はじめに「凄み」を増す今村夏子
『とんこつQ&A』は、今村夏子の7作目となる作品で、4つの短編を収録している。
今村夏子といえば、読んでいてゾクゾクするような「不穏」な世界観を描く作家だ。
だから、まず、このポップなタイトルと装丁を見た時、
「なんだか今村夏子らしくないなあ」
と、やや、物足りない思いを抱いたのが正直なところ。
が、読んでみると、まぎれもない今村夏子の世界観で大満足。
初期の今村作品は「正常と異常のあわい」を絶妙に描く作品が多かった。(『あひる』とか『星の子』が良い例だろう)
が、『むらさきのスカートの女』あたりからは、「異常」とか「狂気」のほうに振れていて、本作『とんこつQ&A』も、「狂気」を突き抜けた最高な作品となっている。
以下、本作の「狂気ポイント」をまとめてみたい。
(注意 以下盛大なるネタバレを含みます)
それでは、最後までお付き合いください!
作者について
作品の考察に入る前に、ちょっとだけ、簡単に作者「今村夏子」の紹介をしておきたい。
アルバイト先の事務所で「明日休んでください」と言われた日の帰り道、突然、小説を書いてみようと思いつきました。
これは、作者 今村夏子の太宰治賞受賞のことばだ。
バイトをクビになり? 思いつきで書いた小説は、半年そこらで完成させてしまったという。
そして、生まれたのが『あたらしい娘』のちに『こちらあみ子』と改題され出版された。
さらに数ヶ月後、『こちらあみ子』は三島由紀夫賞も同時受賞するという快挙をなしとげる。
こうして作家今村夏子は華々しいデビューをかざり、沢山の文学ファンを魅了している。
その後、『あひる』(河合隼雄賞受賞)、『星の子』(野間文芸新人賞)と、立て続けに芥川賞の候補となり、2019年『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞した。
こうして書くと、やっぱ、とんでもない経歴の作家だなと改めて思う。
ちなみに、今村夏子はあまり精力的に書くタイプではないらしく、一時期は筆をたつこともあったらしい。
そんなとき、担当の編集者は、「あなたのペースで書いてくれれば大丈夫です」と、今村夏子が再び描くまで、辛抱強く待ってくれたらしい。
このエピソードからも、今村夏子の才能がうかがえる。
今、新作が最も待たれている作家だといえる。
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考察①主体性のない「女たち」
主人公「今川」は、食堂「とんこつ」で働き始めたアルバイトなのだが、彼女は「自分の言葉」でコミュニケーションをとることができない。
そのため、彼女はつねにおびただしい「メモ」を携帯していて、そこには、シチュエーションごとの「Q&A」が記されている。
今川は、メモがなければ「とんこつ」の店員として全く機能しないのである。
メモがなければ「いらっしゃい」も「ありがとうございました」も言えない店員なんて、誰が見たって致命的なはずなのに、とんこつの「大将」も、その子の「ぼっちゃん」も、彼女をまったく責めることはない。
それどころか、「自分の言葉でしゃべれない」今川を歓迎しているようでさえあり、進んで「メモ」を渡して今川をコントロールしようとする。
今川はとにかく「主体性」の欠如した人物なのだ。
ところが、ある日、今村は「メモ」がなくても言葉を発することができるようになる。
声の強弱、イントネーション、そして振る舞いや表情……
そうしたすべてを主体的に選べるようになった今川は、それと同時に、大将やぼっちゃん(以下、とんこつ親子)にも、自分の「意志」や「主張」を表現するようになる。
たとえば、「食器洗いの際に粉洗剤では効率が悪いから」ということで、液体洗剤を持ち込んだりするわけなのだが、とんこつ親子はそれに対して難色を示し始める。
親子は、今川が「主体性」を獲得したことを理解すると、ある日「アルバイトぼ集」の求人広告を貼り、あたらしい「アルバイト」を採用するのだった。
それが「丘崎さん」という女性なのだが、なんと彼女、今川以上に「主体性」を持たない女なのだ。
物語はここから一気に、親子の「不気味さ」と「異常さ」を演出していく。
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考察②人格を支配しようとする「親子」
そもそも とんこつ親子が、なぜ「主体性のない女性」を求めているかと言えば、「死んだ妻(母)」のコピー人形を作りたいからだ。
そのことは、物語を読み進めていくと次第にはっきりしていく。
たとえば、今川の言葉のイントネーションを「大阪弁」に近づけたり、今川に「たこ焼き」を作らせたりしようとするのだが、これは死んだ妻(母)が大阪出身の女性だったからである。
そもそも親子がアルバイトを募集しているのは、まさしく「妻(母)のコピー人形」を作るためであり、しかも、親子はその候補の「品定め」をしているようなのだ。
とんこつの少年「ぼっちゃん」は、母が死んだときのことを今川に語った後、そのことを示唆するこんな発言をしている。
「……親戚の人たちの中には、お父さんには再婚の話を持ってくる人もいる。でもお父さんは……」
と、ここで言葉を切って声をひそめた。「お父さんは、ボクに決めてほしいんだって。でも、ボクは、お父さんに決めてほしいんだ。大事なことだからさ」(単行本P22より)
作中のぼっちゃんの言葉は、一見するとどれも「純粋」で「無垢」なものばかりなのだが、その飾り気のなさが、物語において絶妙な不気味さを演出している。
たとえば、今川が初めて「とんこつ」を訪れた時も、また丘崎が初めて「とんこつ」を訪れた時も、
「ヤッタ」
と小さな声で喜ぶ彼なのだが、そこには名状しがたい“不気味さ”がある。
つまり、この物語において少年が純粋であればあるほど、物語における「不気味さ」や「狂気」が増していくのであり、これこそが今村夏子のマジックであり、こうした筆致はほんとう天才的だなぁとうならされる。
この作品の恐ろしさは、とんこつ親子が「女性」の主体性を徹底的に殺してくところにあるのであって、もっといえば、彼らが「女性」を人間として見ていないところや、親子で結託して「女性」を支配しようとするところに、作品の「狂気」や「不気味さ」は由来しているといっていいだろう。(少年にいたっては、そこに無自覚だからいっそう不気味だ)
今川はギリギリ彼らの支配から逃れることができたわけだが、丘崎に至っては、彼らの支配によって精神を半ば殺されかけてしまっている。
最近では、突然、意味不明なことを言いながら泣き出したり、大将と二人きりの時に突然暴れたりすることがある……(P75より)
こんな感じで、何気なく「おっかない記述」をぶっこんでくるあたりも、今村夏子のうまいところ。
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考察③家族を支配しようとする「今川」
さて、僕はここまで「とんこつ親子」の異常性や狂気、不気味さについて考察をしてきた。
彼らは、今川や丘崎といった女性の尊厳を無視し、人格をコントロールしようとする。
だが、実は、この作品の終盤においてもっとも異常性を発揮するのは、ほかでもない今川自身である。
一度は「とんこつ親子」にコントロールされかけた今川だったが、丘崎の登場により、自らの立ち位置を徐々に変えていく。
丘崎を「妻(母)のコピー人形」にしようと画策する親子からの依頼で、今川は「とんこつQ&A―大阪Ver―」の執筆に取り組む。
最初は、まんまと親子の思惑に乗せられる形の今村だったが、次第に今村は「とんこつQ&A」の執筆に、自らの使命を感じ始める。
そして、丘崎が「妻(母)」とふるまうことができるよう、おびただしい「Q&A」を書きあげ、それらを「とんこつQ&A―家族ver―」としてまとめる。
その数、なんと80億!
ここまでくるとさすがに現実味を失ってしまうので
「いや、限度ってもんがあるだろ!」
と僕は笑ってしまったのだが、笑いと狂気が融合するのもまた今村作品の魅力の1つ。
いずれにしても、おびただしい「Q&A」の執筆で、丘崎をコントロールする今川。
実は、今川はここに及んで、「とんこつ親子」までもその支配下に置くことになる。
なぜなら、親子と丘崎の「家族ごっこ」は、すべて今川の「Q&A」に依存しているからだ。
一見幸せそうに見える彼らのやりとりには、いわば「脚本」のようなものがあって、それはとりもなおさず今川によって書かれたものだ。
もはや、「とんこつ家族」の一挙手一投足は、今川の手に委ねられたといっていい。
そして物語はつぎのように結ばれる。
『店だけじゃないよ。ボクら家族も、今川さんなしにはやっていけない。ねえ、そうだよね、お父さん、お母さん』
『そうだ』
『そうや』
『ボクらみーんな、今川さんのことが大大大好きで、今川さんのことを心の底から尊敬しているし頼りにしている。ねえ、そうだよね、お父さん、お母さん』
『そうだ』
『そうや』
『だからお願い、今川さん。ボクらのために、これからもずーっとずーっとずーっと、この“とんこつ”にいてね!』
というわけで、わたしはこれからもずっと「とんこつ」にいる。(P78より)
言うまでもないが、このやりとりだって「とんこつQ&A」によって今川にコントロールされたものだ。
物語のラストシーンで、誰よりも「狂気」と「異常性」を放つのが、主人公の今川なのである。
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感想”自分の言葉”ってそもそも何?
以上、『とんこつQ&A』に描かれた「狂気」について考察をしてきた。
最後に少し、僕が感じたことを述べて、この記事をおしまいにしたい。
講談社から出版された本書の帯に、次のような言葉がある。
真っ直ぐだから、純粋だから切ない。あの人のこと、笑えますか。(本書の帯より)
普通の可笑しみから、私たちの真の姿と世界の深淵が顔を出す(本書の帯より)
さて、ここで1つ問題提起をしてみたい。
僕たちは、果たして今川を、そして丘崎を笑えるのだろうか。
僕たちは普段から「自分の言葉」をしゃべっていると信じて疑わないが、実はそれは全くの錯覚である。
僕たちの言葉なんてのは、ほとんど「誰かの言葉」の受け売りなのだ。
声の強弱、イントネーション、選ぶ言葉の数々に始まり、価値観、思考、発想、主張、そうした全ても、あなたが主体的に選び取ったものではない。
それらは全て、あなたを取り巻く環境によって規定されていて、すべてが無意識的に選ばされたものなのだ。
これは、フランスの哲学者で記号学者の「ロラン・バルト」が明らかにしたことだ。
僕たちはいつも「自分で考え、自分で語っている」と信じているが、僕たちの「考え」や「言葉」は、必ず「誰かの考え」や「誰かの言葉」を下敷きにしている。
僕たちの主体性なんて頼りないものなのだ。
ひるがえって本書を読み直してみれば、ここに描かれるのは、自分の言葉をしゃべれない「主体性のない人間」だ。
今川も丘崎も、彼女たちは誰かの言葉を借りなければ、人とコミュニケーションをとることもできない。
だけど、僕たちは彼女たちを笑う事なんてできない。
なぜなら、バルトが明らかにしてしまったように、僕たちもまた「自分の言葉」を持たない存在だからだ。
今村夏子はそうした僕たちの存在の真実をするどく描いている。
――普通の可笑しみから、人間の真の姿と世界の深淵へ――
なるほど、帯に書かれているのは、本書の本質を見事に説明している。
「すぐれた作家の、人間や世界を見る目というのは、なんと透徹しているのか」
今村夏子の作品を読むと、つくづくそんなことを考えさせられる。
以上、『とんこつQ&A』の記事はおしましです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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「今村夏子」作品の紹介
今村夏子の作品にはハズレがほとんどない。
どの作品にも「不穏さ」や「不気味さ」が底流していて、読んでいて心がザワザワするものばかりだ。
寡作の作家ではあるが、発表される作品は、どれも独特な魅力をもつものばかり。
以下の記事で、その魅力について紹介しているので、ぜひ参考にしてみてほしい。
【 参考 天才芥川賞作家【今村夏子】全作品おすすめ ーあらすじと魅力を紹介— 】
「今村夏子」は”Audible”で
今村夏子作品の多くがAudible化されているので、すき間時間で効率よく読むことができる。
今、急速にユーザーを増やしている”耳読書”Audible(オーディブル)。
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