はじめに「伊坂幸太郎」について
作者「伊坂幸太郎」は、もはや説明不要の“現代エンタメ小説界の重鎮”である。
2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビューするや、続く2002年に『ラッシュライフ』、2003年に『重力ピエロ』、『アヒルと鴨のコインロッカー』でまたたく間に人気作家の仲間入り。
以降、年間に2~3本の中・長編小説を発表し、『フィッシュストーリー』、『ゴールデンスランバー』、『アイネクライネナハトムジーク』などは、映画化し、多くのファンたちを魅了した。
伊坂幸太郎の魅力については、〈これまたもはや説明不要なのだが〉以下の点が挙げられる。
- 鮮やかな伏線回収
- 魅力的な登場人物
- ユーモラスな会話
- ハートウォーミングな展開
- 手に汗握る戦闘シーン
今回取り上げる『フーガはユーガ』は、上記の特徴の全てを高いレベルで達成している、近年の伊坂作品の中では群を抜いた出来栄えの作品だと思う。
以下では、そんな『フーガはユーガ』について徹底解説・考察をしていく。
主なテーマは次の4つ。
- 「伏線」について
- 「2」について
- 「他作品とのリンク」について
- 「タイトルの意味」について
ぜひ、お時間のある方は最後までお付き合いください。
解説「伏線」について
僕はこれまで伊坂の全作品を読んできた。
だからこそ言いたいのだが、『フーガはユーガ』の伏線回収のあざやかさは、伊坂作品の中でも指折りである。
物語のあちこちに張り巡らされた伏線が、クライマックスで一気に回収されるのだが、それがもう格好よすぎて、切なすぎて、鳥肌落涙も必至である。
ここでは、個人的に心に刺さった伏線を特に取り上げ、解説していきたいと思う。
「クライマックス」の4連発
まずは、全ての読者の心を躍らせたクライマックスでの4連発について触れたい。
その4つとは、
- 優我の嘘
- 想定外の外
- 弟は僕よりも結構元気
- 親指のサイン
である。これをたたみかけるようにぶっ込んでくる伊坂の手際の良さは「お見事」という言葉だけでは賞賛しきれない。
まず、それぞれ、作中のどこに伏線として張られていたかを確認してみよう。
優我の嘘
「嘘」については、冒頭からすでに述べられている。
僕の喋る話には記憶違いや脚色だけじゃなくて、わざと嘘をついている部分もあるので、真に受けないほうがいいですよ。(単行本P6より)
これは高杉を欺くための嘘なのだが、結果的には、読者も欺かれることになる。
想定外の外
「想定外の外」については、もともと高杉が使った言葉である。
双子が空間を飛び越え、入れ替わった瞬間が映っていたのだとは想定外のさらに外だ、と彼は言った。(P25より)
これは、優我と風我の「瞬間移動」の事実を知った高杉が、その意外性を表現したものである。
弟は僕よりも結構元気
「弟は僕よりも結構元気」は、優我の言葉だ。
僕の弟は僕よりも結構、元気です。とは風我のことを説明する時によく口にしたセリフだ。いつだって彼が僕を引っ張っていく。(P45より)
優我と風我、2人は双子だが、その才能や能力は、やや対照的だ。
優我が勉強が得意で、あまり冗談を口にしないタイプであるのに対して、風我は運動が得意で、軽口や冗談を良くいうタイプだ。(風我は作中でも、ダジャレを度々口にしている)
そんなお互いのパーソナリティや能力の違いが、「弟は僕よりも結構元気」という言葉に表れている。
親指のサイン
そして「親指のサイン」については、優我と風我が、父親に気付かれないようにしていた意思疎通のためのサインである。
その、親指を少し出した手のサインを、いつから使うようになったのかは分からない。はっきりと言語化できるものではなく、「頼む」「頼んだぞ」「任せた」といった意味合い、ようするに、協力を乞う際に使うものだ。(P89より)
優我と風我、2人は、こうしたジェスチャーやサインで、こっそり意思疎通をはかり、父親からの虐待を避けようとしてきた。
言わば、苦しみを乗り越えてきた二人の「歴史」が刻まれた象徴だといっていい。
伏線を一気に回収
さて、こうして張り巡らされた伏線が回収されるのは、高杉との対決で優雅が命を落とす、まさにその寸前のことだ。
高杉にショットガンで撃たれ瀕死の優我。
不敵な態度をとる高杉に、優雅は声を絞り出す。
「嘘だったんだ」
(中略)
一つ、風我は死んでいない。
(中略)
そしてもう一つ、「誕生日は今日なんだ」(P268より)
その瞬間、優我の皮膚がぴりぴりと震えだす。
瞬間移動の前兆だ。
もはや、息も絶え絶えの優我。
その脳裏には、自らの人生の断片が去来する。
父親のこと
少女のこと
小玉のこと
そして風我のこと
そうした過去のあれこれを思い、優我は再び口を開く
風我が来る。僕はもう一度、ワタボコりに伝える。
来るってどこから?
想定外の外からだ。(P268より)
死んだと思われた風我が、いま、ここにやってくる。
そんなこと、一体だれが予想できただろうか。
これこそまさに「想定外の外」である。
そして、優我は、最後の力をふりしぼる。
「悪いね」僕は砂時計の最期の数粒が落下する直前、高杉に聞こえるような声をどうにか絞り出す。「俺の弟は、俺よりも結構、元気だよ」(P268より)
そういって息絶える優我。
手には、「親指のサイン」である。
そこに移動してきた風我は、優我のサインをみて全てを察する。
事切れた僕の体を風我は見下ろし、驚いている。
驚いている暇はないよ。
風我は、うつ伏せに倒れている僕の右手に気づいた。
最後の最後、力を振り絞り、僕は手を動かしていた。
(中略)
後は任せた。
僕の残した、その手と指の形は風我に伝わった。(P270より)
こうして風我は、優我からのバトンを受け取り、因縁の相手である高杉との決闘に挑むことになるのである。
……かっこよすぎだろ、伊坂。
僕はこのシーンを読んで、大げさではなく、伊坂幸太郎という作家と同時代に生きていることを心から喜んだ。
いや、そう思った読者は、きっと僕だけじゃないはず。
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「変身」
「変身」は、叔父が主催する「虐待ショー」で小玉を救出する際に、優我が言うセリフだ。
どこか幼稚で馬鹿馬鹿しい響きを持つ「変身」という言葉だが、ここには、これまでの優我と風我の人生が深く刻まれている。
小玉は、あの女子児童ではない。これは、やり直しではないし、敗者復活戦とも異なる。ただ、誰かを助けることで、心に空いた陰鬱な穴を、少し埋めたかったのだ。
おそらく人生において、二度と口にしないだろう決めゼリフを発した。
「変身」(P138より)
この言葉が、どんなに馬鹿馬鹿しく、非現実的なものかは、当の優我自身がよく分かっている。
そのことが
「おそらく、人生において二度と口にしないだろう」
という言葉に表れている。
だけど、あえて「変身」という言葉をつかった優我には、3年前に、車で無惨にもひき殺された、あの少女への強い罪悪感がある。
決して過去は変えられない。
だけど、今、目の前で起きている現実は変えられるかもしれない。
それだけが、あの少女に対して、今の自分にできる唯一の行いだ。
そんな思いが、優我を駆り立てているが、彼を駆り立てるのはそればかりではない。
かつて父親から虐待され、誰かに助けてほしかった、幼い頃の記憶が優我を駆り立てるのだ。
助けて!
そう祈る自分がいた。多分頭にあったのは、テレビで見るスーパーヒーローの姿だ。最初は普通の人の姿だけれど、誰かがピンチになった時にポーズを決め、「変身」と口にする。その途端、一瞬にして姿が、その、正義の味方の格好に変わる。
(中略)
実際にはそんなことは起きない。
僕の家の中には、家族以外はいないし、誰も、「変身」などせず、助けてもくれない。(P5より)
こうした幼い頃の孤独と苦しみが、優我の「変身」という言葉には表れている。
優我が父親から虐待されたことに、理由なんてなかった。
そして、そうした理不尽を止めてくれる人は、誰もいなかった。
だけど、優我のあの苦しみや痛みに意味があるとすれば、それは目の前で苦しむ小玉を救うことなのだ。
過去に意味を与えられるのは、いまや自分自身しかいない。
――変身。
この言葉には、「少女の死」、「虐待を受けた過去」、そうしたものをなんとか乗り越えようとする、優我の切実な思いが込められている。
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「閑話休題」
この言葉は、作中で繰り返し使われている言葉だ。
言葉としては「それはさておき」と、話を本筋に戻すときのフレーズなのだが、優我はここに特別な意味を込めている。
小玉も僕たちも、この恵まれているとは言い難い人生に、突如、「閑話休題」が現れ、本当の、もっとましな日々が現れてくれないものだろうか。そう願ってしまう。(P130より)
真面目に、懸命に生きる人間が、どうして苦しまなければならないのか。
こうした問いは、多くの文学作品で描かれるものだが、伊坂作品でも頻繁に扱われるテーマだといえる。
そして、伊坂はいつも、次のようなメッセージを、僕たち読者に送っている。
「苦しみ続けた人間に、ちゃんと幸せが訪れる」
――あってもいいじゃないか、そういうこと。
物語のラストシーンでは、風我は小玉と結ばれ、かわいい双子も生まれ、ささやかだが幸せな生活を送っている様子が描かれている。
後述するが、そうした風我の幸せを見守り続ける優我もまた、幸せを感じているはずなのだ。
優我にも風我にも、ちゃんと「閑話休題」は来てくれたのである。
――閑話休題
この言葉には、ささやかながらも幸せを願う、そんな優我の思いが込められている。
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解説「数字の2」について
改めていうまでもなく、本作は優我と風我という「双子」の物語だ。
本作では「2」という数字が特別な使われた方をしているのだが、それは決して偶然ではない。
たとえば、優我と風我が誕生日に「2時間」置きで入れ替わるというのが最も分かりやすい部分だろう。
また、この物語は、優我と風我の「5歳から25歳まで」の物語なのだが、主立った事件が起きるのも「2」が付く年になっている。
小学校2年の誕生日 ・・・優我と風我が瞬間移動を自覚する
中学校2年の誕生日 ・・・ワタボコリを倉庫から救出する
高校2年の誕生日 ・・・小玉を叔父の魔の手から救出する
大学2年の誕生日 ・・・ハルコを実の父から救出する
2年後(22歳の)誕生日 ・・・高杉と決闘する
こんな風に「2」が付く年に、重要な事件が起きているのもきっと偶然ではない。
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解説「他作品とのリンク」について
「他作品とのリンク」は伊坂作品において、もはや定番となっているが、本作『フーガはユーガ』も例外ではない。
主なリンクは、次の3つ。
- 岩窟おばさんと繋がる「業者」
- 優我の名に似た「案山子」
- ボーリングをする「隻腕の男」
まず、1つめの「業者」については、作中では優我の「身分証明書」の偽造をしてくれる形で登場する。
とある裕福な家庭のおぼっちゃん、という設定にし、それらしく思える証拠を用意した。
(中略)
住民票や偽の免許証を作り、このあたりは、岩窟おばさんから紹介してもらった業者任せだったが、僕がそこの息子だと勘違いさせた。(P119より)
この「業者」というのは、伊坂作品の中では「殺し屋シリーズ」と呼ばれる一群の作品に登場する。
『グラスホッパー』、『AX』、『トリプルセブン』など、人気作品がある中でも、ハリウッドで映画化され、世界的にも注目された『マリアビートル』が有名だ。
それから、「優雅の名前に似た案山子」については、公園で出会った少年と優我の、こんな会話に登場する。
「俺もそうなんだよ」
「へえ、双子なの?」
「そうそう。俺が優我で、向こうが風我。ユーガとフーガ」
ふうん、と彼らは大して面白くもなさそうに応え、それから、「ユーガって伊藤さんが話していた案山子の名前と似ている」だとか二人でぼそぼそ喋っていたが、もちろん僕にはなんの話か検討もつかない。(P195より)
この案山子は、伊坂のデビュー作『オーデュボンの祈り』に登場する喋る案山子「優午(ユーゴ)」のことだ。(なお、伊藤は主人公)
優午は未来を予測できる能力を持っており、物語の中でも超重要キャラクターとして登場している。
最後に「ボーリングをする隻腕の男」については、優我が訪れたボーリング場で、こんな風に登場する。
ある時、隣のレーンのカップル男のほうが、隻腕にもかかわらず右腕だけでストライクを何度も叩き出し、驚かされたことがあったが、特筆すべきことはその程度で、――(P226より)
この隻腕の男は、伊坂作品の中でも屈指の人気を誇る『砂漠』に登場する「鳥井」という大学生だ。
彼は、とある事件に巻き込まれ、車にひかれて左腕を失っている。
ちなみに、「カップルの女のほう」は、おそらく、鳥井の幼なじみで、超能力を使うことができる「南」だと思われる。
なお、この『砂漠』という作品も『フーガはユーガ』と系統が同じ作品で、伏線回収が鮮やかで、読後に暖かな余韻が残るオススメの1冊だ。
以上3つが、『フーガはユーガ』に見られる、他作品とのリンクである。
こうしたリンクがあるのは、伊坂作品のほとんど全ての舞台が「仙台」であることに由来している。
作品同士のリンクというのはファンとしてはとても嬉しく、内心ニヤリとしながら読んでいる読者もきっと大いに違いない。
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・
考察「タイトルの意味」について
語り手の視点
ここでは『フーガはユーガ』というタイトルについて、僕なりに考察してみたい。
そこで注目したいのが 語り手である「優我の今」についてだ。
この作品は(ワタボコリのパートを除いて)すべて「優我の語り」となっていて、どうやら優我は、「自らの一生」を誰かに語ってきかせてくれているようなのだ。
ここまでが僕の高校時代までの話だ。次は? 長々付き合ってもらって申し訳ない。次が最後だ。(P147より)
こんな風に、優我はあきらかに、自分の過去を誰かに語っている。
その相手は、優我の知る人物なのかもしれないし、僕たち「読者」なのかもしれない。
では、優我はいったい、どこから語りかけているのだろう。
たとえば、作中にはこんな箇所がある。
今なら、消費者ローンやカードローンを使うかもしれないが、当時の年齢ではそれも難しかった。(P120より)
今? 今っていつだ?
と、あらためて疑問に思わないだろうか。
少なくてもここから、優我がすでに「成人」をしていることが分かる。
それ以外にも、作中にはヒントが沢山ある。
それはたとえば、この後、優我が「自分自身の死」について語ることだったり、物語のラストで「父親になった風我」について語ることだったりする。
そうした諸々を考えていくと、「優我の今」について、およそ次のように仮説を立てることができる。
「優我は死後、風我の近くで彼らを見守っている」
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風我を見守る優我
「優我は死後、風我の近くで彼らを見守っている」
そう考える根拠は他にも沢山ある。
その最たるものは、次の優我の語りである。
たぶん、僕が風我よりも先に死んでも、風我やその先のことが心配で、どこからか眺めていないと気が済まないだろう。(P44より)
この箇所は、まるで優我の「今」について語っているように思われる。
「僕が風我よりも先に死んでも」という、「仮定」の話として語られているのは、優我の話には「嘘や省略」が含まれているからだ。
ここで優我は、読者に対して「すでに自分が死んでいること」を誤魔化しつつも、「風我を見守り続けている現状」を、それとなくほのめかしているというワケだ。
では、なぜ優我は、死んでもなお風我を見守り続けているのか。
もちろん「風我のその後が心配」という、率直な思いもあるだろう。
だが、それ以上に、「二人の絆」があると思われる。
そうした絆を、優我は「靴」のたとえで表している。
ああ、そうだ。
靴だ。
それまでの僕たちはまさに、一足の靴で、どこに行くのも大体一緒。
そこからみえることもほとんど同じ、片方が体験したことは隣で見える。といった具合だった。(P79より)
幼い頃から、互いに支え合ってきた二人。
父親からの激しい虐待と、母親の無関心。
だれも助けてくれない環境の中、頼りになるのは、世界でたった一人だけ。
だから二人はいつも一緒だった。
そんな二人の関係は、ちょうど「靴」に似ている。
二人がそろって、初めて歩き出せるのであり、どちらか一方が欠けてはいけない。
だからこそ、優我は死んでもなお、風我の近くにいてくれるのだろう。
そしてそれは、きっと、これからもずっと変わらない。
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「フーガはユーガ」の意味
優我は「死者」として、風我に寄り添い、そしてともに生きていく。
二人はまるで「靴」のように、ずっと一緒なのだ。
風我は、そんな自らの人生について、次のように言う。
風我が表情を緩めた。「じゃあ、ちょうどいい。優我の人生は、俺のものでもある」
「何だよそれは」
「二人で二つの人生だ。どっちも俺たちのものだ」(P146より)
兄の人生が弟のものであるように、弟の人生もまた兄のものなのだ。
だから、たとえ兄が死んでしまったとしても、弟は、これからも兄とともに生きていける。
生き残った風我の人生は、そのまま優我の人生でもある。
そう、これまでも、これからも「風我は優我」なのである。
これがタイトル『フーガはユーガ』に込められた意味だ。
そもそも、この物語の語り手は優我である。
そのことを考えれば、
「ユーガはフーガの方が、タイトルとしてふさわしくない?」
と疑問に持つ人も多いかもしれない。
だけど、タイトルは「フーガはユーガ」だ。
その理由は、この小説世界において、生きる主体が「風我」だからなのだろう。
この世界を生きていく「風我」に、一心同体よろしく、そっと寄り添い見守り続ける「優我」
こうした構図が、タイトルの「フーガはユーガ」には表れている。
まとめよう。
『フーガはユーガ』というタイトルには、
「“二人で二つの人生”を生きてきた双子の兄弟が、これからも共に人生を歩んでいく」
ということが暗示されている。
読後にもたらされる温かい余韻は、
「風我とともに優我は生きている」
ということが、語りの妙によって表れているからなのだろう。
――フーガはユーガ
風我の人生は優我の人生でもある、これまでも、そして、これからも。
以上で、『フーガはユーガ』の解説・考察記事を終わります。
最後に伊坂幸太郎のオススメ本と、伊坂幸太郎を読むためのオススメサービスを紹介するので、興味のある方は、ぜひ参考にしてください。
それでは、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
伊坂作品のオススメ
「鮮やかな伏線回収」系
『ゴールデンスランバー』
首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の、2日間にわたる逃亡劇を描いた作品。
これはもはや、すべての伊坂エッセンスが詰まった最高傑作だといえる。
その中でも、伏線回収は神がかっていて、後半にかけてページを繰る手が止まらない。
笑いあり、涙ありで、読み終えた後の余韻は、伊坂作品の中ではNO1だといえる。
2008年本屋大賞受賞。
第21回山本周五郎賞受賞。
『このミステリーがすごい!』2009年版1位。
この作品を読まずして、伊坂を語ることはできない。
「魅力的な登場人物」系
『砂漠』
大学で出会った5人の男女がボウリング、合コン、麻雀、通り魔犯との遭遇、捨てられた犬の救出、超能力対決などを通じて互いの絆を深め、それぞれを成長させてゆく青春物語。
この作品の魅力のうち7割くらいは「西嶋」というキャラクターが占めているといったら、伊坂ファンは怒るだろうか。
とにかく、それくらい「西嶋」は魅力的な男で、彼独特の人生観、恋愛観、世界観はもはや「西嶋哲学」と呼んでも良いくらいの求心力がある。
もはや作者の「意図」を超えて、西嶋が勝手に動き始めているような印象さえ持つが、それはきっと小説家冥利に尽きるのではないだろうか。
続編がないのが、信じられない。
『砂漠』の続編を心待ちにしている伊坂ファンは、絶対に多い。
【 参考記事 解説・考察『砂漠』(伊坂幸太郎)―傑作!人生を歩むための“パンクロック小説”― 】
「ユーモラスな会話」系
『チルドレン』
「俺たちは奇跡を起こすんだ」
そうした独自の正義感を持ち、いつも周囲を自分のペースに引き込むがなぜか憎めない男、陣内。
正直、『チルドレン』は先述の「魅力的な登場人物」系で紹介したかったくらい。
それくらい陣内という男は魅力的で、彼を中心とした会話の応酬が最高にクールでキマっている。
陣内を中心にして起こる不思議な事件の数々――。
何気ない日常に起こった5つの物語が、一つになったとき、予想もしない奇跡が降り注ぐ。
「手に汗握る戦闘シーン」系
『グラスホッパー』
これについて異論はないだろう。
作品の完成度について言えば、伊坂自身が
「今まで書いた小説のなかで一番達成感があった」
と語るほど。
本書は元祖「殺し屋」たちの物語。
彼らが巻き起こす戦闘は、「超人対超人」、「最強決定戦」、「天下一武道会」の趣で、とにかく本書はワクワクでドキドキ手に汗握る第1級のエンタメ小説だ。
殺し屋たちのネーミングも、「蝉」とか「鯨」とか、伊坂のセンスが光っている。
続編の『マリアビートル』もオススメなのだが、まずは『グラスホッパー』から。
「ハートウォーミングな展開」系
『終末のフール』
舞台は「8年後に地球が滅亡する」と発表されてから5年目の世界。
――死なねばならないのに、人はなぜ生きるか、いかに生きうるか――
そんな人間の根源的なテーマを大げさでもなく、観念的でもなく、いかにも生活実感に即して読者に問いかけてくる。
日常の尊さ、一瞬の大切さ、生活のかけがえのなさ……
本書は、僕たちが普段見失っているものを鮮やかに取り出して、僕たちの前に提示してくる。
――限られた人生を、どのように生きていくべきか――
本書に貫かれたその問いは、しかし、死の「3年前」だろうが「50年前」だろうが、本質的にはなんら変わらないことに気付かされる。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
作中のこの言葉に、作品の全てが詰まっているといっていいだろう。
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