はじめに「ラップと文学の融合」
『レぺゼン母』は2022年、第16回小説現代長編新人賞受賞作だ。
35歳のダメ息子 VS 64歳の肝っ玉おかん
ザックリ言えば、こうした親子のヒューマンドラマを描いたのが本作なのだが、この作品がまさしく「新人賞」にふさわしいのは、この2人のバトルが「ラップ」によって行われる点だろう。
――おかんとラップ――
この設定からして問答無用で笑えてしまうワケだが、そうした「笑い」に「涙」が融合し、読中も読後も名状しがたい感動が潮のように押し寄せてくる。
また、本作はありありと情景が浮かぶ描写も印象的なので、いずれ映画化するだろうと僕は密かに予想している。
この記事では、そんな『レぺゼン母』についての魅力について解説・考察をしたい。
お時間のある方はぜひ最後までお付き合いください。
「作者」について
作者、宇野碧は1983年生まれ、現在は作品の舞台ともなっている「和歌山県」在住。
2022年、『レペゼン母』で、第16回小説現代長編新人賞を受賞し、作家デビュー。
子どもの頃から、図書館に入り浸っていたという宇野。
学校も家庭も、どこもかしこも「自分の居場所」とは思えなかったという氏は、慢性的な「生きづらさ」を感じていたようで、大人になってからも、まるで根無し草のように放浪生活を続けていたという。
ということで、氏の創作の原動力は、間違いなくこの「生きづらさ」だといっていいだろう。
『レペゼン母』で繰り広げられるラップ、その一つ一つの言葉が読み手に突き刺さってくるのは、そうした氏の「生きづらさ」に裏打ちされているのかもしれいない。
「作品概要」について
マイクを握れ、わが子と戦え!
山間の町で穏やかに暮らす深見明子。
女手一つで育て上げた一人息子の雄大は、二度の離婚に借金まみれ。
そんな時、偶然にも雄大がラップバトルの大会に出場することを知った明子。
「きっとこれが、人生最後のチャンスだ」
明子はマイクを握り立ち上がる――!
「講談社の作品紹介」より
選考会で大絶賛され、受賞にいたったという本作。
以下、選考委員の声を引いてみたい。
「レペゼン母」は選考を忘れて読みふけった。
朝井まかて
「親との戦い」ではなく、親の側から「子との戦い」を力強く描いた、大人の小説であると感じさせられた。
宮内悠介
親と子の間に横たわる長年のわだかまりをラップバトルでぶつけ合うというアイデアが秀逸で、ラップの内容もよくできていたと思う。
薬丸岳
こんな風に3人の選考委員が高く評価する中で、やや不満げだったのが中島京子だ。
とくに劇的でも個性的でもない親子の対話を読むのは、若干、わたしにはしんどいところもあったのですが、丁寧に書かれた佳作という印象は受けました。他の選考委員の強い推薦もあり、授賞に異論はありませんでした。
中島京子
とはいえ、中島も最終的には本作の受賞を認めているワケなので、選考会はほぼ満場一致だったといって良いだろう。
僕も、最近読んだ「エンタメ系新人賞作品」の中でも指折りの良作だと思う。
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「レペゼン母」の意味
「レペゼン」というのは、英語の「represent」の省略・短縮表現として用いられることのある言い方で、主にヒップホップの歌詞において用いられ、「代表する」といった意味である。
つまり、タイトルの「レペゼン母」は、本作のイメージに寄せて言うなら、
「おかん代表」
ということになるだろう。
実際、主人公「深見明子」(64歳)の「肝っ玉おかん」感はすさまじく、義理の娘である「沙羅」の信頼をガッツリと獲得してしまう。
明子はひょんなことからラップバトルに参加することになるのだが、そこで彼女独自のラップを駆使し、若者ラッパーたちに「説教」をかます。
そのラップの才能は、多くのラッパーたちも認めるところ。
そもそも、明子がラップを始めるのは、義理の娘の沙羅の影響が大きいワケだが、作中で沙羅の代打として、宿敵の「鬼道楽」とバトる場面がある。
この鬼道楽というのはまさに名のごとく、女性を人間とも思わないような鬼畜ラップで沙羅の人格をおとしめたゲス野郎なのだが、そんなゲス野郎に対して“肝っ玉おかん”明子はラップで痛快な“ディス”を浴びせる。
女性相手じゃセクハラか顔のディスしかできん
頭に詰まってんのもうんこか?
私は人間と話しがしたいんだ
相手を人間だと理解できる奴とな
このラップを「大きなボディランゲージ」とともに鬼道楽にかます明子はメチャクチャ“ドープ”(格好よく)で、観客の熱狂をほしいままにする。
読み手もまるで観客の一人のように熱くなるエモいワンシーンなのだが、いやいやちょっと待て、冷静に考えてみれば、彼女は64歳の「おかん」なのである。
まさに、この凄まじいギャップこそが『レペゼン母』の大きな魅力の一つであり、空前絶後の人物造形であり、新人賞の冠にふさわしい作品なのだと僕は感じている。
ちなみに、僕が個人的に1番好きなシーンは、先の大会の主催者が明子の才能を認めて
「ぜひ、本戦に参加しませんか?」
と勧誘してきた際、普通に、かつ、真っ当に説教をするシーンである。
「失礼なヤツはごく一部なのだ」といい、しかも、あの鬼道楽に対して「普段は礼儀正しい人」と擁護する大会主催者に対して、明子は「あんたアホか」と、ド正論で説教する。
「一部だけならいいんか? そういう存在が許されているってことが問題なんや。それに、普段は礼儀ただしいからってやったことがチャラになるわけないやろ」
「はい、申し訳ないです……おっしゃるとおりです」
こうした「肝っ玉おかん」っぷりを発揮する明子は、やはり作中では間違いなく「レペゼンおかん」である。
ただ、この作品の真の魅力は、そんな「肝っ玉おかん」明子の「一人の人間としての苦悩と成長」にあると僕は思っている。
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「ラップバトル」の必然性
若者ラッパーたちに説教をかまし、観衆の心をわしづかみにしていく「肝っ玉おかん」明子。
彼女の存在が、この作品に独特の熱量と「笑い」を与えていることは言うまでもないが、この作品の最大の魅力は、そんな「肝っ玉おかん」の苦悩にあると僕は考えている。
彼女の息子雄大は、35歳にして破天荒な人生を経験している。
問題児扱いされた幼少時代、たび重なる離婚、借金、大麻所持、そして逮捕……
大人になっても改善されない雄大の問題行動に、明子は「あの、バカ息子が」と独りごつ。
信じては裏切られ、また信じては裏切られの連続。
「なぜ、息子に、私の言葉が届かないのだろう」
「なぜ、息子は、私の思いを分かってくれないのだろう」
そうした嘆きを抱く日々の中、ある日、明子は次のように思い至る。
果たして自分は、息子を本気で理解しようとしたことが、あったのだろうか?
なかった、のかもしれない。
――だとしたら。
この気づきから、物語は大きく変わる。
明子はこれまで、「問題の責任は雄大」にあると考えて疑わなかった。
だけどそれは間違いだったのかも知れない。
「ひょっとして、問題の責任は自分にあるのではないか?」
これまで息子を一方的に叱りつけるばかりで、彼の声に耳を傾けようとはしてこなかった。
相手を理解する姿勢がなかったのは息子ではなく、実は自分の方だったのではないか。
こうして明子は、息子雄大との真剣な対話を望むようになる。
しかし、親子のコミュニケーションは、実に30年以上も破綻してしまっている。
ここに「親子ラップバトル」を持ってきた作者の発想は、もう見事でしかない。
35歳になった雄大は、明子の言葉に聞く耳を持とうとしない。
だけど「ラップバトル」なら、彼は母親の言葉に耳を傾けざるを得ない。
いや、母親自身もまた、息子の言葉を全身全霊で受け止めなければならない。
つまり、この親子が魂の対話をするためには、もはや「ラップバトル」を利用するしか方法がないのである。
この展開が『レペゼン母』の本当に巧いところで、こうして「ラップ」は単なる「物珍しいモチーフ」を脱して、切実で必然性を持つ「作品の生命線」になるわけだ。
「親子の問題」↔「ラップバトル」
この一見して関係なさそうに見える2つを絶妙に繋いでしまう発想の妙が、作者「宇野碧」の才能だと思う。
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「親子の絆」を問う
作品の終盤で展開される「親子ラップバトル」という名の、親子の「魂の対話」は圧巻の一言。
2人のラップのクオリティについては、素人の僕が見ても「上手じゃない」ことは一目瞭然だ。
テンポが良いわけでもなし、絶妙な韻を踏むでもなし、ウィットに富んだディスりがあるわけでもなし。
ただただ言いたいことをストレートにぶつけ合っているだけの「ラップバトル」なのだが、だからこそ読者の心に突き刺さるものがある。
そして、30年の月日を超え、初めて交わされる「魂の対話」にはある種のカタルシスがあって、スタバで読んでいた僕は人目もはばからず落涙してしまったのだった。
ここで改めて、選考委員の宮内悠介の言葉を引きたい。
「親との戦い」ではなく、親の側から「子との戦い」を力強く描いた、大人の小説であると感じさせられた。
時に親子というのは、「戦い」としか言いようのない衝突を起こす。
そして、子には子の、親には親の立場とか思いがある。
だけど日常はめまぐるしく動き、生活はものすごいスピードで追いかけてくる。
こんな現代に生きる親子たちは、いったいどれだけ真剣に「対話」をすることが出来るというのか。
小さなすれ違いは、次のすれ違いを生み、そうして少しずつ離れていった心は、それこそ30年もすれば取り返しが付かないほどに大きく隔たってしまう。
これは、何も明子と雄大だけの問題ではなく、現代を生きる全ての親子が抱えうる問題だと思うのだ。
いや、親子の問題は、決して時代的な問題ではなく、古今東西いつの世でも深刻な問題だといっていい。
本作『レペゼン母』は、「親子の絆とは何か」を強く問いかけてくる作品である。
そして、ここに描かれた「親子の絆回復」の物語は多くの人たちの心に突き刺さる物語である。
笑いあり涙ありの良質な文学を読みたい人に、ぜひオススメしたい。
「親の立場」から読んでも、「子の立場から」読んでも、あるいはその両方でも、きっと素晴らしい感動を得られるはずだ。
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