はじめに「舞姫のむずかしさ」
森鴎外の代表作『舞姫』
この作品は、日本近代文学における「記念碑」的作品と言われていて、この作品が日本文学にもたらした意義というのはとても大きい。
……とはいえ、である。
とはいえ、この作品にもしも「現代的な難点」があるとすれば、それはきっと「恐ろしく読みにくい」という点だといえるだろう。
舞姫で採用されている文体は「雅文体」と呼ばれている。
雅文体とは、和文と漢文をないまぜにし、そこにヨーロッパ風の理知的で論理的な要素を加えた、当時としても珍しい文体である。
たとえば、作品はこんな風に始まる。
石炭をばはや積み果てつ。
いや、むりむりむりー!
と多くの人が感じるに違いない。
だってコレ、まるで古文ではないか。
実際、僕自身、高校生のころに現代文で舞姫を読んだクチなのだが、冒頭を読んだ時の感想も、
「古文じゃないの?」
コレだった。
だから、この作品を敬遠する人というのも、きっと大いに違いない。
だけど、それはあまりにもったいない。
きちんと物語を読み解くことができれば、きっと、舞姫という作品に魅せられると思うのだ。
そもそも、森鴎外がこの作品で伝えたかったことは何なのか。
この記事では、舞姫の内容を解説しつつ、森鴎外が伝えようとしていることについても考えてみたい。
これから舞姫を読もうとする人も、いままさに舞姫を読んでいる人も、記事を参考にしていただけると嬉しい。
それでは、最後までお付き合いください。
森鴎外が伝えたいこと
まず、さっそく結論から言いたい。
森鴎外がこの舞姫で伝えようとしていること、それは「近代的自我の挫折」である。
もう少し分かりやすく言葉にすれば、
「自分の理想を抱いたとしても、それを諦めざるを得ない人間の業」
といったところだ。
「自分らしく生きたい」
「自分の人生は自分で選びたい」
「人のことは気にせず、主体的に生きたい」
どんなにそう願ったとしても、人間はときに運命の前では無力で、それに流されてしまう存在だが、鴎外が言いたかったのは、まさにコレ。
「近代的自我」というのは「自分らしく生きたい」という思いのことをいう。
そして、舞姫では、その思いが見事に打ち砕かれてしまう。
では、舞姫とはどんなストーリーなのか。
以下でそれを詳しく見ていきたい。
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登場人物紹介
まずは、簡単に登場人物を紹介しておこう。
以下の相関図を参考に、人物関係も把握していただきたい。
太田豊太郎 …将来を期待されるエリートの官僚。国からの命令で、25歳の頃にベルリンへ留学する。エリスとの恋に落ち、同僚の中傷により免官となる。
エリス …ベルリンに住む踊り子の少女。貧しい暮らしに苦しむ中、豊太郎と出会い恋に落ちる。
相沢謙吉 …豊太郎の友人。天方伯爵の秘書官。免官された豊太郎を心配し、日本に帰国できるよう取り計らう。
天方伯爵 …豊太郎の能力を評価し、ともに日本へ帰国するよう誘う。
シャウムベルヒ …エリスが所属するヴィクトリア座の座長。エリスに売春を促す。
エリスの母 …父の葬儀費用を工面するため、エリスに売春を促す。
解説➀「変わり果てた豊太郎」
この舞姫は、いわゆる「額縁小説」の体裁をとっている。
額縁小説というのは、
「現在の視点 → 過去の回想 → 現在の視点」
という構成をとる小説で、小説家としては、とっても書きやすいオーソドックスなスタイルだ。
舞姫の冒頭は、ドイツから日本へ帰国する主人公「豊太郎」の現在の視点から始まる。
この時の彼を一言でいえば、
「ニルアドミラリイ(虚無・絶望)」である。
人知らぬ後悔にさいなまれ、やたらと過去を思い出し、そして強烈な罪悪感に苦しむ豊太郎。
その苦しみを豊太郎は
「内臓が1日に9回転するくらいの酷い苦しみ」
と表現している。
どうやらドイツで何かがあったらしいが、いったい、ドイツで何があったのだろう。
そのドイツでのあらましを、豊太郎はおもむろに手記にしたためていく。
『舞姫』という作品の中心は、この豊太郎の「過去の回想」なのである。
次に、その回想文について解説していこう。
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解説➁「豊太郎の生い立ち」
まず、豊太郎自身の生い立ちが記される。
まぁ、彼を一言でいえば、「天才エリート」といった人物で、彼は幼少から25歳までの間、華々しい経歴を歩んできた。
- 常に成績はトップ(17歳ころまで?)
- 東大法学部を首席で卒業(19歳ころ)
- 卒業後は官僚になる(20歳ころ)
- 国費留学を命じられる(23歳ころ)
一読して、そのエリートっぷりがわかると思うのだが19歳で大学卒業というのは異例のスピードだ。
実は、作者の森鴎外は12歳で東大の医学科に入学したという正真正銘の天才で、豊太郎の天才っぷりには、鴎外自身が投影されていると考えられる。
周囲からは「神童」扱いされて育ってきた豊太郎。
その天才っぷりはドイツでも遺憾なく発揮され、彼はたぐいまれな語学力をいかし、政治学や法学について学んでいった。
ベルリンのきらきらした風景や誘惑にも身目もくれず、ストイックに学び続ける豊太郎。
その禁欲ぶりは、同期の日本人留学生らは、
「付き合いのわりいやつだなあ」とか、
「いけすかない野郎だなあ」とか、
陰でコソコソと噂されるほど。
こんな風に、ドイツに来たばかりの豊太郎は、自らの才能をたよりに、周囲の誘惑にとらわれず、官長たちの期待にバシバシと応えっていくのだった。
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解説➂「近代的自我の目覚め」
留学から3年。
豊太郎の内面に、少しずつ変化が生まれてきた。
それは、
「俺の人生、本当にこれでいいのだろうか?」
といった問いとなって現れはじめる。
これが、悲劇への道のり第一歩になるのだが、そもそも、どうして豊太郎の内面に変化が生まれたのだろう。
それは、ベルリンの「自由」な空気に触れたからだった。
この辺りは、丁寧に説明が必要だろう。
まず、当時(明治)の日本といえば、まだまだ「封建制度」をずるずると引きずっていた。
要するに、「武士の子供は武士!」とか「農家の子供は農家!」とか、人々の人生は、生まれながらにして、その「家」によって決定されていた。
どんなに能力があっても、どんなに野心があっても、「家」のしきたりは絶対。
個人は「家」のために存在していて、個人の人生は「家」のためにささげなければならなかった。
ひるがえって、西欧諸国はどうだったか。
彼らには「自由」とか「平等」という概念があり、
「人間は自分自身の人生を、自分で切り開くことができる」
といった理念を強くもっていた。
こうした自由とか平等とかは、現代の日本人には当たり前に思われるかもしれないが、明治の日本人にとっては、まったく新しい世界観だった。
豊太郎はその世界観にふれたのだ。
「俺の人生は、俺が決めるんだ」
豊太郎のうちからは、こうした思いがフツフツと湧いて出てくる。
ヨーロッパ的な価値観を獲得し「主体的で自由な人生を送りたい」と願うこと。
このシーンは、一般的に「近代的自我の目覚め」と呼ばれている。
近代的な自我が芽生えた豊太郎にとって、これまでの自分の人生が、まったくの偽物だったような気さえしてきた。
家族の教えに従い、周囲の期待に応え、官長のよき部下になろうとした、かつての自分。
そうした自分を、豊太郎は「受動的・機械的な人物」だったと総括する。
そして、ついにこうした結論に至る。
「おれは、法律家になんて、なりたくない!!」
こうして、政治学や法学から離れていく豊太郎は、逆に文学や歴史学に接近していく。
政治学や法学というのは、いうなれば「世のため、人のため」の学問だ。
一方で、文学や歴史学というのは「人間って何だろう」を追求する学問だ。
つまり、豊太郎はここにきて、家族や国家のためではなく、自分自身のための学問を志し始めたわけだ。
作中における「独立の思想」という言葉に、豊太郎の、
「人のためじゃなく、自分のために生きていくんだ」
という思いが表れている。
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解説➃「エリスとの出会い」
ある日の夕暮れのこと。
豊太郎がベルリンの街を歩いていると、古い教会の前で泣く、16、7歳のドイツ人の少女を見つけた。
エリスという踊り子(舞姫)である。
豊太郎は彼女に近づくと、次のように声をかけた。
「どうしましたか? 私のような外国人になら、気兼ねなくお話できるでしょう?」
豊太郎の優しさに触れたエリスは、豊太郎につぎのことを説明した。
- 父が死んでしまったこと
- その葬儀の費用がないこと
- 費用工面のため、体を売らされそうなこと
- 母が自分の味方になってくれないこと
当時、ドイツでは踊り子の社会的地位は低く、薄給のため、売春婦に身を落としてしまうものは少なくなかった。
エリスもまたその例にもれず、貧しい生活を強いられ、いままさに、売春を迫られていたのだ。
彼女が教会の前で泣いていたのは、頼りにできる人が誰一人いない中、頼みの綱である「神」にすがろうとしたのだろう。
だが、その教会の扉は固く閉ざされたまま。
神にも見捨てられたも同然のエリスだったが、そこに現れた豊太郎は、まさにエリスにとっては「命の恩人」とでもいうべき存在だった。
もっとも、豊太郎のほうも、この瞬間、ほとんどエリスに一目ぼれ状態。
豊太郎はエリスにやさしく言う。
「そんなに泣いてはいけません。あなたの家に送ってあげましょう」
エリスを自宅に送り届けた豊太郎は、
「今はあいにく手持ちがないが、この時計を置いていきましょう。質屋にいれて、一時の急をしのいでください」
そういって、自分の時計と、住所と「太田豊太郎」の名をエリスに伝えるのだった。
つまり、豊太郎はエリスに自らの素性を明らかにしたのだ。
このとき豊太郎に下心があったかどうかはわからないが、こうして2人の交流がスタートし、その仲もどんどん深まっていく。
だが、悲劇は一歩、また一歩と、確実に豊太郎に忍び寄っていた。
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解説⑤「豊太郎の免官」
エリスとの交際が始まり、豊太郎は頻繁にエリスの劇場を出入りするようになった。
そんな豊太郎を見て、まるで鬼の首をとったように歓喜する連中がいた。
同期の留学生たちである。
彼らは、基本的に豊太郎のことをいけ好かなく思っていたので、豊太郎とドイツ人の踊り子の交際をしるや、それを官長に密告。
「太田のやつ、自分の職務も忘れて、踊り子なんかといかがわしい仲にあるようですぜ」
官長はただでさえ、文学なんかに現を抜かす豊太郎に不満を抱いていたこともあったので、そんな報告を受け、ついに豊太郎を免官。
ありていに言えば、豊太郎をクビにしたのである。
となると、もはや、豊太郎がドイツにいる必然性は全くないわけで、当然、豊太郎は帰国することを迫られる。
「もし、いますぐ日本に帰るっていうなら、旅費くらい出してやるけど、どうする?」
これは官長の、最後の情けだったといっていい。
しかし、このころの豊太郎は、すでにエリスとの関係を深めている。
即断できずにいる豊太郎に、官長は1週間の猶予を与えてくれた。
事件は、そうした矢先に起きた。
故郷で一人暮らす、母の死である。
解説⑥「故郷の母の急死」
帰国するか、ドイツにとどまるか。
この二者択一の状況下で、豊太郎は故郷からの2通の手紙を受け取った。
この2通は、同時に日本から出されたもので、1通は母親の自筆のもの、もう1通は親戚からのものだった。
しかも、この2つはどちらも、豊太郎の母の死を知らせるものだった。
と、このシーンに及んで、読書はきっとこう思うだろう。
え? 母の死? 急に?
そうなのだ、母の死はここにきて、あまりに唐突すぎる。
作中に母の病気を臭わせる記述は一切ないし、しかも、死因について豊太郎から一切語られない。
実は、この母の死因については諸説があって、その中でも僕は鴎外研修の第一人者、長谷川泉氏の「諫死説」を支持する。
諌死とは、「自らの死をもって忠告すること」を言う。
明治の日本といえば、まだまだ家父長制が色濃く、父親の権威は絶対だった。
そんな時代にあって、豊太郎の父は、豊太郎が幼いころに死んでいる。
となると、当然、豊太郎の母親には父親としての役目も課されることになる。
幼いころから「神童」と呼ばれた我が子の将来を、自分の手によって台無しにするわけにはいかない。
彼女にかけられた重圧は並みのものではなく、彼女は自分の人生をかけて豊太郎のエリート人生を守ってきたのだ。
それが、ここにきて、豊太郎の免官である。
当時、日本の官僚の免官は、官報によって大々的に国民に報じられたという。
「太田さん所の豊太郎さん、免官ですって、みっともないわねえ」
そんな世間からのバッシングをうけつつ、母親はなんとかして、我が子を再びエリートへと押し戻そうと考えた。
そうして出した答えが、自らの死をもって、豊太郎に訴えかけることだった。
「母は死をもってあなたに訴えます。どうか官僚としての道を再び歩まれますように」
母の手紙にそんなことが書かれていたのだろう。
そして、2通目の親戚の手紙は、すでに母がこの世にいないことを豊太郎の告げたのだろう。
豊太郎は、この2通の手紙を「我が生涯にて最も悲痛を覚えさせたる二通の書状」と述べている。
この母の死が、豊太郎を支配し、豊太郎を呪縛していったのは間違いない。
豊太郎が、作中で母の死を詳しく語らないのには、そうした理由があると考えられる。
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解説⑦「友人“相沢”の助け」
さて、改めて豊太郎の置かれた状況を整理しよう。
日本に帰国する → 官僚をクビになった不名誉を負っての帰国
ドイツに留まる → 無職のままエリスとの不透明な将来
こうしてみると、この二者択一はどっちにころんでも、豊太郎にとって苦しい結果となることがわかる。
ここで登場するのが、救世主「相沢健吉」である。
彼は豊太郎の友人で、天方伯の秘書官を務める敏腕エリートだ。
相沢が豊太郎に差し伸べた救いの手、その第一弾は、
「豊太郎にベルリンで報道員の仕事を与えること」である。
これによって、豊太郎はとりあえず、生活をしのげる金を手にできたし、しかも不名誉の帰国を避けることができた。
さらに、相沢が豊太郎に救いの手を差し伸べる。
その第二弾は、
「豊太郎と天方伯を面会させること」である。
これによって、あわよくば、豊太郎が天方伯の信頼を獲得し、官僚として返り咲き、帰国するチャンスを手にすることができるかもしれない。
ある日、相沢はベルリンにやってきて、
「天方伯がお前に会いたがっているぞ」
そういって豊太郎を天方伯の元に呼び出した。
ここで豊太郎は天方伯から「翻訳」の仕事を得るわけなのだが、この場面を読むと、そこはかとない違和感を抱く。
その違和感とは、天方伯が、あまりに淡泊だということだ。
相沢は「天方伯がお前に会いたがっている」そう言ってたが、その割に、豊太郎に会った時の天方伯の反応はほとんどなく、
「じゃ、翻訳よろしく~」
くらいのもんなのだ。
間違いなく相沢は陰で暗躍し、なんとか豊太郎と天方伯が合う機会を繕ってくれたのだ。
友人とはいえ、相沢にとって豊太郎は、結局は他人。
嫉み妬まれ、食ったり食われたりのエリートの世界で、ここまでしてくれる相沢は、控えめにいって神レベルのいい奴だといっていいだろう。
そんな相沢が豊太郎にした忠告は2点。
1つは、「能力を発揮し、天方伯の信頼を回復すること」であり、そしてもう1つが、
「エリスとの関係をすっぱりと断つこと」だった。
そして豊太郎は、流されるように、
「エリスとの関係を断とう」
と、約束をしてしまうのだった。
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解説⑧「突きつけられた“究極の2択”」
天方伯からの翻訳をそつなくこなし、着々と信頼を勝ち取っていく豊太郎は、天方伯に同行しロシアへと赴く。
豊太郎はここで、持ち前の語学力を存分に発揮し、八面六臂の大活躍をするのだが、この経験は彼に忘れかけた官僚としてのプライドや達成感、充実感、満足感を思い出させるものとなった。
だから、豊太郎はロシアにいるひと時の間、ドイツにいるエリスのことを忘れることができた……かといえば、決してそうではなかった。
忘れさせてもらえなかった、といったほうが正しいかもしれない。
なぜなら、毎日のように、エリスから「重たい」手紙がロシアの豊太郎のもとに届けられたからである。
はじめのうちは、「今日はお友達のおうちにでかけたの」みたいな、世間話的な内容だった手紙は、日を追うごとに切実さを増していき、ついにある日、とてつもない手紙が届いた。
それは、こんな書き出しで始まっていた。
「いやよ! 捨てないで! 私はあなたのことを心から愛してるの!」
のっけから切羽詰まったエリスの手紙には、その後、豊太郎を追い詰める様々なことが書かれていた。
特筆すべきは、エリスのこの決意、
「豊太郎が帰国することになれば、自分も日本にいく覚悟がある」
実は、このころ、エリスのお腹には豊太郎との子供がいて、しかも、踊り子もクビになり一切の収入を断たれた状態だった。
エリスが豊太郎にしがみつき、「どうか自分をすてないで」と思うのは無理からぬことなのだ。
とはいえ、豊太郎は、すでに「エリスとの関係を断ちます」と相沢に約束してしまった。
当然、相沢だって、その旨を天方伯に伝えているだろう。
豊太郎がめでたく日本に帰ることができたとしても、エリスを連れて帰ることなどできっこない状況なのだ。
つまり、ここにきて、豊太郎は次の究極の二択を迫られているのだ。
「天方伯の信頼を獲得し、官僚として日本に帰国する」か「エリスへの恋を取り、ドイツにとどまり貧しい生活を送る」
もう、ほとんど豊太郎が前者に傾いていることくらい、誰が読んだって明らかなのだが、なかなかエリスに切り出すことができない。
この最後まで優柔不断豊太郎の心が、クライマックスで悲劇を生むのである。
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解説⑨「エリスの発狂」
そして、その日はやってきた。
ある日の夕方、豊太郎は天方伯に呼び出された。
まずはロシアでの活躍を慰労した天方伯だったが、ついに豊太郎にこう提案した。
「私と一緒に日本へ帰らないか?」
豊太郎にとって、まちがいなくこれは最後のチャンスだった。
もしも、この提案に乗らなければ、天方伯の信頼を裏切ることになる。
いや、それだけじゃない。
官僚に復帰することはもうできないし、キラキラした表舞台にはもう戻れない。
日本に帰国することもできなくなるし、なによりも、死をもって訴えかけてきた母の言葉に背くことにもなる。
あらゆるものが豊太郎の心に迫り、ついに豊太郎は、天方伯の提案を飲むのだった。
だけど、次に襲ってくるのは、「自分はエリスを裏切ってしまった」という罪悪感だ。
「あぁ、自分はエリスに何と言おう」
考えても考えても答えはでない問いにさいなまれ、彼はまるで屍のように、雪の降りしきるベルリンをさまよい続けた。
そして夜も更け切った深夜に、ようやくエリスの家にたどり着いた豊太郎。
満身創痍の豊太郎は、そのまま意識を失い、目覚めたのは、なんとそれから数週間後のことだった。
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解説⑩「真実を知るエリス」
数週間のち、目が覚めた豊太郎の前には、変わり果てたエリスの姿があった。
まるで別人のようにやせこけ、血走った眼もとはくぼみ、血色をうしなった頬は落ち、そして、まるで赤子のように、精神の働きは全く失われているようだった。
豊太郎が意識を失っている数週間の間に、豊太郎を見舞いに来た相沢は、そこでエリスにすべてを伝えてしまった。
- 豊太郎がエリスとの関係を断つと約束したこと
- エリスをドイツに残し、天方伯と帰国すること
これらを聞いた瞬間、エリスは、
「豊太郎、いままで私をだましていたのね!」
そう叫び、そのまま倒れ、そのまま廃人となってしまったのだった。
病名はパラノイア。
今後、治癒の見込みは皆無だという。
精神が錯乱した彼女は、豊太郎を罵倒し、髪をかきむしり、布団をかみ、手あたり次第のものを投げつけ、まったく手が付けられない。
しかし、時折、生まれてくるために作った赤ん坊のおむつを手にしては涙をながしたり、豊太郎の看病のために薬を求めたりすることがあった。
壊れ果てたエリスの心に、いまだ豊太郎と赤ん坊への思いが残っているのだ。
だが、もはやそれは決してかなわぬ思い。
相沢と豊太郎は、エリスの母にいくばくかの生活費を与え、エリスと生まれてくる赤ん坊のことを託し、ドイツを去るのだった。
以上が、舞姫という物語の全貌である。
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まとめ「何も決められなかった豊太郎」
さて、すこし難しい話をするが、『舞姫』は「近代的自我」という概念を、初めて小説に盛り込んだ記念碑的な作品と言われている。
「近代的自我」というのは、簡単に「個人の思い」とか「個人の理想」なんかと言い換えてもいい。
とかく、「個人の思い」とか「個人の理想」というものは、「世間」とか「社会」とか「国家」に反するものである。
「個人の思い」をとるか「国家の繁栄」をとるか
『舞姫』に描かれているのは、その葛藤である。
豊太郎は、両者のうち、どちらをとるべきなのだろう……
実は、鴎外は、そこに答えを出してはいない。
なぜなら、豊太郎は、大事な場面で倒れ意識不明となってしまうからだ。
彼が倒れている内に、友人の「相沢」が勝手にカタをつけてしまった。
つまり、豊太郎自身、自らの主体性で、エリスとの関係に決着をつけたわけではないのだ。
豊太郎は、「エリス」と「国家」の狭間で苦しみつつ、最後の最後で、その決断を下すことができなかった。
国家の思惑とか、友人の即断とか、とにかくその時の「なりゆき」と言おうか、「運命」と言おうか、そういう「自分の意志」と無関係なものに、ただ流されるだけだったのだ。
豊太郎は「エリス」を「守る」ことも「捨てる」こともできなかった。
ここに『舞姫』の評価としてよく語れる、
「近代的自我の『目覚め』と『挫折』」
があるといえる。
ちなみに、鴎外自身は「意識不明」になってもいないし、相手の女性も「発狂」していない。
では、鷗外はなぜ、豊太郎を「意識不明」にさせ、エリスを「発狂」させたのだろう。
そこには、鷗外のある思いが表れていると思われる。
鷗外の思い、それは、
「運命に対する諦め」と「恋人に対する贖罪」だろう。
「国家」や「家」のために生きていくしかないという諦観。
そのために裏切ってしまった女性に対する罪悪感。
鴎外の胸中には、そんな思いがあったはず。
『舞姫』には、ドイツから帰国した際の、鷗外の本心が描かれているのだろう。
以上で、舞姫の解説記事はおしまいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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コメント
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