日本仏教史の概要を把握したい人は、まずはこちらから
鎌倉時代:民衆に広がっていく時代
説明するのが難しい「日本仏教」を、時代ごとに概観しようというのが、この記事の目的。
これまでの記事では、
仏教伝来から奈良時代まで編……日本仏教の歴史 ― 仏教伝来 から 奈良時代まで編 ―
平安時代編……日本仏教の歴史 ー 平安時代 編 ー
と、各時代の日本仏教の展開を確認してきた。
簡単に振りかえると、
奈良時代では、仏教は主に知的エリートによる学問であり、
平安時代では、仏教は主に貴族を中心に根付いた宗教であった。
それが、鎌倉時代になると、ついに民衆のうちで爆発的な広がりを見せる。
そこで生まれた様々な宗派は、現代のぼくたちにとって馴染みのあるものばかり。
ということで、「仏教 = 鎌倉新仏教」と考える人たちも多いと思う。
それでは、鎌倉時代における「仏教と人々の関係」と「主な思想内容」について詳しく見ていきたいとおもう。
天変地異と仏教
今述べたとおり、たしかに鎌倉時代は仏教が民衆に広がっていくのだが、べつに旧仏教が廃れたというわけではない。
むしろ、鎌倉時代になっても時代をリードしていくのは、やはり、南都の奈良仏教であり、北嶺の平安仏教だった。
ちなみに、一般的に、
奈良仏教は「顕教」
平安仏教は「密教」
と呼ばれ、うまく棲み分けがなされながら、勢いを保っていた。
ちなみに、鎌倉新仏教以外のこれらの仏教を「顕密仏教」と呼ぶ。
さて、なぜ鎌倉時代に、仏教は民衆に広がったのだろうか。
その理由を、ぼくは以下のようにまとめてみたい。
- たび重なる天変地異に、現世に対する絶望が強まっていた
- 顕密仏教の腐敗っぷりや閉鎖性を嘆く若手僧侶が誕生した
- 若手僧侶達が民衆に対して、誰でもできる簡単な修行法を説いた
まず、1についてだが、これはホント、ビックリ、ひくぐらいにスゴい。
「しかし、これでよく日本、滅びなかったな」
と、ぼくなんかは思ってしまう。
次の年表を見てみてほしい。
1002年 : 約20年にわたって飢饉と疫病が各地で流行 1031年 : 大干ばつ 1032年 : 富士山が噴火 1040年 : 大地震 1070年 : 再び大地震 1076年 : 富士山噴火 1077年 : 都を焼き尽くす大火災 1180年 : 大型の辻風 1081年 : 大飢饉 1083年 ; 富士山噴火 1088年 : 40日にわたる大地震 1091年 : 大地震 1112年 : 浅間山噴火 1156年 : 国内で戦争(保元の乱) 1160年 : 国内で戦争(平治の乱) 1180年 : 国内で大戦争(源平合戦)
なんと、約200年の間に、疫病、飢饉、噴火、地震、戦争のオンパレード。
富士山にいたっては、50年のうちに3回噴火している。
それに連動してのことだと思うのだが、大地震も連発している。
ここには記していないが、大地震による津波も襲ったという。
日本初の災害文学とも言われる、『方丈記』
そこには、大津波が日本を襲ったようなことが書かれている。
昨今、「南海トラフ大地震」が、いろんなメディアで喧伝されている。
この頃に頻発した地震は、まさに「南海トラフレベル」だったと指摘する人もいるくらいだ。
そこにきて疫病の流行と内乱。
人々はいったいどこに逃げれば良いというのか。
ちなみに、鎌倉時代の平均寿命は、約24歳と言われている。
この時代、「死」というのは、つねに隣り合わせにあって、自分がいつ死ぬかも分からない。
昨日まで元気だった肉親が、次の日には変わり果てた姿になってしまう。
鴨川には夥しい死体にあふれ、足の踏み場もなかったという。
野良犬は死体をむさぼり、幼い子どもや老人までもが食われたと聞く。
文字通り、「地獄絵図」である。
それが、現実の世界として目の前に広がっているのだ。
人々がこの世界に絶望し、来世に救済を求めた背景には、ぼくたちの想像を絶する苦しみや悲しみがあったわけだ。
鎌倉新仏教の始祖たちは、そこに登場する。
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比叡山をおりた僧侶たち
改めて繰り返すが、鎌倉時代になっても依然として奈良仏教や平安仏教が時代をリードしていた。
「南都北嶺」と呼ばれるように、それぞれうまく棲み分けされ、各寺院は「僧侶の養成所」としての機能もになっていた。
「鎌倉新仏教」をおこした、法然・親鸞・栄西・道元なんかも、若い頃は比叡山で修行をしている。
だが、周囲を見てみれば、彼らのように熱心な僧侶ばかりではない。
修行もせず、戒律も守らずに、好き勝手ふるまう僧侶たち
比叡山には武力武装した「僧兵」たちがいて横暴に振る舞っている。
「仏教とは、苦しんでいる人々を救うはずのものじゃないのか?」
まじめな僧侶達の内に、そんな嘆かわしい思いが広がっていく。
「いまや仏教は、一部の金持ちや有力者や知的エリートのものでしかないじゃないか!」
実際、「修行」なんて学識と時間と金がなければできっこない。
お経を読んだり、仏像をつくったり、お寺を建てたり、写経をしたり、
そんなことは生活の苦しい民衆たちには、できっこない。
「ほんとうに仏教が必要なのは、出家者じゃない。在家の人々、民衆たちだ。
おれたちは、彼らに正しい仏教と救済を伝えなくちゃいけない!」
彼らのうちに、そんな使命感が生まれていく。
こうして、鎌倉新仏教の始祖たちは、山を下り、民衆の前に現れることになる。
鎌倉新仏教誕生の瞬間だ。
鎌倉仏教にはいくつかの宗派があって、一概には語ることはできない。
だけど、あえて特徴をあげるとすれば、次のいずれかに当てはまる。
- 易行(いぎょう)……だれでもできる修行
- 選択(せんじゃく)……1つに絞れば良い
- 専修(せんじゅ)……ただひたすら打ち込む
これなら、時間・金・学がなくても、仏道を歩むことができる。
鎌倉新仏教は、複雑な思想体系や修行は一切不要なのだ。
身分の上下、男女の別、年齢問わず、だれもが必ず救われていく教え。
それが鎌倉新仏教だった。
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主な思想内容①「法然・親鸞の浄土思想」
鎌倉仏教のうち、今回紹介するのは次の2つ。
- 法然・親鸞の浄土思想
- 栄西・道元の禅思想
この「浄土思想」と「禅思想」、その性格は全くと言っていいほど異なっている。
その性格を簡単にまとめるとこうなる。
【 浄土思想 】 ……阿弥陀如来の救済を信じ、念仏を称える。 ……「無」の境地を目指す従来の仏教とは異なる。 【 禅思想 】 ……悟りを求めてひたすら座禅を組む。 ……「無」の境地を目指す従来の仏教の流れをくむ。
ということで、「浄土思想」は革新的な仏教、「禅思想」は保守的な仏教ということができる。
以下、浄土思想の「法然・親鸞」について、禅思想の「栄西・道元」について、それぞれみていきたい。
法然の「浄土宗」
まずは、法然の思想だ。
若い頃から比叡山で修行をしていた法然。
彼の知識は、海のように広く深かったので、「知恵第一の法然房」と呼ばれ、比叡山でも一目置かれていた。
そんな法然が比叡山を下りたのは、43歳。
京都の吉水で、民衆に向けて布教に踏み出した。
彼は民衆に向かってこう説いた。
「念仏を称えれば、だれもが極楽浄土に往生できるよ!」(易行)
「その他の修行とか勉強とか、一切しなくていいんだよ!」(選択)
「とにかく、寝ても覚めても、念仏を称えなさい!」(専修)
これが「専修念仏」の思想である。
易行! 選択! 専修!
鎌倉新仏教の特徴を、すべて兼ねそろえていることが分かるだろう。
「念仏」とは、阿弥陀如来による救済を信じて、「ナミアミダブツ」を称えること。
実は念仏には2種類ある。
- 「称名念仏」……仏の名前を唱えること
- 「観想念仏」……仏の姿をイメージすること
法然や親鸞のいう「念仏」とは、前者の称名念仏を指している。
ちなみに、後者の「観想念仏」なのだが、まじめな僧侶泣かせの修行といえる。
そもそも、
「仏の姿をイメージしろ」
なんて言われても、ホンモノを見たことがない人たちには、どう頑張ったって無理な話だ。
しかも、その観想のステップは経典に細かく決められているので、自分のイメージが正しいのか、常にチェックを求められることになる。
だから、「自分が見えたイメージがお経と違っている」なんてことはザラ。
中には、自分自身をごまかして、
「はい、見えた! 仏の姿、わたしはカンペキにイメージできました!」
なんて言ってしまう連中も現れるのだが、そんなものは本質的に意味がない。
まじめな僧侶ほど、
「だめだ、見えない! ぼくのイメージはホンモノじゃない!」
と打ちのめされることになる。そして、
「やっぱり、おれには修行が足りないんだ! 雑念に捕らわれているんだ! 煩悩を捨てなくちゃいけないんだ!」
ってなふうに、どんどん自分を追い込んでいくことになる。
「知恵第一」とされた法然であってもそれは同じで、彼も観想念仏の難しさは痛いほど分かっていた。
次に紹介する親鸞にいたっては、飲まず食わずでイメージし続けた挙げ句、命の危機にひんしたという。
こんな過酷すぎる修行、一般ピープルには100パーセント無理である。
だからこそ、法然は誰もが救われる道を模索して、
「いつでも、どこでも、だれにでも」できる「称名念仏」という易行の道に到達した。
山にこもらなくてもいいし、滝にうたれなくてもいいし、難しいお経を読まなくてもいいし、仏をイメージしなくていい。
とにかく、阿弥陀仏による救済を信じて、「ナミアミダブツ」とひたすら称えれば、極楽浄土に往生して、そこで仏になることができる。
これが、法然の「専修念仏」の思想。
誰もが救われる教えだった。
が、これを面白く思わない連中がいた。
ひたすら厳しい修行で、なんとか救われようと努力を続ける、ストイックな僧侶たちである。
彼らの心境を代弁すれば、
「そんな簡単に、みんながみんな、救われてたまるか!」
ってなところだろう。
我慢する人は、我慢しない人を許せない
そういう論理が、ここにある。
しかも、法然は「称名念仏以外の修行は、ぜんぶ雑行(不必要な修行)だよ」
と、公言してやまない。
旧仏教側からしてみれば、自分たちが全否定されたも同じである。
結局、法然の「専修念仏」の思想は、奈良の旧仏教勢力から強烈に批判を受けることになる。
しかも、折悪しく、法然の弟子がスキャンダルを起こした関係で、法然の教団は上皇をキレさせてしまう。
結果的に、上皇の「念仏ストップ令」が発せられ、法然は僧の資格を剥奪。
74歳で讃岐国へと流罪、79歳でこの世を去った。
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親鸞の「絶対他力」
ここまで法然の思想について確認をした。
厳しい修行で悟りを得ようとする「自力」に対して、法然のように自らを阿弥陀如来に委ねて救われようとする思想を「他力信仰」という。
親鸞は法然の弟子だった。
彼の思想は、法然の説いた「他力信仰」をさらに徹底させた、究極の他力思想、
「絶対他力」と呼ばれている。
親鸞もまた、若いころは比叡山で学んだ僧侶だった。
彼は師の法然に比肩しうるほどの天才で、次々に経典を読破し、あらゆる厳しい修行にも耐えてきた。
誰よりも苦しい日々を送ってきた親鸞。
だからこそ、強く実感したことがある。それは、
「どんなに自力を尽くしても、自分の心は全く穏やかにならない」
ということだった。
親鸞は8歳で出家。
比叡山にのぼり、20年の間、血の滲む修行の日々を送ってきた。
ときには、不眠不休、飲まず食わず、命がけの修行もあった。
それなのに、自分の心はいつも黒くよどんでいる。
醜くて汚い感情を、どうやっても捨てることができない。
そんな親鸞を1番苦しめたのは、性欲の問題だったと言われている。
彼は、「女性の姿をした仏」が現れる夢までみている。
誰よりも熱心で、誰よりも能力があって、誰よりもストイックだった彼。
それでも、煩悩を捨てることができない。
修行をすればするほど、救われがたい自分の身が浮き彫りになっていく。
だからこそ、彼は比叡山を下りて、「専修念仏」を説く法然のもとで、阿弥陀如来による救済の世界にすがったのだった。
そうして、法然の「他力信仰」をさらに徹底させて、「絶対他力」の境地にたどり着く。
その「絶対他力」とはどんな思想なのか。
それは、「あらゆる修行を捨てて、一心に阿弥陀如来にすがりきる」というものだ。
ん?
法然の他力信仰と、どこか違うの?
そう感じた人も多いだろう。
そこで、2人の「念仏」を比較するとこうなる。
- 法然の念仏……阿弥陀如来のいる浄土へいくための超簡単な修行
- 親鸞の念仏……阿弥陀如来の慈悲に対する感謝の言葉
つまり、法然の「念仏」とは、超簡単とはいえ、あくまで「修行」なのである。
それに対して親鸞の念仏は「修行」ではない。
阿弥陀如来による救済をかみしめて口からこぼれる「感謝の念」だというのだ。
ここには、1ミリの「自力」も存在してない。
あるのは、「何をしても救われがたい自分」と、「それを救ってくれようとする阿弥陀如来の慈悲」だけだ。
その2つのことを心から悟ったとき、自然と言葉となって表出するのが「ナミアミダブツ」という念仏なのだと親鸞は言う。
「自分が意志的に称える念仏」ではなく、
「自然と口からこぼれでる念仏」というワケだ。
だから、親鸞は「阿弥陀如来から頂いた念仏」という表現を何度も何度も使っている。
このように、親鸞の思想の根っこには、「おれってヤツは、どうしようもない人間で、何をしても救われない」という、強烈な自己否定の発想がある。
そこで、つぎに紹介したいのが、親鸞の有名なあの説
「悪人正機説」である。
これは、
「善人が救われるのだから、悪人が救われて当然」
という、ぼくたちの常識と真っ向から対立する考えだ。
その根底には、先ほどみた「自分はあてにならない」という強烈な自己否定の発想がある。
ここまで親鸞の思想を見ると、
「そこまで自分を否定しなくてもいいんじゃない?」
と感じる人もいるだろう。
だけど、逆にぼくはこんな風に思うのだ。
「そこまで、自分をあてにしちゃって本当にいいの?」
たとえば、親鸞と弟子とのやりとりにこんなものがある。
親鸞「おまえは、わたしの言うことをなんでも聞くか?」
弟子「はい!」
親鸞「そうか、言ったな? わたしの言うことに絶対背かないんだな?」
弟子「はい!」
親鸞「では、いまから1000人殺せ、とわたしが命令したら、おまえは1000人殺せるな?」
弟子「……や、むりです」
親鸞「なぜ無理なんだ。おかしいじゃないか」
弟子「……」
親鸞「おまえはさっき、私の命令に背かないといったではないか」
弟子「……」
親鸞「人間とは、そういうものなのだ。善い行いも、悪い行いも、自らが選んでのことではない。それが理由に、いまお前は、どうやったって人を殺すことなどできはしない。だけど、勘違いするな。それはお前が善人だからじゃない。ただ、1000人殺す条件がそろっていないだけだ。もし、1000人殺す条件さえそろえば、命令されなくても、お前は1000人殺してしまうだろう。だけど、それはお前が悪人だからじゃない。人間というのは条件さえそろえば、どんな行動もとってしまうのだ。わたしたちというのは、それほどあてにならない存在なのだ」
現代の平和な世の中にあって、ぼくたちは基本的には犯罪と遠いところで暮らしている。
だけど、鎌倉時代のような極限的状況に身を置いたとしたら、実際どうだろう。
生き抜くために物を盗むかもしれないし、生き抜くために人を殺すかもしれない。
「自分は絶対に悪事に手を染めない」だなんて、自信をもっていうことはが、ぼくにはできない。
鎌倉時代だろうが、現代だろうが、それは本質的になんら変わらない。
これから数十年続く人生の中で、ぼくが犯罪を犯さないという保証は全くない。
「そういう条件がそろってしまったとき、ひょっとしたらぼくは……」
と、不安になってしまうのだ。
だから、親鸞が言うことにはとても納得してしまうぼくがいる。
いずれにしても、こんなふうに、親鸞の人間観は徹底して自己否定的である。
一種のニヒリズムと言って良い。
だけど、親鸞の思想は単純なニヒリズムとは全く違う。
なぜなら、徹底した自己否定の先に、救済の世界を見ているからだ
絶望の先に見えてくる希望。
真っ暗な闇を光りに転じる教え。
そのダイナミズムこそが、絶望的な鎌倉の世で生きる人々の心を、強く動かしたのだと思う。
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主な思想内容②「栄西・道元の禅思想」
禅が目指すこと
禅の思想を理解するために、どうしても説明しておきたい前提があるので、ちょっと長くなるけど付き合ってほしい。
伝統的な仏教の特徴に「空」とか「唯識」といった思想がある。
お釈迦様が「悟った」内容も、ほぼこれと言って良いだろう。
この悟りの内容を一言でいえば、
「この世界は実在していないよ!」
というものだ。
だけど、これはぼくたちの実感からあまりに逸れた考えだ。
だって、いま辺りを見渡せば、
テレビがあって、テーブルがあって、その上にはコーヒーカップがあって、果物カゴがあって、中にはリンゴやバナナがあって……
と、おびただしいほどのモノであふれているじゃないか。
何よりも、そのモノを見て、認識している「ぼく」がいるじゃないか。
だけど、伝統的な仏教では、なおもこう言う。
「それは、君が、言葉とか意味とかにとらわれているからだよ」
つまり、「言葉」とか「意味」とかが、この世界を「ある」ように見せているというのだ。
言い換えれば、「言葉」や「意味」を捨て去れば、「ぼく」も「世界」も消滅するというのだ。
「いやいやいやいや、『ぼく』が消滅とか、それは絶対にないでしょ」
と思う人がほとんどだと思う。
だけど、これに近い感覚を、ぼくたちは経験的に知っている。
ぼくたちは、あまりに美しい風景を見たときに
「言葉を奪われる」ほどに感動することが、まれにある。
あるいは、あまりに素晴らしい芸術作品に出会って、
「我を忘れる」ほどに集中することが、まれにある。
茫然「自失」することもあるし、「放心」状態になることもある。
そんなときって、この世界のどこにも「ぼく」や「わたし」は、存在していない。
「ねえ、ちょっと! 話し聞いてるの!?」
と、声を掛けられて、ようやく冷静な思考が戻ってきたときに、
「あ、ごめん、ちょっとぼーっとしてたわ。で、なんだったっけ?」
と、「自分」と「他者」を取り戻す。
こういうことって結構ある。
っていうか、むしろ「ぼく」や「わたし」を意識している時間のほうが少ないんじゃなかろうか。
「ぼくは、いま、テレビを見ています」なんて意識でドラマのクライマックスを見ていないし、
「ぼくは、いま、好きな女の子といて、めっちゃドキドキしています」なんて意識で彼女とイチャイチャしていない。
そういう思考というのは、あとになって振り返ったときに「あんとき、めっちゃドキドキしたなあ、やっぱ、好きだなあ」と「自分があの子の彼氏」であることを強く実感するものだ。
もっとも、ふと冷静になって「彼女」のことをまじまじと分析してしまうこともあるだろうが、その時そこはかとない罪悪感にさいなまれる(と、ぼくは思う)。
というのも、その瞬間、2人の間には画然とした距離が生まれてしまい、「彼女」は「自分」にとっての対象物となってしまうからなのだろう。
話しは戻るが、こういう「言葉を奪われる」状態とか「我を忘れる」状態とかを、哲学用語で、「主客未分」という。
「自分と世界が一体となった状態」
というわけだ。
難しく考えなくても、いま見てきたとおり、割と誰でもみんな普段から「主客未分」状態にあるんじゃないかと思う。
ところが、ぼくたちは、苦しみや悲しみに直面したとき、主客が分離する。
なぜなら、思考や分析が始まるからだ。
「ああ、彼女とけんかしちゃった。あいつ、いまごろ怒ってるだろうなあ。明日会ったら、おれ、なんて謝ろう……」
もっともっと、究極的な問題に直面したら、それはこうなる。
「ああ、なんで俺、こんな病気になっちゃったんだろう。これから俺はどうなるんだろう。死んじゃうんだろうか。じゃあ、死んだら、俺、どうなるんだろう。この世界は、それでも続いていくんだろうか。……っていうか、死ってなんなんだ?」
つまり、人間は苦しみや悲しみに直面したとき、改めて「言葉」や「意味」にとらわれてしまう。
そして、言葉や意味は、「ぼく」や「他者」というものの輪郭を強めていく。
主客未分はあっというまに崩れ「自分」と「世界」が生まれてしまう。
実存主義哲学者のハイデガーはこう言っている。
「言葉は存在の家である」
言語学者のソシュールはこう言っている。
「言葉があって世界がある」
そして、「この世界がある不思議」に慄然として、驚き続ける人たちというのは、今も昔も少なからずいる。
天才哲学者ウィトゲンシュタインはこう言っている。
「世界があるということ、これが謎である」
とにかく、
「なぜ自分とか、世界とか、存在しているのだろう」
という問いは、人類の究極の問いでありつづけてきたのだ。。
伝統的仏教の「無」の思想というのも、根っこにはその問いがあって、
目指したところが「主格の対立を消滅させよう」というところだったのだ。
その「主客対立の消滅状態」こそが、悟りの境地だというワケだ。。
悟りの境地に到達するためには、「言葉」というものを乗り越えなくてはいけない。
もっと言えば、「意味」という呪縛から解放されて、「言語以前の状態」に到達しなければならない。
で、やっと本題なのだが、
禅思想は、「公案」とか「只管打坐」とかによって、「言語以前」の境地に到達することを目指している。
では、それぞれ、その方法論とはどんなものなのだろう。
栄西と道元、彼らはどんな方法で「言語以前」を求めたのだろう。
以下、それを見ていきたい。
ちなみに「言語以前の状態」は、色んな宗教、色んな哲学の文脈で、色んな呼ばれ方をしてきた。
- 「主客未分」
- 「無」
- 「心身脱落」
- 「大日如来」
- 「色即是空、空即是色」
- 「ブラフマン」
- 「実在」
- 「モノ自体」
- 「絶対精神」
- 「真理」
- 「美」
などなど、解釈の違いは色々とあるが、「言語以前の世界」であることに変わりない。(ちなみに、「神」も「阿弥陀如来」も、究極的に「言語以前」だと思っている)
文学、芸術、哲学、宗教とは全て、この「言語以前の世界」を目指す営みなんだと、ぼくは思っている。
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・
栄西の「臨済宗」
鎌倉時代に、禅の思想を民衆に広めたのが、栄西と道元だ。
年代としては栄西のほうが早い。
彼もまた比叡山で学んだ僧侶だ。
案の定、彼もやっぱり、
「仏教……これだとマズいんじゃない?」
と思ったクチだ。
それで中国(宋)へ留学。
本場の禅を学んだ栄西は、印可(卒業証書)をもらい、日本に帰国。
人々に禅を広めていった。
彼の思想の特徴は、なんといっても「公案」だろう。
要するに、禅問答だ。
ちなみに屁理屈をこねくりまわす「トンチ」で有名な「一休さん」
彼も室町時代に活躍した臨済宗の僧侶だ。
やはり臨済宗は「問答」のイメージが強いといえる。
さて、その「公案」についてなのだが、
弟子達は、師匠が出題する、非論理的で、不合理で、不可解な問いに答えなくてはならない、
もっとも有名な公案は、「隻手の声」という問答だろう。
隻手というのは、片手のこと。
師匠は弟子にこう問う。
師匠「両手で拍手をすると、パチパチという音がします。では、片手で拍手をすると、どんな音がするでしょうか?」
弟子「……片手で? ……拍手?」
こんな質問、だれだって困惑する。
これが友だち同士なら、
「おい、ふざけんなよ! 片手で拍手だなんて、言語矛盾もいいところだ。まじめに問題出せよ!」
というやり取りになるのだろう。
が、禅の師匠は徹頭徹尾、まじめに質問をしているのだ。
弟子(……片手で? ……拍手? 言語矛盾じゃないか)
そう思っても、決してストレートに反論することは許されない。仮に、
弟子「お師匠様、お言葉ですが、本来、拍手ってのは両手でするものでありまして、片手で拍手だなんて論理的にいって無理だと思うのですが」
なんて、言おうものなら大喝一声。
「喝あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁつ! 愚か者め! 修行が足らん!」
弟子「す、す、すみません」(……師匠は一体、ぼくをどうしたいのだろう)
ということになってしまう。
では、師匠は弟子をどうしたいというのだろう。
もちろん、師匠は弟子に「言語以前」の状態に到達してほしいのだ。
「公案」はそのための手段である。
結論を言えば、「公案」とは、
「言葉によって、言葉を超越しようとする営み」である。
ぼくたちは、「修行」をする中で、どうしたって「言葉」による縛りを受けてしまう。
だって、「言葉を超越するため」の教えだって、全て言葉で書かれているし、全て言葉で説明されるではないか。
だから、ぼくたちができるアプローチも、やはり言葉を介してのものしかない。
そこで、栄西は「言葉によって、言葉を越える方法」を模索した。
そこで、ぼくたちの常識とか論理に沿った問題を出したとしても、まったく効果はないだろう
「1+1はなんだ?」
「2!」では、ぼくたちを縛っている意味とか論理とか、つまり言語の世界を越えることはできっこない。
そこで、常識や論理を全く無視した「言語を超えた言語活動」が必要となる。それが、
「1+0が2になる世界ってなーんだ?」
という問題だ。
その非合理と徹底的に向き合うことで、つきものが落ちるように言葉が脱落する時がきっとくる。
師匠は、その言語脱落の瞬間を期待して「片手の拍手」という無理難題を弟子に出しているのだ。
師匠の問いは、弟子の意味や論理を破壊するためにある。
だから、「意味不明」なのは当たり前なのだ。
そもそも「意味」を超えなくてはいけないのだから。
言葉によって言葉を超える、それが臨済宗の思想だ。
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道元の「曹洞宗」
道元は、そんな栄西の弟子だった。
道元も比叡山で学んだのち、中国(宋)に留学。
本場の禅を学んで、印可(卒業証書)を得て、帰国後に曹洞宗を民衆に広めた。
道元も若い頃は「このままだと、仏教……やばくない?」と思ったクチなのだが、彼にはもう1つ、どうしても納得いかないことがあった。それは、
「みんなが仏になれるんだよ」という思想である。
これは主に天台宗で広がった思想なのだが、平安時代以降、どんどんと広がりを見せていった。
しかも、「みんなが仏」色はどんどん強まり、ついに究極の思想に到達する。
「みんな、もうすでに、仏だよ」
というものだ。
今すでに、その身のまま、この世界で、成仏をしている。
それは「一切の修行は必要ない」ということでもある。
この思想は「本覚思想」といって、その後の、ほとんどすべての仏教に影響を与えていった。
たとえば、
真言宗に見られる「世界はみんな大日如来」という思想とか、
浄土宗・浄土真宗に見れられる「念仏を称えれば、みんなが往生できる」という思想とか、
臨済宗に見られる「禅問答と座禅でみんなが悟りに到達できる」という思想とか、
これらすべては本覚思想の影響を受けている。
ちなみに、本覚思想をはき違えた連中が、とことんまで堕落をしきるので、後の時代の仏教批判へとつながっていくのだが、それはまた別の話。
とにかく、道元はこう思った。
「すでに成仏してんなら、そもそも修行とかいらなくね?」
その疑問が、彼の仏教観に大きな影響を与えている。
道元の仏教では、「修行」の扱いがかなり特殊である。
彼の思想の有名どころは、なんといっても「只管打坐」だ。
ただひたすら座禅に打ち込むことである。
と、聞くと、
え? それのどの辺が特殊なの?
と思う人も多いだろう。
ちなみに、道元以前、座禅は悟りを得るための手段であった。
とにかく座って、目をつぶり、黙想し、「心身脱落の境地」(言語以前)に到達することをめざす。
これが禅の世界だった。
だけど、座禅で「心身脱落の境地」に到達するのって、率直に言ってめちゃくちゃハードルが高いと思わないだろうか。
ぼくは、そう思う。
たとえば、
「雑念を捨てろ」
と言われ、
「雑念をすてよう」
と思う。
だけど、「雑念をすてよう」と思うこと自体がすでに「雑念」なわけだ。
雑念を捨てよう。という雑念をすてようと思う。
だけど、それ自体もまた雑念なわけだ。
雑念を捨てよう。という雑念を捨てよう。という雑念を捨てよう。という雑念を…ってな感じで、雑念なんて到底すてることができない。
「早く寝なくちゃ」
といって、目をかたくつぶり
「早く寝よう早く寝よう早く寝よう早く……」
と思えば思うほど、意識がさえてしまい、眠りから遠ざかるあの感じに似ている。
しかも、時間が過ぎれば過ぎるほどあせってしまい、「結局朝になっちゃいました」なんてこと、ぼくは何度も経験してきた。
そもそも、民衆には金がなければ時間もない。
そういう、修行している場合じゃない民衆を救うのが、そもそも鎌倉新仏教だったはずだ。
とすると、「只管打坐」なんて、もっともコスパの悪い所業だと言わざるを得ない。
が、そこは曹洞宗。
他の禅仏教との一線を画す思想である。
道元は「修証一等」とう立場に立ち、
「座禅は、すでに、もう悟りだよ」
と、説いている。
道元にとって座禅とは、悟りのための手段ではなく、悟りそのものなのだ。
だから、
「時間がなくて、修行なんてできません。言葉を捨てろと言われても、どうにもこうにも捨てられません。わたしはどうすればいいんでしょうか?」
という民衆に対して、道元はこう答える。
「座れ。それが悟りだ」
道元にとって「座禅、即、悟り」
悟りのための座禅など、道元にとっては、まだまだ迷いの世界なのだ。
とすると、栄西の「公案」なんかも、道元にとっても迷いの世界である。
道元はとにかく「座禅」が第一であると考えていた。
文字を知らなくても、時間がなくても、金がなくても、とにかく座禅に打ち込めば、それはすでに悟りの境地なのだと、道元は説く。
繰り返すが、座禅をするとき、人はすでに救われている。
易行! 選択! 専修!
の三拍子そろった、鎌倉新仏教を代表する思想である。
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【日本仏教の歴史】―室町時代・安土桃山時代をわかりやすく解説―
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