ぼくと本との出会い

自分のために書かれた運命の1冊

読書をしていると、まれに、「これは自分のために書かれたんじゃないのか?」と、思える一冊に出会える。
あるいは、その出会いは
「まるで、自分のために書かれた言葉」とであったり、
「まるで、自分自身だと思える登場人物」とであったりもする。
とにかく、そういう出会い、そういう読書体験をしたとき、その人は間違いなく本に魅了される。
ぼくにとって、漱石の『それから』はそういう1冊だった。
主人公代助の苦悩や葛藤に、自分自身を見たし、
代助が下した決断に、自分の理想を投影した。
すべての責任を負ってでも、自分であろうとした代助に胸が熱くなったし、
そういう生き方もあるのだと背中を押された。
大げさではない。
ぼくは漱石の『それから』に救われたのである。
いままで、本になんてほとんど見向きもしなかったぼくだったが、それ以来、むさぼるように本にのめり込んでいった。
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読書で得られるもの

この経験から、つよく実感したのは、読書というのは言葉にならない心のモヤモヤに、ふさわしい言葉を与えてくれるということだ。
ゴチャゴチャして整理できない悩みに、秩序と安心を与えてくれるということだ。
自分の悩みや苦しみを言葉にできなくて、もどかしい思いをした経験、
自分の楽しみや喜びを言葉にできなくて、もどかしい思いをした経験、
きっと誰もが持っている。
少なくてもぼくは、本と出会えたことで、この世界や他者の輪郭がより確かになったし、世界や他者を見る目がより豊かになったと実感している。
だから、本に出会えたことを心から喜んでいる。
本に出会えなかった人生なんて、考えられないぐらいだ。
本を読むとは、言葉に出会うことだ。
本を読むとは、言葉を得るということだ。
言葉に出会い、言葉を得たとき、ぼくたちは自分自身や、この世界をより深く認識することができる。
「本を読むと読解力があがるよ」
「本を読むとコミュ力があがるよ」
たしかに、それも大きなメリットだろう。
だけど、そんなに浅くないし、シンプルでもない。
「本を読むと、今見えている世界が変わるよ」
ぼくなら、そう言いたい。
本を読む人と、本を読まない人の差

たとえば、上の絵を参考にしてみてほしい。
- 読まない人
- 平均的に読む人
- 平均以上に読む人
それぞれ、見える世界が違うことをよく表した絵だ
これは、比喩や誇張ではない。
読書する人と、しない人とでは、世界の認識の仕方が全く異なる。
読書する人には見える世界、しない人には見えない世界というものが、本当にあるのだ。
ちなみに、この絵がとても面白いのは、
- の、日常の景色から、
- の、闇の景色へと移行し、
- の、さらに開けた景色へと移行している点だ。
たしかに、本を読む中で、いままで知らなかった世界の闇に出くわすことがある。
その生々しい現実に、目を背けたくなることもあるだろう。
ただ、その世界の闇とは、だれしもが人生のどこかで出くわす類いの闇だ。
来たるべき闇、あるいは今まさに直面している目の前の闇。
それを乗り越える強さが、ぼくたちには必要なのだ。
本は、その強さを獲得するために最も有効な手段だいえる。
その強さを手にした人。
彼らにしか見えない景色が、まちがいなくある。
闇を乗り越えた先にある場所こそ、ぼくたちが一生をかけてたどり着くべき場所だ。
世界は1つのミルフィーユ

突飛な例え話をしよう。
この世界が、1つのミルフィーユだとする。
読書をしないあなたは、今見えている一番上のパイ生地だけが、世界のすべてだと思い込んでいる。
ところが、パイ生地の下をのぞいてみればそ、カスタードの層、イチゴの層、生クリームの層、パイ生地の層・・・・・・・と続いていくように、
実はこの世界もまた、奥へ奥へと、たくさんの層を隠している。
しかも、この世界の層はミルフィーユのように単純ではなく、奥に行けば奥に行くほど、常に、新しく、驚くべき姿に出会うことになる。
本には、一番上のパイ生地を、はがしてくれる働きがある。
なぜなら、本を書いた人たちの中には、パイ生地の下をのぞこうとしている人だったり、パイ生地の下をのぞいてしまった人だったりが、紛れ込んでいるからだ。
そういう人たちは、文学者とか哲学者とか宗教家とか詩人とか呼ばれている。
彼らの言葉は、ぼくたちに、たくさんの驚きと発見、時に感動をも与えてくれる。
まずは、それらの解説書でも、全然アリである。
この世界の真実

あなたは、一番上の層だけで、この世界をわかった気になって、一度きりの人生を勘違いしたまま生きていきたいだろうか。
ほんとうはずっとずっと不思議で、ずっとずっとスリリングで、ずっとずっと温かい、そんな世界に気がつかず、つまらない日常に埋もれていく、そんな人生を送りたいだろうか。
そんなこと、ぼくなら、絶対に嫌だ。
ぼくたちは、なぜか、この世界にうまれて、なぜかこの自分を生きている。
これほどの謎はない。
自分が生きる意味も、自分が死んでいく意味も、この世界の真実も、ぼくは知りたい。
あなたは、どうだろうか。
だまされたと思って100冊読め

両親や、学校の先生から口酸っぱく「本を読め」といわれてきた人は多いはずだ。
だけど、いざ本を読もうと思っても、何を読んでいいかわからない。
とりあえず、本屋さんにいっても、選択肢の多さにくじけそうになる。
ネットで見ても、さらに膨大な選択肢があり、困惑する。
本を読もうと、その門前に立つものの、
「めんどくさそうだし、やっぱり、いいや」
と引き返す人が、ほとんどだ。
なんとか、門をくぐって、最初に出会った本が、つまらない本だったり、難しい本だったりすれば、
「やっぱ、自分には読書なんて、むいてないわ」
といって、早々に本の世界から撤退してしまう。
これはあまりにもったいない。
だから、まずは、だまされたと思って100冊読むことを心から推奨する。
この世の中に、あなたにとっての運命の1冊が間違いなく存在している。
だけど、はじめて読んだ本が、あなたの運命の1冊であるとは限らない。
(ぼくは奇跡的に、最初の1冊がそうだったのだけど、その後、運命的な出会いはそうそうなかった)
だから、その1冊に出会うまで、どうか読書を続けてみて欲しい。
「100冊」は頑張ってみてほしい。
100という数字の根拠はそれなりにある。
ぼくの経験上、50冊読んだ中に、ビビッとくる本は、「1冊」よくて「2冊」といったところだ。
だから、「どんなに運がわるくても100冊くらい読めば、アタリにあうでしょ」と思うのだ
もし、あなたが100冊読んで、それでもアタリに合わなければ、
「やっぱり自分には、読書は向いてなかった」と、あきらめてしまっていい。
(もっとも、100冊も読めば、そのとき読書は確実に、あなたの生活の一部になっているだろうけれど……)
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人生で読める本は限られている

人生、せいぜい80年。
その中で、世界中の本を全て読むことは絶対に無理だ。
読める本は限られている。
頑張って、生涯の読書数2000冊~3000冊といったところだろう。
中には、数万冊読む強者もいるにはいるが、彼らは別格だ。
すると、むやみやたらに読むってことが、結構無謀であることに気がつく。
実際ぼくも乱読家なのだが、最近になって、「これじゃだめだ」と思い始めている。
つまり、量より質を大切にしようと思い始めているわけだ。
電子書籍「Kindle」がおすすめ
読書をするなら、電子書籍の「Kindle」がオススメ。
紙の本とは違って、かさばることもないし、持ち運びも便利だ。
なお、こちらで「Kindle」のメリットとデメリットについて詳しく紹介しているので、購入の参考にして欲しい。
レビューやおすすめ記事を参考に選ぼう

実際、世間には「価値のある本」と「(あまり)価値のない本」というのが存在している。
であれば、誰だって前者を読みたいと思うだろう。
実際、運命の1冊というのは、「前者」に多いのが現実だ。
読書の習慣があまりないあなたの場合、なにが「価値ある本」なのか、判断が難しいだろう。
そんなときには、読者家と呼ばれる人たちの声を参考に本を選ぶのが良いと思う。
実際、彼らは多くの本に触れ、価値ある本に出会い、価値ある本を見つける強いアンテナを持っている。
そして、様々な媒体でその感想を発信している。
彼らの声には、彼らの経験に裏付けられた説得力がある。
その声を、一つの羅針盤にしてみるのも一つの手だろう。
まぁ、言ってしまえば、レビューやおすすめ記事を参考にしてほしいわけだ。
ちなみにぼくも、Amazonのレビューを参考にすることが多いのだが、Amazonのレビューは、けっこう信頼できると感じている。
Amazonで評価が高いものを読むと、いつも、ちゃんと、それなりに満足度が高いので、ぜひ、参考にしてみてほしい。
ちなみに、ぼくも、読書家を自認している人間の一人である。
このブログでも、たくさんの良書を紹介していくつもりだ。
少しでも興味をもった方は、ぜひ、ぼくの感想なんかも参考にして、本を選んでいただきたいと思う。
ぼくのお勧めする1冊が、あなたの運命の1冊になれば、この上ない幸せである。
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