はじめに「日本語は奥深い」
突然だけれど、あなたは日本語について、どれくらいのことを知っているだろうか。
普段なにげなく使っている日本語だけれど、そこにどんな歴史があるのか、どのように変化してきたのかについて、考えたことがあるだろうか。
おそらく、多くの人がそんなことを考えずに日常を送っていることと思う。
だけど、日本語というのは知れば知るほど興味深く、いまでも解明されない多くの謎を持つ魅力的な言語なのだ。
さて、この記事にたどりついたあなたは、少なくても「日本語の歴史」を知りたいと思っている日本語に興味のある人なのだと思う。
この記事では、そんな人の好奇心を満たすべく、「日本語の変遷」( 奈良時代 ~ 明治時代 )について分かりやすく丁寧に解説をしていく。
【 参考 各時代の詳しい解説 】 ・解説【奈良時代まで(上代)の日本語】 ・解説【平安時代(中古)の日本語】 ・解説【鎌倉時代(中世前期)の日本語】 ・解説【室町・安土桃山時代(中世後期)の日本語】 ・解説【江戸時代(近世)の日本語】 ・解説【明治時代(近代)の日本語】
なお、日本語はその歴史において、約1000年の長きにわたって「書き言葉」と「話し言葉」が区別されてきた。
書き言葉では「平安時代後期の言葉」がずっと守られてきた一方で、話し言葉は時間の経過とともに着実に変化を遂げてきたのである。
だから、この記事を読むうえでも
「“話し言葉”と“書き言葉”は区別されてきた」
という前提のもと、内容を理解していただければと思う。
それでは、お時間のある方は、ぜひ最後までお付き合いください。
奈良時代の日本語
奈良時代の日本語について、次の3つについて触れておきたい。
奈良時代といえば、「漢字の使用」が本格化した時代である。
そもそも、古来、日本人は「文字」というものを持っていなかった。
そんな日本人が文字を獲得できたのは、中国大陸や朝鮮半島から「漢字」が持ち込まれたからだ。
日本に漢字が伝来したのは1世紀ごろと言われており、漢字が使用され出したのは4世紀~5世紀ころと言われている。
ただ、4~5世紀の資料で現存するものがほとんどないため、当時の漢字使用は、まだまだほんの一部だけだったと推測できる。
また、伝来された当初は、漢字は「日本語」を表記するためではなく、「中国語」を表記するためのものだった。
要するに、日本人たちは、漢字を使って「自分たちの言葉」を表記することができなかったのである。
それが可能になったのは、奈良時代(6世紀)のこと。
きっかけとしては、「万葉仮名」が発明されたことが挙げられる。
万葉仮名の定義については、以下のとおりである。
あえて卑近な例をだすなら、暴走族の特攻服にある「夜露死苦」みたいなものが万葉仮名だ。(念のため言っておくが“夜露死苦”は万葉仮名ではない)
こうして万葉仮名の成立によって、日本人は自分たちの「話し言葉」を文字で書くことができるようになった。
すると、日本人の「漢字使用」も一気に加速する。
だけど、万葉仮名には一つ難点があった。
それは、漢字のオリジナルに近い読み( 音読み )だけが採用されていた点である。
たとえば「雲」を表現するためには「九毛」と書いていたし、「妻」を表現するためには「都麻」と書いていた。
つまり、この頃にはまだ「訓読み」という概念がなかったのである。
「山」は「サン」としか読めないし、「川」は「セン」としか読めない。
当然、日本人はこう思うようになる。
「もうさ、山って書いて“やま”って読めば良くね? 川って書いて“かわ”って読めばよくね?」
こうして「訓読み」が成立する。
ちなみに、訓読みが成立したのは、6世紀ころと言われており、これは万葉仮名の成立とほぼ同時期である。
「万葉仮名の成立」+「訓読みの成立」
こうして、日本人による「漢字使用」は一気に加速したのだった。
以上のように、奈良時代の日本語の特徴をまとめると、
ということになる。
なお、「奈良時代の言葉をもっと詳しくしりたい」という方は、以下の記事も参考にどうぞ。
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平安時代の日本語
平安時代の日本語について、次の3つについて触れておきたい。
奈良時代に大量に輸入されてきた漢文、当初、日本人はそれらを「外国語」として読解してきた。(それは、ちょうど僕たちが英語を読む感覚に似ている)
だけどやっぱりそれは、多くの人たちにとってハードルが高いことだった。
「なんとか漢文を簡単に読むことはできないものか……」
そう考えた人たちが、漢文を日本語みたいに読むため、ある「記号」を発明する。
それが「訓点」である。
最初は「ヲ」を補ったり「コト」を補ったりといった簡単なものだったが、やがて、僕たちが高校の頃に勉強した「レ点」とか「一・二点」とかいったものも登場してくる。
こうして訓点がつき日本語的に読めるようになった漢文を「漢文訓読体」と呼ぶ。
この文体が広がったことで漢文は一段と読みやすくなった。
とはいえ、漢文を読めるのは政治家や僧侶、文学者といった「知識階級の男性」だけだった。
「漢字」は一部の人間だけの専売特許で、一般貴族や女性たちがを読み書きすることはできなかったのだ。
そんな中、
「もう少し簡単に読み書きができないものか……」
といったことを考える人たちが登場し、ある文字を発明する。
それが「かな文字」である。
最初に成立したのは「カタカナ」であり、これは「漢字の一部」で作られた文字である。
次に成立したのは「ひらがな」であり、これは「万葉仮名」を崩して作られた文字である。
どちらもともに平安後期(9世紀ころ)に成立したと考えられている。
こうして多くの貴族たちが「読み書き」をすることができるようになった。
そして「待ってました!」と言わんばかりに、平安文学が一気に花開く。
特に10~11世紀は平安文学の黄金期と言われていて、この頃に誕生した
- 『枕草子』
- 『和泉式部日記』
- 『源氏物語』
といった誰もが知る文学は、すべて「女性」により「かな文字」で書かれたものである。
こうした「書き言葉」の繁栄によって、日本語そのものも徐々に体系化されていく。(要するに、表現や文法に明確なルールが生まれていく)
僕たちが高校時代にならった「古典語」というのは、まさに、こうした流れの中で完成されたものなのだ。
以上のように、平安時代の日本語の特徴をまとめると、
ということになる。
なお、「平安時代の言葉をもっと詳しくしりたい」という方は、以下の記事も参考にどうぞ。
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鎌倉時代の日本語
鎌倉時代の日本語について、次の3つについて触れておきたい。
先述した通り、平安時代に生まれた「かな文字」を使うことができたのは、あくまでも貴族の男性や女性たちだった。
たとえば『枕草子』を書いた清少納言も、『源氏物語』を書いた紫式部も、どちらも中流貴族の娘である。
たしかに「かな文字」によって、読み書きのハードルは下がったものの、それができるのは宮中周辺で暮らす貴族だけだったのである。
それが鎌倉時代になると、かな文字は次第に庶民にも広がりだす。
そうした流れを推し進めたのは、仏教を説く僧侶たちだった。
鎌倉時代といえば、庶民が救われるための「新仏教」が広く世に渡った時代である。
【 参考記事 【日本仏教の歴史】 ― 鎌倉時代の新仏教を わかりやすく簡単に解説 ― 】
たとえば、親鸞や日蓮といった僧侶たちは、自らの信仰を庶民に説く際に、あえて簡単な「かな文字」を使って布教していたと言われている。
こうして、貴族だけでなく庶民も「文字」に触れることができるようになり、「かな文字」も多くの人々に広がっていった。
こうした流れで、鎌倉時代独特の文体が生まれることになる。
それが「和漢混交文」と呼ばれる文体だ。
和というのは、「和文体」(日本語を基調とした文体」である。
漢というのは、「漢文体」(漢文を訓読した文体)」である。
平安時代まではこの両者は棲み分けがされていて、
・和文体・・・主に女性が使用 ・漢文体・・・主に男性が使用
といった感じだった。
そして、そのパワーバランスは次の通りだった。
・和文体・・・私的性格が強い ・漢文体・・・公的性格が強い
つまり、漢文体>和文体 という状況だったのである。
それが、鎌倉時代になり、かな文字や和文体が力をつけてきたことによって「和」と「漢」の融合が実現する。
やわらかい和文体を基調としながらも、要所要所に硬派でゴツイ漢語や漢文体が織り交ぜられるのが「和漢混交文」の特徴だと言える。
また、鎌倉時代の日本語で特筆すべきは「古典語に大きな変化が生まれた」点である。
鎌倉時代といえば、天変地異や戦乱が多発した時代で、日本の歴史上もっとも混沌とした時代だった。
そんなゴタゴタの中にあって、日本語というのも、大きく変化をすることになる。
たとえば、重要なところでいうと「係り結び」がなくなったり、「二段活用」が「一段化」したりした。
「え? 一体、これのどこか大事なの?」
そう思う人も多いと思うが、これがめちゃくちゃ大事なのである。
残念ながらこの記事で、その全てを説明しきることはできないが、これらの変化があったからこそ、現代の日本語があるといっても過言ではない。
【 参考記事 解説「係り結びの起源」—なぜ連体形?なぜ已然形?なぜなくなった?謎を全て解決— 】
ここから時代は、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代と、日本の話し言葉は「現代語法」に近づいていくわけだが、それはとりもなおさず「係り結び」がなくなり、「二段活用」が「一段化」したからなのだ。
動詞も、形容詞も、形容動詞も、助詞も、助動詞も……
それらが「現代」の用法になったのは、もとをたどれば、この鎌倉時代の変化にあるのである。
以上のように、鎌倉時代の日本語の特徴をまとめると、
ということになる。
なお、「鎌倉時代の言葉をもっと詳しくしりたい」という方は、以下の記事も参考にどうぞ。
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室町・安土桃山時代の日本語
室町・安土桃山時代の日本語について、次の5つについて触れておきたい。
さきほど、「鎌倉時代になり、庶民にかな文字が広がった」と書いた。
室町・安土桃山時代になり、仮名文字はさらに庶民に広がっていく。
というのも、この頃から、僧侶たちが庶民への「教育」を担い始めたからだ。
また、庶民にかな文字が広がる一方で、武士や禅僧を中心に漢文が愛好されるようになった。
ちなみに背景には、室町時代以降、「禅仏教」が流行したことが挙げられる。
こうして、
・庶民・・・主にかな文字を使用 ・武士や僧侶・・・主に漢字を使用
といった対照が、鎌倉時代よりも更に大きくなった。
また、この頃の日本語を語るうえで絶対に外せないのが「キリシタン版」の存在だ。
安土桃山時代といえば、日本に多くの宣教師がやってきた時代だが、この「キリシタン版」というのは、そんな宣教師らに「日本語」を学ばせるためのテキストのことだ。
キリシタン版は、当時の「京の話し言葉」で書かれていて、当時の日本人がどんな言葉をしゃべっていたかを知ることができる、超貴重な資料となっている。
また、宣教師用のテキストということで、ローマ字表記となっていたり、西洋の物語が翻訳されていたりする。
つまり、「キリシタン版」というのは、日本で初めてのローマ字表記された文章であり、日本で初めて翻訳された文章なのだ。
また、キリスト教の布教にともなって、多くの外来語(主にポルトガル語)が日本にもたらされた。
たとえば「ロザリオ」といったキリスト教に関わる単語や、「カステラ」といった食べ物の言葉がある。
最後に、この頃の話し言葉を概括すると、「古典語以上 近代語未満」といった感じになる。
古典語ほど理解しにくくはないけれど、近代語ほど理解しやすくなない、といった感じ。
たとえば、断定の助動詞が「ぢゃ」になったり、動詞の命令形語尾が「い」になったり、形容詞の終止形語尾が「い」になったりと、文法的にも僕たちになじみがあるものが多い。
イメージしやすいように一言でいうなら、
「時代劇に出てくるような言葉」( こ奴は狼藉ものぢゃ。構わん。切り捨てい! みたいな感じ)
ということになる。
以上のように、室町・安土桃山時代の日本語の特徴をまとめると、
ということになる。
なお、「室町・安土桃山時代の言葉をもっと詳しくしりたい」という方は、以下の記事も参考にどうぞ。
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江戸時代の日本語
江戸時代の日本語について、次の5つについて触れておきたい。
江戸時代における大きな特徴は、「中心語が関西から関東に移った」ということである。
室町時代から安土桃山時代にかけて、日本の文化の中心は「関西地方」にあった。
それが江戸時代になり、幕府が江戸に移ったことで、文化の中心は「関東」に移ることになる。
それにともなって、中心語も「関西地方」から「関東地方」に移ることになった。
とはいえ、江戸時代になった瞬間に、
「では皆さん、今日から関東地方の言葉を中心語とします」
というワケにもいかないので、中心語は時間をかけて「関西」から「関東」へ移っていくこととなる。
そういう事情があるので、
・江戸時代前半 …中心語は関西地方の言葉 ・江戸時代後半 …中心語は関東地方の言葉
と整理しておくといいだろう。
また、江戸時代は、いわゆる「寺請制度」が導入され、寺院が庶民を管理した時代である。
【 参考記事 なぜ?いつから?「葬式仏教」はおかしい制度なのか?―日本仏教の歴史から考察― 】
その影響により「寺子屋」が本格的に機能し始める。
各コミュニティでは、子どもたちが寺に集められ、そこで基本的な「読み書き」が教えられた。
教えられたのは、基本的に「かな文字」が中心ではあったが、江戸時代において庶民の識字率は爆発的に上がることとなる。
ただし、江戸時代は確固とした「身分制度」があった時代でもある。
日本語もその影響を受け、「言葉の格差」というものが大きくなった。
身分の上・中・下で、話す言葉が違っていたのだ。
特に、武士階級では敬語を多用した丁寧な言葉遣いがされ、書き言葉においても「漢字」が多用された。
また、江戸時代は武士を中心に「儒学」が学ばれた時代である。
武士の子供たちは、幼少の頃から「四書五経」(儒教のバイブル的書)を暗唱させられることが多く、中にはオリジナルの漢詩を作れるツワモノもいた。
ということで「庶民はかな文字、武士は漢字」といった具合に、言葉の格差が広がったのも江戸時代の特徴だといっていいだろう。
それからなんといっても、「外来語が増えた」のも江戸時代の特徴である。
江戸時代、そのほとんどの間「鎖国」されていたのは有名な話だが、唯一、長崎の出島でオランダや中国などと交易が続けられていた。
そこから「オランダ語」が、日本に流入してくることになる。
その多くは「医療関係」の言葉だったが、たとえば「神経」や「横隔膜」といった具合に漢語で翻訳されて受容されたものもあれば、「アルコール」や「カテーテル」といった具合にオリジナルのまま受容されたものもある。
最後に「文法」について言えば、
「江戸時代は近代語法がほぼ確立した時代」
ということになるだろう。
江戸時代の小説なんかを読んでいると、庶民の話し言葉は、ほとんど現代人でも理解できるレベルとなっている。
たとえば、最も粗野とされた「下級身分」の庶民の言葉を引用してみよう。
「よく恥をかゝせたの。三ン年忘れねへよ。覚えて居な。お鳶さん、お鳶さん。おめへモウあがるか。最ちつとつき合ひな(中略)まだ足りねへからモット酒買ってこいだ」
『浮世風呂』より
こんな感じで、当時の話し言葉は、僕たち現代人にも通じるものが多い。
おそらく、現代人と江戸時代の人が会話をしたとしたら、それなりに意志の疎通ができるのではないだろうか。(ただ、江戸っ子は早口だったそうなので、若干聞きづらい部分もあるかもしれない)
以上のように、江戸時代の日本語の特徴をまとめると、
ということになる。
なお、「江戸時代の言葉をもっと詳しくしりたい」という方は、以下の記事も参考にどうぞ。
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明治時代の日本語
明治時代の日本語について、次の5つについて触れておきたい。
冒頭でも述べた通り、日本語はその歴史において、約1000年の長きにわたって「書き言葉」と「話し言葉」が区別されてきた。
書き言葉では「平安時代後期の言葉」がずっと守られてきた一方で、話し言葉は時間の経過とともに着実に変化を遂げてきた。
江戸時代では、「書き言葉」と「話し言葉」の違いがもっとも著しくなり、その状況は明治時代になっても続いていた。
そんな中、西洋から本格的な「文学」が輸入される。
【 参考記事 坪内逍遥『小説神髄』の文学論を解説―写実主義・日本文学とは何か― 】
そこでは、登場人物たちの「内面」や「心の動き」というのが、正確に緻密に描かれていた。
そうした本格文学を実践しようとしたとき、日本人たちはある疑問を抱いた。
「平安時代の言葉で、近代人の内面を正確に描くことなんてできるの?」
当然、答えは「否」である。
ということで、
「長らくバラバラだった“話し言葉” と “書き言葉”を一致させよう」
という運動がおこる。
これを「言文一致運動」と呼ぶ。
そして、明治20年、その言文一致運動を実践した記念碑的な作品が世に現れる。
それが、二葉亭四迷の『浮雲』である。
こうして1000年もの間バラバラだった話し言葉と書き言葉は、明治時代において一致することとなった。
【 参考記事 「二葉亭四迷」の人生・言文一致運動をわかりやすく解説―『浮雲』を中心に― 】
また、これまた1000年もの間続いてきた「漢字至上主義」の見直しが入ったのも明治時代のことだ。
奈良時代から江戸時代にかけて、日本語において
「今次こそが大切!」
「漢字こそが本物!」
「漢字こそが高尚!」
といった価値観が根強かった。
そうして、とにかく「漢字」や「漢語」の使用が多くなってきたのが、日本語の歴史だといっていい。
明治時代になると、その「漢字の多さ」を見直そうとする動きが生まれる。
それが「漢字廃止論」や「漢字制限論」と呼ばれるものだ。
こうした流れは、「西洋文明の流入」という、いわば「近代化」の影響を受けるものだ。
「漢字を使ってばかりじゃダメだ。いまこそ、西洋諸国に習わなければ!」
というワケだ。
また、近代化の影響は日本語の「語彙」や「表記」にも大きな影響与えた。
それが「外来語・翻訳語」の増加と、「ローマ字表記」の定着である。
繰り返すが、近代化というのは「西洋文明の流入」と言い換えることができる。
「西洋文明の流入」は、日本に多くの外来語をもたらした。
たとえば、
- 「自由」
- 「社会」
- 「権利」
- 「哲学」
といったように、漢字を使って翻訳されたものもあれば、
- 「ブルジョア」
- 「プロレタリアート」
- 「イデオロギー」
- 「テーゼ」
- 「エスプリ」
といったように、そのままの形で受容されたものもある。
また、オリジナルのまま受容された外来語は「カタカナ」だけでなく、「ローマ字」で表記されるようにもなった。
ローマ字表記のルールについては、多くの議論が巻き起こり、「ヘボン式」や「日本式」、「訓令式」といった様式が採用され、こうした流れは現代にもつながっている。
以上のように、明治時代の日本語の特徴をまとめると、
ということになる。
なお、「明治時代の言葉をもっと詳しくしりたい」という方は、以下の記事も参考にどうぞ。
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この記事のまとめ
以上、日本語の歴史と変遷について解説をしてきた。
最後にもう一度、全体像を以下にまとめて、この記事を締めくくりたい。
以上で「日本語の歴史・変遷」の解説を終わります。
この記事を読んで日本語について興味を持った方は、このブログで時代毎に詳しく解説をしているので、各リンクをぜひ参考にしてみてください。
また、 Kindleアンリミテッド や Audible(オーディブル)といったサービスを利用すると、日本語に関する書籍を安く効率的に読むことができるので、ぜひ、参考にしてみてください。
それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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