解説「明治時代(近代)の日本語・言葉」―外来語・表記・語彙などわかりやすく―

言葉
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【 参考  各時代の詳しい解説 】

解説【奈良時代まで(上代)の日本語】

解説【平安時代(中古)の日本語】

解説【鎌倉時代(中世前期)の日本語】

解説【室町・安土桃山時代(中世後期)の日本語】

解説【江戸時代(近世)の日本語】

解説【明治時代(近代)の日本語】

まとめ【日本語の歴史と変遷】(奈良時代から現代まで)
はじめに「日本語の歴史を学ぶ」

突然だけれど、あなたは日本語について、どれくらいのことを知っているだろうか。

普段なにげなく使っている日本語だけれど、そこにどんな歴史があるのかどのように変化してきたのかについて、考えたことがあるだろうか。

おそらく、多くの人がそんなことを考えずに日常を送っていることと思う。

だけど、日本語というのは知れば知るほど興味深く、いまでも解明されない多くの謎を持つ魅力的な言語なのだ。

さて、この記事にたどりついたあなたは、少なくても「日本語の歴史」を知りたいと思っている日本語に興味のある人なのだと思う。

この記事では、そんな人の好奇心を満たすべく、「明治時代(近代)の日本語」について分かりやすく丁寧に解説をしている。

それでは、お時間のある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。

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明治時代の特徴

まず、日本語に影響を与えた「明治時代の特徴」について触れておこう。

明治時代の特徴として、絶対に外せないのが「近代化」である。

近代化というのは、一口にいって「西洋の文化を吸収すること」である。

西洋の文化というのは、たとえば、背広にネクタイみたいな「ヨーロッパの生活様式」に始まり、法律や科学といった「ヨーロッパのシステム・学問・技術」や、自由・平等・友愛といった「ヨーロッパの人間観」などを指している。

明治時代においてこれらを一気に吸収していった日本は、江戸時代までの日本とは大きく様変わりした

こうした変化は、日本語にも大きな影響を与えた。

では、日本語に影響を与えた明治時代の特徴とは何だろう。

結論を言えば、次の5つになる。

【 明治時代の特徴 】

1、多くの外来語が流入してきた

2、近代的な学校教育が普及した

3、マスメディアが発達した

4、言文一致運動が起こった

さきほど、近代化とは「西洋の文化を吸収すること」と述べた。

そうなると、近代化に伴って、その文化と一緒に様々な「語彙」や「概念」も、日本に流入してくることになる。

こうして明治時代には、日本語の語彙が一気に増え、難解で抽象的な概念も多くなった

また、教育の方法も、近代化によって大きく変化した。

江戸時代までは、いわゆる「寺子屋」が子供たちの教育を担っていたワケだが、こちらも西洋の教育システムを見習い「学校での教育」が採用されることとなる。

要するに、江戸時代のような「個別的」、「自発的」、「流動的」な教育をやめて、「制度的」、「画一的」、「固定的」な教育に舵切りをしたというわけだ。

こうして、国民の多くは一律で学校教育を受けることとなり、そこで彼らは基本的な「読み・書き」の能力を身につけていった。

また、「標準語」というのが生まれたのも、学校教育がもたらした大きな動きだろう。

江戸時代までは、それぞれの藩ごとに、てんでバラバラな方言をしゃべっていた。

極端な話、弘前藩(=青森県)と福岡藩(=福岡県)の人とでは、その方言のあまりの違いから、コミュニケーションが全くとれなかったわけだ。

「みんながバラバラな言葉をしゃべっていては、国民の統一なんてできっこない!」

と、いうことで、当時の首都である東京の中でも、さらにその中心地である「東京山の手地方」(要するに江戸時代の中心地)の言葉を「標準語」と定め、全国の子どもたちに教育していった。

すると、次に何が起きるか。

それが「マスメディア」の発達である。

当然、国民の多くが、共通の「読み書き」をできるようになれば、彼らに向けた「情報発信」というのが大きなビジネスチャンスとなる。

明治時代において「新聞」、「雑誌」、「書籍」といったものがバンバン出版されることになったその背景には、学校教育の制度化と、それに伴う国民の識字率の向上がある。(明治時代の識字率の高さは、世界的に見ても非常に高かった)

さて、以上「外来語の流入」、「学校教育の制度化」、「マスメディアの発達」について触れた。

これらが、日本語に影響を与えた明治時代の特徴なのだが、実は、もう一つ説明をしなければならないことがある。

それが「言文一致運動」について、である。

日本語について勉強したことがある人であれば、もはや説明は不要かと思うが、この記事は「これから日本語を学びたい」といった人に向けても書いているので、以下ではこの「言文一致運動」について説明をしようと思う。

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言文一致運動について

言文不一致の時代

さっそくだが、日本語には「宿命的な特徴」がある。

それは、

「長い間“話し言葉”と“書き言葉”が一致していなかった」

ということである。

もちろん、「話し言葉 と 書き言葉の 不一致」は他の言語にも見られることなので、別段めずらしいことではない、

ただ、日本語の場合は、その「程度」がずば抜けて大きいのである。

特に、江戸時代では「話し言葉 と 書き言葉の 不一致」が最も大きく、現代の僕たちの感覚からすると、

  • 話し言葉・・・ほぼ現代語
  • 書き言葉・・・もはや古文

といった感じなのである。

実際に、江戸時代の文章は、国語教育において正真正銘の「古文」と認定されてしまっているワケなのだが、実は当時の庶民たちの多くが、僕たち現代人と大差ない言葉遣いをしていたことが分かっている。

【 参考記事 解説【江戸時代(近世)の日本語・言葉】―文法や表記、発音、語彙を分かりやすく―

言文不一致の理由

そもそも、なぜ日本語の書き言葉において「言文不一致」といった事態が生じたのだろう

結論を言えば、

「平安後期の言葉が、長らく“理想的な書き言葉”として守られてきたから」

ということになる。

【 参考記事 解説【平安時代(中古)の日本語・言葉】―文法や表記、発音、語彙を分かりやすく―

つまり、平安時代も、鎌倉時代も、室町時代も、安土桃山時代も、江戸時代も、日本語の書き言葉はずーっと「平安後期の言葉」だったのである。

高校時代に古文を勉強した人の中で、こう疑問に思った人はいないだろうか?

「平安時代から江戸時代まで、言葉がほとんど変わらなかったのは、なぜだろう?」

その答えは、

「日本人たちが、あえて書き言葉を変えてこなかったから」

ということになる。

1000年という月日の中で「書き言葉」は、ずっと変わらずに保存されてきたワケだが、一方の「話し言葉」はというと、ちゃんと変化をしていたのである。

こうした「話し言葉」と「書き言葉」を使い分けてきた状況は、日本語学では、

「言文二途」( = 話し言葉と書き言葉の二刀流)

と言われている。

さて、こうした状況のまま、明治時代に突入し、やがて「西洋文学」が本格的に輸入され始める。【 詳しくはこちら 】

すると、「言文二途」という状況について、

「これじゃあ、文学なんてできなくね?」

と考える連中が現れた。そして、

「これまで別々だった“話し言葉”と“書き言葉”を一致させよう!」

といった運動を起こすことになる。

これが「言文一致運動」である。

言文一致のバリエーション

ということで、明治時代に入り、

「言(話し言葉)」と「文(書き言葉)」を一致させよう!

というムーブメントが起こったワケだが、そのバリエーションについては次の3つに分類することができる。

【 言文一致のバリエーション 】

・「~だ調」(二葉亭四迷が試みた)

・「~です調」(山田美妙が試みた)

・「~である調」(尾崎紅葉が試みた)

こうして、多くの偉大な作家たちの運動の甲斐あって、長らく続いた「言文不一致」という状況が変わった。

なお、

「なぜ、言文不一致では“文学”ができないの?」

とか、

「言文一致運動についてもっと知りたい!」

という方は、ぜひ、以下の記事を参考にしていただきたい。

【 参考記事 「二葉亭四迷」の人生・言文一致をわかりやすく解説―『浮雲』を中心に―

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文字表記について

漢字に全てルビ

明治時代になり、

「漢字にまつわる諸問題をなんとかしよう!」

という動きが生まれた。

というのも、江戸時代までの日本は「漢字が一番偉い!」という風潮が長らく続き、日本語は沢山の「漢字」や「漢語」で溢れていたからだ。

しかも、やっかいなことに、「漢字使用のルール」というのも特に整っておらず、「異字体の使用」は自由だったし、「漢字と訓の関係」も自由だった。

要するに、カオス状態だったのである。

明治時代の文学なんかを読んでいると、おなじ「読み」であっても、そこに当てられる漢字が実に様々であることが分かる。

【 漢字の異字体の使用例 】

〇 からだ

→ 身體 身躰 肢體 五躰 肉體 躯幹 など

【 漢字と訓の関係の例 】

○ はっきり

→確然 明確 判明

これはあくまでも一例だが、こんな状況が、明治時代における「漢字の使用状況」だったわけだ。

こんな状況なので、

「ルビなしじゃ、とてもじゃないが正しく読めない!」

と、出版者側は判断することになり、当時の出版物は基本的に「総ルビ」だった。(全ての漢字に読み仮名が振られていた)

なお、後述する「国語施策」によって漢字の使用は制限され、「ルビ使用」も緩和されることになる。

そして、昭和になると現代と同じように「パラルビ」になる。(必要に応じてルビ読み仮名が振られる)

漢字の廃止論と制限論

改めて強調するが、日本語は奈良時代から江戸時代にかけて、とにかく「漢字」を重んじてきた。

その結果、日本語は多くの「漢字」であふれることになったが、江戸時代にはすでに、

「日本語に漢字が多すぎる!」

と、警鐘を鳴らす人々が現れはじめていた。

というのも、江戸時代は日本が欧米列強の脅威にさらされていた時代で、そんな欧米列強に対抗するために

「自分たちも合理的な思考を身につけよう!」

と考える人たちが増えだしたからだった。

彼らの主張というのは、

「とにかく漢字が多すぎる!」

「こんなの覚えるのは効率が悪い!」

「西洋のように表音文字にするのが近代的だ!」

といったものが主なものだった。

そんな中、アヘン戦争が勃発し、中国がイギリスに負けてしまう。

すると、彼らは鬼の首を取ったように、

「ほらみろ、漢字文化は西洋文化に劣っているんだ! 日本も漢字をなんとかしないと中国の二の舞になるぞ!」

と言い始めたのである。

明治時代になると、近代化がますます進み、こうした気運が高まっていく。

そして「漢字廃止論」や「漢字制限論」というのが生まれる。

まず、「漢字廃止論」というのは、文字通り「今後、漢字の一切を廃止すべきだ」といった考え方である。

たとえば「仮名文字協会」(のちのカナモジカイ)という団体は、

「日本語は全てカタカナで横書きにせよ!」

と主張した。

また、「羅馬字会」という団体は、

「日本語はすべてローマ字で表記せよ!」

と主張した。

なお、こうしたムーブメントは戦前にいったん落ち着くのだが、戦後になって再び加熱し始める。

その理由はいうまでもなく、日本が欧米列強に負けたからである。

つまり、「日本人は漢字が多すぎたから敗戦したんだ!」というワケだ。

たとえば、作家の山本有三は積極的に漢字廃止を訴え、彼は平仮名だらけの作品を書いたし、同じく作家の志賀直哉は「フランス語を公用語にすべきだ!」と訴えている。

なお、「漢字廃止論」ほど過激ではない立場に「漢字制限論」がある。

代表的な人物に福沢諭吉がいる。

彼は1873年に発表した『文字之教』で、

「難しい漢字は使うべきじゃない。漢字なんて2000か3000もあれば十分だ」

といったことを主張している。

この「漢字2000語」という数について、あなたは率直にどう感じるだろうか。

ちなみに、現代の国語教育で教えられる漢字の数は「約2000語」である。

これが多いか少ないかは議論の余地があるものの、現代の漢字教育が福沢諭吉の指摘通りに行われているのはとても興味深い。

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当用漢字と常用漢字

さて、では「漢字廃止論」や「漢字制限論」は、日本語にどのような影響を与えたのか。

結論を言うと、実際に「漢字の使用に制限が設けられた」ということになる。

それらをまとめると次の通り。

【 明治時代における漢字制限 】

1、公的に使用する漢字の数を削った

2、平仮名で書けるものは平仮名で書くように定めた

3、略字があるものは略字で書くように定めた

4、変体仮名の使用を禁止した

こうした動きは、基本的に「教育」の現場に反映され、国民の漢字使用は徐々に減っていった。

明治時代のこうした流れは、昭和になっても引き継がれていく。

1923年になると、有名な「常用漢字表」が示され、公的に使用できる漢字が 1926字(+略字154字)に定められた。

参考までに、昭和以降の「漢字制限の流れ」については、以下に記しておく。

【昭和以降の漢字制限の流れ】

〇1923年
・・・「常用漢字表」が発表され、使用漢字が1962字(+略字154字)に定められる。

1931年
・・・「常用漢字表」が更新され 使用漢字が1858字に削減される。

1946年
・・・新たに「当用漢字表」が発表され、使用漢字が1850字に定められる。

1981年
・・・「常用漢字表」が更新され、使用漢字が1945字に増加され、「当用漢字表」が廃止される。

2010年
・・・「常用漢字表」が更新され、使用漢字が2136字に増加され現在に至る。

こうして、昭和から現代までの流れを確認して分かることは、

「一時は漢字を減らしたものの、結局は漢字を増やした」

ということだ。

要するに、日本人にとって「漢字を減らしすぎること」は不都合なことだったのである。

昭和以降、そのことに気付いた国は、

「適切な漢字の数はどれくらいか」

を模索し、現在は「2000字程度」という福沢諭吉が主張した数に落ち着いたのだった。

ローマ字表記

明治時代になり、欧米諸国から外来語が多数流入してきたことはすでに述べた。

その際に、多くの外来語は「漢語」で翻訳され受容されたわけだが、当然、オリジナルの形のまま受容されたものもある。

その多くは「カタカナ語」で表記されたわけだが、ローマ字で表記されることも多々あった。

こうして日本語においても「ローマ字表記」というものが定着していく。

とはいえ、明治初期のころは、ローマ字表記はまだまだ安定していなかった。

そこで

「日本のローマ字表記のルールをどう定めるか」

というのが議論の的になっていく。

まず、最初に候補にあがったのは「ヘボン式」である。

これは1859年に来日したアメリカ人「ヘボン」に由来する表記で、日本では主に1886年以降に多く用いられた。

ただ、その「ヘボン式」は、微妙に日本語と馴染まない表記があった。

たとえば「し = SHI」や「つ = TSU 」といったものである。

きっと、読者の中にも、サ行のローマ字表「sa shi su se so」を見て、

「なんで、“し”だけ“SHI”なの? っていうかこの“S”ってなんなの?」

と疑問に思った方もおられるのではないだろうか。

このヘボン式の「SHI」について、

「sa si su se soの方が自然だし、日本人にあっているだろ」

と、日本語に特化したローマ字表記を主張する人々が現れる。

彼らが主張する表記は「日本式」と呼ばれいている。

こうして「ヘボン式」VS「日本式」の戦いが始まったわけだが、それぞれには良し悪しがあって、「どっちを正式に採用するか」についてはとうとう決着がつかなかった。

そんなこんなで、時代は昭和に突入する。

1937年、ついに折衷案が出され、日本式を基礎にヘボン式を多少取り入れた「訓令式」なるものが公布されるにいたる。

だが、これで「めでたしめでたし」とはいかなかった。

その後も、「正しいローマ字表記」に関する議論は収まらず,1954年に,第一表(=訓令式)第二表(=ヘボン式と第一表にもれた日本式)を収録した「ローマ字のつづり方」を訓令として告示することとなった。

とはいえ、現代においても「ヘボン式」と「日本式」、そのどちらも日常的に使われていて、「どっちが正しいローマ字表記か」論争には、決着はついていない。

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音韻について

音韻については、「江戸時代」において現代の用法がほぼ完成している。

【 参考記事 解説【江戸時代(近世)の日本語・言葉】―文法や表記、発音、語彙を分かりやすく―

したがって、明治時代の音韻について特筆すべきことは、実はほとんどない。

強いていえば、明治時代に一気に流入してきた「外来語」の発音で、現代と異なる部分が見られることくらいだろう。

たとえば、現代で言うところの「ビルディング」を「ビルジング」と発音していたり、「チェロ」を「セロ」と発音していたり、というのがソレである。

宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』は、そうした外来語の発音が表れているといっていい。

語彙について

語彙については、欧米諸国から様々な概念が輸入されたことで、一気に増えた。

それらは、大きく次の2つに分けられる。

1、新漢語(新概念を漢語に置き換えたもの)

2、カタカナ語( 新概念をそのまま受容したもの )

まず「新漢語」とは、たとえば、

【 明治時代の新漢語の例 】

「自由」(freedom)

「権利」(right)

「宇宙」(cosmos)

「哲学」(philosophy)

「社会」(society)

などなど、もはや取り上げられてしまうと、日常的なコミュニケーションが取れなくなってしまうようなものばかりである。

これらは「当時の中国語から借りてきたもの」や、「中国の古典語から借りてきたもの」や、「新たに造語されたもの」といった3パターンに分けられる。

次に、「カタカナ語」については、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語と、実にさまざまである。

具体例を挙げると以下の通り。

【 明治時代の外来語

〇フランス語
・医療関係…ズボン、マント、ブルゾン
・料理関係…オムレツ、コロッケ、マヨネーズ
・その他…エスプリ、フィアンセ、ブルジョア

〇ドイツ語 
・医学関係…ガーゼ、カルテ、ノイローゼ
・哲学…ザイン、テーゼ、イデオロギー、アウフヘーベン
・その他…アルバイト、ゼミナール、プロレタリアート

〇ロシア語
・政治経済関係…インテリ、ノルマ
・その他…トロイカ、ペチカ

〇イタリア語
・音楽関係…オペラ、ソナタ、ソプラノ、フィナーレ
・料理関係…スパゲッティ、ピザ、パスタ 

こうしてみると、各国の文化と密接な関係がある語が、外来語として日本に入ってきたことが良く分かる。

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文法について

明治時代になると「現代語法」が本格的に展開されることになる。

動詞

形容詞

形容動詞

助動詞

助詞

敬語表現

こうした項目で「現代日本語の文法」が定着した

さらに、「言文一致運動」によって、「書き言葉」と「話し言葉」の区別がなくなったのは、先述した通りだ。

現代の学校教育でいうところの「古文」が江戸時代以前の文章を指し、「現代文」が明治時代以降の文章を指しているのも、この辺りに由来している。

以上、明治時代(近代)の日本語に関する解説を終わります。

この記事が、日本語を学ぶあなたの役に立てたのなら幸いです。

ちなみに「もっと日本語を学びたい!」そう思う人には、沖森卓也著『日本語全史』をオススメします。

この1冊を読めば「日本語の歴史」について、大体のことが分かると思います

日本語を学ぶなら、ぜひ、一読しておきたい1冊なので、ぜひ参考にどうぞ。

それでは、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

【 参考  各時代の詳しい解説 】

解説【奈良時代まで(上代)の日本語】

解説【平安時代(中古)の日本語】

解説【鎌倉時代(中世前期)の日本語】

解説【室町・安土桃山時代(中世後期)の日本語】

解説【江戸時代(近世)の日本語】

解説【明治時代(近代)の日本語】

まとめ【日本語の歴史と変遷】(奈良時代から現代まで)

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