はじめに「源氏物語のスゴさ」
『源氏物語』は1001年~1008年の間に、紫式部によって執筆された日本の古典を代表する長編物語だ。
日本人であれば誰もが知るこの物語だが、
「源氏物語って何がそんなにスゴいの?」
そうした質問に明確に答えられる人は、ひょっとしたら少ないかも知れない。
僕なりの回答を一言でいえば、
「平安時代としては、とにかく斬新で画期的だった」
となる。
その辺りのことは、こちらの記事【 解説まとめ「源氏物語の凄さ、人気の理由、なぜ読み継がれたかを分かりやすく簡単に」 】で詳しく述べているので参考にしていただきたいのだが、今回、特に注目したいのは、
「源氏物語のリアリティのスゴさ」
である。
この記事では、そんな「源氏物語のリアリティ」について解説をしていく。
主な内容は以下の点。
- 時系列のリアリティ
- 舞台のリアリティ
- 風景のリアリティ
- 社会構造のリアリティ
- 人物造形のリアリティ
- 心理描写のリアリティ
- 老い・死のリアリティ
なお、この記事は以下の書籍を参考にしている。
「源氏物語のやばさ」を様々な視点から考察する、とても興味深い1冊なので、興味のある方はぜひこちらも参考にしてみてほしい。
それでは、お時間のある方は最後までお付き合いください。
紫式部の「物語観」
本題に入る前に確認しておきたいことがある。
それは「作者 紫式部の“物語観”」である。
『源氏物語』の「蛍」巻には、有名な“物語論”が描かれている。
主人公の源氏は、その養女である玉鬘が物語に夢中になっているのをひやかしながら、次のように語る。
「確かに、物語は作り話で誇張表現が見られる。だけど、そこに書かれていることは紛れもない“人間の真実”であり、物語には価値がある」
当時、物語は、漢詩や和歌ほどに価値が認められておらず、女子が退屈を紛らわせるための「娯楽」にすぎないと考えられていた。
上記の源氏の言葉は、そうした一般常識を覆し、物語に価値を見出そうというものだ。
ここに作者「紫式部」の“物語観”が表れているといっていい。
要するに、紫式部は、
「たしかに物語はフィクションだし、世間はあまり評価していないかもしれない。だけど、物語を通して人間のリアルを描くことが出来るはずだ」
といった信念を持っていたのである。
だからこそ、紫式部は『源氏物語』を執筆する中で、あらゆる方面から“リアリティ”を与えていったのだろう。
では、『源氏物語』が持つリアリティとは具体的にどんなものなのか、本題に入る。
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時系列のリアリティ
『源氏物語』は古典作品の中でも、特に「年表」を作りやすい作品と言われている。
しかも、各巻ごとに源氏や登場人物の年齢を、ほぼ正確に特定することもできる。(例 若紫巻・・・源氏18歳、須磨巻・・・源氏26歳 といった感じ)
これが『源氏物語』が持つ「時系列のリアリティ」なのだが、こうしたリアリティをもたらしているのは、各所にちりばめられている具体的な日付けの記載である。
たとえば、源氏の晩年の正妻である女三の宮が、柏木に寝取られるシーンでは、
四月十余日ばかりのことなり(「若菜下」巻)
と言った具合に、その日付が印象的に記されている。
こうした日付の表記は、物語上の重要なイベント毎にされるため、要所要所で読者は「今、物語はどの時点にあるか」を理解することができる。
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舞台のリアリティ
物語の舞台は平安時代の京都だ。
中でも、土地、宮廷、寺社、屋敷といった各舞台は 実在するもの、あるいはモデルがあるものばかりである。
たとえば、中川、宇治、小野、須磨、明石などは実在する土地だし、桐壺、藤壺、弘徽殿などは実在する殿舎である。
また、源氏の邸宅である二条院のモデルは「陽成院」や「法興院」とされ、どちらも実際に“二条院”と呼ばれていた建物であり、同じく源氏の邸宅である六条院のモデルは「河原院」とされ、こちらも実際に“六条院”と呼ばれた建物である。
それ以外にも、行事・儀礼はどれも実際に宮中などで行われていたものだし、庭園や室内の様子、人々の生活様式なども当時の生活環境をリアルに描いたものである。
ここまでの「舞台のリアリティ」は、『源氏物語』以前にはなかったものだ。
これを可能にさせたのは、なんといっても、作者の紫式部が彰子皇后付の女房であったことだろう。
作者が宮中での出来事を実際に見聞きすることができたからこそ、『源氏物語』にはこれまでにないリアリティが備わったのだと言える。
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風景のリアリティ
自然の風景や季節の移り変わりが緻密に描写されるのも『源氏物語』の特徴だ。
例えば、春の桜や新緑、夏の蝉の鳴き声、秋の紅葉、冬の雪景色などが細部まで緻密に描かれ、読者は季節ごとの風情を味わうことができる。
僕が『源氏物語』を読んでいて思うのは、作者 紫式部の「観察眼」の鋭さである。
例えば、花の香りや風の匂い、小鳥のさえずりなどが具体的に描かれ、読者は臨場感と没入感を味わうことができる。
また、描かれる「風景」は登場人物の「感情」や「状況」とリンクしてもいる。
たとえば、近現代の小説を読んでいると、晴れ渡った空を描くことで、主人公の高揚感を表現したり、どんよりとした曇り空を描くことで、主人公の閉塞感を表現したりする手法がよく見られる。
『源氏物語』にもこうした手法が採用されている。
近代小説ではさほど珍しくはない手法だが、平安時代としてはとても斬新で画期的な手法だった。
主人公の光源氏が退去先の「須磨」で感じる孤独感や喪失感が、わびしい風景と波の音と一体化して表現されるシーンは、特に有名である。
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社会構造のリアリティ
『源氏物語』には、貴族社会の階級構造や結婚制度、家族関係などが詳細かつリアルに描かれている。
『源氏物語』の舞台となる平安時代中期は、「身分」によって経済状況や婚姻が大きく左右される時代だったが、まさに『源氏物語』はそうした社会構造を鋭く正確に描いている。
【 参考記事 解説「平安時代の結婚形態と特徴」一夫多妻は間違い?―『源氏物語の結婚』より― 】
たとえば、源氏の母親である「桐壺更衣」や、源氏の最愛の女性「紫の上」、宇治十帖の悲劇のヒロイン「浮雲」といった3人の主要な女性には、ある共通点がある。
それは「劣り腹」(非嫡子)であるという点だ。
桐壺更衣は「劣り腹」であるがゆえに他の女御らにいじめ殺されるし、紫の上は「劣り腹」であるがゆえに源氏の正妻になることはできないし、浮舟は「劣り腹」であるがゆえに男にもてあそばれ自ら命を絶とうとする。
これらは全て「身分」や「階級」がうみだす悲劇である。
『源氏物語』に描かれるあらゆる人間模様は、その根っこをたどっていくと、必ずといって良いほど当時の「社会構造」に行き当たる。
そういった意味でも『源氏物語』は、当時の貴族社会をリアルに描いた画期的な作品だったと言える。
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人物造形のリアリティ
『源氏物語』には総勢500人というとんでもない数の人物が登場する。
主要人物は、少なく見積もっても20人と、非常に多い。
これだけの人数を物語りに登場させるだけでもスゴいのに、もっとスゴいのは、その一人一人のキャラが立っていて、それぞれに魅力的な個性があることだ。
さらに、外見に関する描写も丁寧で、特に「不美人」(有り体に言えばブ〇)の記述となると、紫式部の筆はノりにノる。
『源氏物語』には「3代不美人」がいる。
すなわち、空蝉、花散里、末摘花である。
そのうち、末摘花の外見描写が圧巻で、登場する他のどの女より詳細に(醜く)描かれる。
こうした「人物の外見の描写」に“リアリティ”があるわけだが、それ以外にも、登場人物たちにモデルがいることも物語にリアリティを与えていると言える。
たとえば、主人公の源氏のモデルは様々に指摘されている。
それ以外にも、源氏の父である桐壺帝は「醍醐天皇」がモデルだと言われているし、源氏の母である桐壺更衣は「中宮定子」がモデルだとも言われている。(諸説あり)
物語の第三部である「宇治十帖」で、ヒロインの浮舟を助け出家させた横川の僧津は、浄土仏教のレジェンド「源信」がモデルとされている。
強調しておきたいのは、平安時代の読者たちは『源氏物語』を読みながら、
「あ、この人、絶対あの人がモデルだよね」
というのがある程度分かるような書き方がされているという点だ。
こうした点が『源氏物語』が持つ「人物造形のリアリティ」である。
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心理描写のリアリティ
『源氏物語』では登場人物の心理が丁寧に細やかに描写されている。
喜び、悲しみ、嫉妬、憎悪、愛情、喪失、孤独、苦悩・・・・・
そうした人間が持つあらゆる感情が、紫式部の鋭い洞察力でもって繊細に表現され、読者の感情移入を可能にしている。
僕は「心情描写のリアリティ」が『源氏物語』の大きな魅力だと考えているが、特に興味深いのは「生き霊」の存在だ。
こう書くと、
「生き霊? ぜんぜんリアルじゃないじゃん!」
と反論されそうだ。
だけど『源氏物語』では、この「生き霊」を通じて、人間のリアルな心理が強い熱量とインパクトをもって描かれているのだ。
作者 紫式部は「物の怪とは、人の心の生んだ幻影である」と考えていた。
人の心――とりわけ、憎悪や嫉妬といった「負の心」の極点。
それを紫式部は「生き霊」で表現したのである。
たとえば、六条の御息所が葵の上をとりつき殺すシーンは、『源氏物語』の中で最も手に汗握るシーンだといえる。
前東宮妃であった六条御息所。
身分的には、恋のライバルである葵の上に劣らぬ彼女だが、夫も父も死んだために確かな後見人がいない。
そのため、源氏の正妻の座を葵の上に取られてしまう。
しかも、葵の上は源氏の子を身ごもる。
そして、屈辱に屈辱を上塗りするように、葵の上との“車争い”が勃発する。
こうして募りに募った六条の御息所の「嫉妬」や「憎悪」といった負の感情・・・・・・
それを、紫式部は「生き霊」でもって表現したのである。
『源氏物語』以前の物語では“霊”と言えば「死霊」を指し、そこに人間のリアルは宿ってはいなかった。
そんな中で「生き霊」という存在を物語に導入した『源氏物語』は斬新かつ画期的で、当時の読み手に驚きと恐怖を与えたに違いない。
のみならず、
「生き霊なんて、デタラメでしょ?」
そう思っている近代的で合理的な僕たちにも、六条の御息所の感情は凄まじい説得力をもって迫ってくる。
それはとりもなおさず、紫式部の心理描写に「リアリティ」が宿っているからに他ならない。
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老い・死のリアリティ
『源氏物語』以前の物語では「生身の人間」はあまり書かれてこなかった。
神々の群像劇である『古事記』
天人かぐや姫が主人公の『竹取物語』
天人の子孫が主人公の『うつほ物語』
こうした物語で書かれる人物達は、良くも悪くも“神格化”され、そこにはリアリティというものが欠如していた。
そんな中『源氏物語』に登場するのは、どれも「生身の身体」を持つリアルな人間たちである。
人を愛すれば憎みもする。
喜びを感じれば悲しみも抱く。
老いもすれば死にゆく運命にある。
あのキラキラした光源氏だって、やがては醜く老い、周囲から疎まれ、そして孤独の中でみじめに死んでいく。
そうした人間が持つ宿命を描くのに、紫式部は躊躇しない。
ここに関連して、僕が興味深く思うことがある。
それは、『源氏物語』で「病」が極めて具体的に描写されている点だ。
たとえば、源氏がわずらった「咳病み」というのは、今でいう「ぜんそく」や「気管支炎」のことだし、「わらわ病み」というのは、今でいう「マラリア」などの熱病のことで「インフルエンザ」みたいな感染症も指していたと思われる。
それ以外にも、朱雀帝は「眼病」をわずらうし、紫の上は「胸病」をわずらう。
髭黒の北の方の「心違ひ」の発作は、一種の「精神疾患」である。
さらに、「拒食症」や「記憶喪失」など、平安当時にはあまり認知されていなかったような疾患も描かれている。
ここまで病を具体的に書くのは、紫式部の中に「生老病死」という仏教的人間観があったからなのだろう。
というのも『源氏物語』全体をつらぬくテーマに「無常観」があるからだ。
人間の心はあてにならない。
栄える者も長くは続かない。
人が羨む美貌だって醜く変化する。
そして、誰もが老い、病に倒れ、やがて死んでいく。
こうした「無常」こそ僕たち人間が背負っている宿命であり、まさに『源氏物語』で徹頭徹尾書かれている僕たち人間の「リアル」である。
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まとめ「源氏物語が読みつがれた理由」
以上、源氏物語のスゴさのうち「リアリティ」にスポットを当てて解説をしてきた。
改めて「源氏物語のリアリティ」について整理すると、次の通り。
「リアリティ」(現実性)とは言葉を換えれば「共感可能性」であり、多くの人に通用する「普遍性」であるといっていい。
数ある古典作品の中で、特に『源氏物語』が人々に読み継がれ人々に愛されたのには、それなりの理由がある。
その一つに「リアリティのスゴさ」があるのは間違いない。
そして、そうしたリアリティを物語に与え、斬新で画期的な作品をつくりあげた紫式部の先見性について、最後にあらためて強調しておきたい。
以上で解説・考察記事を終わります。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
『源氏物語』オススメ現代語訳
世の中に数多くある「現代語訳」の中でも、僕がもっともオススメしたいのが、角田光代の現代語訳だ。
角田光代といえば、現代のエンタメ小説作家を代表する一人で、卓越した「人物造形」や細やかな「心理描写」が魅力的な作家である。
そんな彼女の筆による『源氏物語』は、読み応え抜群。
みずみずしい文体はとても読みやすく、人物関係が分かりやすいように書かれているので、初心者でも安心して読み進めることができる。
「マンガではものたりない! 原書はハードルが高くて無理! 源氏物語の世界を忠実に味わいたい!」
そんな読者にはオススメの訳だと思う。
興味のある方は、ぜひ、手に取ってみてください。
kindleで源氏物語が“読み放題”
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