はじめに「哲学」って何?
哲学と聞いて、あなたはどんな印象を持つだろう。
たぶん多くの人は、高校時代に勉強した「倫理」を連想したり、ソクラテスだのプラトンだのアリストテレスだのといった有名な哲学者を思い浮かべたりするかもしれない。
あるいは「無知の知」とか、「三角形のイデア」とか、例の哲学用語を思いだ出したり、『純粋理性批判』とか『精神現象学』とかいった有名な書物を思い出したりするかもしれない。
すると、人々の感情として、
「哲学=なんだか小難しいもの」とか
「哲学=自分とは無縁なもの」とか
とにかく、哲学に対する「あまりよくない印象」を持つにいたってしまう。
だから、急いで強調しておきたいことがある。
それらを全部「哲学」ではない。
あえて言えば、それらは全部「哲学史」なのである。
「ソクラテス」とか「イデア論」とか「純粋理性批判」とかを覚えることは、言うまでもなく哲学の本質なんかじゃない。
「哲学」というのは、本来もっとおもしろくて、スリリングで、ちょっと恐ろしいもので、つまるところ、ずっとずっと魅力的なものなのだ。
この記事では、そんな哲学の主要テーマについて紹介したい。
今回扱うテーマをざっくりと言えば、
「言葉の“意味”って何?」
といった問いである。
「意味」は哲学における主要なテーマであり、頻繁に議論される問題でもある。
だから「これがたった1つの正解だ」というものがあるわけではない。
なので、この記事では「議論の内容」と「問題の所在」について分かりやすく解説をしていきたい。
では、最後までお付き合いください。
言葉で“何”が伝わった?
まず、見出しの件について考えてみよう。
僕たちは日常的に、言葉によるコミュニケーションをとっている。
A君「おはよう」
B君「おう、おはよう」
A君「昨日の飲み会、お疲れ! 体調大丈夫?」
B君「いや、俺、完全に二日酔いだわ……」
たとえば、こんな日常会話は、すべて言葉によって成り立っている。
A君もB君も、どうやら、互いの発話の「意味」を理解しているらしく、だからこそ上記のような言葉の“キャッチボール”が成立する。
ただ、ここで考えてみたいことがある。
今ほど僕はあえて、言葉による“キャッチボール”という表現を使った。
この表現は僕たちの会話の“実感”をよくあらわしたもので、僕たちはキャッチボールよろしく言葉によって“何か”をやり取りしていると信じている。
その“何か”というのが、多くの人が当たり前に口にする「意味」ってやつだ。
たとえばA君が「飲み会」と口にしたとき、「飲み会」の意味なるものが、AからB君にポーンと飛ばされて、それをB君がキャッチして、今度はB君から「二日酔い」の意味ががポーンとA君に飛ばされて、A君がそれをキャッチする、なんて風に僕たちは会話をイメージしている。
だけど、よくよく考えてみれば「飲み会」も「二日酔い」も、空気の振動でしかない。
別に“意味”といった物体が、A君からB君にポーンと飛ばされたわけではないのだ。
確実に言えることは、A君の声という“空気の振動”がB君の鼓膜に届いていることだけで、それ以外の“何か”が伝わった形跡は、少なくとも、僕たちの目では確認できない。
当然“意味”といった得体のしれないものも、僕たちは目視することはできない。
いったい、2人は何をやりとりしたのだろうか?
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世界は“物質”でできている?
さて、唐突だが「この世界は何でできているの?」と聞かれて、あなたは何と答えるだろう。
「それはね、愛と憎しみだよ」
なんて答える文学かぶれの方もおられるだろうが、ここではリアリスティックに「原子や分子」と答えておく。
これは、学校でも習う、僕たちの共通認識といっていい。
「世界は原子と分子でできている」
ここからは、この常識を「物理主義的世界観」と小難しい名前で呼ぶことにするが、この考えをさっきのA君とB君の会話に当てはめて考えた時、いよいよ“意味”なるものの不可思議さがあらわになってくる。
だって、物理主義的世界観によって2人の会話を眺めてみれば、A君からB君に伝わったのは、やっぱり「空気の振動」でしかないからだ。
実は、“文章”や“字”においても同様のことがいえる。
たとえば、あなたが恋人から、濃厚なラブレターをもらったとしよう。
「あなたのことがメッチャ好き。好き好き、大好き!」
僕はこんな手紙をもらったことはないのだけど、でももらえば絶対嬉しいと思う。
ただ、このラブレターを物理主義的世界観に立って考えてみると、そこにあるのはただの「インクの染み」である。
恋人のラブレターは、あくまでも大量の「インクの染み」なのだ。(あえて2回言ってみた)
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世界は“物質と精神”でできている?
こんな風に、「この世界は原子と分子」でできているという世界観に立ってみると、「飲み会」とか「二日酔い」とか「大好き」という言葉から、“意味”なるものが消えていってしまう。
さすがにそれはA君にもB君にも恋人にも申し訳ないので、僕は次のような世界観を提示したい。
「世界は物質と精神からなっている」
精神というのは、いわば“非物質的なもの”だ。
物質だらけのこの世界には、だけど精神と呼ばれる“非物質的なもの”も存在している。
だから、A君とB君は、言葉によってこの非物質的な何かをやり取りしていたのだし、恋人はラブレターによって、この非物質的な何かをあなたに伝えようとしていたのだ。
と、こうした説明を聞くと、
「おお、それそれ! それだよ!」
と、納得される方もきっと多いだろう。
だけど、これ、実はカナリ問題がある。
というか、「言葉によって何が伝わったの?」という先ほどからの問いに、全く答えられていない。
たとえばここで物理主義者が現れて、
「じゃあ、その精神ってやつを、いまここで見せてみろよ」
「じゃあ、ラブレターから伝わってくる、“意味”ってやつを見せてみろよ」
と詰め寄ってきたとしても、誰一人としてそれを見せることはできない。
「ほら、これが精神ってやつだよ」とか「はい、今僕の手元にあるのが“意味”ってやつです」とか、“精神”や“意味”なるものを取り出すことはできないのだ。
考えてみれば、「非物質的なもの = 形のないもの」なので、当たり前のことなのだ。
だけど、僕たちはこの「非物質的な何か」の存在を信じて疑わない。
だって、「非物質的な何か」を排除してしまうと、この世界から「精神」とか「心」とか「意味」とかいうやつまで排除してしまうことになるからだ。
ということで、この辺りは、哲学の中でも賛否分かれるところなのだけれど、少なくても多くの人は「世界は物質と精神からなっている」と信じているのではないだろうか。
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皆に“共通のイメージ”なんてない
「世界は物質からなっているのか、物質と非物質からなっているのか」
そうした議論については、ここで深掘りすることはできない。
なので、ここからは一応「世界は物質と精神からなっている」という常識的な立場を前提に、話を進めていきたい。
まず、「言葉が意味を持つってどういうこと?」という問いについて考えてこう。
たとえば、「鳥」を例にとって考えてみる。
まず、「鳥」の意味ってなんだろう。
まず思いつくのは、辞書的な意味である。
- つばさがある
- くちばしがある
- 羽毛でおおわれている
- たまごを生む
- 高温動物である
これらが辞書的な「鳥」の意味であり、多くの人が持っている鳥のイメージであり、この「鳥」の定義について反論する人はいないだろう。
となると、僕たちはみんな、上記の「鳥の意味」をみんなが理解していて、だからこそ、「鳥」という言葉のキャッチボールが成立するのだ、と言えそうだ。
A君が「昨日ペットの鳥がさ……」といったときに、B君が「鳥」を理解できるのは、「鳥=つばさがあって、くちばしがあって、羽毛でおおわれていて、たまごをうんで、恒温動物であるところのアイツ」を知っているからなのだ。
A君が「鳥」と発話したときに、いまほど確認した「鳥の意味」ってやつがB君に伝わったのだ。
ここから言えるのは、「言葉が意味を持つ」というのは、「多くの人が言葉の“定義”を理解することである」ということになる。
……ほんとうに?
ほんとうにそうなのだろうか。
実はさきほどまとめた「鳥」の意味のうち、僕はあえて書き落としたものがある。
それは、「空を飛ぶ」というものだ。
「鳥は空を飛ぶ生き物である」
これもまた、多くの人が持っている鳥の定義の1つだろう。
鳥の“意味”や“定義”といったときに、やはり、この「空を飛ぶ」というのは無視できない特徴だと思われる。
なんなら「鳥ってなに?」と聞かれたときに、多くの人が「空を飛ぶ生き物だよ」と答えるんじゃなかろうか。
さあ、勘の鋭い方はもうお分かりかと思う。
「じゃ、ペンギンは?」
「じゃ、ダチョウは?」
って話なのだ。
ペンギンも、ダチョウも、誰がなんと言おうと立派な鳥である。(別にヤツらを擁護するつもりはないけれど)
「空を飛ばない鳥」が現実にいることを考えれば、「鳥」の意味に「空を飛ぶ」といった記述は本来あるはずない。
だけど、僕たちの多くは「鳥は空を飛ぶ生き物」といったイメージを持っている。
この矛盾をどうしたものか。
答えは簡単、
「みんなが共通して持っているイメージ。そんなものは存在しない」
こういうことになるわけだ。
となると、A君とB君との間に「鳥」の意味のキャッチボールは行われていないということになる。
じゃあ、2人の間に、一体なにが起きているというのだろう。
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言葉のイメージは人それぞれ
こうして見出しを書くと、とてつもなく「常識的」な内容だなあ、と我ながら思ってしまうが、ここからは「言葉のイメージは人それぞれ」ということについて述べていく。
さて、A君が「鳥」といって、B君が「鳥」を理解する。
2人の間に何が起こっているというのだろうか。
結論を言えば、
「A君はA君なりに鳥をイメージしているし、B君はB君なりに取りをイメージしている」
ということになる。
ああ、やっぱり常識的だ。
だけど、これは掘り下げていくと、とてつもなくゾッとする話へ行き着く。
何がゾッとするかっていうと「言葉のイメージが人それぞれ」ということは、突き詰めれば「実は、僕たちは、本当の意味でコミュニケーションが取れていない」ということになるからだ。
たとえば、僕は以前にこんな経験をした。
その時の僕は「ペン」が欲しかった。
ふと横をみると、友人が「ペン」で何かを書いている。
僕「なあ、ちょっとでいいから、そのペン貸してくんね?」
友人「ペン? ペンって……どの?」
僕「いや、そのペンだよ」
友人「ペンなんてないけど」
僕「あるだろ、お前が持っている、そのペン」
友人「これ? いや、これシャーペンだろ」
落語みたいな、冗談みたいなこの話、僕はべつにふざけているわけじゃない。
この話から何が言いたいかというと、「僕と友人が持っている“ペンの意味”が、実は全く違っていた」ということなのだ。
僕は「ペン」を「プラスチックに覆われている、書く道具全般」といった意味で理解していたのだけれど、友人は「プラスチックにおおわれていてインクが出てくる、書く道具」くらいの意味で理解していたのだ。
2人にとって「ペンの意味」はちょっと違うものであり、2人にとって「ペン」は別物だったというワケだ。
ほら。
この話からも「共通の意味」なんてものは、実は全くの幻想であることが分かるだろう。
これを、さきほどの「鳥」の話に当てはめてみる。
A君が「昨日ペットの鳥がさ……」と言った時、果たしてB君はどんなイメージを持っているだろう。
たぶん多くの人が「インコ」みたいな鳥をイメージすると思うので、B君もたぶんそうなのだろう。
いや、だけど、それは分からない。
ひょっとしたらB君は「鳥」と聞くと「ペンギン」をイメージする人かもしれないし、「ダチョウ」をイメージする人かもしれないからだ。
だから、次のようなやり取りだって起こりうる。
A君「昨日ペットの鳥がさ……」
B君「ちょまて、お前、鳥なんて飼ってんの!?」
まぁ、これは極端な話かもしれないけれど、B君の脳内をパッカーン割って、B君のイメージを確認できない以上、こうした可能性を否定することは絶対にできないのだ。
ということで、「みんなが共通したイメージを持っている」というのは僕たちの思い込みなのだ。
あくまで「言葉のイメージ」はひとそれぞれであって、「言葉の意味」も人それぞれなのだ。
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野矢茂樹の“プロトタイプ”という考え
この記事の目的は「言葉の“意味”って何?」という問いに答えることだった。
改めて言っておきたいことがある。
それは、上記の問いは「ゴリゴリな哲学的問い」であって、いまもなお優秀な哲学者たちによって丁々発止の議論が展開されているものであって、当然、僕みたいな一介の素人に結論を出せる類のものではない、ということだ。
なので、実は、上記の「鳥」の話も「イメージ」の話も、日本哲学界の重鎮「野矢茂樹」の論考を参考にしたものだ。
野矢は「意味」を論じるときに、「プロトタイプ」(典型)という言葉をしきりに使っている。
野矢によれば、「一人ひとりが言葉の“プロトタイプ”(典型)を持っていて、それに基づいて言葉のやりとりをしている」という。
プロトタイプ(典型)というのは、言葉をきいたときに常に浮かんでくるイメージみたいなものだ。
「鳥」をたとえにすると、
- Aさんのプロトタイプ = インコ
- Bさんのプロトタイプ = カラス
- Cさんのプロトタイプ = ペンギン
- Dさんのプロトタイプ = ダチョウ
- Eさんの……
- Fさんの…
といった具合に、プロトタイプというのは、一人ひとり、てんでバラバラなのだ。
ここでは便宜的に「インコ」とか「カラス」とか、そうした分かりやすいイメージで説明したが、厳密にいえば「インコ的なもの」とか「カラス的なもの」ということになる。
一定の人たちが共通して持つ「インコ」のイメージなんて、存在しないからだ。
極端な話、日本人のうち「鳥」という言葉をつかえる人間が1億人くらいいたとして、その1億人はそれぞれの「鳥」のプロトタイプを持っている、ということになる。
普遍的、すべての人に共通する「鳥のイメージ」なんてものは存在しない。
あるのは、1億通りの「鳥のプロトタイプ」なのである。
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意味を理解している“ように見えるだけ”
最後に「言葉の“意味”ってなに?」の問いについて答えてみる。
結局のところ、みんが共通して持っている「意味」なんてものは、存在しなかった。
そう、「言葉の意味って何?」の問いに対する、哲学的な解答の1つには、
「意味なんて存在しない」
といった、明後日の方向からやってきて問いそのものを破壊してしまうような、驚愕の解答あるのである。
もしも、僕たちが言葉によって「意味」のキャッチボールを行い、問題なくコミュニケーションが取れているように見えるとすれば、それは全くの思い込みなのかもしれない。
僕たちに共通する「意味」なんて存在しないからだ。
それぞれが、それぞれのイメージでもって会話をしている以上、僕たちのコミュニケーションなんてものは、本質的にとても危ういものなのだ。
次の瞬間、決定的にコミュニケーションのずれや齟齬が生じてしまうかもしれないのだ。
だから、僕たちは言葉の意味を理解しているわけじゃない。
あくまでも、言葉の意味を理解しているように見えるだけなのだ。
この辺りのことは、現代の天才哲学者「クリプキ」も明らかにしているところなので、お時間のあるかたはぜひ参考にしてほしい
【 参考記事 哲学を解説・考察【規則のパラドックスとは】ー天才クリプキによる解釈よりー 】
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おわりに「哲学」は“薬”にならない
以上、哲学のテーマ「意味」をとりあげ、その主な議論や問題の所在について解説をしてきた。
「意味なんて存在しない」
突然そんなことを言われても、正直、僕たちの生活実感から大きくかけ離れているし、にわかには信じられない主張である。
もちろん「意味は存在しない」なんて信じられなくてもいいし、信じる必要だってない。
ただ「意味」というのは、僕たちが思っている以上に不可解で、考えれば考えるほどグロテスクなものなのだ。
どうだろう。
今まで当たり前だと思ってきたこの世界が、途端によそよそしく感じられてこないだろうか。
こんな風に、「哲学」というのは本来、スリリングで、不気味で、怖ろしいものなのである。
さて、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
記事を読み終えたあたなは、ひょっとしてこんな風に感じたかもしれない。
いや、こんな問題、そもそも答えなんてでないし考えるだけ時間の無駄でしょ
はい、まったくもってその通り。
哲学なんてやったって、時間の無駄なのだ。
病気が治るわけでもないし、出世するわけでもない。
名声が手に入るわけでもないし、お金持ちになれるわけでもない。
いや、なんならこんなメンドクサイことを考えていたら 友だちが減るかもしれないし、彼女にフラれるかもしれないし、社会的な信用を失ってしまうかもしれないのだ。
哲学は「毒」にこそなれ、「薬」になることはない。
だけど、哲学することは、上記の通りとってもスリリングであるし、おもしろいと僕は思う。
というより僕自身、やっぱり不思議でならないのだ。この「世界」ってやつが。
「世界って本当は存在していないんじゃないの?」とか
「時間が“流れる”っていうけど、一体何が流れてるの?」とか
「僕が死んだら、僕は、この世界はどうなるの?」とか
少しでもそうした問いにとらわれてしまったことがある人にとって、哲学はとっても親和性のある世界だ。
この記事を読んで共感していただいた方は、ぜひブログ内の【哲学】の記事を参考にしていただきたい。
あなたの“ワクワク”や“ゾクゾク”のお供になれたなら、とても嬉しく思う。
「哲学」をするなら……
耳読書「Audible」がオススメ
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