解説「無頼派とは何か・新戯作派との違い」を分かりやすく―代表作家とその特徴―

作家
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はじめに「新時代の幕開け」

日本が敗戦したのは1945年。

この年の日本の荒廃っぷりはすさまじく、国民の心も廃れていた。

ある者は虚脱し、ある者は絶望している。

日本文学にもまた、良いようもない“閉塞感”が広がっていた。

そんな中、まるで新時代の幕開けを告げるようにして現れた文学潮流がある。

それが無頼派(新戯作派)である。

日本文学に大きな影響を与えた、超がつくほど有名な文学潮流なのだが、じゃあ「どんな理念をかかげていたの?」とか、「どんな特徴があるの?」とか、改めて問われて即答できる人はきっと少ない。

そこで、この記事では日本文学における「無頼派」について徹底解説をしたい。

大きくポイントは次の4つ。

  • 無頼派の定義
  • 無頼派と新戯作派の違い
  • 無頼派の思想的立場
  • 無頼派の作家たち

日本文学に興味がある人、日本文学を学んでいる人、これから学びたいと思っている人、多くの人にとって参考になる内容だと思う。

お時間のある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。

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無頼派の誕生前夜

さっそく無頼派について説明をしたいのだが、彼らの本質を理解するためにはどうしても、その「誕生の背景」を説明しなければならないので、ちょっとだけお付き合いいただきたい。(無頼派について手っ取り早く知りたい方は、次の章をお読みください)

まず、無頼派が誕生した明確な年月日というものは存在していない。

一般的には、ざっくりと「戦後」と言われている。

ということで、無頼派を理解するためには、戦後がどういう時代だったかを説明しなければならない。

結論を言うと、

多くの日本人が虚脱感と無力感を抱いていた時代

ということになる。

ご存知の通り、第二次世界大戦中、日本には皇国主義と軍国主義が蔓延していた。

「天皇バンザイ!」

そう叫んで、多くの若者が玉砕していったのは、この皇国主義と軍国主義があったからにほかならない。

戦時中というのは、そうした価値観が多くの人に押しつけられた時代であり、それらはやがて日本人にとって当たり前の常識となり、日本人の倫理観や道徳観として染みついていった。

そうした状況は、敗戦と同時に一変する。

「天皇バンザイ!」

そう叫んでいた皇国主義者や軍国主義者は、敗戦とほぼ同時に、

「自由だ! 平等だ!」

と民主主義や平和主義を叫び、かつての自分を完全に棚上げして戦争批判を繰り返した。

日本の敗戦日である昭和20年8月15日から年末までの、たった四ヶ月半のあいだに、日本の思想は急激に変化し、当時の新聞の論調も180度変化したと言われている。

では、この頃の日本文学はどうだったのだろう。

結論をいえば、日本文学も例外ではなく、敗戦と同時に「自由と平等」が与えられた。

戦時中は、多くの作家達が厳しい言論弾圧のため、創作を自粛していた。

それが戦後になると、作家達はせきを切ったように創作をすることになる。

戦時中に発禁となった雑誌や同人誌も復活し、ベテラン作家を中心に思い思いの創作に取り組むようになった。

だけど、ここに一つ問題があった。

それは、「誰も戦争について触れなかったこと」である。

たとえば、戦後に発刊された谷崎潤一郎の『細雪』には、戦前の阪神のブルジョア家族の生活が淡々と描かれているだけで、そこに戦争の姿はみじんもない。

それは何も谷崎に限ったことではなく、志賀直哉、里見弴、宇野浩二、佐藤春夫といったベテラン作家たちも、まるで示し合わせたように「戦争」について全く触れなかった。

ここに、文学と一般大衆との間に、強烈なギャップが生まれる。

敗戦を迎え、絶望と虚脱に打ちひしがれる庶民たちは、戦争の痛みも悲しみも語ろうとしないベテラン作家らに対して、次第に不満と憤りを抱いていった。

「だれか、敗戦後の日本の現実を、そして俺たちの虚脱と絶望を、代弁してくれるヤツはいないのか?」

こうして、戦後の人々は、既存の枠にとらわれない言論や思想の登場を待ち望むようになっていった。

これが「無頼派」の誕生前夜である。

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無頼派の定義

誰も俺たちの虚脱と絶望を代弁してくれない!

こうした戦後の人々の不満に応えるように現れた新しい文学集団、それが「無頼派」である

ただし、急いで強調しておきたいのは、「集団」といっても、彼らは徒党を組んでいたわけでもなければ、共通の同人誌を持っていたわけでもない。

むしろ、無頼派が登場したばかりのころは、互いに面識もなかった。

要するに、個々バラバラに作品を発表したのである。

だけど、そこに共通してみられる、1つの精神があった。

それは、

既存の文学にとらわれないこと

である。

さて、ここで改めて「無頼派」の定義について記しておこう。

無頼派とは 】

・戦後のモラルや既存の文学に反発する形で生まれた文学潮流。

・虚無的・退廃的な姿勢で、戦後の混乱した社会を描く。

・作家たちの多くは、戦前は認められなかった若い作家ばかり。

ほら。こうして書いてみても、当時の庶民たちからの共感を得られると思わないだろうか。

戦前から戦後にかけてめまぐるしく変わるモラルに戸惑い、戦争や戦後の虚脱についてまったく触れようともしない老大家にうんざりし、貧しく過酷な生活に苦しみあえぐ庶民たち・・・・・・

そんな彼らの心の叫びを代弁してくれたのが、まさに「無頼派」の文学だったのである。

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無頼派と新戯作派の違い

戦後まもなく登場した無頼派の文学は、戦後の大衆たちに共感的に受け入れられた。

ただし、庶民は彼らをいきなり「無頼派」と呼びだしたわけではない。

むしろ、登場した初期の頃は「新戯作派」と呼ばれていたくらいである。

と、こう聞くと、きっと多くの人は疑問に思うだろう。

無頼派と新戯作派って、具体的に何が違うの?

一応、両者には大きな違いはなく、一般的には、

「無頼派 = 新戯作派」

と認識をされているし、文学史的にもそれで正しい。

とはいえ、ネーミングの違いには、当然ニュアンスの違いが現れているワケだ。

ということで、以下に両者の違いを示したい。(無頼派については再掲)

新戯作派 】

・読者に対するサービス精神を大切にした文学潮流

・江戸の小説家「井原西鶴」らの系譜に連なっている

【 無頼派 】

・戦後のモラルや既存の文学に反発する形で生まれた文学潮流。

・虚無的・退廃的な姿勢で、戦後の混乱した社会を描く。

・作家たちの多くは、戦前は認められなかった若い作家ばかり。

こうして比較してみると、両者の違いが見えてくる。

そもそも、「戯作」とは、江戸時代に流行した、いわゆる「通俗小説」の総称である。

通俗小説というのは、ひらたくいって、「大衆を楽しませるための小説」のこと。

その代表的作家に、『好色一代男』なんかで有名な、井原西鶴が上げられる。

「新戯作派」の多くの作家たちには、この井原西鶴へのリスペクトがあり、実際彼らの作品には、井原西鶴を彷彿とさせるような「読者サービス」の精神があった。

厳密に言えば、新戯作派の作家たちは、文章に趣向を凝らし、あえて滑稽に、茶化すようなかたちで社会批判を展開したのである。

そうした作風を感知した評論家や読者たちが、

おお! 新しい戯作の登場だ!

と言い始め、そうして生まれたのが「新戯作派」という呼び名なのである。

つまり、無頼派と新戯作派の違いは、こうまとめることができる。

【 新戯作派 】

・読者サービスを重んじるという作風にスポットを当てた呼び方

【 無頼派 】

・反抗的、自虐的、退廃的という作家の思想にスポットを当てた呼び方

こういう違いがあるので、まずはその作風にスポットがあたって「新戯作派」と呼ばれるようになり、次第に、作家達の思想にも注目が集まり「無頼派」と呼ばれるようになったというワケだ。

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無頼派の思想的立場

ここではもう少し、「無頼派の生き方」つまり、「無頼派の思想的立場」について解説をしよう。

先ほど「新戯作派」の由来や意味について確認をした。

では、「無頼派」についてはどうなのか。

まず、最初に無頼派という名前が使われたのは、太宰治が友人にあてた手紙の中で、1946年のことだった。

その手紙に、太宰はこう書いている。

私は無頼派リベルタンです。束縛に反抗します。時を得顔のものを嘲笑します。だから、いつまで経っても、出世できない様子です。「貴司山治宛ての書簡』より

太宰はここで、自分自身をフランスの無頼派リベルタンになぞらえている。

特に太宰は、フランスの無頼派詩人「フランソワ・ヴィヨン」に傾倒していた。

ヴィヨンは、その放蕩生活や破天荒な人生を材料に数々の文学作品を残した。

この点において、太宰とヴィヨンの生活には大きな共通点があるといっていいのだが、さらに重要なのは、ヴィヨンが何らの政治的見解を持たず、権力に反抗し、社会のルールを無視しまくっていた「自由思想」の持ち主だったことである。

つまり、「無頼派」の思想的立場というのは、ヴィヨンに象徴されるような、

「既存の権力に反抗し、社会の因習に立ち向かい、自らの自由を実現しようとする」

そういう立場だということができる。

こういう思想が、戦後の社会であえぐ若者たちの共感を得たことは、たやすく想像することができるだろう。

「無頼」とは、「頼るもの無し」つまり、「あてにできる何らの価値はない」という意味であり、そこには彼らに共通して見られる「ニヒリズム(虚無主義)」「デカダンス(退廃主義)」の精神がある。

無頼派がかつての作家達とは異なり、特定の同人誌や文学結社を持たなかったのには、そうした思想的背景があるのだ。

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無頼派の作家たち

一般的な範囲

ここからは、「無頼派」に属する作家達を紹介しよう。

一応、前もっていっておくと、無頼派に属する作家というのは、研究者によってまちまちで、解説書を当たってみても、その見解は様々である。

ここでは、一般的に無頼派と認められている作家たちだけを紹介する。

【 無頼派の作家たち 】

・太宰治(代表作『人間失格』など)

・坂口安吾(代表作『堕落論』など)

・織田作之助(代表作『夫婦善哉』など)

・檀一雄(代表作『リツ子 その愛』など)

・石川淳(代表作『焼跡のイエス』など)

なお、これ以外にも、伊藤整、高見順、田中英光といった作家たちがあげられる。

中でも個人的には、太宰の弟子で普段から大量の睡眠薬をかじりながら酒を飲み、太宰の死を知るや、その墓の前で自殺を図った田中英光なんかは“ザ・無頼派作家”の趣だと思うのだが、一般的には全然知られていない。

以上が、無頼派に属する作家たちだ。

ここからは、その中でも特に3人の作家について取り上げたい。

その3人とは、すなわち、

  • 太宰治
  • 坂口安吾
  • 織田作之助

である。

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太宰治

太宰治といえば、多くの人も知っている通り、とても破天荒でぶっ飛んだ人生を歩んだ作家である。

  • 5度の自殺行為
  • 女性との奔放な恋愛
  • 酒と薬にまみれた生活

こうした特徴は、無頼派作家の特徴である「退廃的な生活」にバッチリ該当している。

そんな太宰の代表作『人間失格』は、彼の“遺書”ともいえる自伝的小説であり、彼のデカダンな生涯が赤裸々に告白されている。

では、太宰の作風はどんなものだったのかというと、これまた無頼派の特徴である「権力への反抗」「旺盛な読者サービス精神」といったものがバッチリ当てはまる。

たとえば、太宰はエッセイ『如是我聞』で、もはや“喧嘩腰”といえる態度で志賀直哉を痛烈に批判している。(『如是我聞』は以下の書籍に収録)

「お前の作品なんでハッタリだ」であるとか、

「お前は弱者の苦悩を知らなすぎる」であるとか、

とにかく、志賀直哉に対して、彼は散々かみついている。

この『如是我聞』が書かれた当時、志賀直哉といえば文壇の“重鎮”である。

しかも、世間は彼を“小説の神様”とまで呼んでいる。

そんな文壇の“権力”に対して、太宰は作家生命をかけて全力で反抗をしているワケだ。

また、この『如是我聞』の中で、太宰は「フィクション」の正当性についても主張している。

フィクションというのは、「読者を楽しませる作品」と言い変えてもいい。

実際、太宰は「読者からの評判」を極度に気にした作家として知られている。

読者からの非難めいた手紙が届くことを恐れるあまり、自宅のポストに一歩たりとも近づくことができなかった、なんてエピソードがあるくらいだ。

こんな風に、

  • デカダンな生活
  • 権力への反抗
  • 読者サービスの精神

といった具合に、太宰治は「生活態度」、「作風」、そのどれをとってみても「ザ・無頼派作家」なのである。

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坂口安吾

坂口安吾も「無頼派作家」の代表格の一人である。

まず、安吾の生活というのも、太宰と肩を並べられるくらい荒廃している。

特に戦後になると、安吾のデカダン生活は極点に達する。

ヒロポンやアドルム(要するには覚醒剤と睡眠薬)をウィスキーで流し込むというとんでもない毎日を送った結果、うつ病を発症。

そこから幻覚幻聴に悩まされ、神経衰弱に陥り、あげくのはてに神経科に入院をさせられる。

薬と酒に溺れて精神に異常をきたすあたりは、無頼派作家の典型的な生活様態だといえる。

では、そんな安吾の「作風」はどうだったかといえば、「既成道徳への反抗」「読者サービスの精神」といった、無頼派作家の特徴をバッチリ備えている。

まず、「既成道徳への反抗」については、もはや安吾の代名詞である『堕落論』にはっきりと書かれている。

安吾はこの書の中で、「権力」や「制度」、「道徳」といった人々が盲信してきた「既成の価値観」からの転落こそ、人間が解放される唯一の道であると力説している。

「既成の価値観」からの転落――これが安吾の解く「堕落」であり、堕落こそが人間の生きるべき道なのである。

正直にいって「小説家」としての評価はさほど高くない安吾だが、この『堕落論』という随筆はズバ抜けて優れている。

また、「読者サービスの精神」については、笑劇ファルス的方法」といった、彼の文学観によく現れている。

笑劇というのは、一言でいえば「滑稽さを狙った喜劇」のことだ。

安吾は言う。

「芸術の最高形式は笑劇ファルスである」と。

こうした安吾の文学観が最も現れた作品は『風博士』である。

一読して分かるが、もうとにかく「馬鹿馬鹿しい」のだ、世界観が。

だけど、それは読者に刺さる「すがすがしい馬鹿馬鹿しさ」だといっていい。

こんな感じで、坂口安吾もまた、

  • デカダンな生活
  • 権力への反抗
  • 読者サービスの精神

といった「無頼派作家」の典型的特徴を持ち合わせた作家である。

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織田作之助

無頼派の代表格、最後の一人は「オダサク」こと織田作之助である。

太宰治がこの世を去ったのは38歳のことだが、オダサクはそれよりも短命で34歳で結核により命を落としている。

その早すぎる死は、過剰な飲酒にも原因があったと言われているが、なんといっても「1日20本」打っていたというヒロポン(要するに覚醒剤)が大きいのだろう。

このあたりから、オダサクも太宰や安吾と同じくらいにブッ飛んだ生活を送っていたことが分かる。

そんなオダサクにも「権力への反抗」「読者サービスの精神」が見て取れる。

たとえば「権力への反抗」についていえば、代表的エッセイ『可能性の文学』で、当時の文壇の権威である志賀直哉を痛烈に批判しつつ、伝統的な「自然主義文学」に異議申し立てをしている。(このあたりは太宰治の『如是我聞』と酷似している)

また「読者サービスの精神」でいうと、代表作『夫婦善哉』なんかに現れた「巧みなことば遊び」や「明るい人間喜劇性」が上げられるだろう。

また、先ほどの『可能性の文学』でも触れたが、オダサクは伝統的な「自然主義」を批判し「虚構性(フィクション)」を肯定的に捉えている。

そこには「読者を楽しませよう」とするオダサクの理念が表れているワケだが、実際に『土曜夫人』といったエンタメ性の強い新聞小説なんかも彼は書いている。

ということで、織田作之助もまた、

  • デカダンな生活
  • 権力への反抗
  • 読者サービスの精神

といった「無頼派作家」の典型的特徴を持ち合わせた作家だということができる。

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終わりに「短命の作家たち」

記事でも触れたとおり、その退廃的な生活のため、無頼派の多くの作家は若くしてこの世を去った

昭和二十二年に織田作之助が死に、その翌二十三年に太宰治が玉川上水に入水し、三十年には坂口安吾が死んだ。

虚脱した戦後の日本に新時代の幕開けを告げるように現れた若い作家達は、そのまばゆい光を放ちつつも、次々と世を去って行ったのである。

だが、彼らの輝きは今もなお彼らの作品に息づいている。

そして、彼らの作品にインスパイアされた新たな作家たちが、現代の文学界を牽引している

そう考えてみれば、無頼派の作家らが現代文学に与えた影響はとてつもなく大きいといえるだろう。

ぜひ、興味を持った方は、彼らの作品を手に取ってみてください。

それでは最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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