はじめに「ニッチな文学」
日本文学の中には、作家のウィークポイントをせきららに暴露するスタイルの作品が多い。
多くは「自然主義」という文学潮流をくむ作品なのだが、そこでは自らの「醜い内面」とか「貧しい生活」が描かれている。
そんな性格を持ちつつ、だけど「自然主義」とは異なるルーツを持っている、ちょっとニッチな文学ジャンルがある。
それが「転向文学」である。
この記事では、そんな転向文学について徹底解説をしていきたい。
「転向文学の定義」とは?
「転向文学の誕生の経緯」とは?
「代表作家とその作品」とは?
こうした点について、分かりやすく丁寧に説明をしようと思う。
ぜひ、興味のある方は最後までお付き合いください。
転向文学の定義
まずは、転向文学の定義についてまとめておこう。
と、こう聞いても、
マルクス主義?
プロレタリア文学?
転向?
といった感じだと思うので、以下では、これらのポイントを抑えつつ、転向文学が生まれた経緯や、代表作家などについて解説をしていこう。
プロレタリア文学の崩壊
プロレタリア文学とは
「転向文学」を説明するうえで、「プロレタリア文学」の説明を省くことはできない。
というのも、先ほど確認した通り、
「転向文学作家 = 元プロレタリア文学作家」
だからだ。
そこで早速、プロレタリア文学の定義について簡単に押さえておきたい。
マルクス主義を超シンプルにいうと、
「資本主義には限界があるので、人類はいつか必ず社会主義へとたどり着く」
という思想である。
第一次世界大戦後、日本では貧富の格差がひろがりつつあった。
そんな中、多くの人々が、
「貧富の差をなくせ! 平等な社会を実現しろ!」
そう訴え、運動を起こすのも無理からぬこと。
そして、その中には文学者もいた。
彼らは、
「ペンで平等な社会を目指そう!」
「ペンで社会主義革命を実現しよう」
そうした信念をもって、文学活動を行っていた。
つまり、プロレタリア文学というのは「社会主義革命をするための文学」であり、「政治的手段としての文学」なのだ。
【 参考記事 解説「小林多喜二とプロレタリア文学」―『蟹工船』の内容や代表作家などを紹介— 】
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小林多喜二の死
そんなプロレタリア文学のカリスマ的存在がいる。
それが小林多喜二だ。
彼は、代表作『蟹工船』をはじめとして、多くの文学作品で「労働者がいかに搾取されているか」、「特権階級や富裕層がいかに富をむさぼっているか」、つまり「資本主義がいかに不条理か」を社会に訴えかけた。
その文学運動は日に日に勢いを増していき、やがて小林多喜二は当局に目をつけられることになる。
当局から警察には、こんな命令が下されたという。
「これ以上、小林多喜二にペンを持たせるな」
そして、1933年(昭和8年)2月10日のこと。
小林多喜二は当局がしかけた罠によって逮捕され、そのまま築地警察署に送られ、特別警察からの凄惨なリンチを受け殺害されてしまう。
この事件は、プロレタリア文学界隈に大きな衝撃をもたらした。
しかも、プロレタリア文学に対する当局のマークも、いっそう強くなっていく。
作品は発禁にされ、プロレタリア文学作家は検挙・投獄され、最悪の場合は凄惨なリンチを加えられた。
そんな中、日本共産党のカリスマ的指導者である佐野学と鍋山貞親が、獄中で「マルクス主義から手を引く」ことを発表する。
カリスマ的作家の死と、カリスマ的指導者の離脱……
こうなってくると、当然、プロレタリア文学作家の中でも、次のような連中が増えていく。
「こんなことなら、俺たちもマルクス主義から距離を取った方が賢明だね」
こうして、昭和8年を皮切りに、プロレタリア文学はいっきに崩壊した。
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転向文学の登場
ここまでプロレタリア文学の崩壊について確認をしてきた。
小林多喜二が死んでからというもの、プロレタリア文学作家への風当たりはつよく、「自らの信念を貫くこと」は、大げさではなく「自らの死を選ぶこと」でもあった。
ときには警察から凄惨なリンチを加えられ、「自らの信念を捨てること」を迫られもした。
そしてついに、そうした暴力に屈し自らの信念を捨てる者たちが表れた。
「転向」というのは、こうした「自らの信念を捨て、マルクス主義から足を洗うこと」を言う。
そして、「転向文学」というのは、マルクス主義から足を洗った「元プロレタリア文学作家」による文学のことを言う。
では、「転向文学」には、どのようなことが書かれたのか。
こんな感じで、転向文学というのは、基本的に“負の感情”を原動力とした文学である。
ちなみに、プロレタリア文学作家の約95%が転向したといわれているし、作家に限らず転向した社会主義者の多くは、戦後ほとぼりが冷めた頃に再び社会主義へと回帰している。
ここからも転向した多くの人間が、屈折した感情を抱えていただろうことは容易に想像がつくし、そうした屈折した感情が文学を生み出したことも、とても自然なことだといえる。
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転向文学の代表作家
転向文学と一口にいっても、様々な作品がある。
村山友義の『百夜』や、立野信之の『友情』などが、その代表と言われたが、現在、彼らの名前を知る人は少ない。
そこで、以下では、現在も名の知れている作家や、文学史において重要視されている作家にフォーカスして、その特徴と代表作について解説をしていきたい。
島木健作
「転向文学といえば島木健作」
そういっていいくらい、この人の作品には確かな文学性がある。
島木は、三・一五事件で検挙され、独房での孤独と喀血による身体苦にさいなまれていた時に「転向したら釈放してやる」との誘いに乗り転向した。
その後、転向したことへの罪悪感と自己否定にさいなまれ続けた彼は、自らの悔恨と恥辱を私小説にする。
それが処女作『癩』である。
その後も、さらに『盲目』を「中央公論」に発表し、短編集『獄』を出版して作家としての地位を確立し、『生活の探求』がベストセラーとなる。
日本文学者のドナルド・キーンは「転向文学にはあまり見どころはないが、島木の作品は例外的に優れいている」と高く評価している。
転向文学を読んでみたいなら、とにかくまずは島木健作を読むべきだろう。
中野重治
島木健作の次に有名なのが、中野重治だ。
中野重治は、プロレタリア文学の中心人物で、「ナップ」(全日本無産者芸術連盟)や「コップ」(日本プロレタリア文化連盟)といったプロレタリア文学グループを結成していった。
そんな彼が転向したのは、小林多喜二の死から一年後、1934年(昭和9年)のことだった。
転向後は「共産党と人民の信頼を裏切った」と、自らを責め続けた。
そうした自己否定と開墾から生まれた転向文学が、代表作『村の家』だ。
これは、「治安維持法違反で投獄された男」が病気や発狂、そして転向の誘惑と闘う姿を描いた短編小説で、「転向文学の白眉」と評されている。
それ以外にも、『第一章』『鈴木 都山 八十島』『一つの小さい記録』『小説の書けぬ小説家』といった転向文学を残しており、これらは『村の家』とあわせて「転向小説五部作」と呼ばれている。
ちなみに、中野重治は戦後ほとぼりがさめたころに、再び共産党に入党している根っからのマルクス主義者である。
そんな彼が、転向でどんな苦悩を経験したか、中野重治の転向文学には、彼の屈折した心理が描かれている。
高見順
高見順といえば、太宰治や坂口安吾らとともに「無頼派」の作家として紹介されることが多いが、実は彼もまた「転向作家」の一人だ。
にもかかわらず、あまり「転向文学」の文脈で語られることがないのは、彼の戦後の作品に秀逸なものが多く、そちらにフォーカスされることが大きな理由である。(なお、最晩年に書かれた詩集『死の淵』は、個人的に彼の文学の最高傑作だと思っている)
代表作は『故旧忘れ得べき』という長編小説で、多くの転向文学がそうであるように、こちらも左翼運動に挫折した男の「良心の呵責」や「虚無的な生活」を描いた作品となっている。
ただ、他の作品と異なる点は、高見順のお家芸である「饒舌体」によって描かれている点だ。
この辺りにも高い文学性が認められたのだろう。
本書は、第1回の芥川賞の候補にもなっている。(ちなみにこの時、太宰治の『逆光』もノミネートされたが、結局は石川達三の『蒼氓』が授賞した。)
林房雄
さきほど、「転向者の中には、戦後に再びマルクス主義に戻った者も多かった」ことに触れた。
その最たる例が中野重治なのだが、それとは対照的に、林房雄は「完璧に転向した作家」の1人である。
もともとはプロレタリア文学作家だった林房雄だが、彼の本質は「根っからの小説家」だったようだ。
実際に、転向文学を書き続けた島木健作と異なり、林房雄は「歴史小説」や「中間小説」など、幅広いジャンルの小説を書いている。
そんな彼は、転向に際して、こんな熱い言葉を残している。
僕は心をきめた。僕は文学のために一生をかける。
文学の仕事は高くそして大きい。それは男の一生をかけるにあたいする。いま、一生をかけないかぎり、文学は——およそ文学の名にあたいしうるものは、けっして生まれない。
こんな熱い言葉、文学を「政治的手段」とみなしていたプロレタリア文学作家から聞くことは、まずできない。
こんな感じなので、林房雄については、一般の転向参加とは性格が全く異なる。
転向文学の多くが、転向による「悔恨」や「恥辱」が色濃く表れていたのに対して、林房雄の作品にはそうした「後ろめたさ」がほとんどない。
実際、転向直後に書かれたのは、『青年』という明治を舞台にした正真正銘の歴史小説である。
上記で説明してきた、いわゆる“転向文学”ではないけれど、これまで抑圧されてきた林の文学への思いが横溢する、傑作の呼び声が高い作品となっている。
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おわりに
あらためて代表作家を見てみると、やはりマニアックな名前が多く、
「こんな作家はじめて知りました」
なんて読者も、きっと多いことだろう。
とはいえ、こうして日本文学史に名前が残るくらいなので、マニアック文学とはいえ、やはり見どころや読みごたえがあるジャンルではある。
この記事を読んで、ちょっとでも興味を持った方は、ぜひ作品を手に取っていただければと思う。
あなたの充実した読書ライフの一助になれば、幸いです。
以上で、転向文学の解説はおしまいです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
日本文学を学びたい人へ
この記事にたどり着いた方の多くは、おそらく「日本文学」に興味がある方だと思う。
日本文学の歴史というのは結構複雑で、「〇〇主義」とか「〇〇派」とか、それらの関係をきちんと整理することが難しい。
そこでオススメしたいのが、日本文学者「ドナルド・キーン」の代表作『日本文学の歴史』シリーズだ。
日本文学史の流れはもちろん、各作家の生涯や文学観、代表作などを丁寧に解説してくれる。
解説の端々にドナルド・キーンの日本文学への深い愛情と鋭い洞察が光っていて、「日本文学とは何か」を深く理解することができる。
古代・中世編(全6巻)は奈良時代から安土桃山時代の文学を解説したもので、近世編(全2巻)は江戸時代の文学を解説したもので、近現代編(全9巻)は明治時代から戦後までの文学を解説したものだ。
本書を読めば、間違いなくその辺の文学部の学生よりも日本文学を語ることができるようになるし、文学を学びたい人であれば、ぜひ全巻手元に置いておきたい。
ちなみに、文学部出身の僕も「日本文学をもっと学びたい」と思い、このシリーズを大人買いしたクチだ。
この記事の多くも本書を参考にしていて、今でもドナルド・キーンの書籍からは多くのことを学ばせてもらっている。
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