日本語における“宿命”的問題
日本語には「主語」がまずあって、その後に「述語」がつくという基本的なルールがある。
小学生や中学生で習う、ホント基本中の基本である。
だが、その「主語」と「述語」を結び付ける語というのが、ビックリするくらい沢山ある。
その中でも最もオーソドックスなものが「は」と「が」だろう。
- 僕はタロウだ。
- 僕がタロウだ。
ってな具合だ。
さて、この「は」と「が」——実は、日本語を学習する外国人が、ほぼ例外なくつまづいてしまう文法事項ということなのだが、日本語を母語とするあなたは、両者の違いをきちんを説明することができるだろうか。
「僕はタロウだ」と「僕がタロウだ」
たとえば、この2つには、どんな違いがあるのだろう。
ぜひ自分なりの説明を考えてみてほしい。
きっと明快な説明はできなかったんじゃないかと思う。
それもそのはず。
実は、この「は」と「が」の違いというのは、いまだに明快な説明が見つかっていないという、日本語学における宿命的な問題なのである。
日本語学者をも悩ます問題なのだから、素人である日本人はもちろん、まして外国人ならなおさらであろう。
そんな「は」と「が」の違いについて、とっても有効な説明を与えた日本語学者がいる。
それが大野晋である。
参考にした本はこちら。
『日本語練習帳』(大野晋)
以下では、大野による「は」と「が」の説明の概略と、その妥当性について説明したい。
一般的な説明では不十分
と、その前に、まずは「は」と「が」の一般的な説明を押さえておきたい。
副助詞「は」について
「は」の品詞は副助詞とされている。
副助詞というのは、「いろいろな語句につき、様々な意味を加える」と定義される、なんともふんわりした捉えどころのない品詞である。
その中でも「は」には、「取り立て」と「強調」の用法がある。
具体的にはこんな感じだ。
〇秋は食欲の季節だ。 / 〇日本の花は桜だ。(取り立て) 〇友だちには話せない。 / 〇バラにはとげがある。(強調)
こうしてみると、「取り立て」というのは「トピックとしてあげる」くらいの意味があることが分かるし、「強調」には文字通り「印象を強める」くらいの意味があることが分かる。
格助詞「が」について
「が」の品詞は格助詞とされている。
格助詞というのは「主に名詞につき、名詞としたの語句との関係を示す」と定義され、先の副助詞に比べると、イメージはしやすい。
その中でも「が」には、「主語」と「対象」の用法がある。
具体的にはこんな感じだ。
〇小川が流れる。 / トンボが飛ぶ。(主語) 〇水が飲みたい。 / 映画が見たい。(対象)
こうしてみると、「主語」の用法はとてもシンプルで分かりやすい。
「小川」も「トンボ」も主語として明示しているからだ。
その一方で「対象」は、「主語が誰なのか分からない」点において、やや注意が必要だといえる。
一見すると「水」も「映画」も主語のように思えるが、よく見てみれば「私」なり「彼」なり、主語は別にあるといえるからだ。
以上が、「は」と「が」に関する一般的な説明である。
とはいえ、こうした一般的な説明では、両者の違いはほとんど見えてこない。
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大野晋の説明の妥当性
大野説の概略
ここからは、いよいよ大野晋の説明を紹介していきたい。
改めて、次の例文を見てほしい。
- 僕はタロウだ。
- 僕がタロウだ。
実際のところ、僕たちは両者の違いを日常的にそこまで意識しているわけではない。
とはいえ、両者には確実に、だけど微妙なニュアンスの違いがある。
その違いは一体何なのか。
大野晋の説明はこうだ。
〇「は」の前に来るのは「すでに知っている情報」 〇「が」の前に来るのは「まだ知らない情報」
はい? という感じだと思うので、もう少し。
「ぼく は タロウだ」の場合
まずは「ぼくはタロウだ」について説明しよう。
「ぼく」という存在自体は、すでに聞き手の意識に上っている。
しかし、それが誰なのか分からない。
例えば、こんな状況をイメージしてみてほしい。
「先週から俺たちの前にあらわれた男、とりあえず誰か分からないけど、なんだか色々と話し続けているぞ。コイツはいったい誰なんだよ?」 誰もがそう不思議に思っているとき、その男はいった。 「あ、言い忘れたけど、ぼくはタロウだよ」
こんな風に、「は」の前の「ぼく」の存在について、人々はすでに知っている。
だけど、その男が「タロウ」であることについて、人々は知らない。
こんな状況にあるとき、「ぼくはタロウだよ」という文が成り立つというのだ。
「ぼく が タロウだ」の場合
つぎに、「ぼくがタロウだ」について説明しよう。
このとき、「タロウ」という存在について、すでに聞き手の意識に上っている。
だけど、一体誰が太郎なのか分からない。
たとえば、こんな状況をイメージしてみてほしい。
「なんかさ、この100人の群衆の中に、タロウがいるらしいぞ、それがだれか分からないけどさ。えーと、一体だれがタロウなんだろう……」 誰もが途方に暮れていたその時、突然1人の男が現れてこういった。 「こんにちは。ぼくがタロウだよ」
こんな風に、「が」の後ろの「タロウ」については、人々の意識にすでに上っている。
だけど、それが、目の前にあらわれた「ぼく」であることを人々は知らない。
こんな時に、「ぼくがタロウだよ」という文が成り立つというのだ。
さて、以上を踏まえ、ここでもう一度、大野説を確認してみる。
〇「は」の前に来るのは「すでに知っている情報」 〇「が」の前に来るのは「まだ知らない情報」
ほほー、なるほどー!
と、納得がいった読者も多いと思う。
だけど、そうキレイにまとめられないのが、日本語のやっかいなところなのだ。
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大野晋の説明の不十分さ
上記の通り、大野晋の説にはそれなりの妥当性があるように思う。
だが、同じく日本語学者の金谷武洋は、次のような例を挙げて大野説の不十分さを指摘する。
妻「あなた、佐藤さんがね」
夫「何だ。また佐藤さんの話しかい?」
妻「佐藤さんが面白いことを言いましたよ。」
このとき明らかに、「佐藤さん」は夫婦に共有された「すでに知っている情報」である。
「が」の前に来るのは、「まだ知らない情報」という、大野晋の説に反する例だと言わざるをえない。
金谷氏によれば、実はこんな例が日本語には多数あるというのだ。
じゃあ、大野晋の説には、どんな問題点があるというのだろう。
筆者、金谷武洋はこう言う、
「そもそも『は』と『が』を同列で比べてるのがおかしいんじゃない?」
一般的に「は」も「が」も、「主語の後につく語」といった理解がされている。
ところが、金谷氏はそうした一般的な理解に疑問を投げかけ、「は」と「が」を同列に扱うことの誤りを指摘する。
その上で、こう続ける。
「そもそも、日本語に『主語』なんてないんじゃない?」
金谷氏は「日本語には主語は無用」論者の1人である。
実は、「日本語にはそもそも主語なんてない」と主張する学者というのが一定数いる。
彼らによれば、日本語に「主語」という概念が導入されたのは、明治時代以降だという。
明治以降、日本人は進んで「英語」を学習することになったのだが、その際に採用されたのが「文の構造」であった。
すなわち、SVO(主語・動詞・目的語)といったアレである。
いらい、日本語を勉強する際にも、この「文の構造」といった観点が重要視され、次第に「日本語には主語がある」といった考えが定着していったのだという。
たしかに「私は本を読みます」とか「私はテニスをします」なんて文章は不自然で、「本を読みます」とか「テニスをします」とか、主語を取っ払った方が自然に響く。
いずれにしても、「日本語に主語はあるのか、それともないのか」というのもまた、日本語の宿命的な議論であって、そことセットで「は」と「が」の違いというのも、議論されることがよくあるのである。
なお、金谷氏の説明について詳しく知りたい方は、はこちらの書を参考にしていただきたい。
『日本語文法の謎を解く』(金谷武洋)
おわりに「日本語は奥深い」
以上、日本語文法の宿命「”は”と”が”」の違いの説明として、大野晋説を紹介した。
〇「は」の前に来るのは「すでに知っている情報」 〇「が」の前に来るのは「まだ知らない情報」
こうした大野説は、「は」と「が」の違いを知るうえでかなり有効な説明だといえる。
だが上述した通り、この説明では回収しきれない例は多く存在しており、依然として「は」と「が」の違いに関する明確な説明はない。
日進月歩する日本語研究だが、まだまだ解明されない謎は多いのだ。
日本語の奥深さにふれ「もっと日本語について勉強をしたい!」と感じたあなたに、ぜひ参考にしていただきたい本があるので、以下、簡単に紹介しておきたい。
『日本語練習帳』(大野晋)
この記事で紹介した説明は、主に本書を参考にした。
本書は優秀な「文法書」であるだけでなく、優秀な「文章トレーニング書」でもある。
「日本語の奥深さ」に触れつつ、文章能力を高めたいという人にオススメ。
『日本語の教室』(大野晋)
こちらも日本語学の第一人者、大野晋の言語学エッセイ。
この本にも「は」と「が」の違いについて書かれているが、それ以外にも興味深いトピックが多く、身近な表現を例に日本語の本質へと迫っていく。
また、日本語と漢字の関係についての説明もとってもためになる。
主に、日本語の「起源」や「歴史」について興味がある人にオススメ。
本書を読めば、日本語の魅力について改めて知ることができると思う。
『日本語と外国語』(鈴木孝夫)
日本語学の権威ともいえる鈴木孝夫の代表作。
こちらも、外国語との比較を通して、「日本語とは何か」、「日本人とは何か」をあきらかにしていく。
こちらはエッセイなので、とってもよみやすく、かつ言語学のおもしろい部分をしっかりと味わえる。
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