はじめに「無意識の発見」
「人間の理性なんてあてにならない」
こう言い放ったのが、19世紀に活躍した心理学者「フロイト」だ。
当時の西欧における人間理解というのは楽観的なものだった。
- 「人間は、理性を駆使すれば正しい行いができるんだよ」
- 「人間は、理性を駆使すれば真実を明らかにできるんだよ」
そういう「人間に対する盲目的な信頼」が根強かった当時の西欧。
そこに現れたフロイトは、次のように言い放ち、かつての「人間観」を大きく変えてしまった。
―人間の意識には“無意識”という領域がある―
―無意識は人間の思考や行動に大きな影響を与えている―
フロイトによれば、
人間が“選び取った”と思っている行動や考えなんて、無意識に“選ばされた”ものにすぎない、という。
要するに彼は、
「君たちが思うほど、人間の心なんてあてにはならないんだよ」
と、当時の社会に広がる「人間に対する盲目的な信頼」を否定したわけだ。
本書『心の処方箋』について
さて、この「人間の心なんてあてにならない」という考え方。
「人間の心なんてわかるはずがない」と言い換えることができるだろう。
こうした考え方は、現代に生きるぼくたちにとって、別段、真新しいものではない。
なにをいまさら。そんなん当たり前だろ?
そう思う人が大半だと思う。
なぜなら、「フロイト」以来、「人間の心は不可解だ」という言説は常識として定着してきたからだ
だけど心理学者「河合隼雄」はこういう。
「人の心などわかるはずがない」そんなの当たり前のことである。しかし、そんな当然のことを言う必要が、現在にはあるのだ。
(本書「あとがき」より)
僕たちは口では、
「人の心なんて理解できないっこない」
そういいつつ、心の底では、
「人の心は、きっと理解できるはず」
そう信じ込んでしまっているのではないだろうか。
- 「子どもの気持ちは、親のわたしが一番よく理解している」
- 「生徒の気持ちは、担任の僕が一番よく理解している」
- 「部下の気持ちは、上司の私が一番よく理解している」
そんな気持ちで、日常生活を送り、人間関係に臨んでいる人はきっと多い。(僕自身、思い当たる節は多々ある)
だけど、その姿勢はじつはとっても傲慢なんじゃないだろうか。
というのも、
「人間の心は理解できる」
というのは、
「人間の心はコントロールできる」
となり、
「人間の心は支配できる」
に行きつく可能性さえあるからだ。
僕たちはもう一度、
「人間の心は不可解である」
という前提を思い出す必要が、きっとある。
ということで、今回紹介したいのはこちら
『こころの処方箋』(河合隼雄)
作者の河合隼雄は日本を代表する心理学者の1人だ。
彼の専門は「ユング心理学」
ユングとは、上記で紹介したフロイトの弟子。
ユングも「無意識」について多くの論考を残した。
河合隼雄はその「ユング心理学」の第一人者であり、まさしく「無意識」の専門家なのだ。
本書『こころの処方箋』には、河合隼雄による「無意識」を前提にした人間観が書かれている。
それは本人も言うように、「当たり前」の人間観である。
つまり、どこまでも「常識」的な内容なのだ。
だけど、それは現代を生きる僕たちが忘れてしまっている「常識」だ。
以下では、『こころの処方箋』に描かれている「人間観」の一部を紹介したい。
なお、この作品は55のテーマがあり、1つのテーマにつき4ページで書かれている。
一つ一つの言葉が魅力的で、本書は「名言」の宝庫と呼んでもいいくらいだ。
この記事を読んで、本書に興味を持った方は、ぜひ手に取ってみてほしい。
人間観➀「人間理解は難しい」
“レッテル”をはらない
「レッテルをはらない」
そう聞いて、改めて「何をいまさら」と思うだろう。
だけど、繰り返すが、僕たちは往々にして「相手を理解できる」と思い込んでしまう。
その延長線上にある発想がこうだ。
「臨床心理士やカウンセラーなら、人の心なんて簡単に分かるんでしょ?」
ところが、当の臨床心理士である河合隼雄はこういう。
一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信を持って知っているところが、専門家の特徴である。
「人の心などわかるはずがない」より
人の心なんて、そんなにシンプルに理解できたり、割り切れたりするものではない。
専門家はどれほどやさしそうに見える人でも、ひょっとすると怖ろしいところがあるかもしれない、と思う。あるいは、怖い顔つきの人に会っても、案外やさしいかもしれない、と思っている。要するに、簡単に判断を下さず、人の心というものはどんな動きをするのか、わかるはずがないという態度で他人に接しているのである。
「人のこころなどわかるはずがない」より
本当に相手を「理解」しようと思うなら、その人の一面のみから「この人はこういう人間だ」とレッテルを貼ってはいけない。
相手の声に耳を傾け、
「この人が何を思い、何を感じ、何を考えているのか」
そこに誠実に向き合うことが大切だ、と河合隼雄は言う。
巷にはこんなタイトルの本があふれている。
- 「人間は見た目が9割」
- 「人間は第一印象が全て」
ここには、相手について即断する「浅はかさな人間観」があらわれているが、河合隼雄はそれに対して、
「“見た目”や“第一印象”で、その人の何が分かるというのか」
と、異議申し立てをしているのだ。
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人間理解は命がけ
では、僕たちは具体的にどのように「人間理解」をしていけば良いのか。
その答えも、とても「常識」的だ。それは、
「分からない」に出会ったら「話合い」を続けること、である。
相手の言い分も聞き、さらに自分の考えを述べ、話し合いを続ける……
「言いはじめたのなら話合いを続けよう」より
これだって、真新しいことではない「何をいまさら」話かもしれない。
だけど、河合隼雄は臨床心理士だからこそ、「対話」の難しさと苦しさを痛切に感じているわけだ。
自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞き、話し合いを続けるのは、黙っているのと同じくらい苦しさに耐える力を必要とする
「言い始めたのなら話合いを続けよう」より
対話は苦しい。
だから、そこから逃げる人は多い。
ただ、それが悪いことだと河合隼雄は言っているのではない。
「相手を理解したい」と思うのであれば、その「対話」をする覚悟が必要だ言っているのだ。
同僚、友人、恋人、夫婦、親子、兄弟……
人はみな例外なく、そういった「関係性」の中で生きている。
たった1人で生きている人間なんて、きっとこの世にはいない。
真の意味で“1人”の人間は、自らを社会的に、あるいは存在的に消してしまうものだからだ。
だから、事実として「生きている」あなたは、必ずなにかしらの「関係性」の中に身を置いているはずなのだ。
ならば、他者を理解することは、きっと避けて通れない。
とすると、他者と対話することもまた、きっと避けて通れない。
同僚、友人、恋人、パートナー、親、子ども……
そういった人たちと「生きていきたい」と思うなら、たとえ難しくても、苦しくても、対話をしていく覚悟が必要なのだ。
河合隼雄はいう。
私は、他人を真に理解するということは、命がけの仕事であると思っている。このことを認識せずに「人間理解が大切だ」などと言っている人は、話が甘すぎるようである。
「人間理解は命がけの仕事である」より
僕たちには「人間を理解することはできない」という前提に改めて立ち帰り、大切な人との「不断の対話」を続けていく、そんな覚悟が必要なのだろう。
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人間観➁「“自立”は依存の先にある」
「自立」が意味すること
河合隼雄はこういう。
「自立」ということは、人々の心を惹きつける標語として、長い間その地位を保ち続けているようである。
「自立は依存によって裏付けられている」より
「はやく自立しなさい」
この言葉の裏には、きっとこんな真意が潜んでいる。
- 「自分の力で稼ぎなさい」
- 「自分の力で生きていきなさい」
- 「自分の責任は、自分でとりなさい」
これらは、
「人に頼らず生きていきなさい」
と言い換えられてしまうことが多い。
そして、こういった価値観が日本社会において、ある種の「美徳」として通用するようになっている。
だけど、「自立」というのは、本当に「人に頼らない生き方」なのだろうか。
人からの助けをできる限り拒んで「自己責任」だけで生きていくことなのだろうか。
そうではない、と河合隼雄は言う。
「自立」⇔「依存」ではない
そもそも「自立」は「依存」の反対ではない、と河合隼雄はいう。
自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれ出てくるものである。
「自立は依存によって裏付けられている」より
たとえば、子育てにおいて、
「子どもを甘やかすと、将来自立できなくなる」
と、考える母親がいたとする。
彼女は、子どもが自力で問題解決できるようにと、極力自分から突き放そうとする。
ところが、それでは逆効果なのだと、河合隼雄は言う。
本当の自立とは、「依存」を排除することではなく、「依存」を受け入れることから始まるからだ。
自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。
「自立は依存によって裏付けられている」より
表面的な「自立」、それは「孤立」に過ぎない。
「自立」は「依存」の先にあるものなのだ。
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「愛着障害」について
心理学には「愛着障害」(アタッチメント障害)という言葉がある。
これは、1940年代にアメリカの精神科医「ボウルビイ」が提唱したものだ。
ボウルビイによれば、
幼少期に「甘える」や「誰かを信頼する」といった経験が極端に少ないと、その人格や性格に決定的な影響を与える
という。
「甘える」ことや「頼る」こと、「信頼する」ことが極点に少ないと、「自立」は妨げられてしまう。
いわゆる「パーソナリティ障害」の多くは、その根っこに「愛着障害」があるという。
「愛着障害」と思しき歴史上の人物は意外と多く、たとえば文学の世界にも「愛着障害」と思しき作家がいる。
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、川端康成……
これら名だたる文豪らの作品には、彼らの「孤独」が色濃く表れている。
彼らに共通しているのは、その幼少期において母親との別離や死別を経験している点だ。
正しく「愛着関係」を築けなかったという過去は、その人の心の中に満たされない空白を生む。
彼らにとって「文学」とは、その空白を埋めるための営みだったと考えられる。
こんな風に、人間にとって「愛着」というのは必要不可欠のもので、その「愛着」とは「甘えること」や「頼ること」によって形成される。
「甘え・信頼」=「依存」であるとすれば、人間にとって「依存体験」がいかに重要なものかが分かるだろう。
心理学の世界でも、自立と依存とを対立するものとしては捉えずに、むしろ、必要な依存が自立を助ける、というような観点からの研究がだんだん出てきて、わが意を得たりと思っている。
「自立は依存によって裏づけられている」より
心理学においても、いまや「依存は排除すべきではない」というのが定説となっている。
改めて「自立」と「依存」の関係を、僕たちは再考しなければならない。
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「どっぷり体験」の大切さ
真に「自立」するためには、ただしく「依存」をする必要がある。
これはなにも「人間関係」に限った話ではない。
子どもがファミコンなどに熱中するとき、それにどっぷりつからせるのは、そこを離れるための良い手段になる。
「どっぷりつかったものがほんとうに離れられる」より
人間関係と同様、ただしく「離れる」ためには、一度「どっぷり」とつかる必要があるのだ。
対象と正しい「愛着関係」を築くこと。
河合隼雄はこれを「どっぷり体験」と呼ぶ。
幼少期に母親とうまく「どっぷり」体験をもった人は幸福である。しかし、それがなくとも、人間はその後の人間関係や、その他の世界との関係で「どっぷり」体験ができるものである。それは、その人の個性と大いに関わるものとして、想像の源泉となることもある。
「どっぷりつかったものが本当に離れられる」より
現代の日本では、あまりに「自立」をせかされ過ぎている。
「自分一人で生きること」がまるで「美徳」のようにもてはやされ、他人を頼ることは弱いことであり、他人に迷惑をかけることは恥ずかしいこととされる。
「自己責任」という言葉が人々の口の端に上るのも、こうした「自立至上」の価値観が社会を覆っているからなのかもしれない。
だけど、無理やりに「関係性」から引きはがすのでは、真の「自立」はなされない。
きちんとした「愛着」があって、はじめて人は「自立」をして生きていける。
十分な「どっぷり体験」があれば、人は自然に「自立」することができるのだ。
それはちょうど「かさぶた」に似ている、と僕は思う。
無理やり剥がそうとすれば、そこに強い痛みを感じ、修復困難な傷を残すことになる。
逆に十分に時間をかけ、ゆっくりと傷を癒せば、かさぶたは自然と零れ落ちる。
人間も同じなのだ。
時間をかけて、ゆっくりと孤独を癒し、確かな安心を得る。
そうすれば、人は「自立」することができるはずなのだ。
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終わりに「やさしい”名言”」
以上、『こころの処方箋』に書かれた「人間観」を紹介したが、これはあくまでもその一部である。
本書は、悩んでいる人や傷ついた人に寄り添ってくれる「やさしい名言」で溢れている。
ためしに目次をぱらぱらと眺めてみるといい。
- 「耐える」だけが精神力ではない
- 逃げるときはもの惜しみしない
- 道草によって「道」の味がわかる
- 「幸福」になるために断念が必要である
ざっと挙げただけでも、これらは、生活に追われる僕たちが忘れてしまっていることだと思う。
- 「苦しみに耐えなくちゃいけない」
- 「逃げることは格好悪い」
- 「回り道することは無駄だ」
- 「あれも欲しいこれも欲しい」
こうした価値観に、心がへとへとになっている人というのは、きっと多い。
そんな人たちに、本書『こころの処方箋』は、
あせらなくたっていいんだよ
と、そっと寄り添ってくれると思う。
ここに書かれた言葉は、どこまでも「常識」的で「当たり前」のことかもしれない。
だけど、僕たちはその「あたりまえ」のことを忘れてしまっている。
「息を吸う」なんて生き物として当たり前のことだけれど、現代人は息継ぎもできずにアップアップしている。
そんな息の仕方を忘れてしまった人たちに、もう一度、息の仕方を思い出させてくれる。
それが河合隼雄のつむぐ言葉なのだ。
河合隼雄のおすすめ本
子どもの宇宙 (岩波新書)
1987年に出版された本書だけれど、その内容は現代にこそ通じる部分だともう。
ひとりひとりの子どもの内面に広大な宇宙が存在することを、大人はつい忘れがちである。
臨床心理学者として長年心の問題に携わってきた河合隼雄が、登校拒否・家出など具体的な症例や児童文学を手がかりに、豊かな可能性にみちた子どもの心の世界に迫っていく。
特に、子育て真っ最中の親には、胸に刺さる内容だと思う。
子どもの心に寄り添う感動の一冊。
生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
悲しみに満ちた人生を生きていくためには物語が必要だ。
これは、臨床心理士として、河合隼雄が得た結論だ。
悲しみを物語にすることで人はそれらを受け入れ、悲しみとともに生きていける。
本書には、人が「悲しみ」を抱えながら生きていくために必要なことが書かれている。
生活の中で、こころをヘトヘトにしている人に、そっと寄り添ってくれる優しい1冊。
無意識の構造 (中公新書)
僕たちは何かの行為をしたあとで
「自分でもわからないけど、なぜかそうしつぃまった」
と感じることがある。
そこには“無意識”の領域が大きく影響している。
無意識という世界とは何なのか。
ユング派の心理療法家として知られる河合隼雄が、種々の症例や夢の具体例を取り上げながらこの不思議な心の深層を解明していく。
この一冊で、フロイトやユングについてある程度まとまった理解が得られる。
心理学や精神分析学に興味がある方にはオススメの1冊。
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