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平安時代:貴族に広がっていく時代
説明するのが難しい「日本仏教」を、歴史毎に概観しようというのがこの記事の目的。
前の記事では、仏教伝来から奈良時代までを確認した
奈良時代、仏教は主に知的エリートによる学問であったことは確認した。
それが平安時代になると、仏教は主に貴族を中心に広がっていき、宗教としての性格を強めていく。
仏教の腐敗を反省
奈良時代、仏教が国家利用されたわけだが、そこから弊害も生まれた。
その代表的な事件として、道鏡による謀反があげられる。
政治的な力をもつ僧侶が、「天皇になって、国を乗っ取ろう」と画策したのだ。
幸いこちらは、未遂で終わるのだが、仏教と政治の癒着っぷりを人々に見せつる結果になった
当然、人々はこう思う。
「ああ、仏教。くさってんなあ」
国が、このままではマズいと危機感を持ち、
「ちゃんと実力のある僧侶を養成しよう!」
と、カジをきるのは当然のことといえるだろう。
優秀な僧侶たちは中国(唐)への留学を命じられた。
本場の仏教を学んで帰ってこい、というわけである。
そんな栄えある留学生に抜擢されたのが、
天台宗の最澄と真言宗の空海である。
最澄はすでに実績があり重鎮レベルの僧。
満を持しての入唐だった。
一方の空海は、最澄ほど実績はないけれど、文筆と語学の天才。
能力を評価されての入唐だった。
なお当時の船旅は、今とは違って危険と隣り合わせ。
命がけで中国へわたった2人が、仏教を学んで、無事帰ってこれたのは奇跡といってもいい。
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広がりゆく末法思想
奈良時代は学問中心の仏教で、おもに知的エリートたちのためのものだった。
これが、平安時代になると、その範囲をどんどん広げていく。
なぜここにきて、仏教が人々に広まっていったのか。
それを理解する上で大事な思想がある。
それが「末法思想」だ。
では、「末法思想」とは何か、簡単にまとめると以下の通り。
【釈迦入滅から1000年間】 正しい教えがあり、正しい修行が行われ、正しい悟りが得られる(正法) 【 さらに1000年間 】 正しい教えがあり、正しい修行が行われるものの、正しい悟りは得られない(像法) 【 それ以降 】 正しい教えだけが残り、正しい修行もなければ、正しい悟りも得られない(末法)
この「末法」元年に当たるのが1052年。
つまり、平安時代にあたる。
しかも、絶妙なタイミングで、疫病の流行、僧兵の横暴、治安の乱れが重なる。
人々の社会不安はどんどんと高まっていく。
世の中は乱れ、人々の心は荒廃し、僧侶達は戒律を守らない。
たとえ、教えは残っていたとしても、修行に励み、悟りを得ようとする人々は稀。
まさに、「末法」ともいえる社会が到来したわけで、「末法思想」は貴族から庶民にいたる全ての人々に、実感を伴って広がっていく。
そして広がる、現実に対する悲観的価値観。
それは、人々の来世への志向をうながし、死後に極楽浄土に生まれ変わろうとする「欣求浄土(浄土をよろこび求めること)」の風潮を生み出した。
この辛い現世を捨て、仏道修行に励み、
「来世で極楽浄土に生まれ変わろう!」
というワケだ。
そして、貴族を中心に仏教はジワジワと広がりだしていく。
あの有名な、藤原道長も晩年は世をはかなんだ。
その財力を尽くして、豪奢な寺院を建立したのも、「浄土へ生まれ変わりたい」という思いがあったからだ。
「この世はまるで満月のように、すみずみまでぼくのものだよ」
といった有名は和歌を読んだ彼。
時代の栄華を極め尽くした彼だからこそ、
「死にたくない」
「来世でも幸せにくらしたい」
という思いが募ったのだろう。
晩年に出家した道長。
1日10万回以上の念仏を称えて、浄土への往生を願ったことを、自らの日記に記している。
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バラエティ豊かな信仰内容
さて、貴族に広がっていった仏教信仰。
その内実は、浄土信仰以外にも、様々ある。
ここでは、簡単にそれらを紹介しておきたい。
浄土信仰……来世で阿弥陀如来のいる極楽浄土に生まれることを信じる。現世否定の性格が強い。
呪術信仰……いわゆる密教。仏教には呪術的力があると信じる。原因不明の不幸は物の怪の仕業と考えて、それを退治するために加持や祈祷を行う。
山岳信仰……密教の流れを組む。呪術を身につけるために、山にこもり修行をする。
弥勒信仰……釈迦の入滅後、いつか弥勒菩薩がこの世界に降り立ち、衆生を救うと信じる。末法の世とは、「釈迦入滅以降 ~ 弥勒菩薩降臨以前」ということになる。
地蔵信仰……「釈迦入滅以降 ~ 弥勒菩薩降臨」の間、地蔵菩薩が衆生を救うと信じる。末法の世を救ってくれるのは地蔵ということになる。
観音信仰……観音菩薩が厄災から救ってくれるとするもの。末法の世の中にあって、現世利益の性格が強い。
法華信仰……「法華教」をよりどころに悟りを目指す。経典の読誦や写経が中心。
神仏習合……日本の神々、仏が姿を変えてあらわれた化身と考える。「アマテラス」 = 「大日如来」のように、神と仏を対で考える。奈良時代より見られる傾向。
これら全てが複雑に混ざり合ったのが、貴族が信じた仏教だといえる。
この中から「お気に入りの1つ」を選んぶわけではなく、この全てが曖昧に連関し合っていて、貴族の生活の一部として溶け込んでいたワケだ。
だから、「阿弥陀如来を信じつつ、病気になれば加持祈祷をする」なんてことが当たり前だった。
一方で、わずかではあるが、庶民たちにも仏教は届いていたらしい。
貴族のように豊かではない彼らは、「末法」の思いはいっそう強い。
また、加持祈祷を行うほど経済力もない。
ということで、彼らの仏教は浄土信仰がメインだった。
庶民に「口承念仏」を広めたのは空也という「阿弥陀聖」である。
もっとも「口承念仏」といっても、正しく庶民に理解されたわけではない。
念仏とは、なにやら呪術的なおまじないみたいなもので、それを称えると、阿弥陀如来の特別な力を得られるとされた。
本来の浄土信仰とはまったくの別物と言わざるを得ない。
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主な思想内容①:最澄の天台宗
さて、ここからは平安仏教の主立った思想を紹介したい。
最澄に始まる仏教を天台宗という。
天台宗を一口にいえば、当時の仏教の総合的な思想ということになる。
最澄が比叡山に延暦寺を建立したのは有名な話だが、まさしくそこは総合の総合センターのような趣で、多くの僧侶が学んだ。
浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、曹洞宗の道元、なんかもこの仏教センターの出身だ。
さて、天台宗の思想内容についてだが、ここでは「一乗思想」を取り上げたい。
一乗思想、それは
人間だれであっても、悟りを得ることができる
というものだ。
この考えは、『法華経』に記されている仏教観で、後の鎌倉仏教にも大きな影響を与えていく。
なぜ、最澄はこの「一乗思想」をプッシュしたのかといえば、この頃の日本では「悟れない人/悟れる人」と、明確に区別する僧侶が多かったからだ。
それはこんな感じだ。
- 悟れない人……自らの悟りのために修行する人たち。(小乗仏教)
- 悟れる人 ……一切衆生を救うために修行する人たち。(大乗仏教)
ちなみに、大乗とは「みんなを救える、大きな乗り物」のこと。
それに対して、小乗とは「自分しか救えない、小さな乗り物」のこと。
どちらも「大乗」側の人たちが、自分たちの優位を主張し、従来の仏教をバカにしてつけた呼び名だ。
そして、日本に伝来してきたのが大乗仏教。
日本の仏教徒の多くは、
「ぷぷ。小乗の連中はどうせ悟れないよ、ぷぷぷ」
という差別意識を育てていくことになる。
が、そんな差別意識は、果たして本当の「大乗」といえるだろうか。
一切衆生を救うために修行している人が、立場の異なる人を蔑んで良いのだろうか。
もちろん、それは否だ。
そう考えた最澄は、『法華経』に記された「一乗思想」を取り上げ、当時の仏教界にこう言い放った。
「大乗だろうが、小乗だろうがみんな悟れるんだよ」
「だれもが悟りの芽を持ってるんだから、それを育てればいいんだよ」
最澄のこの立場を「一切衆生悉有仏性」(一切の衆生には悉く仏の性が有る)という。
この信念のもと、最澄は在家者にとっても緩やかな戒律、「大乗戒」の創設をつよく訴えた。
こうして、奈良時代の知的エリートのための仏教は、少しずつ貴族や庶民に広がり出す。
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主な思想内容②:空海の真言宗
最澄の天台宗と並んで紹介されるのが、空海の真言宗。
彼の仏教は、「密教」と呼ばれ、当時の貴族の生活にガッツリ根付いていた。
要するに、時代が求めていたのは、最澄の天台宗ではなく、空海の真言宗だったのだ。
呪術的でスピリチュアルな力が、貴族たちにとって魅力的だったのもある。
が、彼の仏教理論のうち、ここで取り上げたいのは「即身成仏」の思想だ。
即身成仏、つまり、「この身のままで成仏できる」という考えである。
基本的に死後に成仏を果たす当時の浄土信仰と比べると、「即身成仏」が超現実肯定的仏教だということが分かる。
この宇宙を成り立たせている原理がある。
それこそが「大日如来」なのだ空海はいう。
あらゆる事物もあらゆる現象も、自分自身のこの意識も、すべては大日如来の一部。
その宇宙の原理「大日」との一体に目覚めるためには、三密の行を行う必要がある。
三密とは、身・口・意の働きを徹底する、すなわち
- 手に印契を結び (霊能力者が除霊するときみたいな手の形を作る)
- 口に真言を称え (オーン アヴィラ フゥーン カァーン とか言う)
- 心を集中させる (すべてが大日如来との一体であることに目覚める)
ことができれば、その身のままで悟りを得ることができる。
この「宇宙の原理と人間の一体」を感じるという思想は他にもある。
インドのウパニシャッド哲学もまた、
「ブラフマン(宇宙の原理)とアートマン(自意識)との一体」
を目指すもので、密教と似ている。
逆に、密教と真逆の立場を取るのが、「空」とか「唯識」といった思想だ。
それらが、徹底して
「この世界は虚構だよ。実態がないよ。実在しないよ」
と「無」を説いたのに対して、密教では、
「この世界は実在しているよ。この世界は仏の現れだよ。君も仏の一部だよ」
と、この現実世界を肯定し、人間もこの世界の一部であることを説いている。
この考え、ぼくたち日本人にしっくりくる考えだと言われている。
というのも、日本人はもともと現実肯定的な考えが強いと言われているからだ。
言語学的に見ても、日本人には「現実中心的な性格」があるという。
たとえば、日本語には「未来形」がない、という考えがある。
「あしたは雨が降る」
「あしたも学校がある」
「あしたは月曜日だ」
といった風に、ぼくたちは基本的に、未来を現在形で表現する。
「あしたは雨がふるだろう」
「あしたも学校行くつもりだ」
なんてのは、未来形と思いきや、よくよく考えれば、「自分の現在における判断」を語っているに過ぎない。
こんなふうに、日本人の「現在中心主義」とか、「現在肯定主義」というのは、言語学者だけでなく、文学者、倫理学者、哲学者など、結構いろんな方面の人たちが異口同音に述べている。
現実肯定的な「即身成仏」の思想が、日本人にウケたのには他にも理由が考えられる。
「この世界はすべて仏であり、あらゆるものは仏の姿である」
という考え方は、「八百万の神」などに見られる原始的アニミズムとの親和性が強い。
そこに加えて、密教のスピリチュアルな魅力。
そんな様々な要因が重なって、空海の仏教観念は、平安時代の貴族達にも受け、平安の世で強く求められていたのだった。
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主な思想内容③:最澄と空海の微妙な関係
いつもセットで語られるこの2人。
だけど、唐から帰国した2人の人生は、全くと言って良いほど対照的だ。
当時、平安の世で求められたのは密教であることを確認してきた。
天台を学んできた最澄は時代に取り残されるような形で不遇を託つ。
鳴かず飛ばずの天台宗、次第に密教化を求められるようになってしまう。
「天台」+「密教」で、=「台密」と呼ばれるようになる。
が、そんな付け焼き刃の密教的仏教なんかでは、空海の本格密教に歯が立たない。
それでも、最澄はプライドを捨て、年下の空海に弟子入りする。
なのに、空海は最澄に対して冷淡。
密教の奥義を丁寧に教えてくれるわけでもない、「書物をかりたい」という最澄の申し出も拒否する始末。
結局、2人の関係は悪化、交流も断絶。
最澄は、天台も密教もどっちつかず、彼の思想も未完成のまま、志なかばで世を去った。
一方の空海はといえば、まさに飛ぶ鳥落とす勢い。
時代の寵児としてもてはやされる。
しかも、彼には明晰な頭脳と、天才的な文筆力がある。
それらを存分に発揮した彼は、重厚な密教理論を次々と完成させていった。
志なかばだった最澄とは真逆の人生といっていい。
が、後の仏教の展開を見てみれば、密教の勢いは平安が頭打ち。
密教は空海の手によって完成してしまったため、後世において深化拡充する余地がなかったと言われている。
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主な思想内容④:源信の『往生要集』
「浄土信仰」をとことんまで突き詰めていったのが、源信という僧侶だ。
その様は、彼の主著『往生要集』に詳しい。
彼は「死の結社」とも言える集団を組織し、徹底して極楽往生の実現に努めた。
それがどれだけ徹底していたかというと、
死にゆく者の枕元に集団であつまり、全員で念仏をとなえて、仲間の往生の手助けをしたという。
そんな彼らには、ある「共通の約束事」があった。
それは、
「死んだあとは、とにかく夢でも何でもいいから、仲間の前に姿をあらわし、自分が往生できたかどうか、その理由も含めて伝えること」
というものだ。
彼らの関心事は何をさておき、極楽往生 その一点につきる。
「いかに生きるか」を考えるのが人間なのだとしたら、
彼らは、「いかに死ぬか」と「いかに生まれ変わるか」しか、その眼中にない。
現代の価値観で見ると、かなりイカレた集団かと思うのだが、実はとっても心優しい一面もある。
彼らは、仲間に病人が出れば手厚く看護し、死にゆくものを全員で慰め、死の恐怖を和らげてやっていたというのだ。
その様は、日本における初の「ホスピス」の姿だ、と評価している人もいるくらいだ。
平安時代の世にあっては、彼らほど徹底して「死」と向き合った人たちはいなかっただろう。
彼らの信仰の姿は、「死」から目を避け続ける現代人に訴えかけてくるものがある。
なお、後の鎌倉仏教で活躍する「親鸞」は、源信を「七高僧」と呼んで敬っている。
源信の徹底した浄土志向は、親鸞の思想に大きく影響を与えたワケだ。
それから、文学の世界にも影響を与えている。。
あの『源氏物語』の「宇治十帖」で、不幸な女性「浮舟」を出家させた「横川の僧都」。
彼は源信がモデルだと言われている。
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