はじめに
「志賀直哉」といえば、知る人ぞ知る「文豪」だ。
文学好きの間でもコアなファンが多く、「玄人受け」する作家といっていい。
実際、志賀の作品や作風を評価している「文豪」は多い。
たとえば、以下の作家らが、志賀直哉を高く評価している。
- 谷崎潤一郎「文章には芸術的な手腕がある」
- 三島由紀夫「自然描写は世界に卓越している」
- 芥川龍之介「あんな文章、私にはかけない」
- 大岡昇平「彼の作品は近代文学の最高峰だ」
- 小林秀雄「彼の作品は確かな知恵で描かれている」
こんな感じで、志賀直哉を評価する「玄人」たちは昔から多いのだ。
そして、志賀は彼らの「カリスマ」的存在となり、いつしかこう呼ばれるようになる。
小説の神様
さて、この記事では、そんな志賀直哉の代表作『城の崎にて』の解説と考察を行っていく。
また、記事の終わりで「志賀文学」のオススメ作品や、安く効率よく近代文学を読む方法なんかも紹介しているので、ぜひ参考にしていただきたい。
作者「志賀直哉」について
1883年(明治16)年、宮城県石巻市の有名な実業家の一族に生まれた志賀直哉。
彼の人生を語るうえで重要の人物がいる。
後に志賀は「自分に最も大きな影響を与えた3人」として、次の人物を上げている。
- 祖父の志賀直治
- 師匠の内村鑑三
- 友人の武者小路実篤
志賀は2歳の頃、一家で上京。
彼は祖父母宅で育てられることになる。
祖父は幼い志賀を溺愛、志賀もまた祖父によくなついた。
この幼少期における「祖父との愛着」は、結果的に「父親との不和」を生み出す大きな要因となってしまう。
父親との関係は、若い志賀をいたく煩悶させ、彼の文学の“源泉”となったと言われている。
また、志賀は17歳のころ「内村鑑三」に出会った。
内村は明治を代表するキリスト教思想家であり、文学者でもある。
内村に魅せられた志賀は、以降7年間に渡って彼の自宅に通う。
ここで志賀が内村から学んだもの、それは、
「正義を尊ぶこと」と「不正を憎むこと」である。
この「潔癖な倫理観」があったからこそ、志賀は後に生涯の友を得ることとなる。
その友こそ「武者小路実篤」だった。
2人の出会いは、志賀が19歳のとき。
武者小路もまた志賀と同じく、正義を尊び不正を憎む「潔癖な倫理観」を持っていた。
だから2人はすぐに意気投合。
自分たちの関係に「友だち耽溺」という、ちょっとアレなネーミングをつけ、文学を熱く語っていく。
そして、志賀が23歳の年に2人は東京帝国大学へ進学。
4年後、27歳の年、2人は文芸誌「白樺」を創刊、作家デビューを果たすこととなった。
こんな風に、作家「志賀直哉」の誕生の背景には「祖父、西村鑑三、武者小路実篤」という3人がいた。
ちなみに、志賀直哉の文学的立場は、
「反自然主義」の「白樺派」と呼ばれている。
これを簡単に説明すると、
「反自然主義」 …自然主義のアンチ的立場 「白樺派」 …人間を尊ぶ“人道主義”を掲げる立場 ※名前は文芸誌『白樺』に由来
ということになる。
なお、志賀直哉についてはこちらの記事【 小説の神様「志賀直哉」人物・人生の解説―反自然主義・白樺派とはー 】で詳しく紹介しているので、もっと知りたいという方はぜひ参考にしてほしい。
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作品『城の崎にて』の概要
『城の崎にて』は志賀直哉の中期の作品と位置づけられている。
たぶん、多くの人が高校時代の「現代文」で勉強して、内容もぼんやりと覚えているかもしれない。
この作品は志賀直哉の体験をもとに、ほぼ「ありのまま」描いた作品だ。
その体験というのは、こんな感じ。
あるとき、友人の里美弴と相撲を見に行った。 その帰り道、2人が山手線の線路脇を歩いていたところ(なんでそんなトコ歩くの?)、志賀だけが山手線に跳ね飛ばされてしまった。 これがどれだけの事故だったかといえば、普通だったら死んでもおかしくない大事故だった。 まず、列車に跳ねられた志賀は、4メートル以上ふっとばされた。 そして、背骨をひどく打ち、頭も石に打ちつけ、その切り口はザクロのように口を開き、そこから頭蓋骨が見えるほどだった。 ちなみに、あと少し遠くに吹っ飛ばされていたら鉄橋から転落していたらしく、あと少し飛んだ方向が違えば鉄柵に串刺しになっていたらしい。 文字通り「九死に一生」を得た志賀だったが、だからこそ、この事故は志賀に「死」と「生」をつよく意識させることになった。 医者から「もしも背中の傷が合併症を起こせば、あなた死にますよ」と言われたため、転地療養のために城の崎へ赴くことになる。
これが志賀の実際の「体験」である。
彼は「城の崎」での3週間、自らの「生」と「死」についての思念を深めていく。
そして、それを「ありのまま」一編の短編に描いた。
それが『城の崎にて』だ。
この作品には、志賀直哉の「心境」がありのまま書かれており、「心境小説」と呼ばれている。
では、志賀は『城の崎にて』で、一体どんな「心境」を綴ったのだろう。
以下、城崎における志賀の「心境」について解説・考察をしていく。
項目は大きく次の4つ。
- 電車事故について
- 蜂の死について
- ねずみの死について
- いもりの死について
では一つずつ説明していこう。
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考察①「電車事故」について
すでに述べた通り、『城の埼にて』は志賀直哉自身の体験と心境を「ありのまま」に描いたものだ。
だから語り手の「自分」=「志賀本人」と考えて差し支えない。
「自分」が城崎に来た理由については、作品の冒頭でこう語られる。
山の手線の電車に跳ね飛ばされてけがをした。その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんなことはあるまいと医者に言われた。
電車に4メートルも跳ね飛ばされながら「九死に一生」を得た彼だったが、医者から「傷がもとで脊椎カリエスになったら、あなた死にますよ」と、かるく脅かされる。
「脊椎カリエス」というのは、結核性の病気。
当時としては不治の病だ。
だから「念のため」城崎で穏やかな生活を送ろうと、彼は考えたわけだ。
まだまだ頭はぼんやりしている彼。
1人きりで話し相手もない。
一日中ぼんやり過ごす中で、考えるのはやはり「けが」のことだった。
自分はよくけがのことを考えた。一つ間違えば今ごろ青山の土の下にあお向けになって寝ているところだったなどと思う。
青山ってのは「青山墓地」のことなので、要するに、
「ひょっとしたら今頃、お墓の中だったのかもなあ、おれ」
と考えているわけだ。
けがのことを考えている彼は、次第に「死」について考え始める。
いつかはそうなる(死ぬ)。それがいつか?――今まではそんなことを思って、その「いつか」を知らず知らず遠い先のことにしていた。
これまで
「俺もまあ、いつかは死ぬんだよな」
くらいにしか考えていなかった彼。
だけど実際に「九死に一生」を経験して
「いつ死んでもおかしくないんだよな」
と、自分が死ぬという実感が、グッと強まっていく。
「死」に関する彼の思念は、次のように説明されている。
寂しい考えだった。しかしそれには静かな良い気持ちがある。
「死 = 寂しい」は、常識としてまあ分かる。
だけど「死 = 良い気持ち」とは、いったいどういうことだろう。
実は彼はこのとき、死の「静けさ」というものに、言いようのない親しみを感じている。
だけど、その「親しみ」は、まだまだ淡い感情に過ぎない。
ところが、その「親しみ」を強めるものに彼は出会うことになる。
それが「蜂の死」だった。
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考察②「蜂の死」について
ところで、『城の崎にて』には、3つの死が登場する。
- 蜂の死
- ねずみの死
- やもりの死
である。
語り手の「自分」は、それらの死に直面する中で、「死とは何か」という思念を深めていく。
その一つ目の死が「蜂の死」だった。
ある朝のこと、「自分」は玄関の屋根で死んでいる蜂を見つける。
その死骸の周りでは、他の蜂がせわしなく働いていた。
この場面には、興味深い二つの対照が見て取れる。それは、
「死んでいる蜂」と「生きている蜂」の対照だ。
たとえば、「生きてる蜂」はこんな風に書かれる。
忙しく立ち働いている蜂はいかにも生きているものという感じを与えた。
一方で、「死んでいる蜂」はこんな風に書かれる。
見るたびに一つ所に全く動かずにうつ向きに転がっているのを見ると、それがまたいかにも死んだものという感じを与えるのだ。
では、この対照を通して「自分」が感じてることとは何だろう。
それは「死の静けさ」というものである。
ここではそれが、繰り返し、しつこく、入念に書き込まれている。
それ(死んだ蜂)は、三日ほどそのままになっていた。それは見ていて、いかにも静かな感じを与えた。寂しかった。
ほかの蜂がみんな巣へはいってしまった日暮れ、冷たい瓦の上に一つ残った死骸をみることは寂しかった。しかし、それはいかにも静かだった。
それはいかにも静かであった。せわしくせわしく働いてばかりいた蜂が全く動かなくなったのだから静かである。
そして「自分」は、その「静かさ」に親しみを感じている。
妙に自分の心は静まってしまった。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。
この「死への親しみ」の正体とは何だろう。
たとえば、これを読んでいるあなたにも、
生きることは苦しい。
生きることはせわしない。
そんな風に感じたことはないだろうか。
毎日毎日あくせくと働き、金を稼いで飯を食う。
社会や世間に値踏みされ「有能なものになれ」と競わされる。
特に現代を生きる僕たちは、とにかくいつも何かに追われるようにして生きている。
世間の枠組みに自分を押し込め、自分自身を偽りながら生きなければならない。
そこには生きる「苦しみ」というものがある。
もう、いっそうのこと楽になりたい。
いっそうのこと、消えてしまいたい。
たとえば、そんな風に思ってしまった時、「死」というのは魅力的に見えてしまうものなのかもしれない。
「生きるってめんどくせえな」
そう感じることって、日常の中で、別に特別なことではないと思うのだ。
「生きることの忙しさ」を強く感じてしまう人は、「死の静けさ」に「親しみ」を覚える。
語り手の「自分」が感じる「死への親しみ」とは、まさしくそんな「死の静けさ」に対する憧れに近い感情なのだ。
いま、彼の目の前には「死んだ蜂」が横たわっている。
その周囲を「生きている蜂」が忙しく働いている。
そのコントラストで際立つものこそ「死の静けさ」であり、それは彼の心に「死への親しみ」を湧き起こさせる。
ところが、死とはそんな単純なものではない。
単なる「静かなもの」なわけはなく、違った側面があるのだ。
その側面を彼にまざまざと見せつけてくるもの、それが「ねずみの死」なのである。
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考察③「ねずみの死」について
蜂の死骸が雨に流されてから間もなくの、ある朝のこと。
円山川にかかる橋やら岸やらに人だかりがあった。
彼らの視線の先にあったのは、川の中を泳ぐ一匹のねずみの姿。
ねずみの体には魚串が貫通している。
さらに、2,3人の子供と、いい年こいたオッサン1人が、ねずみに向かって石を投げつけている。
それを見て大声で笑う見物人たち。
素っ頓狂な顔の無関心なアヒル。
ただねずみ一匹だけが、何とか生き延びようと懸命に泳ぎ続けている。
「自分」それを見て「寂しい嫌な気持ち」になる。
自分はねずみの最期を見る気がしなかった。ねずみが殺されまいと、死ぬに決まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ待っている様子が妙に頭に付いた。自分は寂しい嫌な気持ちになった。あれが本当なのだと思った。
「あれ」とは一体なんなのだろう。
それは大きく二つ、
- 生き物の死の直前には、必ず苦しみがあること
- 生き物は、死からなんとか逃れようとすること
である。
自分が願っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ。
死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。
そんなふうに彼は思う。
ここで不謹慎な話だが、事故にせよ、病気にせよ、人間の断末魔には必ず「苦しみ」が介在する。
そして、その「苦しみ」とは、たった一人で引き受けなければならない「苦しみ」である。
ねずみの場面における「大笑いする群衆」と「無関心なアヒル」というのは、とても暗示的だ。
ねずみがどんなに苦しくて、どんなに懸命にもがいていても、その切実さは「ねずみ以外」の誰にも分からない。
「苦しみ」を面白おかしく笑う者。
「苦しみ」に全くの無関心でいる者。
そんな中で、死にゆくものは、たった一人で死んでゆかなければならないのだ。
人間の根源的な苦しみというのは、たった一人で苦しみ、たった一人で死んでいかねばならないことなのだと僕は思う。
ねずみの「死」が「自分」に教えたもの。
それは、人間の死に伴う「苦しみと孤独」である。
そして、どんなに「死」を願っても、結局は生きようともがいてしまう「生き物の本能」である。
「自分」は山の手線にはねられた日のことを振り返り、こう考える。
「電車にはねられたとき、俺だって何とか生きのびようとしたじゃないか」
「無意識ながら、手術の段取りを確認し、行先の病院まで指示したじゃないか」
「医者から『死なない』と言われて、思いのほか元気づいたじゃないか」
……じゃあ、もし、今「あなた死にますよ」と宣告されたら、自分はどう感じるだろう。
電車事故の件を回想し内省的になった彼は、こう結論付ける。
あまり(事故の時と)変わらない自分であろう
つまり、
事故の時と同様、自分はきっと「なんとかして生きたい」と願うのではないか
彼はそう結論付けているわけだ。
どんなに「死」にあこがれを抱いても……
どんなに「静けさ」を願っても……
自分が「生き物」である以上は、死の直前は苦しまなければならないし、本能レベルで「生きよう」ともがいてしまう。
彼はねずみから、そんな「生き物の悲しい運命」を、まざまざと見せつけられてしまったのだった。
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考察④「いもりの死」について
蜂の死を見て、「死の静けさ」を知った。
ねずみの死を見て、「死の前の苦しみ」を知った。
そんな彼に訪れたもう一つの死。
それが「いもり」の死だった。
ある夕方のこと。
彼が小川に沿って歩いていると、石の上に一匹のいもりがいるのに気付いた。
別に好きでもないし、嫌いでもない。
いもりは彼にとって、正直「どうでもいい」存在だ。
だから、イモリに向かって石を投げたのだって、別にたいした意味なんてなかった。
ただちょっと、驚かして、水へ入れようと思ったまでだ。
だけど、石は、いもりに当たってしまい、いもりは死んでしまう。
このときの感じを、彼はこう言っている。
自分はとんだことをしたと思った。虫を殺すことをよくする自分であるが、その気が全くないのに殺してしまったのは自分に妙な嫌な気をさした。もとより自分のしたことではあったがいかにも偶然だった。いもりにとって全く不意な死であった。
殺そうだなんて思っていなかった。
「偶然」とは、そんな彼の思いを表してもいる。
だから、彼は「偶然」死んでしまったイモリを可愛そうに思うのだが、このとき不意に「生き物の寂しさ」を感じる。
では、彼のいう「生き物の寂しさ」とは一体何だろう。
それについて、彼はこう説明している。
かわいそうに思うと同時に、生き物の寂しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。
山の手線にはねられて4メートルも吹っ飛ばされ、飛んだ距離や方向が少しでも違えば、今頃は死んでいたであろう「自分」
一方で、たまたまその石の上にいて、たまたま「自分」が放った石が、たまたま当たってしまったゆえ、たまたま死んでしまった「いもり」
死んでも不思議じゃなかったのに、生きている「自分」
死ぬはずなんてなかったのに、死んでしまった「いもり」
両者を隔てているものとは、いったい何なのだろう。
生と死を分ける要因とは、いったい何なのだろう。
事件、事故、災害……
世の中にはたくさんの悲しい出来事がある。
そこにはいつだって、「生き残ったもの」と「死んでしまったもの」という、残酷なまでの明暗がある。
なぜ自分は生き残ったのか。
なぜ彼は死んでしまったのか。
たとえば、そこに何かしらの「必然」を見つけることはできるかもしれない。
だけど、あえてその必然を否定してみたとしたら。
そこにあるのはたった一つだけ。
それは「偶然による支配」である。
生き物の「生と死」は、常に「偶然」によって支配されている……
「いもり」の死が、「自分」に教えたことはそれだった。
あの「蜂」もあの「ねずみ」も、そしてこの「いもり」も。
結局のところ、みな「偶然」によって死んでしまったのだ。
そして、自分はといえば、「偶然」生き延びて、今こうして歩いている。
彼は「自分が偶然生きていること」と感じるや、こんなことを思う。
それに対して、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧き上がってはこなかった。
それはなぜか。
それは、今、彼の内から「生きている」リアリティが失われつつあるからだ。
生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。
そう感じる彼にとって、世界はいっそう頼りなく、不確かなものになっていく。
もうかなり暗かった。視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、いかにも不確かだった。ただ頭だけが勝手に働く。それがいっそうそういう(生と死に差はないのだという)気分に自分を誘っていた。
結局、彼は城崎には3週間いたという。
それから、3年以上たったが、脊椎カリエスにはならなかった。
このとき、彼に「喜び」や「感謝」の念はあっただろうか。
『城の崎にて』が発表されたときの志賀直哉は34歳。
その後50年以上生きのびた彼は、88歳で肺炎によりこの世を去った。
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まとめ「死」の3つ側面
以上が『城の崎にて』に描かれた、志賀直哉の「心境」だ。
山の手線事故を経て、「死」についてセンシティブになった「自分」の前に現れた3つの死。
それらは、死についての3つの側面を彼に教えるものだった。
蜂の死 …死後の静けさ ねずみの死 …死の直前の苦しみ いもりの死 …死の偶然性
「死」とは文学における最大のテーマだ。
僕はこれまで沢山の文学に触れる中で、「死」をテーマにした沢山の作品を読んできた。
だけど、ここまで鋭く、かつ端的に「死の諸相」を描いた作品は、『城の崎にて』のほかに知らない。
それくらい『城の崎にて』から受けた衝撃は大きかった。
もちろん、「無駄のない文体」というのも、『城の崎にて』の大きな魅力だろう。
だけど僕は、志賀直哉の「透徹した分析眼」こそ、瞠目すべき点だと思う。
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「志賀直哉」の代表作
最後に、志賀直哉の代表作品を2つ紹介したい。
『和解』
こちらも無駄のない簡潔な文体で、父と子の和解の顛末が描かれている。
前半では、父子の不和が描かれるのだけど、特に印象的な事件は「娘の死」にまつわる父の仕打ちだろう。
ここでの父の言動は到底許せるものではなく、読んでいて胸くそ悪い気持ちになるし、親子の不和はここで決定的なものになったかに見える。
ここからどのように「和解」が実現するのかは、読んで見てのお楽しみ。
『暗夜行路』
とにかく『暗夜行路』を評価する文豪は多い。
- 谷崎潤一郎「文章に芸術的な手腕がある」
- 三島由紀夫「自然描写は世界に卓越している」
- 芥川龍之介「あんな文章、私にはかけない」
- 大岡昇平「『暗夜行路』は近代文学の最高峰だ」
- 小林秀雄「『暗夜行路』は確かな知恵で描かれている」
実際に読んでみると、自然描写と内面描写がとにかく巧いし、物語としてもとても面白い。
志賀直哉の思想的な到達点とも言える本作品。
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