と変遷】(奈良時代から現代まで)
はじめに「日本語の歴史を学ぶ」

突然だけれど、あなたは日本語について、どれくらいのことを知っているだろうか。

普段なにげなく使っている日本語だけれど、そこにどんな歴史があるのかどのように変化してきたのかについて、考えたことがあるだろうか。

おそらく、多くの人がそんなことを考えずに日常を送っていることと思う。

だけど、日本語というのは知れば知るほど興味深く、いまでも解明されない多くの謎を持つ魅力的な言語なのだ。

さて、この記事にたどりついたあなたは、少なくても「日本語の歴史」を知りたいと思っている日本語に興味のある人なのだと思う。

この記事では、そんな人の好奇心を満たすべく、「江戸時代(近世)の日本語」について分かりやすく丁寧に解説をしている。

ちなみに、良く問題になる「現代でも通じる?」について、ここで答えておくと、

江戸時代の言葉は、現代でも十分通じる!

ということになる。

その理由については、以下の記事をぜひ参考にしていただきたい。(特に音韻とか語彙の章が良いかも)

それでは、お時間のある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。

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江戸時代の特徴

特徴は4つ

江戸時代の日本語について解説をするために、「江戸時代がどんな時代だったのか」を簡単に説明する必要がある。

そこで、日本語に影響を与えた「江戸時代の特徴」として、次の4点を挙げたい。

【 江戸時代の特徴 】

1、庶民の地位が向上した

2、身分制度が固定化した

3、儒学が流行した

4、西欧諸国と接触した

庶民の地位が向上した

まず、江戸時代と言えば、なんといっても「泰平の世」である。

200年以上の長きに渡って続いた時代というのは、日本の歴史上で江戸時代の他にない。

平安時代や鎌倉時代といった、災害や戦乱が頻発した世界が「憂き世(辛い世の中)」と呼ばれていたのに対して、平和で活発な江戸の世界は「浮き世(楽しい世の中)」と呼ばれた。

このような「泰平の世の中」で庶民の社会的・経済的地位も順調に向上していく。

「こちとら江戸っ子! 宵越しの金は持たねえ!」

とばかりに、人々は享楽をむさぼり、娯楽を求める。

「商業出版」というのも、この頃、盛んに行われた。

その背景には、人々の生活が豊かになったことのほかに、「庶民の識字率の向上」がある。

いわゆる「寺請制度」(寺が地域の人々を管理する制度)が導入されたことによって、町では「寺子屋」がこれまで以上に機能し、庶民の子ども達はそこで「読み書き」を学んだ。

こうして庶民の間に「娯楽を楽しむ土壌」が完成する

すると、それに応えるようにして「仮名草子」とか「浮世草子」といった、当時の「小説」の類いが生まれることとなった。

こんな風に、江戸時代というのは、人々の社会的・経済的地位が向上し、識字率も上がったことで、言語活動も盛んに行われた時代だといっていい。

ちなみに、「仮名草子」や「浮世草子」では、地の文は相変わらず「平安時代の言葉」で書かれていたが、セリフの部分は「江戸の日常語」で書かれていた。

江戸時代の日本語研究は、こうした「小説のセリフ」に負うところが大きい。

身分制度が固定化した

江戸時代の特徴として「身分制度が固定化したこと」もあげられる。

いわゆる「士農工商」というヤツである。

これにより、「身分や階級に応じた話し言葉」というのが生まれる。

武士と町人との間に、大きな言葉の違いがあったのはもちろん、町人の中でも言葉遣いに違いが見られた。

寺子屋でも、身分や性別に応じた言語教育が行われ、扱うテキストもそれぞれ区別されていた。

ということで、江戸時代では、人々の話す言葉や語彙、文法といったものは、身分、職業、性別などによって異なっていた。

儒学が流行した

日本の書き言葉において、漢文や漢字は、ずっと重んじられてきた。

それは奈良時代から江戸時代に至るまで一貫して変わらない。

そんな漢文や漢字が全盛期を迎えるのが「江戸時代」と言われている。

その背景にあるのが「儒学」の流行である。

儒学というのは、ひらたく言うと、中国の春秋戦国時代に登場した「孔子」から始まった「儒教」のことだ。

これが江戸時代には、主要な「学問」として、主に武士を中心に学ばれることとなり、日本人の価値観に大きく影響を与えていった。

たとえば、「友だちと切磋琢磨しましょう」とか「親や目上の人を大切にしましょう」とかいったような、僕たちも小学校の道徳の時間に散々いわれてきた「日本人の常識」は、その多くが江戸時代に流行した「儒学」の流れをくむものだといっていい。

それくらい、この時代、武士を中心に多くの人が当たり前のように「儒学」を学んでいたのである。

そして、その儒学のテキストというのが、いわゆる「四書五経」と呼ばれる漢文で書かれたものだったのだ。

武士階級の子どもたちは、意味さえ分からずに、この四書五経を徹底して読み込まされた。

いわゆる「素読」ってヤツだ。

その結果、特権階級を中心に、基本的には漢字で読み書きを行うようになり、オリジナルの漢詩をたしなむ素人まで現れ始めた。

ということで、江戸時代というのは、主に特権階級を中心に「漢字」を使って読み書きをした全盛時代だといっていい。

西欧諸国と接触した

日本が初めて西欧と接触したのは、前代の安土桃山時代であり、この時代において「ポルトガル語」が日本に多く輸入された。【 参考記事 】

その後、日本は江戸時代のほとんどで「鎖国」をすることになるわけだが、唯一、長崎の「出島」でオランダや中国と交易を続けた。

その中で「オランダ語」がどんどん日本に流入してくることになるが、そこには医療関係の語が多く見られた。(詳しくは「語彙」の章で後述する)

 

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江戸時代の言葉は大きく2つ

さて、江戸時代の言葉の細かい説明に入る前に、前提として押さえておきたいことがある。

それは「江戸時代の話し言葉は2つに大別できる」という点だ。

結論を言うと、次の通りになる。

【 江戸時代の中心語 】

○江戸時代前期(16世紀~)
・・・上方語(京都周辺の言葉)

○江戸時代後期(18世紀~)
・・・江戸語(東京周辺の言葉)

さて、これはなぜなのかというと、前代である室町・安土桃山時代の文化の中心は「関西地方」であって、いわゆる中心語と呼ばれたのもまた「京都の言葉」だったからである。

とすると、時代が変わって、幕府が江戸に置かれはしたものの、はじめのうちは当然「関西地方」の方が経済的にも文化的にも強かったということになる。

したがって、江戸時代の前半というのは、「関西地方の言葉」、いわゆる「上方語」が中心的な役割を担っていた。

それが18世紀になると、いよいよ江戸の人口は百万人を超える。

名実ともに、江戸がこの時代の中心都市になったのだ。

したがって、江戸時代の後半になると、「東京地方の言葉」いわゆる「江戸語」が中心的な役割を担うことになる。

ちなみに、この記事で解説する内容は、主にこの「江戸語」についてである。

なぜなら、明治時代になると、この「江戸語」を中心に、日本の標準語と認定されるからだ。

さて、以上が、日本語をとりまく「江戸時代の特徴」である。

ここからいよいよ、日本語の「文字表記」、「音韻」、「語彙」、「文法」について詳しく解説をしていこうと思う。

 

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文字表記について

庶民=かな文字

江戸時代は、寺請制度によって「寺子屋」がいっそう機能し、庶民の識字率が向上したことはすでに述べた通り。

寺子屋では身分に応じた「読み書き」が教えられ、たとえば商人の子には「商売往来」が、百姓の子には「百姓往来」が、女の子には「女消息往来」が個別に渡された。

「往来」というのは、当時の「教科書」のことである。

庶民の子ども達が寺子屋で学んだのは、やはりひらがなを中心とした「仮名文字」がほとんどで、その書体は「草書」が中心だった。

ということで、江戸時代の庶民の多くが、ひらがなの草書で書き物ができた

ただ、やはり庶民にとって漢字の読み書きはハードルが高く、江戸時代に大量に出版された「小説」では、ほとんどの漢字にルビが振られていた。

武士=漢文

では、漢字を読み書き出来た層は何だったかというと、もちろん「武士」などの特権階級である。

江戸時代に「儒学」が武士のたしなみとなったことは、すでに述べた。

幼い頃から「四書五経」を素読して育った武士たちは、日常的に漢字を読み書きし、自作の漢詩をつくったりもした。

こんな風に、主に漢字を扱うことができたのは、武士などの特権階級や知識人たちだった。

学術・文芸における表記

また、江戸時代にはオランダの医学が輸入され始めた時代でもある。

そのほとんどは、翻訳される際には漢文でなされたわけだが、有名な杉田玄白の『解体新書』も漢文で書かれている。

ということで、正式な文章は、江戸時代においてもやはり漢文だった。

逆に、庶民の娯楽として登場した「仮名草子」や「浮世草子」といった当時の「小説」では、「仮名文字」とりわけ「ひらがな」が中心だった。

特に、ひらがなと漢字を織り交ぜた「和漢混淆文」が最も多いスタイルで、そこに登場する漢字には庶民のためにルビが振られていた。

なお、「カタカナ」は学術的な著作や、漢学者が書くエッセイなどで多く使われていた

ポルトガルやオランダからの外来語が増えていくと、それらも次第にカタカナで表記されるようになっていく。

ちなみに、外来語を日本で最初にカタカナ表記したのは、学者の新井白石と言われている。

濁点・半濁点が忠実に付される

濁点・半濁点時代は室町時代辺りから徐々に定着してきたが、それがほとんど忠実につけられるようになったのは江戸時代においてである。

とはいえ、本居宣長の『玉勝間』を読むと、次のようなくだりが登場する。

「“有は”と書いてしまうと、“あるは”と読めばいいのか“あれば”と読めばいいのか分からないから、間違いのないように全部ひらがなで書くべきだ」

つまりこれは、「は」という表記が「は」とも「ば」とも読むことができることを物語るもので、ここから江戸時代においても、まだ「平仮名の濁音表記」が完璧に定着してはいなかったことをうかがい知ることができる。(だから”ほぼ定着”という表現になる。)

また、半濁点については、現代には見られない使い方もあった。

【 半濁点の特殊使用例 】

ち゜→「ティ」と発音

つ゜→「トゥ」と発音

さ゜→「ツァ」と発音

とはいえ、こうした使用法は一般に普及していたわけではなく、特殊な発音を確認するために使われていたと言われている。

 

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音韻について

母音と子音について

母音と子音については、江戸時代において「現代語の用法」がほぼ確立したといっていい。

母音については、平安後期から「a」「i」「u」「e」「o」の5つだった。

ただし、前代の室町・安土桃山時代において、「a」「i」「u」は現代と同じように発音されたが、「e」は「je」(イェ)と発音され、「o」は「wo」(ウォ)と発音されていた。

これが江戸時代になり、いよいよ、現代の発音に一本化される。

つまり、「e」は「イェ」ではなく「エ」と発音され、「o」は「ウォ」ではなく「オ」と発音されるようになったということだ。

以上を踏まえて、この極めて複雑な「エ」と「オ」の発音について、その歴史的変遷をまとめると次の通りになる。

【 「エ」の発音の変遷 】

〇平安時代初期
・ア行の「エ」→「エ」と発音。
・ヤ行の「エ」→「イェ」と発音。
  両者は区別されていた

〇鎌倉時代
・ア行の「エ」とヤ行の「エ」→「イェ」と発音。
  ※両者の区別は消え「イェ」に一本化

〇江戸時代
・ア行の「エ」とヤ行の「エ」→「エ」と発音。
 ※両者は、現代と同じように「「エ」と発音されるようになった
【 「オ」の発音の変遷 】

〇平安時代初期
・ア行の「オ」→「オ」と発音。
・ワ行の「ヲ」→「ウォ」と発音。
 ※両者は区別されていた。

〇鎌倉時代
・ア行の「オ」とワ行の「ヲ」→「ウォ」と発音。
 ※両者の区別は消え「ウォ」に一本化。

〇江戸時代
・ア行の「オ」とワ行の「ヲ」→「オ」と発音。
 ※両者は、現代と同じように「「オ」と発音されるようになった。

以上のような変化を経て、江戸時代において、母音はすべて現代の用法と同じになった。

なお、子音について特筆すべきは、

室町時代まで「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」と発音されてきた「ハ行」が 「ハヒフヘホ」といった具合に、現代と同じ発音になった点だ。

こうして子音についても、現代の用法と同じになった。

江戸語の訛りについて

江戸時代の音韻や発音について解説をする上で、絶対に無視できないのが「なまり」である。

というのも、この江戸語の訛りは、現代の僕たちにとっても、聞き馴染みのあるものばかりだからだ。

そういった意味でも、「訛りこそ江戸語の最大の特徴である」といっても過言ではない。

江戸時代の言葉は、その身分に応じて、それぞれ特徴や違いがあることはすでに述べた。

そんな中、特に「中流層」や「下流層」において顕著に見られたのが、江戸訛りである。

そして、この訛りは、現代においても、下町のいわゆる「江戸っ子語」として生き残っているのである。

では、江戸語の訛りとは、具体的にどのようなものなのだろう。

それをまとめると以下の通りになる。

【 江戸語の訛りの主な特徴 】

1、長音化

2、破擦音化

3、撥音化

4、撥音添化

5、促音化

6、促音添化

こうしてまとめられても、何が何やらチンプンカンプンだと思うので、それぞれ具体例を挙げてみる。

1、長音化

・ア段長音
「子どもたちは」→「子どもたちゃあ」

・イ段長音
「悪い野郎だ」→「わりぃ野郎だ」

・エ段長音
「太い野郎だ」→「ふてぇ野郎だ」

・オ段長音
「何をいってるんだ」→「なにょおいってるんだ」
2、破擦音化
・「おとおさん」→「おとっつぁん」
3、撥音化
・「お前のところ」→「お前んところ」
4、撥音添化
・「東」→「ひんがし」
5、促音化
・「嫌なことだ」→「嫌なこった」
6、促音添化
・「鼻面」→「鼻っ面」

さて、こんな感じでバンバン長音化したり、促音化、撥音化したりするのが、江戸語訛りの特徴なのである。

だから、たとえば

―― 標準語Ver ——―

「お父さんお父さん、聞いておくれよ」

「なんだい? ヤブから棒に」

「わたしの馴染みのシンさんがね……(かくかくしかじか)」

「何? それは太い野郎だ。あの野郎、鼻面殴ってやるわ」

みたいな標準日常会話を当時の江戸の下層民にしゃべらせると、

―ー江戸訛りVer―ー

「おとっつぁんおとっつぁん、聞いとくれよ」

「何でぇ? ヤブから棒に」

「わっちの馴染みのシンさんがさ……」

「なにい? そりゃあフテエ野郎だ。あんにゃろう、鼻っ面ブン殴ってやらあ」

といった具合に「江戸っ子だってえねえ、神田の生まれヨオ」的な、ザ下町江戸っ子方言みたいな響きになる。

それ以外に、江戸語訛りで特徴的なのは「子音や母音の混同」である。

最も有名としては、「ひ」と「し」の混同が挙げられる。

○子音や母音の混同
・「ひ」と「し」の混同
例「ひしゃく」→「ししゃく」、「羊」→「しつじ」

ちなみに、この「ひ」と「し」の混同は、現代の東京下町方言にも見られ、おじいちゃん世代の中には、たとえば「東広島」を「シガシシロシマ」と発音してしまう人がいる。

 

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語彙について

身分による違い

江戸時代に身分が固定化したことで、人々の話し言葉も身分によって異なったことは、すでに述べた通り。

ここでは、具体的にどんな語彙の違いがあったかについて触れたい。

まずあげられるのが「人称代名詞」だ。

一人称二人称
上層わたくし・わたくしどもあなた
中層わたくし・わたし・わたしら・こちとらおまへさん・おめへ
下層おら・おれ・おいら・わっち・わっちらおめへ

こうしてみると、身分が下っていくにつれ、言葉の丁寧さが損なわれていき、ぞんざいな印象になっていくことが分かる。

実は、江戸時代における話し言葉は、一事が万事、同じ傾向が見られ、それはたとえば敬語についても同様である。

尊敬語謙譲語丁寧語
上層「御覧じる」など「存ずる」など「ござります」など
中層「御覧じる」など「存ずる」など「ございます」など
下層ほとんどみられずほとんどみられず「がんす」「ごんす」など

こうしてみると、上中層では、ほとんど差異なく敬語を使っていたようだが、下層では尊敬語や謙譲語をあまり使用していなかったようだ。

ただ、下層民の言葉において、丁寧語は独自の発展をしていた。

たとえば「ござります」が砕けて、「がんす」や「ごんす」に。

さらにそれらが砕けて「ごっす」や「げす」といった例も見られる。 

その他、感動詞ひとつとってみても、身分による違いが見られる。

たとえば笑い声なんかでは、

  • 上層「ヲホホホホホ」
  • 中層「ハハハハハ」「ホホホホホ」

といった具合にサが見られるし、返事では

  • 上層「ハイ」
  • 中層「アイサ」

といった感じである。

ところで、下層の人たちは、いったいどんな話し方をしていたのだろう。

参考までに17世紀初期の滑稽本『浮世風呂』から、下層の女性のセリフを引いてみたい。

「よく恥をかゝせたの。三ン年忘れねへよ。覚えて居な。おとびさん、お鳶さん。おめへモウあがるか。もうちつとつき合ひな(中略)まだ足りねへからモット酒買ってこいだ」

こんな風に、お世辞にも「上品」とはいえないこのセリフ。

こうした例からも、下層の人々の意識には「敬語」といったものがほとんどなかったことが推察できる。

性別による違い

話し言葉の違いは、身分の違いだけでなく、性別の違いによっても生まれた。

特に、主に身分の高い女性のみが使う「女房詞(女中詞)」というものが発展した。

こうした女性だけの言葉というのは、室町時代の関西地方においてもあったワケで、ちょうどその「関東版」といったところだろう。【 参考記事 解説【室町・安土桃山時代の言葉・日本語】—キリシタン版『エソポのハブラス』—

とはいえ、「優美さ」や「上品さ」を演出するために、省略形や擬態語・擬音語、比喩などの表現を用いた点は、室町時代の「女房詞」と同じなので、基本的にはその流れを汲んで発展したものだといっていいだろう。

ただその一方で、江戸時代特有の女性詞として「遊里詞」というものも生まれている。。

これは、「あちき(=私)」とか「~でありんす(=であります)」で有名な言葉で、主に遊郭で男性を相手にした遊女によって使われた言葉だ。(別名、里詞とか郭詞などとも呼ばれる)

当時、幕府から公認された遊女というのは、高い教養と遊芸スキルが求められ、社会的にも認められた存在だった。

公認遊女と遊べるのは、経済的にも社会的にも地位の高い上流階級の男たちだけ。

そんな男たちに、つかの間の「非日常」を提供すべく編み出されたのが「遊里語」だった。

つまり、遊女たちは、みずからの素性とか生活臭を隠した言葉づかいを心がけて、男たちにある種の幻想を与えていたワケだ。(方言で話すなんてもってのほか)

遊里語には「いちげん」とか「なじみ」といった遊郭特有の語彙があったり、「いき」といった遊郭独特の概念を表す語彙もあったりする。

なお「いき」については、哲学者の九鬼周造が「いき = 媚態、意気地、諦め」と定義しているのは有名な話である。

漢語やオランダ語の増加

江戸時代の特徴として「オランダと交易したこと」が挙げられる、

この流れの中で、江戸時代において「漢語」や「オランダ語」の語彙が増えた。

ただ、こう聞くと、

オランダとの交易で、なぜ漢語が増えるの?

と、率直な疑問を持つ人も多いと思う。

さっそく、その疑問に答えるならば、

オランダ語は「漢語」で翻訳されたから

ということになる。

たとえば「神経、盲腸、視覚、粘膜、軟骨、横隔膜」といった、僕たちが日常的につかっている熟語は、すべて江戸時代にオランダ語から翻訳したものである。

こうきくと、きっと次のような疑問持つだろう。

なんで日本オリジナルの「大和言葉」ではなく、あえて「漢語」で翻訳したの?

結論をいえば、

大和言葉では細かい概念を翻訳できなかったから

ということになる。

実際に、「神経」(zenuw)とか「横隔膜」(middenrif」といった新しい概念を日本語に翻訳することをイメージしてみてほしい。

多義的で意味の広がりのある大和言葉では、それらを適切に翻訳できっこないことはすぐに分かるだろう。

むしろ、明晰な意味を持ち合わせている「漢字」の組み合わせのほうが、オリジナルの語義を損なわずに翻訳するのに適しているといっていい。

ということで、オランダから入ってきた様々な語(おもに医療用語)は、漢字の明晰さに頼るようにして、漢語として翻訳されていった。

とはいえ、オランダ語を翻訳することなく、そっくりそのまま受容したケースも珍しくない

それらは、やがてカタカナ語で表記されるようになったのだが、主立ったものを以下に紹介する。

【 江戸に入ってきたオランダ語の例 】

〇医療用語
・・・アルコール、エキス、カテーテル、チフス、コレラ、メス、レンズなど

〇物品名など
・・・インキ、ガラス、コーヒー、コップ、ビール、ペンキなど

こうした流れは、幕末になっても続き、オランダだけでなく、フランスやイギリスとの接触も増えていく。

その中で日本に入ってきた語彙は、時には漢語で翻訳され、カタカナで表記される形で受容されていく。

しかも、日本が開国し、やがて明治時代になると、西欧文明が一気に流入し、日本語はこれまでになかった新しい概念を獲得していくことになる。(が、それはまた別のお話)

 

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文法について

近代語法がほぼ確立

江戸時代の文法について概括すると、

「近代語法がほぼ確立した」

ということができる。

近代語法というのは、日本では明治時代の日本語のことであり、それはほとんど「現代語」であるといって差し支えない。

実際に、江戸時代の文芸作品なんかを読んでいると、( 地の文は相変わらず平安語なので理解できないけど )登場人物のセリフは現代の僕たちにも十分理解できる表現になっている

ということで、「江戸時代 = 近代語がほぼ確立した時代 」と結論づけられるわけだが、それはつまり、「江戸時代 = 近代語の文法がほぼ確立した時代」と言い換えることができる。

動詞について

動詞について大きな変化をあげると、「四段活用の五段活用化」がある。

これは、前代に、助動詞の「ん」が「う」になったことが大きく関係している。

「書かん」(鎌倉時時代まで)→「書かう」(室町時代)→「書こう」(江戸時代)

こうした変化のなかで、未然形「書こ」が成立し、カ行四段動詞「書く」は、晴れて、カ行五段動詞となったわけだ。

それ以外にも、鎌倉時代以降に始まった「二段活用の一段化」が、江戸時代にほぼカンペキに定着したり、唯一の下二段活用動詞だった「蹴る」や、「死ぬ」などのナ行変格動詞も「五段動詞化」したりした。

ちなみに、ラ行変各動詞は、すでに鎌倉時代の「終止形と連体形の一本化」で消滅している。【 参考記事 解説【鎌倉時代(中世)の日本語・言葉】―文法や表記、発音、語彙を分かりやすく―

こうして、平安時代には全部で9種類(四段、上一段、上二段、下一段、下二段、カ変、サ変、ナ変、ラ変)もあった動詞は、近代語法である、5種類(五段、上一段、下一段、カ変、サ変)に落ち着くこととなった。

形容詞・形容動詞について

形容詞については、前代において、その終止形末が「い」になっている。(例 「うつくし」→「うつくしい」)

形容動詞については、前代において、その終止形末が「ぢゃ」になった。(例「あはれなり」→「あはれぢゃ」)

それが、江戸時代になると、活用語尾の「ぢゃ」が「だ」に変化する。(例「あはれぢゃ」→「あはれだ」)

こうして、江戸時代において、形容詞も形容動詞も近代の用法がほぼ確立した。

助動詞について

助動詞についても、江戸時代に近代語法が確立している。

たとえば、推量や意志の助動詞で「よう」というものが登場する。

さきほど、室町時代に助動詞「ん」→「う」という変化が生じた旨を紹介したが、「よう」の登場もこの流れで起こった。

たとえば「上げ+ん」について考えてみると、

「上げん」→「上げう」という変化が室町時代頃に生じ、これを発音すると「あぎょぉ」ということになる。

こうして「上げよう」という発音が生まれ、そこから「よう」という意志や推量の助動詞が派生した。

その他にも、断定の助動詞では「ぢゃ」→「だ」に変化したり、打消の助動詞では「ず」→「ない」に変化したりと、現代の僕たちに馴染みのある助動詞がゾクゾクと生まれていくる。

ちなみに、同じ時期、上方語では「ぢゃ」→「や」という変化をし「ず」→「ん」という変化をしている。、

現代の東京方言(標準語)では、断定「だ」、打消「ない」を使うのに対して、関西地方の方言では、断定「や」、打消「ん」を使うのは、こうした江戸時代の変化を引きずっているものと考えて良い。

助詞について

助詞についても、近代の用法が次々と定着していく。

以下にあげるのは、江戸時代に確立した助詞のうち、ほんの一部の具体例である。

【 江戸時代に確立した助詞の例 】

格助詞・・・「が」(主格)、「の」(連体修飾格)など

接続助詞・・・「から」(原因・理由)、「ても・のに」(逆接)など

副助詞・・・「までも」(添加)、「ばかり」(程度)など

終助詞・・・「ぞ、わ、ぜ」(強調)など

間投助詞・・・「ね」、「さ」、「の」など

さて、以上を踏まえて、「動詞」、「形容詞」、「形容動詞」、「助動詞」、「助詞」といった「文法事項」についてあらためて概括すれば、

「江戸時代は近代語がほぼ確立した時代」

ということができる。

以上、江戸時代(近世)の日本語に関する解説を終わります。

この記事が、日本語を学ぶあなたの役に立てたのなら幸いです。

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この1冊を読めば「日本語の歴史」について、大体のことが分かると思います

日本語を学ぶなら、ぜひ、一読しておきたい1冊なので、ぜひ参考にどうぞ。

それでは、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

【 参考  各時代の詳しい解説 】

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