人が言葉を使えるのはなぜ?
だれもが普段なにげなく使っている言葉。
あなたはそれを、いつから使えるようになったのだろう。
一般的に人は生後9~10ヶ月くらいから「ばぁ」とか「まんまぁ」とかしゃべるようになり、1歳半くらいまでに意味のある単語をしゃべるようになると言われている。
だけど、そもそも、どうして人間は「言葉」を使うことができるのだろう。
多くの動物が言葉を使えない中、なぜ人間だけが例外的に「言葉」使えるのだろう。
また、人間はどのように言葉を習得していくのだろう。
この記事では、そうした問いについて解説をしていこうと思う。
もったいぶらずに結論だけを超シンブルに言えば、次の通り。
なお、今回参考にしたのは、こちらの書籍。
人間と言葉の関係を実証的に考察しながら、「言葉って何?」「言葉が生まれたのはなぜ?」という本質的な問いに接近していく、とても興味深くスリリングな1冊である。
この記事を読んで興味を持った方は、ぜひこちらの書籍も一読していただきたい。
それでは、お時間のある方は最後までお付き合いください。
ヘレンケラーの大発見
「ああ、サリバン先生! これが水なのね!」
――見えない、聞こえない、しゃべれない。
そんな「三重苦」を運命づけられたヘレンケラー。
まるで世界から隔絶されたような彼女は、ある日、家庭教師のサリバン先生の教えにより、「水」という名前を理解し、「物事にはすべて名前がある」ということを知るに至る。
これは「井戸端の奇跡」と呼ばれる感動的エピソードだが、このエピソードは「人間の言語習得」について知る上で、僕たちに重要な示唆を与えてくれる。
というのも、言葉を習得した全ての人には、例外なくこの「奇跡」が起きているからだ。
サリバン先生がヘレンに教え続けたのは「物事と言葉の対応関係」だった。
イスにはイスを示す“指文字”がある。
本には本を示す“指文字”がある。
水には水を示す“指文字”がある。
こうしたことの繰り返しが、あの「井戸端の奇跡」を生み出した。
人間の赤ちゃんにも、まさにこれと同じ事が起きている。
母親(あるいは父親)は赤ちゃんに、何度も何度も語りかける。
たとえば絵本なんかを読みながら、
「ほら、これがワンワン。可愛いねえ」とか、
「ほら、これがブーブー。かっこいねえ」とか。
こんな風に、親は赤ちゃんに繰り返し繰り返し語りかける。
すると、赤ちゃんあるとき重大な事実を発見する。
それは「物事にはすべて名前がある」ということだ。
イスにはイスを示す“言葉”がある
本には本を示す“言葉”がある
水には水を示す“言葉”がある
赤ちゃんは親の語りかけから「物と言葉の対応関係」を理解する。
このことを理解したあと、赤ちゃんの言葉は急激に発達すると言われており、この現象は「語彙爆発」と呼ばれている。
ここから人間は、「言語」という巨大なシステムに足を踏み入れていくのである。
「なるほど! 人間が言葉を使えるようになる第一歩は“物には名前がある”という大発見なのか! 完全に理解!」
と、スッキリしちゃう人もいるかもしれないが、実は重大な問いが依然として残っている。
それは、
「そもそも、なぜ、赤ちゃんは“物には名前がある”ことを理解できるのか」
という問いである。
「そもそも、どのような能力があって、人間は“言葉”を習得できるのか」
と言い換えてもいい。
そしてその答えは、シンプルに言って、
「人間に推論する能力があるから」
というものになる。
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人間が持つ“推論”の力
論理学では、推論には大きく2つの推論がある。
演繹推論と帰納推論である。
念のため、両者の具体例をあげておこう。
イメージとしては、演繹推論が「規則を個別ケースにあてはめる」ものであるのに対して、帰納推論は「複数の個別ケースから規則を導き出す」ものである。
演繹推論、帰納推論、両者はとても有名なものなので、すでに知っている人も多いと思う。
だけど「言語習得」にとって、とっても大切な推論は、これら2つとは別の「仮説推論」(アブダクション推論)と呼ばれるものである。
・・・・・・とこう聞くと、
「ああ、なんかもう無理、さようなら」
と、読むのをやめてしまいそうな人のために、超シンブルに説明したい。
仮説推論というのは、要するに、
「個別ケースに対して、既存の知識を踏まえて“こういうことなんじゃね?”と仮説を立てる推論」のことである。
一応、具体例をあげると、次のような推論である。
こうしてみてみると、仮説推論が帰納推論と非常に似ていることが分かる。
実際、両者の違いは極めて曖昧で、明確に区別することは難しい。
だけど、あえて両者の違いを強調するとこうなる。
つまり、仮説推論とは
「既存の知識をもとに仮説を立てる推論」
だと説明できる。
これこそまさに、ヘレンケラーに「井戸端の奇跡」をもたらし、赤ちゃんに「物と言葉の対応関係」を直感させた、人間にそなわっている超重要機能なのである。
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言語習得の第一歩
ここでもう一度ヘレンケラーに登場してもらおう。
ヘレンはサリバン先生から、繰り返し「物と刺激の対応関係」を教えられてきた。
ヘレンが本を触ったら“本の指文字”を教え、ヘレンがイスを触ったら“イスの指文字”を教える。
だけど、初めのうちヘレンに理解できたことは、
「物体Xには特定の刺激があり、物体Yには特定の刺激があり、物体Zには特定の刺激があり・・・・・・」
ということにすぎなかった。
「よく分からんけど、何かを触ると、特定の刺激を与えられるなあ」
ヘレンの中でぼんやりと理解できていたのは、こうした事実だっただろう。(もちろん言葉を持たないヘレンには、明晰な思考も言語化も出来ないわけだが)
そうした状況をブレイクスルーしたもの、それが「仮説推論」である。
繰り返しになるが、井戸の水を触ったヘレンに起きたこと、それは、
「物事にはすべて名前がある」という大発見である。
これを仮説理論にそって説明をすると次のようになる。
以上が、ヘレンが行った仮説推論である。
そして、こうした推論は、言葉を習得した全ての赤ちゃんが行ったものでもある。
繰り返し与えられた刺激、繰り返し与えられた経験、そこから彼らが導き出した仮説、それが、
「ひょっとして、すべての物事には対応する名前があるんじゃね?」
といった仮説だったのである。
こうした仮説を立てたあと、人間は驚くスピードで言葉を覚えていく。
「井戸端の奇跡」を経験したヘレン、目の前にあるものを次々と触って、
「これはなんて名前? こっちはなんて名前?」
と能動的にサリバン先生に尋ねたと言われている。
それはとりもなおさず、
「すべての物事には名前がある」
という、言語を習得するための第一歩を、ヘレンが理解したからだといっていい。
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言語取得を助けるオノマトペ
さて、ここまで「言語習得の第一歩」として「物事にはすべて名前がある」ことへの気づきが大切であることを説明してきた。
その第一歩を後押しする言葉、それが「オノマトペ」である。
オノマトペというのは、「ワンワン」といった犬の鳴き声を表したり、「くねくね」といった身体の動きを表したりする、「擬音語」や「擬態語」と呼ばれるものの総称だ。
特に「擬音語」について言えば、多の言語間で一定の共通点が認められることが多い。
たとえば、犬の鳴き声で言えば、
- 日本語・・・ワンワン
- 中国語・・・ワンワン
- 英語・・・バウワウ
- イタリア語・・・バウバウ
- ベトナム語・・・ガウガウ
といった具合に、かなりの類似点が認められる。
それもそのはずで、「オノマトペ」の多くが、実際の知覚や感覚を音にしたものだからだ。
一般的に「言葉と意味」の結びつきに必然性はないと言われている。
たとえば、日本語で「イヌ」と呼ばれる生き物は、英語では「ドッグ」と呼ばれ、フランス語では「シアン」と呼ばれ、ドイツ語では「フント」と呼ばれている。
そこに、分かりやすい共通点は一切無い。
一方のオノマトペにおいては、言語間で一定の共通点が認められるワケだが、それはオノマトペが人間の知覚や感覚に基づいているからだ。
こうしたオノマトペの性質が、赤ちゃんの言語習得を助けてくれる。
知覚や感覚を写し取っているオノマトペは、その意味する対象を身体的に理解しやすいため、赤ちゃんが「物と言葉の対応関係」に気づくのに大いに役立つのである。
赤ちゃんが読む絵本にオノマトペが多いのも、大人が語りかけるに言葉にオノマトペが多いのも、決して偶然ではなく、「オノマトペが、赤ちゃんの言語取得身体的に促してくれる」ということを、人々がちゃんと理解しているということなのだろう。
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言語を正しく取得するプロセス
「言語習得をする上で、オノマトペが重要である」
これは間違いない。
オノマトペを通じて感覚的、身体的に言葉を獲得した赤ちゃんは、そこを足場にして様々な言葉を習得していく。
だけど、そのプロセスは実に間違いだらけである。
子どもというのは、そうした間違いを踏まえ「仮説→検証」を繰り返しながら、「物事と言葉の結びつき」を理解していくのである。
ここで、僕自身の子育ての例を紹介したい。
ある雨が降る日、僕は2歳の娘をつれて散歩をした。
レインコートに長靴姿、彼女の手には小さな傘も握らせ、4~5分ほど近所をブラブラした。
その道中、僕は何気なく娘に
「これが“雨”っていうんだよ」
と「雨」という言葉を教えた。
その後日談、である。
すっきりと晴れた日で、娘と散歩をしようと思った僕は、娘に靴を履かせようとしていた。
すると彼女はふいに「アメ」とつぶやいた。
その視線の先には、なんと、あの日 彼女が履いていた長靴があるではないか。
さらに驚くことに、彼女は、あの日の傘とレインコートを指して「アメ」と呼んだのである。
その時僕は思った。
「物と言葉の関係を理解するってのは、こういうプロセスを経ていくことなんだな」と。
幼い娘は「アメ」という言葉が「何かの名前」であることまでは理解できていた。
だけど、「アメ」が何を指し示しているのか、はっきりとは分からない。
その結果、彼女は「ザーザー降る雨粒」を含め「履いていた長靴」や「着ていたレインコート」、「持っていた傘」にまで「アメ」という言葉を適用させてしまったのである。
これまでの僕の言動を踏まえて、彼女は仮説を立てた。
「父ちゃんがいうアメってのは、きっとこれらの事を指しているんだろうなあ」
だけど残念ながら、その仮説は見事に間違っていた。
だから僕は娘にこう言った。
「違うよ、これは長靴! これはレインコート! これは傘! アメじゃないよ!」
いまでこそ娘は「雨」という言葉を正しく使うことができるようになった。
だけど、そこに至るまでに、彼女はきっと様々な「仮説推論」を繰り返したのだと思う。
「・・・・・・雨って言葉の範囲は、ここからここまでかな?」
「・・・・・・いや、どうやら違うみたいだぞ。ってことは、ここからここまでかな?」
「・・・・・うんそうだ。きっと雨ってのは、ここからここまでの物を指す言葉なんだ!」
彼女は数々の「雨」という言葉を聞く中で、こんな風に自分自身が立てた仮説を検証しながら、正しく言葉を習得していったのだろう。
こうしたことが可能となるためには「高度な推論能力」はもちろん、「既存の知識や言葉」というのが必要不可欠となる。
――既存の言葉が、新たな言葉の獲得を助けていく。
これを認知心理学者の今井むつみは「ブート・ストラッピング・サイクル」と呼ぶ。
既存の知識が新たな知識を生み、語彙の成長を加速させ、さらにことばを学習するときの手がかりとなる。
こうしたサイクルを繰り返し、仮説推論を機能させていく中で、子どもは自らの言語をより高次で抽象的なものに高めていくのである。
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この記事のまとめ
以上、「人間が言葉を使えるのはなぜか」「人間はどのように言葉を習得するか」について解説を行った。
改めて結論をまとめると次の通り。
人間が言葉を使えるのは、なんといっても「推論」という高度な知的営為ができるからだ。
この点が、「言葉を持たない動物」と「言葉を持つ人間」との決定的な違いだろう。
そして、まだ言葉を持たない赤ちゃんが
「物事には全て名前があるのでは」
と推論するために役立つのが「オノマトペ」である。
オノマトペによって、赤ちゃんは「モノと言葉の関係」を身体的に理解する。
そして、そこを足場に、赤ちゃんは次々と新しい言葉を獲得していく。
やがて言葉はオノマトペを離れ、自らの身体を離れ、抽象的・観念的関係を理解できるようになる。
これが、人間が言葉を習得するまでのプロセスである。
以上で解説記事を終わります。
ここまで読んで「人間と言葉の関係」について興味を持った方は、ぜひ参考書籍も読んでみてください。
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それでは、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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