はじめに「一夫多妻は間違い?」
きっと多くの人が、学校の授業でこう習った。
「平安時代、貴族の結婚は一夫多妻制で、一人の男性には複数の妻がいました」
もしもあなたがアホな男子生徒だったなら、
「いいな~、俺も平安貴族みたいに沢山の女の子とつきあいてえよ~」
と、みっともない妄想を膨らましただろうし、もしもあなたが真面目な女子生徒だったなら、
「なんてこと! 当時の女性に人権はなかったの!?」
と、まっとうな疑問を抱き憤怒しただろう。
うん、どちらの感想もよく理解できる。
実際に、古典文学を読んでいると、男は複数の女との性的関係を楽しんでいたことが分かるし、一方の女は男からの不当な扱いに憤り苦悩していたことも分かる。
確かに、当時の結婚形態は「男性優位の一夫多妻制」だったといって良さそうだ。
だけど、ここに面白い書籍がある。
『源氏物語の結婚』(工藤重矩 著)
ここには、僕たちの常識を覆す画期的な論考が収められている。
工藤氏は言う。
平安時代の婚姻制度は一夫一妻制であった。(「はじめに」より)
これは一体どういうことなのだろう。
どうやら「平安時代の婚姻形態」について、僕たちは慎重に考えなければならないようだ。
ちなみ僕自信、これまで様々な古典文学に触れてきたが、工藤氏の「平安時代の結婚は一夫一妻制だった」とする主張に賛成の立場である。
それくらい、彼の主張は筋が通っていて、説得力がある。
この記事では、工藤重矩著『源氏物語の結婚』の主張をもとに、平安時代の結婚形態と特徴について分かりやすく解説をしていきたい。
その上で、『源氏物語』のヒロイン「紫の上」の立場が、どれだけ特殊なものだったかについて解説をしていく。
平安時代の風俗、古典文学、源氏物語に興味がある方には満足できる内容となっているので、お時間のある方は、ぜひ最後までお付き合いください。
平安時代は「一夫一妻制」だった
さて、もう一度、『源氏物語の結婚』における結論を確認しよう。
それは、
平安時代の婚姻制度は一夫一妻制だった
というものである。
ただし、急いで強調しておきたいのは、
「法的には一夫一妻制だったけれど、実態としては一夫多妻的だった」
ということだ。
ここでさっそく、平安時代の結婚について総括すれば次の通りになる。
つまり、男は複数の女と性的関係を持つのが一般的だったのだが、その女たちは「一人の正妻」と「複数の妾」に分けられるということだ。
では、正妻と妾との間に、どのような違いがあったのだろう。
それをまとめると次の通りになる。
平安時代の男女の営み、それをイメージするなら、僕たちが持っている「一夫多妻」のイメージで間違いはない。
男は複数の女と性的関係を持ち、不当な扱いをされた女は悲しみの涙を流す。
だけど、それは「男と正妻の関係」ではなく、「男と妾の関係」について当てはまることなのである。
なぜなら、正妻と妾とでは、法的な位置づけが全く違っていたからだ。
「男と妾の関係」には法的な根拠が全くなく、常に不安定なものだった。
だからこそ、妾は悲しみ苦悩する。
一方で「正妻」は法的に守られていて、立場的にも安定している。
結婚や離婚については法的な決まりがあり、それを破れば男も女も相応の罰を受けた。
また、結婚も離婚も必ず「家同士の同意」によって成り立つものであり、男の気持ちだけで一方的に決定できるものではなかった。
だからこそ、正妻は妾と違って、夫に対して強気に出ることもできたのである。
つまり、平安時代の「婚姻」とは「男と正妻の関係」を指すのであり、「男と妾の関係」は「婚姻」ということはできないのである。
以上が、「平安時代の結婚制度は一夫一妻制だった」という考え方の概略だ。
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結婚までのプロセス
ここでは、平安時代の男女が結婚に至るまでのプロセスについて整理しよう。
ただし、人によっては、正式プロセスをすっ飛ばして、強引に契ってしまうこともあったので、以下のものは「一般的なプロセス」だと考えていただきたい。
これだけじゃいまいちピンとこないと思うので、もう少し詳しく説明してみよう。
平安時代の男女の出会いは、基本的に「男の垣間見」や「噂話」から始まる。
たとえば男が旅先で、
「ん? この家から若い女の声がするぞ。ちょっとのぞき見してみよう・・・・・・おお、とっても美人じゃないか!」
といって目をつけたり、
「あそこの家に、身分が高く、教養があり、若い女の子がいるらしいぞ」
といった噂を聞きつけ、男が興味をもったりするのが、「恋」の始まりなのだ。
その後、男は自分の使者に、
「ちょっと、この和歌をあの子に届けてくれない?」
と渾身の和歌を託す。
これが「懸想文」ありていに言えば“ラブレター”である。
そのラブレターにお香をしみこませたり、素敵な草花を添えたりと、男は女の気を引こうとあれやこれやと趣向を懲らす。
というのも、この時点ではまだ主導権は女側にあり、男の和歌が気に入らなければ、
「ふん、センスも教養もない男ね」
と、和歌を無視することだって可能だからだ。
逆に、女が和歌に興味を持てば、ここから二人の関係が始まっていく。
まずは、女の親やお付きの女房が返歌を代筆・代作する。
女の直詠や直筆の和歌は、このタイミングでは送らない。
しばらくこうした和歌のやり取りが続き、その間に男の身分や評判など“身辺調査”が行われる。
男の身辺に問題なく、かつ女が、
「なんて誠実な方なの。この人となら結婚しても構わないわ」
と感じたら、とうとう直筆の和歌を男に送る。
これが「結婚OK」の意思表示となる。
その後は、いよいよ結婚に向けて、具体的な日取りを決めていく。
陰陽道(要するに風水)に従って選んだ「吉日」に、男は満を持して女宅を訪れる。
そして、ついに男女の関係となる。
同時にこの瞬間、恋愛の主導権は「男→女」へシフトする。
というのも、男はこの時初めて女の顔を直視することになるのだが、万が一、全然タイプじゃなかった場合、男はバックレることが可能だったからだ。
逆に、女の顔が、男のタイプ(あるいは許容範囲)であれば、男は帰宅後すぐに、
「昨晩はありがとう。幸せだったよ。もうすでに寂しい」
といった趣旨の和歌を女に送る。
これを「後朝の歌」(契った後の朝に読む歌)という。
その後、男は(初日を含め)三夜連続で女を訪れ、三夜連続で契る。
これが男の「結婚の意思表示」となる。
そして、三日目の夜に男女は一緒に餅を食うことになる。
これを「三日夜の餅」(三日目の夜に一緒に食う餅)という。
これで晴れて結婚成立である。
その後は、いまでいう所の披露宴である「露顕」を行い、女一家が男をもてなす。(妻は同席しない)
「ようこそ我が家へ!」
そんな歓迎の気持ちが男に伝えられる。
こうして、男は女一家の一員となり、女一家が男を経済的に支えていくことになる。
(これが「婿取り婚」と言われる理由である。基本的に男は妻の家に住むことになるが姓は変えない。現代の“婿”とは若干異なる)
以上が、平安時代の結婚のプロセスである。
そして、改めて強調しておきたいことがある。
それは、このプロセスはあくまで「妻」になるためのものであり、「妾」にはこのプロセスがない
ということだ。
「正妻」が正式なプロセスを経て、男一家との強い結びつきを得られるのに対して、「妾」は正式なプロセスも経なければ、男一家との強い結びつきも得られないのだ。
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平安時代の結婚のルール
では、平安時代の結婚について、法的にはどんな取り決めがあったのだろう。
それを大まかにまとめると、次の通り。
ここで特に注目したいのが、3の「重婚の禁止」で、つまり、ここで「一夫多妻制」は明確に否定されていることが分かる。
それだけではなく、2のように結婚には家族の承諾が必要だったり、8のように離婚にも家族の承諾が必要だったりと、結婚にも離婚にもそれなりの制約や手続きがあったことも窺える。
そう考えると、平安時代と現代の結婚形態にはさほど違いは無かったのだろうか。
もちろん、そんなことは全くない。
それが最も露骨に表れているのは、「離婚」に関する男性優位の取り決めである。
こうしてみると、一目瞭然、正妻とはいえ、いかに女の立場が弱かったかが分かる。
ここまで読んでくれた方は分かると思うが、平安時代において「恋愛」のフェイズでは女に主導権があるが、それが「結婚」のフェイズでは男に主導権があるのである。
さらにそれが「妻」ではなく、「妾」になれば、女の立場はなおさら悪くなる。
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「女の立場」と「物語」の関係
ここまで、平安時代の結婚形態と特徴について解説をした。
それをザックリとまとめると次の通りになる。
さて、以上を踏まえ、ここでは古典文学に登場する女性の立場について考えてみたい。
まず、『源氏物語の結婚』によれば、物語のタイプは「ヒロインが正妻の娘」か「ヒロインが妾の娘」かで、大きく違ってくるという。
結論をまとめると、次の通りになる。
これはとても納得できる説明だと思う。
古典の物語に登場する多くの女性が「妾」である理由は、まさにここにある。
つまり、妻に比べて妾は、社会的な立場も弱く、男に冷遇されることになるため、悲しみや苦しみを抱きがちになる。
登場人物の悲しみや苦しみは、物語に起伏を与えるし、ドラマチックな展開になりやすいし、何よりも読者からの共感を得やすい。
ということで、物語のヒロインの多くが、不遇な人生を送る運命にある。
だけど、中には例外的な女性もいる。
妾であるにもかかわらず、男性からこの上なく寵愛され、最後は社会的な栄誉もばっちりと獲得したという、そんなスゴい女性である。
それが『源氏物語』のヒロイン、「紫の上」だ。
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「紫の上」と「結婚」
『源氏物語の結婚』では、『源氏物語』を次のような物語と解釈している。
源氏の愛に守られて、親の庇護もなく、正妻でもなく、子も産まなかった紫の上が、ついには正妻に等しい社会的待遇と幸福をつかむに至る物語(本書「はじめに」より)
こうして読んでも、紫の上がいかに社会的なビハインドを持っていたかが分かると思う。
紫の上の父は、皇族であり、かなり身分が高い男性である。
が、彼には別に正妻がいて、紫の上は妾の子(非嫡子)だった。
しかも、母は紫の上が幼い頃にすでに亡くなっている。
そんな中、源氏の君に引き取られた紫の上だったが、こんな境遇なので、もちろん正式な結婚などできるはずもない。
源氏の君との間に子どもが生まれ、彼(あるいは彼女)が身分の高いパートナーを得られれば、紫の上の立場も改善するだろうが、残念ながら、そうした子どもが生まれることもない。
こんなに不遇な紫の上なのに、なんと彼女は、天皇の妻(女御)と同等の社会的な栄誉を手にするのだ。
それはなぜか。
結論を言えば、作者の紫式部が、ライバルとなる女性をことごとく排除していったからだ。
それはたとえば、こんな感じだ。
こうして見ても『源氏物語』を未読の方は、チンプンカンプンだとは思うが、要するにすべての女性が、源氏の君の前から退場させられているのである。
それは、まさしく、作者の紫式部の企みが聞いている。
紫式部は『源氏物語』を創作する中で、「いかにしてライバルたちを排除するか」に専心した。
たとえば、女性の性格や身分を緻密に設定したり、時には女性を出家させたり、物理的に遠くの地に追いやったり、必要があれば死なせたりもした
すべてはヒロインである「紫の上」に社会的な栄誉を与えるためである。
そして、紫式部がそこまでしてライバルたちを排除しなければならなかったのは、とりもなおさず紫の上の女としての立場が弱く、普通の状況では到底幸せになどなれっこなかったからである。
おそらく紫式部自身、女性として辛い思いをしてきた経験があり、自分自身を紫の上に投影していのだろう。
そして、そんな不遇な女性が幸福になる物語を紡ぎ、自らを慰めていたのかもしれない。
こんな風に、「平安時代の結婚形態」を理解しつつ、『源氏物語』を読み直すことで、登場する女性たちの喜び、悲しみ、ままならなさなどを一層深く理解することができる。
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この記事のまとめ
以上、「平安時代の結婚形態」について説明をしてきた。
最後に改めて、この記事のポイントを整理すると以下の通りになる。
また、こうした背景を理解して、平安文学を読むことで、その内容をより本質的に理解できると思う。
以上で「平安時代の結婚」に関する解説を終えます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
『源氏物語』オススメ現代語訳
世の中に数多くある「現代語訳」の中でも、僕がもっともオススメしたいのが、角田光代の現代語訳だ。
角田光代といえば、現代のエンタメ小説作家を代表する一人で、卓越した「人物造形」や細やかな「心理描写」が魅力的な作家である。
そんな彼女の筆による『源氏物語』は、読み応え抜群。
みずみずしい文体はとても読みやすく、人物関係が分かりやすいように書かれているので、初心者でも安心して読み進めることができる。
「マンガではものたりない! 原書はハードルが高くて無理! 源氏物語の世界を忠実に味わいたい!」
そんな読者にはオススメの訳だと思う。
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kindleで源氏物語が“読み放題”
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